「アタシに期待?しないほうがいいよー」
ナイスネイチャ(ウマ娘)とは、「ウマ娘 プリティーダービー」の登場キャラクター。
実在の競走馬、ナイスネイチャをモチーフとするウマ娘である。CV:前田佳織里
誕生日:4月16日 身長:157cm 体重:増減なし スリーサイズ:B79/W56/H80
生まれついて物事を斜めに見てしまうちょっぴり卑屈なウマ娘。夢に向かってキラキラしている周りのウマ娘を遠巻きに見ている。
言いたいことをスカッと口に出してしまう性分について、女の子としてどうなんだろうと気にすることもあるが、わかっちゃいるけどやめられない。※ナイスネイチャ|ウマ娘 プリティーダービー 公式ポータルサイトより
癖っ毛のツインテールが特徴的なウマ娘。ゲームでのカットインなどでツインテールが顔から離れると人耳がないことがわかりやすい。勝負服は濃い緑のジャンパードレスとブラウス。左足にだけガーターを着けているのは史実で左前脚の故障に苦しんだからだろうか。クリスマスカラーが印象的な胸元のリボンは史実のメンコをモチーフにしており、イニシャルの字体までしっかり再現されていて史実のネイチャファン的にポイントが高い。モデルが牡馬なので右耳にリボンを結っている。
何かにつけて自己評価が低く、「素晴らしい素質」という意味の名前に本人は自嘲的だが、素質を引き出してくれるトレーナーとの出会いをひそかに期待しているようだ。
生まれ故郷の商店街の人々に愛されて育ち、トレセン学園入学後も行きつけの商店街の皆さんに気に入られ、商店街の人々がファンクラブも同然の存在になっている。さらには小倉記念出走のために訪れた小倉の商店街の人々までファンにしてしまう商店街キラー。おっちゃんおばちゃんに囲まれて育ったことでオヤジギャグ慣れしているのか、シンボリルドルフの駄洒落がツボに入ってしまうタイプだったりする。
疲れるとリアル猫をモフって充電し、スマホで猫動画を眺めて過ごす猫好き。またキラキラした可愛い女の子を見るのも好き。
時々、卑屈とかでは説明のつかない妙にじじむさい一面を見せる。史実のネイチャが超ご長寿馬だからだろうか。
第6話で初登場。ヒネたところが見られず「~ぜ」という口調で喋ったりと、ゲームやシーズン2とはややキャラが異なる。
毎日王冠(GⅡ)ではラストの直線でグラスワンダーを差してサイレンススズカ、エルコンドルパサーに次ぐ3着と善戦する。つづく天皇賞(秋)(GⅠ)にも出走。もちろん史実でこのレース(にあたるレース)は走っておらず(とはいえ2年前までは現役だったが)、賑やかし的な扱い。
サイレンススズカとは近しい仲らしく彼女と絡むシーンで度々出演している。ほかにエイシンフラッシュ、ウイニングチケット、メジロライアンとの交流がみられ、交友関係の広さがうかがえる。
EXTRA(13話)ではトウカイテイオー、ビワハヤヒデとともに走っている場面がある。OPでも一瞬出てくる(こっちにはネイチャはいなかった)1993年有馬記念に準じた一幕。
第1話から登場。チームカノープスのメンバーの1人。
トウカイテイオーの同期であり、彼女の主役然とした輝きを羨んでいる。
(シーズン1での活躍とはさすがに辻褄が合わないので、完全になかったことになっていると思われる)
変人揃いのカノープスのツッコミ枠だが、一緒に迷走して南坂トレーナーにツッコまれることも多い。
第2話では菊花賞での復帰を目指すテイオーに触発され、一念発起して菊花賞を目指す。が、せっかく出走資格を勝ち取ったのに結局テイオーの復帰が間に合わず、肩透かしに。
誰しもが「主役」の不在を意識せずにはいられない中、ネイチャの闘志は燃えていた。
「『テイオーが出ていれば』なんて絶対言わせない!!」
……その思いは皆同じであり、結局4着に終わってしまうのであったが。
第11話ではネイチャ自身も史実通り怪我に悩まされる中で(前話のネイチャたちカノープスの行動の甲斐あって)三度復帰を目指すテイオーに励まされており、その気持ちを素直に伝えた。「ボクが戻れたのはみんながいたから」と言うテイオーに「そういうのは直接伝えといた方がいいよ」と勧めたことが、その後のラブコメ?パートに繋がることに。
そして最終話では有馬記念に出走。レース前には1年ぶりの復帰レースになるトウカイテイオーに声を掛け、あくまでライバルとして一線引きつつもテイオーの復帰を祝福する。レースではテイオーの奇跡の復活の陰で史実通りの3年連続3着を達成。1着のテイオー、2着のビワハヤヒデとともにウイニングライブのステージに上がり「ユメヲカケル!」を熱唱し、ゲームのダンスモーションには存在しない投げキッスを披露した。
| スピード | スタミナ | パワー | 根性 | 賢さ |
|---|---|---|---|---|
| 86 | 72 | 89 | 69 | 84 |
| バ場適性 | 芝 | A | ダート | G |
| 距離適性 | 短距離 | マイル | 中距離 | 長距離 |
| G | C | A | A | |
| 脚質適性 | 逃げ | 先行 | 差し | 追込 |
| F | B | A | D | |
| 成長率 | パワー+20%、賢さ+10% | |||
サービス開始時から育成ウマ娘として☆1[ポインセチア・リボン]が登場。☆3まで上げると専用勝負服になる。
固有スキルは3番手の時に発動という他に類を見ないあまりにもネイチャな条件。文章だけ見ると使いにくそうにも見えるが、実際は差しや追い込みで順位を上げただけでも発動してくれるので差しウマのネイチャにとっては普通に使いやすい。継承で先行をAにして先行で育ててもそこそこ安定して発動してくれる。このスキルのせいで逆にブロコレになりにくかったりする。
目標は案の定「3着以内」だらけだが、史実で4着のところまで3着以内になってたりもするし、逆に他では結構ある5着以内がない、普通にGⅠが多い、と意外に厳しい道のりである。そして、最後に待ち受けるのは「有馬記念で1着」という、史実への最大の挑戦である。
なお、有馬の直前には(史実で特に縁のない)GⅢ「中日新聞杯」の1着目標が挟まれるが、これは史実より1年遅れの「鳴尾記念」(阪神競馬場)に相当するレース。鳴尾記念は当時12月2週開催のGⅡレースで、有馬記念と同じ芝2500mだった。ナイスネイチャは91年、菊花賞の次に有馬記念へのステップレースとしてこのレースに出走し、勝利している。しかし鳴尾記念は現在、6月開催のGⅢ芝2000mに変更。その為、当時の鳴尾記念と開催時期が一緒で現在の距離やグレードが一致している中日新聞杯(中京競馬場)を選んだものと思われる。
またネイチャの特徴として、「差しためらい」「ささやき」「鋭い眼光」と自力習得するスキルにデバフが多いという点がある。特に「鋭い眼光」上位の「八方にらみ」の発動条件は『作戦:差し』のみで、レース終盤に全体へ効果発揮する強力なデバフである。(デバフの大半は『対象:作戦一種』)
この項目を追加した3月15日現在、「八方にらみ」を習得できるのはナイスネイチャのみである。
(自前以外の上位スキルはSSRサポートカードのイベントからであり、「鋭い眼光」を扱うナイスネイチャ・イクノディクタスはSR止まりなため、今後のSSR版実装に期待)
そしてネイチャには隠し要素として、目標レース(と皐月賞、東京優駿)以外のGIに出走したときに結果が3着だと、ステータスUPとスキルポイント獲得値が通常より増えるというものがある。流石ブロンズコレクターは伊達ではない。
そしてGIで3回3着を取りつつファンランクがレジェンドに到達すると彼女専用の「愛しき名脇役」という二つ名を獲得できるが、前述の固有スキルもあって狙って3着を獲ることは困難であり、その上3着では獲得ファン数稼ぎにも支障が出るため、専用二つ名の中でも取得難易度は高い。
また、攻略面以外に彼女の大きな特徴として挙げられるのが、育成ストーリーにおける恋愛色の強さ。他のウマ娘のストーリーが多少のイチャイチャはありつつも基本的にあくまでウマ娘とトレーナー、選手とコーチとしての信頼関係を軸に描かれているのに対し、ナイスネイチャはトレーナーへの恋愛感情をかなりストレートに表に出すほぼ唯一のウマ娘(後述する馬場厩務員とのエピソードなどが発想元だろうか)であり、共にレースを戦う中で徐々にトレーナーに惹かれていき、最後には何とか恋を成就しようとして四苦八苦する彼女の姿が描かれる(トレーナーの性別選択を問わず)。
本筋の展開の熱さと並行して進むその王道ラブコメぶりには悶えるプレイヤーが続出。他のウマ娘の検索サジェストが「育成」「5凸」「因子」「ボーボボ」などの攻略に関連したワードで埋まりがちな中、ナイスネイチャだけは育成そっちのけで「ナイスネイチャ かわいい」「ナイスネイチャ 結婚」「ナイスネイチャ 彼女」「ナイスネイチャ ギャルゲー」などが並ぶという珍現象が起きたりしている。
ちなみにストーリー上ではネイチャに自信をつけさせるために皐月賞・ダービーを回避してGⅢの小倉記念に挑戦するという流れになるが(史実では怪我で回避)、展開を無視して皐月賞・ダービーへの出走も可能(専用イベントあり)。両方勝つと二冠ウマ娘が自信をつけるためにGⅢに出るというシュールな展開になる。距離適性的には目標にある菊花賞ともども育成次第で普通に勝てるので、3は3でも三冠ウマ娘の称号をネイチャに与えてあげるのに挑戦してみてもいいだろう。
なお、ハルウララと同じく、ゴール後のウイニングランに特殊演出が入る。
3着以上の時は1着とモーションが同じであり、2着・3着でも1着と同じく笑顔で手を振ってくれる。4着以下の時は他のウマ娘と変わらない。対戦相手として出てくると、負けたのに笑顔で手を振りながら自分のウマ娘の後ろを通過していくネイチャというシュールな光景が見られることもある。
SR[…ただの水滴ですって]とR[トレセン学園]が初期実装。友情トレーニング対象はどちらも「根性」。
育成のネイチャ自身同様、「差しためらい」「ささやき」「鋭い眼光」とデバフが豊富なサポートカード。その他にも「コーナー加速○」「臨機応変」「ペースアップ」と汎用性の高いバフスキルが揃っており、ヒント発生率が高いため誰を育成するにしても腐りにくいサポートカードと言える。回復スキルも「隠れ蓑」とSR限定の「別腹タンク」があるが、どちらもあまり使い勝手がよくないスキルなので微妙なところ。
また、2021年3月30日からのストーリーイベント「Brand-new Friend」で、配布SRとして[むじゃむじゃむじゃき]が実装された。こちらの友情トレーニング対象は「賢さ」。
こちらはカード限定イベントで「別腹タンク」の代わりに「伏兵○」が入手できる。得意率UPが一切ないため友情トレーニング対象の賢さ育成には不向きだが、トレーニング効果アップ×2とやる気効果アップがあるので、優秀なスキル&適度に賢さ以外のトレーニングに散って全体的に効果を底上げしてくれるサポートカード、と考えて使用するのがいいかもしれない。






戦績等の詳細は当該記事へ→ナイスネイチャ
ナイスネイチャは、現在*2021年4月時点も存命中である。
生まれ故郷である北海道浦河町の渡辺牧場で引退馬協会から支援を受ける「フォスターホース」として穏やかな余生を送っている。ネイチャの近況は渡辺牧場だよりや渡辺牧場がアップしているYouTube動画などで確認することができる。2020年初頭までは一般見学も可能(団体での見学は不可)だったが、新型コロナウイルスの影響で渡辺牧場里親会会員など特定の組織の会員以外は見学出来なくなった。
2017年からは引退馬協会の広報部長に就任し、毎年ネイチャの誕生日である4月16から5月16日までの期間にインターネット上で寄付金を募る「ナイスネイチャ・バースデードネーション」を開催している。
「フォスターホース」にはネイチャのほかにウマ娘にもなったタイキシャトルやメイショウドトウなどがいるので気になる方はぜひ引退馬協会のHPを覗いてみよう。グッズ購入で気軽に支援することもできる。
ドキュメンタリー映画「今日もどこかで馬は生まれる」にちょこっとだけ出演し、まさかまさかの銀幕デビューを果たした。
1990年の夏、栗東の松永厩舎に入厩する。
育成センターではガキ大将だったネイチャは、松永厩舎でも一際手のかかる存在で、蹴ったり噛みついたり、人を乗せたまま立ち上がって振り落とそうとしたりといったことは日常茶飯事だった。
そんなやんちゃ坊主の担当になった厩務員が馬場秀輝である。
馬を恋人のように扱うのが馬場の流儀らしく、ネイチャがどんな悪戯をしても決して怒らずやさしく世話をし続けた。その甲斐あって、やがてネイチャは以前とは全く別の馬のようにしおらしくなった。特に馬場に対しては素直で、「オレとはもう、ほとんど何でも通じてるよ。」と豪語するほど親密な関係だった。引き綱なしで馬場の後ろをトコトコ歩いてついていくネイチャの姿は栗東でも当時有名で、メディアにも取り上げられた程である。一方で馬場が付いていなければウンともスンとも動かなくなってしまうことがしばしばあって、わざわざ馬場を呼ぶこともあったという。
91年4歳(現3歳)の夏から条件戦を2連勝、さらに重賞を鋭い末脚で2連勝し強さを見せつけていた。夏の上がり馬として挑んだ菊花賞はレオダーバンの4着に沈んだが、続く鳴尾記念(当時GⅡ)では勝利し重賞3勝目をあげた。GⅠの栄冠もそう遠くないだろう、というのがこの頃の厩舎や競馬ファンの評価だった。そう、ここまでは・・・
鳴尾記念以降は、トウカイテイオー、メジロマックイーン、メジロパーマー、ビワハヤヒデといった強豪相手に勝ちきれないレースが続き、2、3、4着を量産していく。”有馬記念3年連続3着”*1という不滅の珍記録まで達成し、善戦マン、ブロンズコレクターなどと鼻で笑われるようになってしまう。ただし裏を返せば賞金はしっかり持ち帰っていたため、最終的な獲得賞金ではトウカイテイオーと互角であったりもした。
そんなネイチャが久しぶりに勝ったのが94年の高松宮杯(当時GⅡ 芝2000m)で、実に2年と7か月ぶりの勝ち星だった。当日の中京競馬場にはダービーを制したウイニングチケットと柴田騎手目当てであろう6万5千人の観衆が集まっており*2、勝利したネイチャはGⅠ並みの大喝采を浴びたのである。
しかし以降は引退まで低迷が続き、結局これが現役最後の勝利となってしまった。
*1 ちなみに有馬4年連続3着を阻んだのは『レコードブレーカー』ことライスシャワーである
*2 74年のハイセイコーの高松宮杯6万8千人のレコードに次ぐ当時史上2番目の動員数だった
イマイチ勝ちきれない戦績が日本人の判官びいき精神をくすぐったのか、ネイチャには多くのファンがついた。当時の栗東では1、2を争うアイドルホースで、馬房には大量の千羽鶴が飾られていた。
毎回負けてるくせに「勝つのはうちの馬やで!」と関係者に吹かしまくる名物厩務員の馬場も人気になって、「男は強気 馬場秀樹」などと競馬場に横断幕まで出されたのだが、厩務員の横断幕が出されたのは日本競馬史上前代未聞の珍事だった。
松永厩舎はこうしたファンを大切にした。プレゼント用のテレホンカードやブロンズ像を作ったり、競争後はメンコやゼッケンを惜しげもなく配布して積極的に交流を深めていた。調教師の松永善晴は頑固でとっつきにくいと業界でも知られた人だったが、ネイチャのファンが厩舎を訪ねてくるようになってからはすっかり角が取れて友好的にファンと接するようになった。その変貌ぶりには杉本清も感心したほどである。
主戦騎手の松永昌博は「あれだけファンがいるとね。馬に変わらされたんでしょうね。ファンの有難味がわかるというか、ファンあっての競馬だという気になりますよね。」と語っている。
ネイチャの一戦一戦には大勢のファンと共有した嬉しいこと、悔しい気持ちが込められている。今までにない得難い経験だっただろう。こうして厩舎にとってもネイチャは思い入れのある一頭になっていったのである。
高松宮杯の後は衰えを隠せず、一時は引退も検討されていたのだが、松永厩舎は現役を続行させた。
引退した競走馬に待ち受けている現実は厳しい。引退馬のほとんどは殺処分されているのが現状だ。たとえGⅠ勝利馬でも繁殖用として振るわなければ処分されることがあるのだから現役時代に結果を残せなかった馬の行く末は言うまでもない。功労馬として天寿を全うできる競争馬はほんの一握り。それがビジネスのために生かされているサラブレッドの定めなのだといえばそれまでだが、競馬関係者の全員がそれをよしとしているわけではない。特に馬と一番身近に接する厩舎の関係者は引退後の行末まで考えている事が多い。
ネイチャの現役続行も厩舎が彼の将来を考えての選択だった。
血統も戦績も微妙なネイチャは、種牡馬になれるかどうかわからない、なれてもその先が・・・というラインである。だからできればGⅠの勲章を手に入れて種牡馬にしたい、それがかなわぬ夢だとしてもせめて走れるうちは現役を続けさせてあげたい。それに、重賞をあと1つ勝てば引退式が行える*4。ネイチャやファンのために引退式はさせてあげたい。
こうした厩舎の想いがあって、残り少ない現役生活にあと1勝を賭けてみようじゃないか、ということになったのである。当初は乗り気ではなかった馬主も、直後の京都記念においてネイチャが厩舎の想いに応えるような好走を見せた事で考えを改め、現役続行が決定された。
ただ、馬場の心境は複雑だった。
馬にとって競馬は危険を伴うものであり、競馬場で命を落とすことも珍しくない。
「無事之名馬」と賞されることが多いネイチャだが、彼の現役生活は順風満帆だったとは言い難い。
デビューして4戦目の後、骨膜炎で半年間の放牧を余儀なくされ春のクラシックを棒に振り、5歳に上がってすぐに球節炎と骨膜炎で再び10か月の休養。6歳時には大阪杯レース直後に左第4中脚骨を骨折していたことが判明して半年間戦線を離脱している。8歳の京都記念後に左第2中手骨を、現役最後の年の春には右前管骨をそれぞれ骨折している。何事もなくすんなりいったのは高松宮杯を勝った年くらいで、あとは毎年のように故障に悩まされ続けている。
家族のように愛情を注いできた馬場にとってネイチャの競走馬生活は心配の連続だった。さらに、ネイチャが京都記念後に骨折したのとちょうど同じ時期にライスシャワーの衝撃的な事故*5が重なり、不安を一層強くさせた。
「オレが治しちゃったら、こいつはまたレースで走らなくちゃならない。」ネイチャを治療場に通わせていた馬場が同僚の厩務員に本音を漏らしている。年老いて力も衰えたネイチャをこの上さらに走らせることが本当に彼の幸せになるつながるのだろうか。馬場の胸中では、元気なうちは走らせてあげたいという気持ちと予後不良の懸念がせめぎあい、結局最後の最後まで思い悩むことになった。
*3 JRAの規定ではGⅠを制した馬、重賞を5勝した馬、特に貢献があったと理事長が認めた馬は引退式を行えることになっている。ネイチャのそれまでの重賞勝利数は4回だった
*4 第36回宝塚記念に出走したライスシャワーがレース途中で転倒し負傷、予後不良と診断されその場で安楽死処分された。いわゆる”淀の悲劇”
96年、投票上位だったネイチャは本年も有馬記念出走が予定されていて、出ればスピードシンボリやメジロファントムを抜いて6年連続出走という当時としては空前の大記録を打ち立てることになる。
ところがレースの3週間前、馬場が日課の触診中に左前脚に異常を見つける。レントゲンの結果、第二冠骨のヒビわれと判明。それはレースに出しても支障のない些細なものだった。しかし、ネイチャの将来を考え苦しい葛藤をしてきた馬場にとって、この状態で出走させることはとても認められるものではなかった。
馬場は調教師の松永にネイチャを引退させるように訴え、松永も「(ネイチャのことを誰よりも知っている)お前がそういうのだったら、仕方が無いな」と引退を認めた。松永も調教師の誇りとしてこの大記録を望んでいたはずだが、それを押し殺してでも自分のわがままな進言を聞き入れてくれたことが、馬場はうれしくて涙が止まらなかったという。
こうしてネイチャは大記録を目の前にしてターフを去ることになった。
ネイチャが栗東を発ち産まれ故郷の渡辺牧場に帰る日。
いつものように馬場がネイチャを牽いて馬運車に乗せようするが、ネイチャは嫌がった。
「レース当日に輸送するときなんかは自分から進んで馬運車に乗り込んでいた。乗るのを嫌がったりすることなんていままでに一度もなかった。」と後に馬場は語っているが、もうこの場所には戻れないということをネイチャ自身が本能的に判っていたのかもしれない。
引退馬は往々にして"行方不明"になる。
大動物の馬を一頭を生かし続けるためには広大な土地と資源と多額の費用が必要で、平均寿命といわれる25歳まで生かすとすると預託料にして1000~3000万円*5はかかるという。したがって将来性のない若駒や結果を残せなかった引退馬、繁殖用や再就職先からもリストラされた老馬といった今後の採算が見込めない馬たちは、一部の例外を除き居場所を失う。
不要になった馬は家畜商*6や屠殺業者に引き渡し最終処分を代行してもらうのが一般的なパターンのようだ。生産し、育成、調教して出走、引退後は一部は再利用され、そして廃棄する。この一連の流れが競馬産業の仕組みだが最後の過程は大っぴらにはされておらず、馬の末路については"行方不明"という言葉で濁される。
『馬の瞳を見つめて』という乗馬界で有名な著作がある。ナイスネイチャの生家である渡辺牧場を経営する渡辺はるみさんが自身の牧場生活を綴ったノンフィクション作品だ。
渡辺さんは獣医学を学ぶ大学生の時に夏季休暇のアルバイトで偶然訪れた渡辺牧場で馬の魅力に惚れこみ、それまで追ってきた夢を捨て馬産の世界に飛び込んだ。牝馬を飼養管理し種付けから出産、子馬が離乳するまで育てる生産牧場で、馬と触れ合う日常の描写からは渡辺さんの彼らへの愛と敬意が伝わってくる。牧場から送り出すときなんかはまるで出征する息子を見送る母親のようだ。気品に満ちた気高き女王ウラカワミユキ、名前通りの暴走馬セントミサイル、いつも威勢のいい大ベテランあて馬のジイなど、渡辺牧場の馬たちがまるで人間かのように個性豊かに語られる。
そんな渡辺さんはこと競馬に関しては全くの無知だった。だから初めて自分が育てた競争馬が"行方不明"になってようやく彼らが置かれている過酷な現実を知る。以来、渡辺牧場の生産馬を追跡し廃用にされそうになった場合は自分たちで引き取る活動を始めた。それと同時に馬の最期についてある考えを固めていく。
人は誰しも畳の上で親しい人たちに見守れながら苦痛なく死にたいと思うもので、それは馬も同じだろう。屠場でボルトガンを撃ち込まれて殺されたり病気で長く苦しみながら死ぬくらいなら、たとえ短い間だとしても生まれ故郷の広々とした放牧地で存分に走り回り腹いっぱい美味しいものを食べて、最期の瞬間は麻酔を使って安らかな死を迎えさせたほうが馬にとって幸せなのではないか。馬の最期を他人に預けてそれで終わりではなく、辛くとも死ぬ最期の瞬間まで努めて見届けるのがその命を生産した者の責任ではないのか。
勿論すべての生産馬に天寿を全うさせることが一番望ましいが、渡辺牧場の規模でそれが叶うのは1、2頭が限界で、その枠もすでに埋まっていた。馬にとってしてみれば殺されるまでの過程が違うだけで美談にもならない人間の勝手な考えかもしれないが、廃品のように扱う、人の努力が伴わない末路よりはずっとマシな最期だろう。
そうは決心したものの馬の瞳を見つめるとなかなか実行できなかった。一縷の望みをかけた資金集めもとん挫し、増え続ける馬の経費に圧迫され経営が傾き始める。躊躇しているうちに安楽死させる予定だった牝馬が発病し、もがき苦しみながら死ぬ。そんな折に決断の機会を与えてくれたのがナイスネイチャだった。渡辺牧場最大の功労馬がついに帰ってくるのだ。
そしてネイチャの帰郷が三日後に迫ったその日、二頭の牡馬の安楽死を決行する。
この本には、誰もが眼をそらしてきた競争馬の最期に正面から向き合い、周囲の無理解に苦しみながらも、愛したわが仔たちを安楽死させていく壮絶な実体験が綴られている。途中、渡辺さんの気が狂うんじゃないかと心配になるほどに内容は悲痛だ。どんな場面でも気丈にふるまっていた渡辺さんがすべてが終わった後、誰もいない場所で声を押し殺して嗚咽する姿が印象的で痛ましい。
馬産の事業から手を引く選択肢もあったはずだ。だがそうなればネイチャはその後どうなっていただろう。ナイスネイチャのファンとして彼の引退生活の裏には多くの犠牲があること知っておくべきだし、苦しい中でも牧場経営を維持しネイチャを生かし続けてくださった渡辺牧場に深く感謝したい。
願わくば、この本が復刊され多くの人が手にとり広く読まれますように。
*5 地域によって預託料は大きく変わる。北海道の平均的な預託料は月11万円である。なお獣医療費は含まれていない。
*6 馬主の代行として家畜の売買、交換を斡旋する者。馬喰とも。
ネイチャを引き取った渡辺牧場は家族経営の小さな牧場で、負担は決して少なくなかったが、それでも「一生うちで面倒見る」と言って迎えたのは、彼への感謝と引退してもなお熱心なファンがいたからである。種牡馬入りはしたのだが残念ながら大成はせず、早々に種牡馬登録を抹消されたが、その後は功労馬として平穏無事な余生を過ごすこととなった。GⅠ未勝利で功労馬として遇される競争馬はそう多くはない。本当に最初から最後まで人に恵まれた幸運な馬と言えよう。
さて、規定に足りなかったため引退式は行えず、ネイチャが走っていた頃は3着による払い戻しは複勝と枠連(1着2着が同枠の場合に限る)のみであったが、JRAもネイチャの功労を称え、1999年拡大二連勝複式(通称「ワイド」)の導入が決定し、その際イメージキャラクターに採用されている。その後も2002年に三連複、2004年に三連単が採用されるなどネイチャの引退後は3位も脚光を浴びる馬券が増えてきているが、もしネイチャが2000年代以降に走っていたのであれば評価はまた違ったものになっていたかもしれない。
引退から20年以上経ち、ネイチャの齢はすでに30(人間でいうと90半ばくらい)を超えた。かつて轡を並べたライバルたちはもうほとんど残っていない。菊花賞馬のレオダーバンも2001年に種牡馬を引退した直後に廃用行方知れずになってしまった。現役時代を過ごした松永善晴厩舎はすでに無く、誰よりもネイチャを愛した馬場も98年に不慮の事故で亡くなっている。しかしネイチャは、今も元気に牧場を駆けている。松永厩舎、渡辺牧場、大勢のファン、そして馬場厩務員の深い愛情にいまなお支えられて―――
参考資料
・プーサン 知性派の競馬(Vol.3)(コミュニケーションハウス・ケースリー)
・馬の瞳を見つめて (桜桃書房)
・厩舎へ帰ろう2(エムエイオフィス)
・『優駿』1997年2月号(日本中央競馬会)
・『優駿』2003年8月号(日本中央競馬会)
・週刊100名馬 Vol.41ナイスネイチャ(産経新聞社)
・ナイスネイチャ 世界で一番好きな馬(フジテレビ/ポニーキャニオン)
ほか8点
ナイスネイチャ(ウマ娘)に関するニコニコミュニティを紹介してください。
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最終更新:2025/12/09(火) 04:00
最終更新:2025/12/09(火) 04:00
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