| 前回の申年 | 前年 | 当年 | 翌年 | 次回の申年 | |
|---|---|---|---|---|---|
| 年 | 1860年 | 1871年 | 1872年 | 1873年 | 1884年 |
| 干支 | 申 |
未 |
申 |
酉 |
申 |
1872年の事柄
日本で太陽暦が採用される
これまでは月の満ち欠けを基準とする太陰太陽暦(旧暦)が用いられていたが、この年に明治政府が欧米と同じ太陽暦(新暦・グレゴリオ暦)を採用。旧暦明治5年12月3日が、新暦明治6年1月1日となった。また、不定時法に代わって定時法が採用された。
改暦の布告から施行まで1ヶ月ほどしかなく、急にお正月が訪れたため民衆はパニックになった。何しろ旧暦は1000年以上使われていたのである。
まず、カレンダーを作っていた暦売りは翌年の暦が全部使い物にならなくなり、紙くずになった(後に政府が補填)。年中行事のスケジュールは狂い、農民は種まきや収穫の時期がわからなくなった。商人は年末に客の売掛金を回収することが通例だったが、大晦日が28日早くなったことで精算に追われた。
このスピード改暦は明治政府の財政状況を反映したものという説がある。旧暦では明治6年には閏月があり13ヶ月分の給料を払わなければならないが、新暦にすれば閏月が無くなり12月も2日で終わってしまうため2ヶ月分の給料を払わなくて済むと考えたためだとか。
日本に鉄道が開通する
10月14日(旧暦9月12日)、新橋~横浜間(現・汐留周辺~桜木町間)に日本最初の鉄道が開通。国際港・横浜と日本の首都が所要時間53分で結ばれた。開通の翌日より旅客運送が開始され、料金は上等1円12銭5厘、中等75銭、下等37銭5厘だった。平均時速32kmで、当時地上で最も早い乗り物だった馬とほぼ同じスピードである。
太陽暦と定時法が導入されるのに先立ち、鉄道の運行時間には「何時何分」という分刻みの時間が使われ始めている。不定時法で時刻を表す「時(とき)」と混同しないように、開業当時の時刻表は「時」ではなく「字」で記されている。
用地買収が困難だったため、全長の1/3ほどにあたる約10km(田町~品川間)は海を埋め立てた海上築堤(高輪築堤)を走っていた。品川~横浜間は先に完成したため、6月12日(旧暦5月7日)より先んじて仮営業が開始されている。
開通50周年を迎えた1922年に10月14日は鉄道記念日(現・鉄道の日)と定められた。ちなみにその翌年に関東大震災が起こり、旧新橋駅は消失してしまった。現在は旧新橋駅が建っていた汐留に資料館として再建されている。
1872年の出来事
| 1月2日 (11月22日) |
廃藩置県により府県廃合が完了し3府72県になる |
| 1月15日 (12月6日) |
岩倉使節団がアメリカのサンフランシスコに到着、大陸横断鉄道でワシントンへ向かう(道中、岩倉はちょんまげや和服が見世物になっていると知り、シカゴで髪を落とし洋服を着る) |
| 2月4日 (12月26日) |
東京裁判所が設置される(日本初の裁判所) |
| 2月8日 (12月30日) |
この日が明治4年の大晦日である |
| 2月9日 (1月1日) |
この日が明治5年の正月である |
| 2月20日 (1月12日) |
メトロポリタン美術館が開館 |
| 3月29日 (2月21日) |
東京日日新聞が創刊(現・毎日新聞) |
| 4月17日 (3月10日) |
文部省博物局が湯島聖堂大成殿で博覧会を開催、名古屋城の金の鯱が展示され人気を集める(博覧会後も1と6のつく日は公開を行うようになり、東京国立博物館はこの日を創立・開館日としている) |
| 5月8日 (4月2日) |
名古屋県が愛知県に改称 |
| 5月28日 (4月22日) |
京都~大阪間に電信が開通 |
| 5月30日 (4月24日) |
日曜休暇制が定められる |
| 6月9日 (5月4日) |
東京の実業家・千葉勝五郎がラムネの商業的な製造販売の許可を取得(のちに5月4日はラムネの日と定められた) |
| 6月12日 (5月7日) |
日本初の鉄道が品川~横浜間で仮営業を開始 |
| 6月27日 (5月22日) |
東京~横浜間に1日5回の往復郵便が開設される |
| 8月16日 (7月13日) |
岩倉使節団がイギリスのリバプールに到着、工業地帯を視察 |
| 9月4日 (8月2日) |
日本政府が全国民への教育(国民皆学)を目指す学制を公布 |
| 9月17日 (8月15日) |
銀座に資生堂が創業(日本初の民間西洋風薬局) |
| 9月22日 (8月20日) |
関門海峡に日本初の海底電信線が敷設される |
| 10月14日 (9月12日) |
新橋~横浜間に日本初の鉄道が開通、灰落としに転落した見物人が指をひかれて大怪我(日本初の人身事故) |
| 11月7日 (10月7日) |
メアリー・セレスト号がニューヨークを出港、1ヶ月後にポルトガル沖に無人で漂流していたのを発見される |
| 12月5日 (11月5日) |
岩倉使節団がフランスを視察、ビクトリア女王に謁見 |
| 12月9日 (11月9日) |
明治政府が旧暦12月3日を新暦1月1日とすることを公布 |
| 12月31日 (12月2日) |
この日が旧暦最後の日となり、従来より28日早い大晦日となった(翌日が明治6年1月1日となり、旧暦の明治5年12月3日~30日が消滅した) |
1872年生まれの著名人
| 1月22日 (12月13日) |
田山花袋 | 小説家、「布団」 |
| 3月7日 (1月18日) |
ピート・モンドリアン | 画家、「ブロードウェイ・ブギウギ」 |
| 3月25日 (2月17日) |
島崎藤村 | 詩人、小説家 |
| 5月2日 (3月25日) |
樋口一葉 | 小説家、「たけくらべ」 |
| 6月18日 (5月13日) |
ユリウス・フチーク | 作曲家、「剣闘士の入場」 |
| 7月16日 (6月11日) |
ロアール・アムンセン | 探検家、人類で初めて南極点に到達した人物 |
| 9月13日 (8月11日) |
幣原喜重郎 | 政治家、第44代内閣総理大臣 |
1872年に亡くなった著名人
| 1月13日 (12月4日) |
河上彦斎 | 武士、幕末の四大人斬りの一人、佐久間象山を暗殺した人物、「るろうに剣心」の主人公・緋村剣心のモデル |
| 1月24日 (12月15日) |
ウィリアム・ウェッブ・エリス | 「ラグビー校で行われたフットボールの試合中にボールを抱えてゴールに走り出した」という逸話から、ラグビーの発明者とされる人物 |
| 4月2日 (2月25日) |
サミュエル・モールス | モールス信号の発明者 |
関連動画
関連項目
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