宮崎吾朗(みやざき ごろう)とは、日本のアニメーション映画監督である。
概要
1967年1月21日生まれ。信州大学農学部森林工学科卒。
父はアニメーション映画監督の宮崎駿。
大学卒業後は公園等の設計を行い、三鷹の森ジブリ美術館の建築にも関わる。その縁で三鷹の森ジブリ美術館初代館長に就任。
第1作・ゲド戦記
ゲド戦記を手がけるまではアニメーションの仕事はしたことがなく、このようなことは異例である。
当時のスタジオジブリ社長である鈴木敏夫の提案で実現。
当初から父・駿から猛反対を喰らい、一切アニメの経験のない人間、それも宮崎駿の息子に監督をやらせるという情報にスタジオジブリのベテラン製作陣やファンからも反対の声が上がっていた。駿は当然の如くノータッチを宣言し、早くも暗雲が立ち込める。
※ただ、この父・駿のノータッチ宣言にはいろいろとあり、若いころゲド戦記の監督をやるつもりで企画を出したものの「日本なんかでアニメにできるわけがない」と突っ返されてしまったことがある。結局後にナウシカやラピュタでジブリが有名になった際にオファーが来たのだがその時にはすっかりヘソを曲げてしまった駿が「今のこの年齢では主人公の気持ちはわからない」と監督を拒否している。また、吾朗監督と鈴木敏夫が原作者の了解を取り付けに現地へ行った際にはこれに同行、自分の描いたイメージスケッチをスケッチブック4冊ほど持って行き、吾朗監督の描いたイメージボードを徹底的に扱き下ろし「こいつには無理だ」と原作者に訴えている(その際原作者から「あなたがやればいいじゃないか」といわれた際にも「絶対に俺はやらない」と否定している)。
最大の問題点は「そもそも素人に絵コンテが描けるのか」というところだったが元々建築・設計関係の仕事をしていたことや父親譲りの才能もあり、ある程度の絵は描くことができた。鈴木P曰く「彼の書いた絵コンテを見せるとスタッフや駿は黙り込んでしまった」とのこと(悪い意味ではなく)。
2006年に初監督映画『ゲド戦記』が完成、封切られたのだが、中身は案の定、貧弱なイマジネーション、平坦な描画(絵は描けたが絵コンテとしてはやはり稚拙だった)、安い世界観、アレな演出と、ジブリのネームバリューもあってとりあえず収益はあがったものの国内ばかりか各国映画祭からも酷評を受けた。
「初監督、初アニメーション作品」という観点から見れば、締切を守り、作品として仕上げたことは立派ではある。
が、それをスタジオジブリ総出で、しかもゲド戦記という名作でやってしまったことから彼への批判は消しがたいものになった。
押井守など一部のアニメーターは肯定的な意見を持っており、特に押井は『初めて作った映画がこんなに面白いのはすごい。これにめげずアニメーターとしてもっと成長していけるよう努力すべきだ』とエールを送った。
第2作・コクリコ坂から
2009年4月のジブリ日誌において、「次の長編製作に向けて始動する、3作品が同時進行することになる」とジブリ側から発表があり、さらに鈴木プロデューサーのインタビューなどから、米林宏昌、宮崎吾朗、高畑勲の順で長編映画を製作することが発表された。
第2作は、高橋千鶴原作の少女マンガ『コクリコ坂から』。
今作は前作の反省点を活かし、企画と第一脚本に宮崎駿、第二脚本家として『借りぐらしのアリエッティ』の丹羽圭子が参加。そこから先を吾朗が担当することになった(余談だが、『コクリコ坂から』は駿の愛読書)。
吾朗本人も自ら監督に立候補、「この作品に監督生命を賭ける」と公言した。
しかしゲド戦記でついた悪いイメージは四年経っても払拭されておらず前評は否定的、公開が近付くにつれて「主演に岡田准一・主題歌に手島葵」「原作から大幅に修正されているらしい」「ヒロインの長澤まさみの演技が悪い方向にヤバい」等の嫌な噂が流れだし、東日本大震災によりスケジュールが大幅にズレこんだが封切り日には変更がなく、クオリティは大丈夫なのかという声もあがる。そしてトドメに公開直前にゲド戦記を大々的に宣伝して地上波放送というセルフネガキャンまでぶちかまし、最悪の流れで封切られることに。
が、公開されてみると四年間の月日の中で「一応映画監督」から「新人映画監督」へと立派に成長しており賛否は分かれるものの「前作に比べれば全体的に良くなった」という声が大半を占めている。信頼できるソースことYahoo!映画情報のユーザーレビューでも5段階評価で3.5点、観た人は900人でエアレビュアーが何故か1200人と、とりあえず及第点は突破したようだ。
ネタ的な意味ではなく、真面目な意味で今後の活躍が期待される映画監督の一人である。
TVアニメ初監督作・山賊の娘ローニャ
次に選んだのは1981年に書かれたスウェーデンの児童文学作品「山賊のむすめローニャ」。テレビアニメの監督は初めてであり、3DCGアニメーションを使用した意欲作となっている。
今作ではスタジオジブリを離れて川上量生をプロデューサーに迎えている。しかし川上氏はジブリ見習いでありアニメについてあまり詳しくないため「何もしないプロデューサー」であると自身で発言している。
スタジオジブリを離れた理由は、鈴木敏夫プロデューサーから「ジブリにいる限り、宮崎駿の影響下からは逃れられない」と言われたからだそうだ。しかし3DCGアニメにした理由が「どうせ(ジブリの外で)やるんだったらCGにしなよ!」と鈴木Pに言われたからだというあたり結局影響されてるんじゃねえかという気がしないでもない。
アニメーション制作はポリゴン・ピクチュアズ、スタジオジブリも制作協力という立ち位置で一応参加している。主題歌は前2作に続き手嶌葵が担当。
「子どもたちに見てもらいたい」をキャッチコピーとし、「難しいテーマを扱った原作を無理やり映像化しようと試みるよりも、子どもたちにむけた作品をきちんとやるべきではないかと思った」と語っている。
2014年10月よりNHK BSプレミアムにて放送中。BSでの放映のため注目度が前2作に比べ低いことは残念である。ニコニコ生放送でも配信中。
逸話
- 少年時代プラモを作りたかったのにこづかいの少なさ故に断念せざるをえず、こづかいの少なさを父に苦言した際、バルサ材を削って模型を作る事を発案されさっくり誤魔化されたが、弟は誤魔化されなかった。
- 学生時代、アニメーターを志望していたが、母に「アニメーターにだけはなってくれるな」と泣き付かれて断念した。
- 元々建築家だったこともあり、浅いアニメーション監督歴にしては建造物の描写が上手く、定評がある。が、駿曰く人の絵はまだまだ。
- ジブリの森美術館の仕事を引き受けて、父とFAXで打ち合わせて口論となり、父駿夫の「俺に従え!」という最終宣告に「俺はあんたに育てられた覚えは無い!」と返事を返し父に勝利。
- 頑固で少しひねくれ者ではあるがあの親父の息子にしては好青年であり、ゲド戦記完成後の講演で、鈴木敏夫Pが「『ゲド戦記』は応援しなくて良いけど、吾朗ちゃんはイイヤツなので是非応援してやってくれ」と結んだ。
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関連項目
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