ASモナコ 単語


ニコニコ動画でASモナコの動画を見に行く

エイエスモナコ

8.8千文字の記事

ASモナコAS Monaco)とはモナコ公国を本拠地とするサッカークラブである。フランスリーグ・アンに所属しており、ホームスタジアムはスタッド・ルイ・ドゥ(ルイ2世スタジアム)。

概要

ヨーロッパサッカーリーグ
ASモナコ
基本情報
創設 1919年
所属リーグ リーグ・アン
ホームタウン モナコ
ホームスタジアム スタッド・ルイ・ドゥ
(67,394人)
クラブカラー
代表者 ドミトリー・リボロフレフ
プロサッカークラブテンプレート

1919年に5つのクラブが合併し創設。モナコサッカークラブではあるが、モナコにはサッカークラブが存在しないためフランスサッカー連盟に名を連ねており、フランスサッカーリーグに所属している。1980年代から2000年代初頭にかけて黄金期を迎え、リーグ・アンを7度、クープ・ドゥ・フランスを5度制している強である。2004年にはUEFAチャンピオンズリーグファイナルにまで進出したことがある。

1948年プロチームとして認可され、当時のレーニエ大公の打ち出した企業への税制優遇措置に乗る形で優秀な外国人選手を大量に加入させたことで強へとのし上がったチームである。その一方で、育成力に優れたチームであり、ティエリ・アンリキリアン・エムバペといったスター選手を筆頭に、多くの名プレイヤーを輩出した実績を持つ。

ホームゲーム用シャツは、を基調に、界が右肩から左斜めに入った特徴的なデザインとなっているが、これは当時のグレース・ケリー妃がデザインしたものである。このデザインユニフォームが初めて採用された1960-61シーズンリーグ・アン優勝を成し遂げており、縁起の良さから現在でも採用されている。

モナコ小国であり、観光であるという背景もあって名門クラブにもかかわらず熱心なサポーターが少なく、ホームスタジアムは2万人未満の小さなスタジアムにも関わらず観客席が満員になることはほとんどない。近郊のコートダジュール地方ホームを構えるOGCニースとのコートダジュールダービーや、フランス南東沿ホームを構えるオリンピック・マルセイユとの南仏ダービーがあるが、ホームで開催するダービーであってもアウェイの熱狂的なサポーターに占拠される奇妙な光景にすることが出来る。

日本人選手では2022年より南野拓実プレーしている。

歴史

1919年8月1日フランスモナコ公国の5つのクラブ(Swimming Clubモナコ・スポールASボーソレイユ、エトワール・ドゥ・モナコACリヴィエラ)が合併し、ASモナコFCとして設立。1924年8月23日に総合スポーツ組織ASモナコへと吸収される。当初はアマチュアチームとして活動していたが、1948年プロ化が認められ、ディヴィジョン・ドゥに参入する。1952-53シーズンには2位になり、トップカテゴリーであるディヴィジョン・アンへ初めて昇格する。

当時のモナコであるレーニエ3世の税制優遇政策の恩恵によって外国人選手を積極的に補強したことでチーム強化を図ると、ディヴィジョン・アン昇格3年の1955-56シーズンに3位になる大躍進を遂げる。1958年監督に就任したリュシアン・ルデュクのもとでさらに力をつけるようになると、1959-60シーズンクープ・ドゥ・フランス決勝でASサンティンヌを下し、初のタイトルを獲得。1960-61シーズンには初のリーグ優勝を成し遂げる。さらに、1962-63シーズンリーグカップシーズンダブルを達成。強クラブへと成長する。

しかし、シーズン二冠を置き土産に躍進の立役者であるルデュクが退任。さらに、タイトルに貢献した力選手たちが次々とチームを去ったことでチーム力は低下するようになり、二桁順位のシーズンが続く。そして、深刻な得点力不足に苦しんだ1968-69シーズンには17位にまで低迷し、ディヴィジョン・ドゥへ降格。1970年代に入ってからは昇格と降格を繰り返すエレベーターチームとなっていた。

3度の2部降格となった1976年チーム再建を託され、60年代に栄をもたらしたリュシアン・ルデュクが監督に復帰。期待通り1年でのディヴィジョン・アン昇格を果たすと、1977-78シーズンには13年ぶり3度となるリーグ優勝を果たす。この昇格1年での優勝という快挙はこのシーズンモナコのみであり、最大の立役者となったエースのデリオ・オニスはクラブ在籍7年間で223得点を挙げ、現在でもクラブの最多得点記録保持者となっており、低迷していた時期にも孤軍奮闘していた。

1979年監督に就任したジェラール・バニドは、マニュエルアモロスやクロード・ピュエルといった新たな世代の選手を台頭させ、1979-80シーズンに17年ぶりとなるクープ・ドゥ・フランス優勝。さらに1981-82シーズンGKジャンリュック・エトリを中心にシーズンわずか29失点という鉄壁の守備で4度リーグ優勝を果たす。1985年1月には現在のスタッド・ルイ・ドゥが完成。この年に5回クープ・ドゥ・フランス優勝を果たしている。

1987年アーセン・ヴェンゲル監督に就任。グレン・ホドルマークヘイトリーイングランド代表コンビを中心に堅守速攻の近代的なスタイルを打ち出し、就任1年の1987-88シーズンディヴィジョン・アン優勝を成し遂げる。その後もヴェンゲルジョージ・ウェアやユルゲン・クリンスマンら質の高い選手を擁して毎年優勝争いを繰り広げる質の高いサッカーを見せ続ける。1990-91シーズンクープ・ドゥ・フランス優勝を果たし、欧州舞台でも1991-92シーズンUEFAカップウィナーズカップ優勝、1993-94シーズンUEFAチャンピオンズカップベスト4進出と一定の結果を残している。また、ヴェンゲルは育成力と選手の発掘にも長けており、後に1998 FIFAワールドカップ優勝メンバーとなるリリアン・テュラムユーリ・ジョルカエフ、ティエリ・アンリの才を引き出している。

ヴェンゲルが新地の日本へ去った1995年にはジャンティガナが監督に就任。1996-97シーズンには、21得点得点王にいたソニーアンデルソンの活躍と若手のアンリが成長したことによって9シーズンぶりのリーグ優勝を果たす。1997-98シーズンチャンピオンズカップでもベスト4に進出。その後ティガナとの衝突でアンリが移籍し、そのティガナも退任するが、1999-00シーズンクラブOBのクロード・ピュエル監督に就任。新たな若きエースとして台頭してきたダヴィド・トレゼゲが22得点記録し、7度リーグ制覇を達成する。

しかし、1990年代末期からこれまでの放漫経営がたたって巨額の負債を抱え込むようになり、トレゼゲ、エマニュエルプティ90年代力の売却を余儀なくされる。2003年には各方面の援助によって最終的に免れたものの、2部への強制降格が言い渡されるほど経営状況は深刻なものになっていた。

そんな中でも2001年から監督に就任したディディエ・デシャンはパトリス・エヴラ、リュドヴィク・ジュリジェローム・ロタンらを中心にチームを手堅く作り、2002-03シーズンではリーグ2位クープ・ドゥ・ラ・リーグ優勝をもたらす。さらに2003-04シーズンUEFAチャンピオンズリーグではフェルナンド・モリエンテスの大活躍もあってチェルシーFCレアル・マドリードといった強を打ち倒す大金星を連発し、予想外の決勝進出を果たす。決勝ではジョゼ・モウリーニョ監督率いるFCポルトに敗れたが、準優勝という過去最高の成績を残すことに。

だが、皮にもこのCLでの快進撃によってジュリやエヴラら力が引き抜かれ、チーム弱体化2005-06シーズン序盤にデシャンは解任となる。その後、フランチェスコ・グイドリンラースロー・ベレニ、リカルドゴメスといった面々が監督に就任するが、いずれも不振からチームを救うことができずに短命に終わり、中堅クラブの立ち位置にまで低迷していた。2010-11シーズンは18位と低迷したことで34年ぶりにリード・ドゥへ降格という最悪の結末を迎える。

2011年12月ロシア人実業のドミトリー・リボロフレフがオーナーに就任。巨額の資金によってチームを強化する方針を打ち出し、降格から2年リーグ・アンへ復帰。言通りにラダメル・ファルカオハメス・ロドリゲスジョアン・モウチーニョ、リカルド・カルバーリョ、ジェレミー・トゥララン、エリック・アビダルといった実力者を獲得し、カタール財団による巨大資本でリーグ・アンを席巻していたパリ・サンジェルマンに対抗しうる存在として注される。だが、リボロフレフの拡大路線はFFPに違反したことで頓挫。ファルカオハメス・ロドリゲスチームを去り、有望な若手選手を獲得して若手育成に力を入れる路線へと変更する。

けっして本意ではなかった育成路線だったが、下部組織出身のキリアン・エムバペを筆頭にベルナルド・シウバパンジャマン・メンディらが台頭するようになる。2016-17シーズンは、当時18歳エムバペセンセーショナルな活躍を見せ、リーグ・アンでは4連覇中のPSGを抑えて17年ぶりの優勝を果たす。CLでも予選から勝ち上がり、準決勝まで進出する快進撃を見せ、モナコの育成力があらためて脚を浴びる。だが、エムバペベルナルド・シウバ、ファビーニョら力が引き抜かれてチームは低迷。躍進の立役者となったレオナルド・ジャルディム監督2018年10月に解任となる。後任にティエリ・アンリが就任するが、降格の危機に直面する程チームは低迷する。

2020-21シーズン2021-22シーズンは2シーズン連続で3位入賞を果たすものの、CLでは本大会まで進むことはできなかった。2023-24シーズンからはアドルフ・ヒュッターが監督に就任。前年は期待外れに終わった南野拓実きを放ち、マグネス・アクリウシェ、エリース・ベン・セギルといった若手も台頭。分厚い攻撃を形成し、リーグ戦では2位に入り、CL出場権を獲得している。

タイトル

現在所属する主な選手

背番号 Pos. 選手名 生年月日 加入年 前所属
- 監督 セバスチャンポコニョーリ 1987.8.1 2025 ユニオンSG監督
1 GK ルーカス・フラデツキー 1989.11.24 2025 バイヤー・レヴァークーゼン
2 DF ヴァンデルソン 2001.6.21 2021 グレミオFBPA
3 DF エリックダイアー 1994.1.15 2025 バイエルン・ミュンヘン
4 DF ジョーダン・テゼ 1999.9.30 2024 PSVアイントホーフェン
5 DF ティロ・ケーラー 1996.9.21 2024 ウェストハム
6 MF デニス・ザカリア(C) 1996.11.20 2022 ボルシアMG
8 MF ポール・ポグバ 1993.3.15 2025 ユヴェントス
9 FW フォラリン・バログ 2001.7.3 2023 アーセナル
10 MF アレクサンドル・ゴロビン 1996.5.30 2018 CSKAモスクワ
11 MF マゲネス・アクリウシ 2002.2.25 2021 ASモナコB
12 DF カイオ・エンヒキ 1997.7.31 2020 グレミオFBPA
13 DF クリスチャン・マウィッサ 2005.4.18 2024 トゥールー
14 FW ミカ・ビエレス 2003.2.8 2025 シュトゥルム・グラー
15 MF ラミン・カマラ 2004.1.1 2024 FCメス
16 GK フィリップ・ケーン 1998.4.2 2023 レッドブルザルツブルク
17 DF タニスイドゥン 2005.6.29 2025 セビージャFC
18 FW 南野拓実 1995.1.16 2022 リヴァプールFC
19 FW ジョージ・イレニヘナ 2006.2.16 2024 アントワープ
20 DF カスム・ワタラ 2004.10.14 2023 ミア
21 FW ルーカス・ミハル 2005.6.22 2024 ASモナコB
22 DF モハメド・サリス 1999.4.17 2023 サウサンプトン
23 MF アランバン 2006.7.14 2024 ASモナコB
27 DF クレパン・ディアタ 1999.2.25 2021 クラブブルージュ
28 MF ママドゥ・クリバリ 2004.4.21 2024 ASモナコB
29 FW パリスブルナー 2006.2.15 2024 サークルブルージュ
31 FW アンス・ファティ 2002.10.31 2025 FCバルセロナ
40 GK ジュール・スタビエツキ  2007.7.10 2025 ASモナコB
42 MF セモン・ブアブレ  2006.6.1 2024 ASモナコB
43 MF パプ・カブラル  2007.1.20 2025 ASモナコB
44 DF サミュエル・ニボンベ  2007.8.15 2025 ASモナコB
46 DF ブラデル・キワ  2006.2.5 2025 ASモナコB
47 MF メイサム・ベナマ  2005.3.9 2024 ASモナコB
50 GK ヤン・リエナール 2003.10.16 2022 ASモナコB

※はセカンドチーム所属。

過去所属した主な選手

歴代監督

関連動画

関連項目

この記事を編集する
関連記事

親記事

子記事

兄弟記事

掲示板

おすすめトレンド

ニコニ広告で宣伝された記事

記事と一緒に動画もおすすめ!
山口剛央[単語]

提供: Pyun Pyun

もっと見る

急上昇ワード改

最終更新:2025/12/05(金) 20:00

ほめられた記事

最終更新:2025/12/05(金) 19:00

ウォッチリストに追加しました!

すでにウォッチリストに
入っています。

OK

追加に失敗しました。

OK

追加にはログインが必要です。

           

ほめた!

すでにほめています。

すでにほめています。

ほめるを取消しました。

OK

ほめるに失敗しました。

OK

ほめるの取消しに失敗しました。

OK

ほめるにはログインが必要です。

タグ編集にはログインが必要です。

タグ編集には利用規約の同意が必要です。

TOP