曖昧さ回避
- 番町皿屋敷 日本の怪談。井戸から出るお菊の霊が皿の数をかぞえる話。本項にて解説。
- 播州皿屋敷 皿屋敷怪談のひとつ。本項にて補足。
- 皿屋敷(落語) 皿屋敷の怪談を茶化した滑稽噺。本項にて補足。
- 東方皿屋敷 おもにシム東方作品において、皿が大量に散乱している状態の家(またはキャンプ)のこと。本項とはたぶん無関係。
概要
「番町皿屋敷」とは江戸時代、お菊という女の幽霊が井戸から現れ、皿を数えて怨念を訴えるという怪談である。
日本の怪談のなかでは、四谷怪談、耳無し芳一などと並びもっとも知名度のある話だが、いかなる逸話をもとに発祥した話なのかは諸説ありはっきりしない。ただし、同様の話である「播州皿屋敷」が永正年間(1504~1520年)を舞台にしていることを考えると、江戸時代を舞台にした番町皿屋敷はその変化形であろう。
このことから「皿屋敷怪談の発祥は播州という声」もあるが、「播州ではない」という意見もまた多い。
「皿を数える怪談」、ということは知っていても、いかなる経緯でお菊がそのような怨霊となったのかは、意外と知らない方も多いと思われるので、ここではその話をやや簡潔にして記載する。
おはなし
お菊は、江戸隅田川に近い下町の、貧しい裏長屋で生まれた。父は彼女が赤子の時に死んだため、母はお菊を育てるために針子や料理屋で懸命に働き続けたという。
物心がつきはじめたお菊は、近所の友達が父親に連れられて浅草の観音参りや、深川八幡の縁日へ行くのをうらやましく思うようになった。なぜ自分の父は死んだのだろう、その理由を聞くと母親は決まって辛い顔になり
「おっとうは運が悪くて、流行り病で死んでしまったのよ。だからもう、おっとうのことを話すのはおよし」
と涙を流すので、そのうち彼女は父について聞くのをやめてしまった。
そんな母は、お菊が16になったころ、風邪をこじらせて手当の甲斐なく死んでしまう。天涯孤独の身の上となり、嘆き悲しむお菊。しかし彼女は貧しいながらも色白で美しく、いくつかの大店からすぐに奉公の話が舞い込んできた。相談する相手もおらず、迷う彼女の前にひとりの桂庵(口入れ屋)が現れ、彼女に別の働き口の話を持ち込んだ。
「このたびのご不幸、心中お察しいたします。ところでお前様もこれからどこかへ働きに行かれるのでしょう? ならば他でもありません。わたしのところに偉い旗本様より、女中を雇いたいという話がちょうど来ております。旗本様ならば立場は安泰、仕事も楽だし、支払いもいい。お金を貯めて、おっかさんの墓を建ててあげるのが、なによりの親孝行になるでしょう」
親孝行、という言葉にお菊の心は決まり、桂庵に連れられてその旗本屋敷のある番町へと向かった。
桂庵に女中の口入れを頼んだのは、青山播磨守主膳。禄高二千石、もと火付盗賊改めという、旗本の中でも高い身分の人物だった。泥棒の多かった江戸時代、火付盗賊改は町奉行に次ぐ大役であるいっぽう、下手人捕縛後の取り調べが厳しく、中には無実の罪で殺される例もあり、恐れる江戸庶民は多かった。
そういった事情に加え、貧乏暮らしだったお菊は青山家の大きな屋敷に当初は戸惑っていた。たしかに主膳は気難しかったが、奥方は優しく、年若く素直なお菊をとても可愛がった。面白くないのは古参の女中たちで、特に骨の折れる仕事をお菊に押し付けた。
青山家で奉公をはじめて一年、17歳になったお菊はさらに美しくなり、懸命に働く彼女をいつしか気に入った主膳も何かにつけ「お菊」「お菊」と申しつけるほどになった。これによって古参女中たちのイジメも悪化し、あることないことを告げ口して奥方を味方に引き入れてしまう。お菊はそういった過酷な仕打ちにも「母の墓を建てるため」と、静かに耐え続けた。
明けて正月、主膳は火付盗賊改時代の部下をまねき、新年会を開いた。その酒席で使われた10枚の皿は、かつて主膳の先祖が徳川家康から拝領した青磁の逸品である。来客らは皿の素晴らしさを口々に褒めたたえ、主膳はいつになく満足げであった。
――が、宴席のあとで皿を洗っていたお菊は、皿が一枚足りなくなっていることに気づいた。何度数えても一枚足りない。血の気を失うお菊の姿に、ほくそ笑んだのは青山の妻と古参の女中たちである。犯人は彼女たちで、お菊を陥れるために皿を一枚砕いて庭の古井戸に捨てておいたのだ。
彼女らの策略など露知らぬお菊が、おそるおそる主膳の前に土下座して、皿が足りないことを報告すると、先ほどまで満悦していた主膳の顔が、みるみる怒りに染まって紅潮した。ことは神君・家康公から賜った伝家の至宝である。それを無くしたのが、いつも可愛がっているお菊というのがなお腹にすえかねた。可愛さ余って憎さ百倍である。
「おのれ、金目の品と知って盗んだな!」
主膳はお菊の必死の弁明など聞く耳もたず、その体を縄でぐるぐる巻きにすると、弓で何度も殴りつけた。どんなに殴られようと、お菊は身に覚えのないことを認められない。首や手足から血が飛び散っても白状しないお菊の強情ぶりに、主膳の怒りはおさまりを知らず、あげく彼女の手足を縛り上げ、右手の中指を切り落とし、狭い女中部屋に放り込んでしまう。
「あれほど責めたというのに白状せぬとは、ただの17歳の町娘とは思えぬ」不審を覚えた主膳は、昔の部下を使ってお菊の身の上を調べさせた。そして数日後、明らかになったのは、かつて自分が強盗の罪で打ち首にした「向坂甚内」という男には娘がおり、それがお菊だったということである。
向坂は断罪後に無実と分かったが、それでは具合が悪いので主膳は内々で隠ぺい処理していた。もちろんお菊は自分の父のことなど知らないが、主膳はお菊が我が家に入ったのは親の仇を討つためだと勘ぐった。もし皿を紛失した話が外にもれれば、自分は上様からきついとがめをうけるだろう。それがお菊の狙いなのだ、と。
「よし、こうなればお菊を手打ちにしてしまおう」
主膳の言葉を聞いた古参の女中のひとりが、嬉しそうにお菊のもとへやってきて「明日は主膳さまがお前を手打ちになさるそうだよ」と告げた。 お菊は「こんなひどい主人の手にかかって死ぬぐらいならば、いっそ……」と覚悟を決めて縄を食いちぎり、夜遅くに庭の古井戸へ身を投げた。
名もない貧乏娘であるお菊の死は、とりたてて世情をにぎわすこともなく、青山家ですらすぐに忘れてしまった。が、それから五か月後、奥方が出産した男児には、生まれつき右手の中指がなかった。「もしやこれはお菊の霊の仕業では……」と青山家の人々は青ざめた。
するとその夜から、屋根のあたりがミシミシと揺れ動き、
「それそれ、その子の右手の中指が無いのをよく見やれ。人の恨みを知るがよい」
という声が聞こえてくるようになった。やがて、あまりの恐ろしさに奥方は気がふれ、髪を振り乱してわけのわからないことをわめきはじめた。しかもその顔つきは、哀れなお菊の死に顔とよく似ていたのである。
奥方が発狂した次の晩、子の刻(深夜0時)になると庭の古井戸から、青白い人魂とともにお菊の亡霊が現れて
「一枚……二枚……三枚……四枚……五枚……六枚……七枚……八枚……九枚……ひいいいいいいっ!」
と悲鳴をあげた。そしてまた初めから一枚、二枚と数えていく……。
「おのれお菊め」気の強い主膳は幽霊を恐れず、大刀を抜いて斬りかかる。絹を引き裂くような悲鳴とともに幽霊は消えたが、代わりに主膳の足元には袈裟切りにされた妻の死体が転がっていた。この一件で、お菊の怨念の恐ろしさが身に染みた主膳は、小石川伝通院の高僧・了誉上人を招き、古井戸の前で供養してもらったが、怨霊の仕業と思われる怪事がおさまることはなかった。
やがてこの噂は江戸じゅうにひろまり、ついに徳川将軍家の耳に入ると、青山家は取り潰しとなり、主膳は親族の家中へお預けの身となったという。
播州皿屋敷
おそらくは、番町皿屋敷の原型であると思われる播州(現在の兵庫県南西部)の皿屋敷についても、軽く話をなぞっておく。
永正年間のころ、姫路城城主・小寺則職の家臣、青山鉄山は主家乗っ取りを企んでいた。これを察知した衣笠元信という忠臣が、妻(妾説あり)お菊を女中として青山家に潜り込ませ様子を探らせた。
これによって衣笠は、城を奪われながらも主君の救出に成功。いっぽう青山は計画が失敗したのは間者(スパイ)がいたためと睨み、部下の町坪弾四朗に調査を命じる。ほどなく間者はお菊だとつきとめたが、彼女に惚れていた町坪は、自分の妻になれば黙っていてやろう、と取引を持ちかける。これを拒否されると町坪は逆上し、10枚ひとそろいの家宝の皿を、一枚割っておいてお菊に因縁をつけ、責め殺したあげく古井戸へ捨ててしまう。
その後、井戸からお菊の霊が現れ、恨み言をいうようになると、しだいに町坪や青山らは発狂。このスキをついて衣笠らは城を奪い返した。お菊の話を聞いた則職は彼女を哀れみ、十二所神社の中に「お菊大明神」として祀ったといわれる。
歴史との矛盾
番町にしろ、播州にしろ、ここで述べたのとは違う展開、結末になるバージョンがあるが、その差異は大きくない。また、いずれも実在人物とのからみこそあるが、歴史的な矛盾点も多々あり[※]原形となったなんらかの話があったにせよ、もとの話から伝言ゲームなどによって大きく歪められ、現在知られる形になったようだ。
皿屋敷の怪談は、非常に庶民に好まれたらしく、似たような話が岩手県や鹿児島県にも存在するという。江戸時代には浄瑠璃、歌舞伎の題材にもなり、のちにはさらに戯曲、落語化まで果たしている。皿屋敷は、顔面変形が最大の見せ場である四谷怪談のお岩に比べると、「一枚、二枚……」という一種の決め台詞が真似しやすく、またツッコミ所にもなるおかしみがある。そのあたりが人気の理由かもしれない。
※了誉上人は1420年(応永27年)没。仮にこれが江戸期以前の話だとしても、火付盗賊改という役職は江戸期以降なので、どのみち矛盾が生じる。播州皿屋敷にしても、登場人物の没年や役職に史実と矛盾があると言われる。
落語の皿屋敷
落語の皿屋敷は怪談というより、パロディ要素の高い滑稽噺である。また、お菊の登場の仕方も今風になったりと、演者の幅が広い。上方では播州、江戸では番町となっている。
ある男が旅先で恥を掻いたという。それは船の中で移動している最中、定番のご当地話となったとき、自分の生まれをきいて「皿屋敷」のことを聞かれたが、皆目知らず田舎者扱いされたのだ。しかし、地元の仲間連中も誰も知らず、それならば生き字引の旦那に訊ねることにした。旦那は、古屋敷跡に皿屋敷の怪談が伝わっていることを教えると、男たちは怖い物みたさにその皿屋敷を訪ねることにする。
そして、実際皿屋敷を訪ねて幽霊に出くわす。しかし、9枚という言葉を聞く前に戻れば大丈夫だというので、8枚目が呼ばれた時点で、一目散に逃げ込んだ。これが噂話となって、いつしか皿屋敷は名所となり、毎晩野次馬が訪れるようになった。
するとお菊もそれに味を占めて太夫気取りの何とも艶やかな登場をしたりする。周りには屋台が並び、押すな押すなの大盛況。そんな噂を聞くや、それならばと男たちはもう一度皿屋敷を訪ねる。そして、いつものように「いちまーい、にまーい…」と声が聞こえてくる。
7枚目ぐらいで、連中たちはそれ逃げろ!と走り出すが何せ押しくらまんじゅうとなって一向に進まない。そんなうちに「9まーい…」という声が聞こえてくる。9枚まで数えられると呪い殺されると聞いていたので、男達は怯えるがどうも様子がおかしい。その後「10まーい、11まーい…」と数え続けるのだ。
いったいどこまで数えるのだと思えば、ちょうど18枚で数え止む。男は「お菊は9まーい、と相場が決まってる!どういうつもりだ!」となじった。するとお菊の幽霊は
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