アサヒライジング(Asahi Rising)とは、2003年生まれの日本の元競走馬・元繁殖牝馬である。
国内外のGⅠ級競走であらゆる状況でも逃げ粘って善戦し、引退後はナイスネイチャのバースデードネーションによって支援を受けた馬である。
気概に満ちた根性娘
2003年2月9日に浦河町の本巣一敏牧場に生まれる。父ロイヤルタッチ、母アサヒマーキュリー(母父 ミナガワマンナ)という血統。
父のロイヤルタッチは*サンデーサイレンス産駒の第二世代であり、バブルガムフェロー、ダンスインザダーク、イシノサンデーとともに「サンデー四天王」と呼ばれ期待された一頭である。1995年のラジオたんぱ杯3歳ステークスと1996年のきさらぎ賞を勝利し、皐月賞と菊花賞で2着となった。半兄に1993年の日本ダービーを制したウイニングチケットがいる。
母のアサヒマーキュリーは4戦で競走生活を終えていて目立った活躍はしていない。アサヒマーキュリーの叔父には1986年の皐月賞と日本ダービーで3着、1987年の天皇賞(春)で2着となったアサヒエンペラーがいる。
母父のミナガワマンナは1981年の14番人気で菊花賞を勝った馬であり、シンザン産駒として初のクラシック競走勝利をもたらした。
このミナガワマンナを所有していた寺内倉蔵氏であるが、本馬の母アサヒマーキュリーや3代前の母アサヒタマナーも所有していたことが確認できる。本馬を所有するのは寺内正光氏であり、倉蔵氏とは異なる人物であるが、名字が同じで冠名に「アサヒ」や「ミナガワ」を用いるという共通点があることから倉蔵氏と何らかの親縁関係にある者と思われる。
アイネスフウジンやオフサイドトラップを手掛けた美浦の加藤修甫厩舎に入厩し、2005年9月10日に小林淳一を背にデビューした。
新馬戦こそ3着であったが、未勝利戦、サフラン賞を連勝し2歳GⅠ阪神ジュベナイルフィリーズに駒を進めた。レースでは逃げてゴールまで200m地点まで先頭に立っていたが、失速しテイエムプリキュアの5着に敗れた。
年明け初戦の菜の花賞では一番人気に推されるもコイウタの9着、続くクイーンカップでも再びコイウタの2着と連敗した。
次走のアネモネステークスから柴田善臣に乗り替わり、1番人気に応えて勝利し桜花賞への優先出走権を獲得した。なお、このレースの前、加藤修甫調教師が定年退職したため開業したばかりの古賀慎明厩舎へと転厩しており、この勝利が古賀師の初勝利であった。
桜花賞でも逃げてゴール直前まで粘ったが、キストゥヘヴンの4着。オークスでは大逃げするヤマニンファビュルを4コーナーで捉えて先頭に立つが、残り100mでカワカミプリンセスに捉えられて3着に敗れた。
その後、アメリカンオークスに出走するため海外遠征を敢行した。この遠征の決断には古賀師の師匠での藤沢和雄の影響が大きかった。古賀師は調教師になる前、藤沢和雄厩舎の調教助手として働いており、タイキブリザードやタイキシャトルなど海外遠征で日本馬が活躍する舞台裏を見ていたのである。
この年、藤沢厩舎のダンスインザムードがキャッシュコールマイルに出走することが決まっており、アサヒライジングの遠征もそれについていく形で行われた。現地での調教も藤沢厩舎のスタッフとダンスインザムードとともに行っていた。
アメリカンオークス前日のキャッシュコールマイルではダンスインザムードが優勝。それに続くアサヒライジングは現地のビクター・エスピノーザを背に1番人気に支持された。しかし、レースでは大きく出遅れて逃げることができなかった。それでも持ち前の能力で後にカナダ年度代表馬となるアラヴェイルを競り落とし、2着に食い込む健闘っぷりを見せた。
帰国後も勝利はできないものの善戦を続け、秋華賞ではカワカミプリンセスの2着、エリザベス女王杯では4着(5着入線後、カワカミプリンセスの降着により繰り上がった)となり、休養に入った。
年明け初戦の中山牝馬ステークスでは1番人気に支持されるも休養明け、出遅れ、トップハンデという悪条件が重なり13着と惨敗。続く阪神牝馬ステークスでも逃げ粘れず8着に敗れた。
その後、JpnⅠのヴィクトリアマイルに出走。実績上位のカワカミプリンセスやスイープトウショウ、アドマイヤキッスに人気が集中し、アサヒライジングは単勝33.6倍の9番人気という低評価であった。しかし、レースでは上位人気馬は末脚不発でアサヒライジングが残り100mまで先頭に立った。結局、あと少しのところでコイウタに交わされ2着であったが、前評判を覆す走りを見せた。
ちなみに、このレースの勝ち馬コイウタは12番人気、3着のデアリングハートも8番人気という低評価だったことで三連単は228万3960円という高配当が出ている。
次走のクイーンステークスでは内枠と内側が荒れてない開幕週の馬場を味方につけ初の重賞勝利を果たす。続く府中牝馬ステークスでは1番人気になるが、デアリングハートに交わされ2着であった。
その後、エリザベス女王杯に出走するも出遅れてしまいダイワスカーレットにハナを奪われてしまう。直線でも持ち味の粘り強さを見せることができず7着に敗れた。
エリザベス女王杯出走後、脚部不安により長期休養に入り、2008年の府中牝馬ステークスに出走したが最下位の18着と惨敗。その後、左第2中手骨の骨折が判明し引退した。
引退後は生まれた本巣一敏牧場で繁殖牝馬となり、2016年に生まれた第7仔のサントルヴィル(父:ダンカーク)からは谷川牧場が生産者となっている。産駒からは目立った活躍馬は出ていない。
2021年、引退馬協会のナイスネイチャ33歳を記念したバースデードネーションで受け入れる馬の一頭としてアサヒライジングが選ばれ、これを受けて繁殖牝馬を引退した。
余生を鹿児島のホーストラストで群れのボスとして過ごしていたが、2022年1月23日に放牧中に左膝上部を骨折し、治癒の見込みがないとして安楽死の措置が取られた。享年19歳。
| ロイヤルタッチ 1993 黒鹿毛 |
*サンデーサイレンス 1986 青鹿毛 |
Halo | Hail to Reason |
| Cosmah | |||
| Wishing Well | Understanding | ||
| Mountain Flower | |||
| パワフルレディ 1981 黒鹿毛 |
マルゼンスキー | Nijinsky | |
| *シル | |||
| ロッチテスコ | テスコボーイ | ||
| スターロツチ | |||
| アサヒマーキュリー 1991 栗毛 FNo.1-p |
ミナガワマンナ 1978 鹿毛 |
シンザン | *ヒンドスタン |
| ハヤノボリ | |||
| ロングマンナ | *ヴィミー | ||
| アサヒマンナ | |||
| タニワーデン 1978 栗毛 |
*ボンモー | Worden | |
| Djebel Idra | |||
| アサヒタマナー | *タマナー | ||
| ジエツタ | |||
| 競走馬の4代血統表 | |||
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最終更新:2025/12/06(土) 16:00
最終更新:2025/12/06(土) 15:00
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