ロシア連邦内の共和国 単語

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ロシア連邦内の共和国では、ロシア連邦に存在する共和解説する。

概要

ロシア連邦を構成する共和は独自の公用語・独自の憲法を持つことが許されるなど高い自治性を持つ。

も、プーチン大統領就任後には中央集権化の一環としてある程度自治権が削られているようである。

ソ連時代には連邦を構成する共和の下位区分として、自治共和(ASSR)・自治州(AO)・自治管区が制定されていた。ロシア連邦が成立すると旧ロシアSFSRにあった自治共和は同名の共和として引き継がれた。これがここで紹介する共和である。

共和を構成する民族を基幹民族と呼ぶ。しかし、多くの共和では長年のロシア化などによって基幹民族が多数ではないことが多い。

以下では共和名(基幹民族名)首都という紹介する。

基幹民族の色は橙色ウラル系(フィン・ウゴル系)言語緑色テュルク系言語青色モンゴル系言語紫色カフカース系言語赤色印欧系言語を話すことをそれぞれ表す。

北西連邦管区

二つの共和が存在する。カレリアは元々フィンランドの一部だったこともあって他の共和ヨーロッパ色の強い地域である。

カレリア共和(カレリア)首都:ペトロヴォーツク
露/Карелия (Karelija) : Петрозаводск (Petrozavodsk)
カレリア地方は古くからフィン人(フィンランド人)が住む土地で、「カレリア人」もロシア人によるフィン民族の呼称である。
17世紀頃まではフィンランドとともにスウェーデンバルト帝国の領土だったが、大北戦争勝利したロシアが領土とした。
第二次世界大戦中の冬戦争舞台ともなり、フィンランドから新しく領土をぶんどった編入した。
現在ではロシア人が多数を構成する。
コミ共和(コミ人)首都:スィクティフカル
露/Коми (Komi) : Сыктывкар (Syktyvkar)
フィン・ウゴル系コミ人の国家
19世紀から20世紀にかけて北方開発(森林の輸出)のため囚人が労働力として大量に送り込まれたため、現在でもロシア系住民が約6割をしめる最大民族である。
ロシア革命時には内戦の舞台となった。

沿ヴォルガ連邦管区

この地域にある六つの共和ロシアの中央部にまとまって存在するため連帯感が強く、六ヶをまとめてイデル=ウラル(イデルはテュルク語によるヴォルガ河の呼称、ウラルウラル山脈のこと)とも呼ぶ。

タタールスタン共和(タタール)首都:カザン
露/Татарстан (Tatarstan) : Казань (Kazanʹ)
古来よりヴォルガ・ブルガール、カザン・ハンといったテュルク国家の中心地をなしてきた。
タタール人とは本来ロシア人がテュルク系遊牧民を漠然とした呼称で(タタールの軛など)、タタールスタンの民族は特にヴォルガ・タタール人とも呼ばれる。
タタール人はかなりい段階でロシア人の支配下に入った(1552年のカザン・ハンの陥落)こともあり、ロシア帝国内でも独特の地位を築く。タタール商人ロシア商人が進出できないテュルクコミュニティとの交易を担当し、ロシア帝国内に巨大なムスリム商業ネットワークを作り上げた。
現在ではタタール商人の特権的地位は失われたが、ロシア内でロシア人に次ぐ人口を誇り経済的にも安定しているなどタタール人はロシア内で最も力のある少数民族であると言える。
ドムルト共和(ドムルト)首都:イジェフスク
露/Удмуртия (Udmurtija) : Ижевск (Izhevsk)
フィン・ウゴル系ウドムルト人の国家
ソ連時代には製鉄機械産業などを中心にロシアでも有数の工業地帯に成長した。現在でも兵器産業は同地域で重要な地位を占める
しかしその代償として外部からの人口の流入がしく、ロシア人人口が総人口の50以上を占める。
バシコルトスタン共和(シキール人)首都:ウファ
露/Башкортостан (Bashkortostan) : Уфа (Ufa)
シキール人は様々な記録マジャール人(ハンガリー人)との関連性が摘されおり、ウラル系住民がテュルク化して成立したと考えられている。
17〜18世紀にはロシア支配に対して度々反乱を起こしており、1730年代にはハンを推戴して独立を果たそうとさえした。
現在ではタタール人人口が3割近くあるなど、バシキール人のタタール人化が問題となっている。
マリエル共和(マリ)首都ヨシュカル・オラ
露/Марий Эл (Marij Èl) : Йошкар-Ола (Joškar-Ola)
かつてはカザン・ハンに属しており、歴史的にテュルク民族は強い。
帝政ロシアによるロシア正教への強制改宗を嫌って多数のマリ人がロシア各地に移住したため、マリエル共和にはロシア内のマリ人人口の半分ほどしか住んでいない。これはタタール人・モルドヴィン人・チュヴァシ人などにも共通する傾向である。
ソ連崩壊に伴ってマリ語・マリ文化の地位上昇を運動が起こるが、現在でも公用語としてのマリ語の重要性は低い。
モルドヴィア共和(モルドヴィン人)首都サランスク
露/Мордовия (Mordovija) : Саранск (Saransk)
モルドヴィアはモルドヴァとも言い、旧ソ連領の独立モルドヴァ共和と非常に紛らわしいが歴とした別のである。
モルドヴィア人は正確にはエルジャ人・モクシャ人から成り立ち、両者は微妙に異なる民族意識を持つ。
周囲の少数民族の中でも特にロシア化が深刻で、モルドヴァ語を語とするモルドヴィン人は七割を切っている。
チュヴァシ共和(チュヴァシ人)首都:チェボクサル
露/Чувашия (Chuvashija) : Чебоксары (Cheboksary)
チュヴァシ人はロシア内のテュルク民族としてはしくロシア正教を信仰している。
チュヴァシ人はモンゴル帝国到来以前にこの周辺一帯を支配していたヴォルガ・ブルガールと関連があると考えられており、タタール人とチュヴァシ人のどちらがブルガール人の末裔か、という論争がある。
共和内においてはチュヴァシ人が多数を維持しているものの、住民のロシア化などの問題を抱える。

南部連邦管区

際的に認められていないクリミア共和を含めて三つの共和が存在する。北カフカース連邦管区はここから分離して設置されたため、結びつきは強い。

カルムィク共和(カルムィク人)首都エリス
露/Калмыкия (Kalmykija) : Элиста (Èlista)
15C、ドルベン・オイラート(オイラート部族連合)内の内紛から逃れるため、オイラート系トルグート部ははるばるジュンガル地からヴォルガ河畔まで移住した。しかし、清朝オイラート系ジューンガル部を征するとトルグート部は故郷に帰還することを決意し、ヴォルガ河畔を去った。この時、ヴォルガ河畔が凍結しなかったことから西に取り残されたのがカルムィク人の祖先である。
第二次世界大戦中にスターリングラードを攻めるドイツ軍に協力したことへの懲罰として、スターリンによって住民の大部分が中央アジアに強制移住させられるという恐ろしい経験を持つ。この時、後述のクリミアタタール人・カラチャイ人・バルカル人・チェチェン人・イングーシ人も同じ被害にあい、悪を残した。
先祖代々チベット仏教を信仰しており、「ヨーロッパ一の仏教」とも自称する。
アディゲ共和(アディゲ人)首都マイコープ
露/Адыгея (Adygeja) : Майкоп (Majkop)
カフカース系アディゲ人の国家。後述のチェルケス人・カバルダ人とは同じカフカース系アブハズ諸語を扱う同族であり、これら三民族の総称として「アディゲ人」が使われることもある。
帝政ロシアがこの地方に進出した際、多くのアディゲ人がオスマン帝国に移住したため現在この地域ではロシア人が人口の四分の三程占める多数民族である。
ソ連末期にはアディゲ人・チェルケス人・カバルダ人の連帯と民族領土の復活めるアディゲ諸民族運動が起こった。現在でも、オスマン帝国領に移住した人々の帰事業が行われている。
クリミア共和(クリミアタタール)首都シンフェロポリ
露/Крым (Krym) : Симферополь (Simferopolʹ)
元々はテュルクモンゴル系のジョチ・ウルス(クリミアタタール人)の地であったが、帝政ロシア時代のロシア人とウクライナ人の入植、そしてクリミア戦争によってタタール人の割合は減。さらに第二次世界大戦後にはスターリンによって、ドイツ占領軍に協力したとしてタタール人の大部分が中央アジアへ追放された(このため、現在クリミアタタール人人口は全体の1割程度である)。
その後、クリミア1954年ソ連内でロシア領からウクライナ領へ移管され、これに不満を持ったロシア人(クリミアの人口の7割を占める)はソ連崩壊後の1992年ウクライナからの独立を宣言。ウクライナ政府との交渉の結果、しばらくの間クリミアは自治共和としてウクライナに留まった。
しかし、2014年キエフ騒乱に乗じてロシア非公式軍事力を行使し、クリミア自治共和国を自へと編入させ「クリミア共和」とした。しかし、この編入は社会の大部分からは認められていない。
なお、クリミア共和は編入直後は1で「クリミア連邦管区」を形成していたが、2016年クリミア連邦管区は止され、クリミア共和南部連邦管区に移管された。

北カフカース連邦管区

現代の「紛争の火庫」。以下の六ヶにスタヴロポリ地方を加えて構成される。複雑な民族構成をしており、チェチェンを筆頭に多くの民族問題・紛争を抱える。

カラチャイ・チェルケス共和(カラチャイチェルケス人)首都:チェルケスク
露/Карачаево-Черкесия (Karachaevo-Cherkesija) : Черкесск (Cherkessk)
テュルク系カラチャイ人とカフカース系チェルケス人によって構成される。
カラチャイ人は東隣のバルカル人と近く、チェルケス人はアディゲ人・カバルダ人と近い(「チェルケス人」とはこれら三民族テュルク民族からの他称である)。
ロシアカフカース地方に進出した際、黒海を渡って大量のカラチャイ人とチェルケス人がオスマン帝国領に移住した経緯から現在ではロシア人が最大人口を占めている。
カバルダ・バルカル共和(カバルダ人バルカル人)首都ナリチク
露/Кабардино-Балкария (Kabardino-Balkarija) : Нальчик (Nalʹchik)
北東部に住むカフカース系カバルダ人と南西部に住むテュルクバルカル人によって構成される。
前述のようにカバルダ人はアディゲ人・チェルケス人と近く、バルカル人はカラチャイ人と近い。
第二次世界大戦後にはバルカル人のみがカルムィク・カラチャイ人などとともに中央アジアへの強制移住を行われた。
ソ連末期にはバルカル人がバルカル共和設立を構想する一方、カバルダ人もアディゲ諸民族運動に参加するなどしたが結局はカバルダ・バルカル共和としてロシア連邦に残った。
北オセチア共和(セット)首都:ウラジカフカース
露/Северная Осетия (Severnaja Osetija) : Владикавказ (Vradikavkaz)
セット人は周囲の民族と異なりイラン系の言語を話し、ロシア正教を信仰するなどロシアへの親和性が高く、ロシアカフカース地方に進出する拠点となってきた。ウラジカフカースはウラジオストックと同様に「カフカースを支配する」という意味を持つ。
「北オセチア」に対して「南オセチア」はグルジアの自治州として分離したが、南オセチア紛争を経て現在独立状態にある(際的な承認はされていない)。南オセチアも参照。
現在も東隣のイングーシ共和紛争を持つ(後述)。
イングーシ共和(イングーシ人)首都メガ
露/Ингушетия (Ingushetiya) : Магас (Magas)
イングーシ人と後述のチェチェン人は本来同一民族だったが、帝政ロシアがこの地方に進出した際にこれにしく抵抗した集団をチェチェン抵抗しなかった集団をイングーシと呼んだことによって両者は違う民族として考えられるようになる。
ソ連時代はチェチェンイングーシ自治共和を構成していたが、ソ連崩壊時にチェチェン系住民が独立を宣言したのに反対してロシアへの残留を表明したため、両国分割されることとなった。
チェチェンイングーシはカルムィク人と同様の理由で中央アジアに強制移住されたことがあり、この時に西隣のオセット人が編入した土地を巡って今も北オセチアと紛争を抱えている。
チェチェン共和(チェチェン)首都グロズヌイ
露/Чечня (CheChnja) : Грозный (Groznyj)
言わずと知れたチェチェン紛争の舞台。前述のようにロシア人支配に強く抵抗した集団を祖とするため、歴史的に反ロシア感情が強い。
ソ連末期1991年チェチェン人はイングーシ人と分離しての独立宣言を行うが、ソ連はこれを認めなかった。ソ連を引き継いだロシア連邦エリツィン大統領の下チェチェンに侵攻して独立阻止しようとした。これがチェチェン紛争の始まりである。
紛争は次第に泥沼化し、プーチンの強硬策によって表向き独立運動は封じられているが、現在も政情は不安定である。
ダゲスタン共和(特定の基幹民族はない)首都:マハチカ
露/Дагестан (Dagestan) : Махачкала (Makhachkala)
特定の基幹民族を持たず、三十をす多数の少数民族によって成り立つ。複雑な民族構成を成すカフカース地方の縮図のような少数民族テュルク系とカフカース系に属する。
カフカースのとしては独立運動民族運動は盛んでない。これは他の民族が被った強制移住・分断統治などを経験していないためと考えられる。ガイレズギンクムイク人といった民族のみが独立運動を行っている。
名前から想像されるように、イスラーム教のは強い。ダゲスタンは「山の」の意。

シベリア連邦管区

この管区にある三つの共和南部原地帯に隣接する位置にあり、歴史的に遊牧国家を受けてきた民族で構成される。

ハカス共和(ハカス人)首都アバカン
露/Хакасия (Khakasija) : Абакан (Abakan)
テュルクハカス人の国家
ハカス共和キルギスの祖先と考えられている堅昆、紇、結といった部族の居住地に重なり、現在キルギス人と何らかの関わりがあると考えられている。
ハカス」の名称は唐代に「キルギス」を音写した黠戛斯の現代中国語読みである。
アルタイ共和(アルタイ)首都:ゴルノ=アルタイスク
露/Республика Алтай (Respublika Altaj) : Горно-Алтайск (Gorno-Altajsk)
ちょうどモンゴルカザフスタンの間に割り込む形で中華人民共和国と接する位置に存在する。
アルタイ人は様々なテュルク民族が混淆して成立したと考えられており、その起明らかでない。
ソ連時代にはゴルノ・アルタイ自治州として隣接するアルタイ地方の一部だった期間が長く、自治共和に昇格されたのはソ連末期1991年である。
トゥヴァ共和国(トゥヴァ人)首都クズ
露/Тыва (Tyva) : Кызыл (Kyzyl)
テュルク民族でありながらチベット仏教を信仰し、モンゴル文化圏に属するというしい集団。
地理的にはこの地域はモンゴル高原の周縁部に位置し、歴史的にモンゴルの遊牧国家の一部となってきた。
清朝の時代にはタンヌウリヤンハイとしてこれに属しており、ロシア工作の結果トゥヴァ人民共和国として独立、その後にソ連に編入されるという歴史をたどってきた。
隣接するモンゴルのフブスグル県には今でもトゥヴァ人の同族が住んでいる。

極東連邦管区

二つの共和が存在する。古来、この地域ではトゥングース民族が優勢であったが、人口減少によってトゥングース系の民族共和は存在しない。

ブリヤート共和(ブリヤート人)首都ウラン・ウデ
露/Бурятия (Burjatija) : Улан-Удэ (Ulan-Udè)
露清間で交わされたキャフタ条約でロシア領となったモンゴル高原の一部である。
歴史的には丁(テュルク)、メルキトといったモンゴル高原民族から外れた民族の居住地であった。
代々のモンゴル高原の遊牧国家の北の辺を構成する。
ブリヤート人はモンゴル民族で最も近代教育を受けた民族となったため、モンゴル独立運動に大きな活躍を果たした。
ブリヤート西部を成すパイカル世界一深い深・多様な生態系などで有名である。
2018年シベリア連邦管区から移管された。
サハ共和(サハ人ヤクート人とも)首都ヤクーツク
露/Саха (Sakha) : Якутск (Jakutsk)
シベリア東部に位置し、面積ロシア内の共和では最大を誇る(インドよりやや狭く、日本の八倍はある。もちろん、地方行政単位としては世界最大。)やや特殊な共和
サハ人は先住のトゥングース民族(エヴェンキ人)を北上したテュルク民族が征して成立したと考えられおり、先住民文化習は色濃く残っている。
ロシアでも最辺にあるといってもいい場所にあり、基幹民族の伝統文化がよく残されている数少ない共和である。スターリン時代には流刑地して利用されていた模様。

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