エリモシック(Erimo Chic)とは、1993年生まれの日本の競走馬。青鹿毛の牝馬。
的場均がライスシャワーやグラスワンダーを差し置いて、そのGⅠ制覇を「僕のベスト騎乗」と語る馬。
父*ダンシングブレーヴ、母エリモシューティング、母父*テスコボーイという血統。
父は1986年凱旋門賞での伝説的な末脚が未だ語り草となっている、80年代を代表する欧州最強馬。種牡馬入り後にマリー病を患ったため日本に売却され、キョウエイマーチやキングヘイロー、テイエムオーシャンなどを輩出した。エリモシックはその輸入初年度の産駒である。
母は半兄に1982年の菊花賞2着馬パッシングサイアー、半兄に金鯱賞勝ち馬パッシングパワーを持ち、自身は3戦2勝。忘れな草賞を勝ってオークスでマックスビューティのライバルになるかと思われたがそのまま引退した。エリモシックは第4仔。
母父は言わずと知れた、日本競馬にスピード革命をもたらした70~80年代の名種牡馬。
いとこに函館記念3連覇のエリモハリアー、シルクジャスティスとの友情で知られるエリモダンディーがいるほか、重賞3着3回の成績を残した全妹エリモピクシーがリディル、クラレント、レッドアリオン、サトノルパンの重賞馬4頭、他に重賞複勝圏3頭を産むという凄まじい成績を残している。
1993年3月19日、えりも町のえりも農場で誕生。そのまま牧場の所有として、牧場代表の山本慎一名義で走ることとなった。
馬名の「Chic」はフランス語で「上品な、お洒落な」という意味で、「シックな雰囲気」などというときの「シック」である。
※この記事では馬齢表記は当時のもの(数え年、現表記+1歳)を使用します。
栗東・沖芳夫厩舎に入厩。デビューは遅れ、4歳となって春クラシックまでもう間も無い、1996年3月3日、阪神・芝1600mの新馬戦だった。59.1倍の8番人気と特に注目はされていなかったが、沖厩舎の3年目の若手・渡辺薫彦を鞍上に4着とぼちぼち好走する。
中1週で向かった折り返し新馬戦(芝2200m)からは牝馬の扱いに定評のある河内洋に乗り替わり、後方から4角捲ってぶっちぎりの上がり最速で快勝。続く桜花賞前日の同条件戦・はなみずき賞(500万下)も同じように4角から上がっていって上がり最速でぶち抜き、連勝を飾る。
これでオークスを目指してトライアルの4歳牝馬特別(東)(GⅡ)(現:フローラS)へ。1番人気に支持され、後方から上がり最速33秒6の鬼脚で追い込んだものの3着まで。敗れはしたが優先出走権は確保したので、そのままオークスへ乗りこむことになった。
本番の優駿牝馬(GⅠ)は、桜花賞を熱発で回避したエアグルーヴが抜けた1番人気。桜花賞馬ファイトガリバーはフロック視&距離不安で4番人気に留まり、エリモシックはトライアルで見せた強烈な末脚から、5.5倍の2番人気に支持された。しかしレースでは後方から直線外から鋭く追い込みを図ったものの、逃げたノースサンデーが派手に外に斜行した煽りを受けて伸びきれず、7位入線、5位入線ノースサンデーの12着降着で繰り上がり6着。不完全燃焼に終わる。
夏休みを挟んで自己条件から仕切り直し、初戦の函館芝1800m・津軽海峡特別(900万下)は河内洋が阪神に行っていたので四位洋文が代打で騎乗したが、中団前目から伸びず1番人気を裏切る5着。
河内が戻って京都・芝2200mの嵯峨野特別(900万下)に向かうと、ここは末脚弾けて後方から上がり最速でブチ抜き快勝。本番2週間前にどうにかギリギリで賞金を確保した。
この年、エリザベス女王杯の古馬解放に伴い、新たに牝馬三冠の第3戦として秋華賞(GⅠ)が創設。なんとか中1週で滑り込みを果たしたエリモシックは、条件馬の立場ながらオークスに続き3番人気と支持を集めた。と言ってもオッズは15.1倍。エアグルーヴが1.7倍の一本被り、完全な1強ムードであった。
ところがそのエアグルーヴがパドックでカメラのフラッシュを浴びてパニックになり10着に撃沈。いつも通り後方から進めたエリモシックと河内洋は直線馬群を割って上がり最速で鋭く追い込んだが、先行していたファビラスラフインに上がり2位の脚を使われてしまってはさすがに届かず無念の2着。追込馬の辛いところである。
そのまま古馬GⅠとなったエリザベス女王杯(GⅠ)へと駒を進めたが、向こう正面で引っかかったのか早めに仕掛けたのか中団から前目まで上がっていき4角で前を捕らえにかかったものの、直線伸びず8着に終わった。
エリ女のあとは半年休み、明けて5歳は5月の都大路ステークス(OP)から始動したが、ここから彼女は凡走が続く。都大路Sはデビュー戦以来のマイルで短かったか6着。芝1800mのテレビ愛知オープン(OP)では1番人気に支持されたが10着撃沈。マーメイドステークス(GⅢ)では骨折から復帰したエアグルーヴと久々に顔を合わせたが、あちらの復活勝利の1秒以上後ろで見せ場なく7着。
やはり2000m以上の距離が良さそうだしと、陣営は当然ながら秋の大目標をエリザベス女王杯に定めたが、このまま賞金を積めなければ、本番のエリ女では決定賞金が心もとない[1]。
そんな中、夏の札幌に向かったエリモシックは、札幌日経オープンから札幌記念を使うというローテを組んだ。しかし主戦の河内洋は新潟で先約があったため、この2戦のみの代打として的場均が騎乗することになった。
札幌日経オープン(OP)は例によって後方から上がり最速で追い込んだものの3着まで。初めて彼女に騎乗した的場は「ただ一生懸命走っているだけで、レースの駆け引きができていない」と感じ、そこを上手く自分がコントロールしてあげなければと思ったそうな。
続いて向かった札幌記念(GⅡ)。前年までハンデ戦のGⅢだったが、この年から別定のGⅡに昇格したこのレースは、マーメイドSで復活を印象付けたエアグルーヴと、前年のマイルCSを勝ちこの年も安田記念2着の皐月賞馬ジェニュインが参戦。この2頭の2強対決ムードとなり、エリモシックは17.6倍の4番人気であった。しかし的場はあくまで「ここでの目標は勝つことではなく、エリ女へ向けての賞金加算」と割り切り、エアグルーヴの完勝に2馬身半千切られたものの、ジェニュインを叩き合いで競り落とし、3番人気アロハドリームをクビ差捕らえて2着に突っ込んだ。
きっちり賞金を確保し、代打としての役目は果たしたと思っていた的場だったが、なんと河内洋は秋のパートナーにエリモシックではなくダンスパートナーを選択。思いがけず、エリモシックには引き続き的場が騎乗することになった。
というわけでエリ女へ向けて、エリモシックは府中牝馬ステークス(GⅢ)へ。1800mはちょっと短そうだけど直線の長い府中なら、と2番人気に支持されたが、スローペースの前残りを後方から断然の上がり最速33秒6で追い込んだものの4着まで。とはいえこの3戦で的場はエリモシックがどのくらいの脚を使えるのかを掴み、本番へ向けて手応えを得たそうである。
かくして迎えたエリザベス女王杯(GⅠ)。天皇賞(秋)で牡馬を蹴散らしたエアグルーヴはジャパンカップへ向かい、二冠牝馬メジロドーベルも回避したため、断然人気に支持されたのは前年覇者ダンスパートナー。エリモシックは8.8倍の3番人気である。的場はエアグルーヴやメジロドーベルが出てきたら2着狙いで仕方ないと思っていたが、ダンスパートナーなら勝ち負けになる、と思ったという。
そしてレースは、まさしく的場の狙い通りの展開になった。奇数番に入ったためゲートで待たされたダンスパートナーがやや出遅れ、エリモシックと的場は後方待機した上でダンスパートナーを見ながら進められるという絶好のポジションを確保。的場はダンスパートナー1頭に狙いを絞って仕掛けどころを待ち、4角でダンスパートナーが先に動いても慌てず、エリモシックの末脚を信じて直線で仕掛けた。外に持ち出したダンスパートナーと並んで追い比べとなったが、クビ差ダンスパートナーを競り落として、エリモシックはゴール板を駆け抜けた。
追い出す位置は、すでに決めていた。予定通りに追い出して、エリモシックの持っているだけの脚を何の不利もなく使えれば、ゴールではダンスパートナーを必ず、差し切れる!!
その思惑通りに、エリモシックは走ってくれた。理想的なレースとは、こういうレースを言うのである。おそらく、僕のベスト騎乗と言ってもいいレースだった。
ライスシャワーの菊花賞も、こうすれば勝つ、と思っていた通りに勝つことができたレースだった。ただ、ライスシャワーやグラスワンダーの場合は、僕が多少のヘマをしたとしても、馬自身の力の差でそれをカバーしてくれるようなところがあった。
このエリザベス女王杯は、そうはいかなかった。
ダンスパートナーとエリモシックは、互いに完璧な競馬をすればほぼ互角の力だ。しかし、格は向こうの方が上だし、僕がひとつでも失敗すれば、勝てないことははっきりしている。完璧に乗れば勝つことはできるかもしれないが、失敗は、必ずや敗北につながる。
そんな力関係だった。
そして僕は、完璧に乗ることができた。追い出しのタイミングも、踏んできたコースも、これ以上はないほどうまくいった。思い描いていたように、馬もそれにしたがってきっちりと動いてくれた。
こんなことは、26年間の騎手生活のなかでも、本当に数えるほどなのだ。
的場は著書『夢無限』でこのレースを、こう回顧している。的場均の名騎乗といえば、一般的にはスペシャルウィークを徹底マークしてちぎり捨てたグラスワンダーの1999年宝塚記念が真っ先に挙がるのだろうが、当事者にとってはやはり「自分の腕で勝てた」という確信のあるレースこそ印象に残るのだろう。
沖師は開業11年目で嬉しいGⅠ初制覇。山本オーナーはエリモジョージの1976年天皇賞(秋)以来21年ぶりのGⅠ勝利、えりも農場は前身の田中牧場時代にチトセオーで皐月賞を制しているが、山本オーナーの牧場になってからはGⅠ初制覇となった(エリモジョージは出口牧場産)。
エリモシックは翌1999年も現役を続行したが、初戦の産経大阪杯(GⅡ)でエアグルーヴの5着に敗れ、それをラストランとして現役引退、繁殖入りとなった。通算17戦4勝 [4-2-2-9]。
引退後は故郷のえりも農場(2003年に「エクセルマネジメント」に改称)で繁殖入り。9頭の仔を産んだが、第6仔ダノンエリモトップ(牡、父キングカメハメハ)が中央で5勝を挙げたのが最高成績だった。2012年にエクセルマネジメントの生産事業縮小のため那須野牧場に売却されてハシモトファームに移り、2013年に第9仔エレンシア(牝、父*ワークフォース)を産んだのを最後に繁殖引退となった。産駒のうち4頭の牝馬が繁殖入りして牝系の血を繋いでいる。
その後は引退馬協会のフォスターホースとなり、新ひだか町の本桐牧場で功労馬として余生を過ごすことになったが、2014年の夏から体調を崩し、8月6日、肺出血による呼吸不全で死亡した。21歳だった。
| *ダンシングブレーヴ 1983 鹿毛 |
Lyphard 1969 鹿毛 |
Northern Dancer | Nearctic |
| Natalma | |||
| Goofed | Court Martial | ||
| Barra | |||
| Navajo Princess 1974 鹿毛 |
Drone | Sir Gaylord | |
| Cap and Bells | |||
| Olmec | Pago Pago | ||
| Chocolate Beau | |||
| エリモシューティング 1984 黒鹿毛 FNo.9-f |
*テスコボーイ 1963 黒鹿毛 |
Princely Gift | Nasrullah |
| Blue Gem | |||
| Suncourt | Hyperion | ||
| Inquisition | |||
| *デプグリーフ 1974 鹿毛 |
Vaguely Noble | *ヴィエナ | |
| Noble Lassie | |||
| *デプス | Buckpasser | ||
| Batteur |
クロス:Nearco 5×5×5(9.38%)、Tom Fool 5×5(6.25%)
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最終更新:2025/12/06(土) 03:00
最終更新:2025/12/06(土) 02:00
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