ファイングレイン 単語


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ファイングレイン

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ファイングレインFine Grain)とは、2003年生まれの日本競走馬黒鹿毛

の煌めきでGⅠウィナーに辿り着き、父内国産馬GⅠとして初めてパート1種牡馬として輸出された

な勝ち
2008年高松宮記念GⅠシルクロードステークスGⅢ

概要

フジキセキ*ミルグレイン、Polish Precedentという血統。
は*サンデーサイレンス初年度産駒の「三冠馬」。種牡馬としてはカネヒキリ、*キンシャサノキセキサダムパテックストレイトガールイスラボニータなど、芝ダートを問わずに短距離マイルでの活躍を輩出し、サンデー後継の一番として活躍した。ファイングレインは8年産駒
イギリス産のマル外で、芝1800m前後を走って19戦3勝。全1995年オークスヨークシャーオークス勝ち馬Pure Grainがいる。ファイングレインが初
ポリッシュプレセデントアメリカ産のフランス調教で、1989年ジャック・ル・マロワ賞ムーラン・ド・ロンシャン賞の勝ち日本では*ピルサドスキーというのが一番通りがいいだろう。

2003年3月7日、社台ファームで誕生。そのまま一口馬主クラブ社台レースホースの所有となり、一口80万円×40口(=3200万円)で募集された。

名意味は「微粒子」。社台サラブレッドクラブのページexitによると、

ファイングレインとは「微粒子」のこと。微粒子とは直径数nmナノメーター)以下の小さな粒子のことで、ナノテクノロジーの分野で活躍する。名前の一部をとって命名された。

とのこと。

ナノレベルのキセキ

2歳~4歳(2005年~2007年)

アグネスフライトアグネスタキオン兄弟などで知られる、東・長浜博之厩舎に入厩し、2005年9月19日札幌・芝1200mの新馬戦にて四位洋文上にデビュー調教がパッとしなかったこともあってか10.4倍の5番人気という微妙な評価だったが、2番手追走から余裕たっぷりに抜け出して勝。

距離はもっとあってもいい」という四位騎手コメントもあり、続いて11月京都あけび500万下)では中舘英二を迎え、芝1600mに距離延長となったが、11番から逃げを打って逃げ切り勝ち。2戦2勝で2歳を終える。

明けて3歳、フジキセキ産駒初のクラシックタイトルして、四位洋文とともにきさらぎ賞GⅢスプリングステークスGⅡと挑んだが、見せ場なく8着、9着と撃沈。標をNHKマイルカップに切り替え、横山典弘を迎えてニュージーランドトロフィーGⅡに向かうと、7番人気低評価ながら逃げを打って直線で他にぶつけられる不利を受けつつも2着にり込む。

迎えたNHKマイルカップGⅠでは25.9倍の9番人気。内の22番から逃げる形に持ち込めずインの3番手からのレースになったが、そのまま経済コースを通って直線内ラチ沿いから抜け出し、残り400mで先頭へ。そのまま押し切りを図ったが、最後はロジックとのしい追いべにクビ差競り負けて惜しくも2着。

そしてレース後、歩様に異常が見られたためレントゲン検をしたところ、右前脚の種子骨折が判明。長期休養に入ることになってしまった。

丸1年休み、4歳となった2007年5月都大路ステークス(OP)で復帰したが6着。この後もパッとしない内容が続き、エプソムカップGⅢ4着、米子ステークス(OP)5着、芝2000mに挑戦したパールステークス(OP)は11着。芝1400mに短縮したオーロカップ(OP)は4着、マイルに戻した2007ファイナルステークス(OP)も9着。故障明け後の彼は、特に言うこともない庸なオープンに過ぎなかった。

5歳(2008年)春

明けて5歳となった2008年、彼はスプリントにを切ることになった。前走からコンビを組んだ幸英明とともに、京都・芝1200mの淀短距離ステークス(OP)へ。これまでの先行策から一転、後方で折り合いをつけて進めると、直線で最内を強襲、上がり最速で差し切って快勝。2歳時以来、2年以上ぶりの久々勝利を挙げる。

続いて同条件のシルクロードステークスGⅢ。3番人気に支持されると、最後方からレースを進め、大外を回して直線末脚一、上がり最速で一気に突き抜け勝。本格化を感じさせるキレ味での重賞初制覇に、幸英明も「今日が試金石だと思っていましたから、この勝利GIが見えてきましたね」と本番へ向けての手応えを感じるコメントを残した。

というわけで迎えた高松宮記念GⅠ。この年の短距離戦線は前年のスプリンターズS勝ちアストンマーチャンが体調不良で回避(そのまま4月に急死)、その2着サンアディユオーシャンSでのトラブルの翌日に急死してしまい、一気に混戦ムードに。結局1番人気は前年覇者スズカフェニックス、2番人気重賞連勝のローレルゲレイロ、3番人気は初スプリントのスーパーホーネット。ファイングレインは勢いを買われてそれに次ぐ4番人気(7.1倍)に支持された。
レースはこれまでの後方待機ではなく、出たなりに中団に構えたファイングレインと幸英明ローレルゲレイロ逃げるのを中団前群の中で進めると、先に抜け出して押し切りを図るキンシャサノキセキを、狙い澄ましたようにクビ差捕らえきったところがゴールだった。

勝ち時計1:07.1は1996年フラワーパークレコードを12年ぶりに更新するレースレコード距離短縮から3連勝で一気に距離王へと戴冠した。幸英明スティルインラブでの牝馬三冠以来5年ぶりの中央GⅠ制覇。フジキセキ産駒は意外にも(?)これが芝GⅠ勝利となった。

その後

かくして覚醒の時を迎えた……はずだったファイングレインだったが、半年休んでスプリンターズSへ向けてセントウルステークスGⅡで復帰したとき、既に彼のきは消えてしまっていた。見せ場なく9着に沈むと、スプリンターズステークスGⅠも10着に撃沈。スワンステークスGⅡ5着を経てマイルチャンピオンシップGⅠこそブルーメンブラットの3着に突っ込んだが、これが事実上最後の好走だった。
以降は全に燃え尽きてしまったように見るい2桁着順の惨敗が続き、掲示板入りが一度あるだけ。最後にはダートを試されたりもしつつ、8歳となった2011年シルクロードSGⅢ11着を最後に現役引退となった。通算30戦5勝 [5-2-1-22]。

引退後は種牡馬入りすることになったのだが、その繋養先はなんと仏フランスロンレイ牧場ディヴァインライトミレニアムバイオなんかを種牡馬として導入していた牧場なのだが、父内国産馬GⅠパート1種牡馬として輸出されるのはこれが史上初だった。

ただ、フランスでどのくらいを集めたのかはよくわからず、登録が確認できるexit産駒は17頭。Fiduxというイギリス障害競走でちょっと活躍したためか、2017年からはシャドウゲイトなどがいるアイルランドロングフォードハウススタッドに移ったらしいが、その後のファイングレインの消息はよくわかっていない。

血統表

フジキセキ
1992 青鹿毛
*サンデーサイレンス
1986 青鹿毛
Halo Hail to Reason
Cosmah
Wishing Well Understanding
Mountain Flower
*ミルレーサー
1983 鹿毛
Le Fabuleux Wild Risk
Anguar
Marston's Mill In Reality
Millcent
*ミルグレイ
1997 鹿毛
FNo.14-a
Polish Precedent
1986 鹿毛
Danzig Northern Dancer
Pas de Nom
Past Example Buckpasser
Bold Example
Mill Line
1985 黒鹿毛
Mill Reef Never Bend
Milan Mill
Quay Line High Line
Dark Finale

クロスMilan Mill 5×4(9.38%)

の全Pure Grainの重賞勝ちの*ゴンチャローワが日本輸入されており、その孫にカシアス・ファーンヒル兄弟がいる。奇しくも2頭ともフジキセキ系のキンシャサノキセキ産駒で、勝った重賞もスプリン距離とファイングレインに近い傾向である。

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