西武百貨店とは、7&i傘下の百貨店(デパート)である。
現在の社名は、株式会社そごう・西武である。
当初は西武鉄道傘下のデパートであったが、分離独立と経営難による統合の末にイトーヨーカドーやセブンイレブン・ジャパンを中心とする7&iの傘下となった会社である。
概要
東京都豊島区にある池袋駅東口のターミナルデパートの池袋本店を基幹店として全国に店舗を展開するデパート。
かつては高級ブランドの商品の取扱を積極的に行い、広告によるイメージ戦略によって売上を伸ばした。
バブル期までは文化事業も積極的に行っていた企業であり、レコード、書籍、演劇、出版など多彩な事業に手を伸ばしていた。
現在は経営難により不採算店を閉店させた影響で店舗網は縮小。かつて大々的に出店した有楽町西武も閉店し、現在はルミネとなっている。
7&iへの傘下入りにともない、かつてイトーヨーカドーによって設立されたロビンソン百貨店の店舗(埼玉県春日部市・神奈川県小田原市)も西武百貨店の店舗に転換されていたが、いずれも不採算店舗となり、閉店している。
西武鉄道との関係
同じ「西武」の名を持つ西武鉄道のデパート部門がルーツである西武百貨店であるが、現在では埼玉西武ライオンズの優勝時に記念セールを行うなどを除いては比較的つながりの薄い関係となっている。
この様な溝が生まれた背景には、西武グループの創業家である堤家の複雑な事情と兄弟の確執がある。
西武グループの創業者である堤康次郎には5人の女性との間に5男2女の子供が生まれた。その中で、父に対して反抗的であった兄・堤清二と後継者としてその才覚を見出されつつ育てられた弟・堤義明がおり、二人は異母兄弟であった。
康次郎の死後、兄の清二が継ぐと見られた西武グループだったが、主要企業の西武鉄道は弟の義明が継ぐことになる。
この際、清二はグループ内では付属事業に過ぎなかった西武百貨店を継ぎ、兄弟間で「相互不干渉」という取り決めを行う。これによって西武グループは分裂。それぞれ別の道を歩むこととなった。
西武百貨店は堤清二が、西武鉄道は堤義明が、それぞれ1980年代のバブル期まで成長を続けた。
しかし、1991年に堤清二が西武百貨店などセゾングループの経営危機の責任を取って代表を辞任。2004年には堤義明も西武鉄道の総会屋利益供与事件や証券のインサイダー取引事件の責任を取り西武鉄道などの代表から辞任に追い込まれた。
現在、堤家は西武鉄道グループには一定の影響力を残しているものの、西武百貨店グループに関してはその手を離れている。
こういった背景が有り、同じ私鉄のデパート部門が発祥の東急百貨店、小田急百貨店、京王百貨店、東武百貨店、阪急百貨店、阪神百貨店、名鉄百貨店等とは毛色が異なる存在であると言える。
歴史
1933年に白木屋(東急百貨店の源流企業の一つ)と京浜電気鉄道(現在の京急)の共同出資で池袋に開店した「菊屋デパート」という百貨店をルーツに持つ。
1940年に武蔵野鉄道(現:西武鉄道)がこれを買収して、「武蔵野デパート」に屋号を変更。
1949年に現在の「西武百貨店」に社名と屋号を改める。
西武鉄道の創業者のである堤康次郎が逝去した後、息子である堤清二と堤義明によって西武グループを分割して相続することとなり、堤清二が西武百貨店グループを、堤義明が西武鉄道グループを、それぞれ引き継いだ。
最盛期には、西武百貨店を頂点に、西友、ファミリーマート、クレディセゾン、ロフト、パルコ、無印良品、リブロ、J-WAVE、吉野家などを抱える「セゾングループ」を形成していたが、不動産への過剰投資がバブル崩壊以降大きな赤字を生み、結果的に優良企業を切り売りしてグループは解体されることとなった。
経営再建の過程で、同じくバブル崩壊以降に経営が傾いたそごうと経営統合することとなり、ミレニアムリテイリングという持株会社を設立。そのミレニアムリテイリングを7&iが買収して、同社の傘下となり現在に至る。
なお、西武百貨店の不採算店舗閉店数はそごうを上回っている。かつては、つくば、宇都宮、大宮、八王子、春日部、沼津、静岡、浜松、八尾、尼崎、神戸、豊橋、心斎橋、旭川、札幌、函館、富山、小松、高知、有楽町、川崎にもあった(中には神戸店など2年で閉店という短命店舗もあった)。
西武百貨店の主な店舗
池袋本店
東京23区副都心の一角、池袋駅東口にでんと構える巨艦店舗。そごう・西武の基幹店舗の一つであり、グループで最大の売上を誇る。売場面積は8.1万平方メートル、2018年の年商は1851億円であり、これは東京都内でも伊勢丹新宿本店に次ぐ規模。
そして、西武百貨店の売上、ならびに利益の大半をこの店で稼いでいる。また、1970年ぐらいから時代を先取りし、トレンディなブランド店を取り揃えることに定評があり、伊勢丹と並びファッションの殿堂ともいえるものであった。
しかし、そのブランド力が池袋店、あとはせいぜい渋谷店ぐらいしか及ばず、全国との落差が際立っていたため、そごう以上に不採算店舗をたたむ羽目になってしまうのである。
渋谷店
西武百貨店では池袋本店についで売上が高い基幹店舗の一つ。年商は437億円、売場面積は4万平方メートル。元々松竹の映画劇場があった場所であり、そこを間借りした。当初は駅から離れていたため、売上が伸び悩むが、後にセゾングループ肝煎りでパルコ、ロフトなどをオープンさせ、若者を呼び集めるようになり、東急帝国の城下町である渋谷において、健闘を続けている。
所沢店
西武のお膝元にある市内唯一の百貨店。所沢は西武ホールディングスのお膝元であるが、今西武百貨店はセブン&アイグループである。かつては、西武ライオンズ優勝時には盛大な記念セールを行っていたことで知られ、今も協賛企業として応援セールや記念セールを行っている。
東戸塚店
JR東海道本線(湘南新宿ライン)沿線の東戸塚駅前にある再開発ビル、オーロラシティの一角を占める郊外型百貨店。売上は東京都内の西武店舗の次に高い。
なお、以前は西武とともにダイエーがキーテナントだったため、イオンスタイルが出店している。
福井店
前身は「だるまや」という地元資本の百貨店。「だるまや」の創業者(衆議院議員などを務めた坪川信三氏の兄)は少年少女劇団を運営したり、文化活動に執心していたことで知られる。また、商才に対しても先見の明があり、郊外各地で食品スーパーが林立した時代背景を見て、東京にある百貨店の売場を視察し、生き残りのため西武百貨店と提携。店舗改築を行って「だるまや西武」となった。
同時期に西武北陸という合弁企業を立ち上げ、北陸地域における西武やファミリーマートの進出拠点としたもののバブルが砕けた後は他の西武店が淘汰されファミリーマートも手放したものの、福井店だけは県内唯一の百貨店で、周囲に大型ショッピングセンターもなかった[1]こともあり、撤退したジャスコの店舗跡を買収しLoftなどをメインとした新館を開設した他、食品売り場をメインとした大幅な改装が行った。しかし2021年に新館は閉店し、本館のみでの生き残りを図る。
なお、本館と新館をつなぐ地下道の名称は「だるまロード」であり、当時の面影を残していた。
大津店(閉店)
滋賀県は西武グループの創業者にして近江商人の末裔でもあった堤一族の出身地であり、西武帝国の配下である。その県都である大津市にある店舗で、一帯にはロフトとパルコもあったなど関西で最もセゾン文化が強い場所であった。しかし、京都への購買客流出が深刻化しており、近隣にあった大津パルコが閉店してしまい、求心力が低下してしまった。
高槻店がH2Oリテイリング運営となっているため今日、関西で唯一残る西武店舗であったが、2020年に閉店。岡崎市の店舗も閉鎖してしまったため、日本最西端の西武は福井となった。
関連動画
関連項目
- 7&i
- そごう
- 西武鉄道
- 埼玉西武ライオンズ
西武グループから離れた現在でも優勝セールが行われている。 - 糸井重里
1980年代に広告キャッチコピーを担当。この中で生まれた「おいしい生活」が転じて、よい立場にいる状況を指す場合の「おいしい」が定着した。 - nanaco - そごう・西武の食料品売場で使える7&iの電子マネー
- つかしん - かつてモールの核店舗「つかしん西武」として入居していたが、2004年に完全撤退。
- ロビンソン百貨店
脚注
子記事
兄弟記事
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