沖田十三とは、アニメ『宇宙戦艦ヤマト』シリーズの登場人物である。ヤマトの初代艦長で、艦長帽と立派な白ひげがトレードマーク。地球連合軍歴戦の宇宙戦士であるとともに優秀な物理学者でもある。
2147年生まれ、2200年2203年没。CV:納谷悟朗、菅生隆之(『宇宙戦艦ヤマト2199』)。実写版『SPACE BATTLESHIP ヤマト』では山崎努が演じる。
この項目は、ネタバレ成分を多く含んでいます。 ここから下は自己責任で突っ走ってください。 |
概要
性格は戦友の徳川機関長いわく「万に一つの可能性を発見したらそれを信じ、冷静沈着に行動する人」である。実際、作中では常人には到底思いつかないような方法で危機を突破してきた。
作中ではまさに古代たち若手を指導する父親のような役回りで、死後もヤマトのクルーの心の拠り所となる。
復興後の地球には「英雄の丘」が建設され、ヤマトの戦没者の石碑と沖田の銅像が立てられている。また、ヤマトの第1艦橋には彼のレリーフが掲げられており、『ヤマトⅢ』では、あのデスラー総統がレリーフに対し膝を折る(おそらく彼にとって唯一の)礼を見せている。
『宇宙戦艦ヤマト2199』では、肩書きが「国連宇宙軍・連合航宙艦隊司令長官」となっており、階級は「宙将(提督)」、日本の福島県出身という設定となる。また、2199年時点で57歳(2142~2143年生まれ?)と年齢が微妙に上昇している。また本作ではキャラクターデザインが変更されているが、どういうわけか沖田艦長はほとんど変わっていない。あの佐渡先生ですらかなり変わってしまっているのにどういうことなの…。
『宇宙戦艦ヤマト』
『宇宙戦艦ヤマト』の物語は、沖田が指揮する冥王星会戦から始まる。ガミラスの圧倒的戦力には到底かなわず、もはや残っているのは極少数の艦だけであった。
地球艦隊には古代進の兄である古代守も参戦していた。沖田艦を逃がすために特攻をかけようとする彼を「明日のために今日の屈辱に耐えるんだ、それが男だ」と静止するも、もはや彼を止めることはかなわなかった。
沖田自身もこの戦いで負傷し、敗走するも「最後の一人になってもあきらめない」という不屈の闘志を見せた。
その後、古代進と島大介が発見したイスカンダルからのメッセージと波動エンジン設計図により事態は一変。本来脱出船として建造されていた宇宙戦艦ヤマトをイスカンダルへ向かわせるための戦艦として急遽改造、彼は先の戦いの負傷による宇宙放射線病という病を押してヤマトの艦長に就任し、イスカンダルへの14万8000光年の旅を率いる。
その後、数々のガミラスとの戦いをその指揮で突破し旅を続けるも、宇宙放射線病は着実に沖田の体を蝕み、ついには倒れてしまう。決死の覚悟で手術を行い成功するも、艦内設備では病の進行を遅らせるのがやっとであった。そのため自ら直接指揮を執ることが困難となり、古代進を艦長代理に任命し補佐させることを決断する。
そして、ついにイスカンダルでコスモクリーナーDを手に入れ地球へ帰還する途上、地球の姿を見つめながら力尽きる。この時の最期の言葉が、かの有名な「地球か…何もかも、みな懐かしい」である。
2200年9月5日(『ヤマト2』では10月10日に変更されている)、ヤマトがイスカンダルより帰還した日のことである。
『宇宙戦艦ヤマト2199』
上記概要のとおり、出生地や年齢・階級などの設定が変更、あるいは明確化されている。
デザインについてはアホ毛を推進したスタッフたちや、キャラクターデザイナーの結城信輝氏も「沖田艦長だけは変えようがなかった」とのこと。
旧作ではスパルタな印象も強かったが、古代守の戦死について未だ3尉の進にも素直に詫びる。
あるいは太陽系赤道祭の時の乗員、特に徳川機関長とのやり取りなどから、無骨だが暖かみのある描写が増えた。
但し指揮官としての果断さ、緊急時の冷静さは寧ろ増しており、ヤマトという戦艦の柱石であることに変わりはない。
藤堂長官・土方竜空間防衛総隊司令・佐渡酒造医官のみしか知らない、ある重病を患っている。
そのことから旧友の土方に艦長交代を勧奨されるが、「必ず戻ってくる」と艦長の責務を引き受けている。
旧作同様、我が子を戦死という形で亡くしている。旧作では冥王星海戦で戦死したようであるが、
2199では第二次火星沖海戦で戦死した模様。遺影では、巡洋艦ないし駆逐艦長の制服を着用した青年である。
もう一人、娘もいるがこちらの生死は現在のところ不明である。
『さらば宇宙戦艦ヤマト』『宇宙戦艦ヤマト2』
地球を救った功績を讃え「英雄の丘」に銅像も立てられた。しかし、僅か1年後には遥か昔の出来事として忘れ去られ、戦没の日に英雄の丘に集まるのは元ヤマトクルーのみとなっていた。
海底ドックからの発進時に艦長席の後ろにレリーフが掲げられ、ヤマトのクルー、特に古代進の心の拠り所となる。
『宇宙戦艦ヤマト 完結編』
「私は、宇宙戦艦ヤマト初代艦長、沖田十三である!」
「心配するな! このとおり、二本とも足はついておる!」
という台詞でまさかの復活。佐渡先生の誤診により死亡したと思われていたが、実際は脳死には至っておらず、地球帰還後に本格的な宇宙放射線病の治療が行われ無事に成功。表舞台には出ず療養の日々を送っていた。この時の驚愕に満ちた古代の顔は見物。
水惑星アクエリアスの接近、ディンギル帝国による太陽系の封鎖という新たなる脅威に際してついに復帰、艦長を辞任した古代と入れ替わりで再びヤマト艦長に就任する。
ディンギルの都市要塞ウルクには勝利を収めるが、アクエリアスの地球接近そのものを阻止することはできなかった。
地球水没の危機に際して、他のクルー全てを退艦させ、ヤマトとともにアクエリアスの水柱と対峙。ヤマトを自爆させ、地球を救い自身はヤマトと運命を共にした。
なお、沖田の復帰後は艦長席後ろのレリーフは取り外されているが、『復活篇』では再び取り付けられている。
沖田と納谷悟朗
- オリジナルキャストの納谷悟朗は就任当時40代半ばであり、当初は沖田を70代ぐらいのキャラクターだと思い、自分の年齢と遥かにかけ離れた役をやることに抵抗感を示していた。後年、「艦長ということは70代なんてことはあり得ない。現役の艦長だったら50代くらいだから、もっと若くやればよかった」と演技に悔いを吐露していた。
- 戦争体験者である納谷は少年時代、戦争で死のうと思っていたこともあって「宇宙戦艦ヤマト」自体は嫌いではないと明言しており、戦争を知らない若い世代にヤマトを見て平和の大切さを学んでほしいとも語っている。
その影響
2chの「懐かしアニメ昭和板」の名無しネームは「名無しか・・・何もかも皆懐かしい」であり、昭和アニメの代表的キャラクターであることが伺える。
沖田役の納谷の知名度を大きく引き上げることを貢献し、スタジオの外ではファンが出待ちするほどであったが、本人は「自分たちが声を当てたキャラクターがスターみたいな扱いをされていることに不思議でしょうがなかった」と振り返っている。
関連動画
関連コミュニティ
関連項目
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