アスコットエイトとは、1980年生まれの日本の競走馬である。青鹿毛の牡馬。
グレード制が導入された後の日本競馬で、史上初めて重賞で大差勝ちした競走馬。
※当記事では活躍した当時に合わせて旧馬齢表記(現在の表記+1歳)を使用しています。
概要
父ヨドヒーロー、母ヨドスイート、母父ファラモンドという血統。
父ヨドヒーローはハイセイコーやタケホープと同じ1970年生まれのガーサント産駒で、阪神3歳S2着の実績を持つ。種牡馬としての産駒には他にトウカイテイオー世代の「関西の秘密兵器」ワンモアライブがいる。
母ヨドスイートは中央で3戦未勝利。名前の通り父ヨドヒーローと同じ馬主の繁殖牝馬である。
母父ファラモンドはフランスで11戦2勝と大した実績は残せなかったが、日本で種牡馬入りすると芝ダート問わず活躍馬を輩出し大成功した。代表産駒にはカブラヤオー、ユーモンド、ゴールドスペンサー、ゴールデンリボーなどがいる。
1980年5月24日に父ヨドヒーロー、母ヨドスイートと同じ新冠町の淀農場で生まれ、牧場の馬主名義である淀牧場株式会社の所有馬として走ることになり、冠名のアスコットとエイトを合わせて「アスコットエイト」と名付けられ、後にイソノルーブルを手掛ける栗東の清水久雄厩舎に入厩した。
現役時代
1982年7月に田島良保騎手を背に札幌競馬場ダート1000メートルの新馬戦でデビューして勝利。2戦目には新馬勝ち1勝のみであったものの8月の北海道3歳ステークスに出走した。ここにはアスコットエイトの他にもメジロモンスニーやウメノシンオーなど後の実績馬が新馬勝ちのみで参戦していたが、アスコットエイトはそこからだいぶ離された13着に惨敗し、3歳時はこれが最後の出走になった。
明けて4歳の1983年、アスコットエイトは年始の400万下条件戦桜草特別から始動。芝は初挑戦であったが12頭立て10着。2走目の寒桜賞ではこれから主戦騎手として定着する五十嵐忠男騎手と初コンビを組み3着に善戦した。だが3走目に新馬戦と同じダートを走ってみると3馬身半差であっさり勝利。陣営は悩んだ末芝を諦めてダートを主戦場にすることに決め、アスコットエイトは春のクラシックを見送ることになった。
休養を挟んだアスコットエイトは日本ダービーも終わった6月の札幌開催で復帰し800万下のダート条件戦を3戦したものの3着、4着、8着と勝ち切れなかった。陣営はクラシックを諦めてまでダートを走らせたのに…。もしかして芝馬なのか?と続く函館開催では芝を2戦走らせてみたもののこちらも7着、16着と芳しくなく、肩を落として地元関西へ戻ることになった。
しかし肩を落として帰ってきたはずの地元関西での初戦。京都競馬場のダート1800mでアスコットエイトはスタートから先頭に立ち9馬身もの着差を付けレコード勝ち。2戦目の同じ条件戦桂川特別に至っては大差勝ちを決め、突如として世代上位の実力馬として名を馳せることになった。アスコットエイトはこの2連勝で賞金を加算し次走にクラシック三冠最終戦、芝3000mの菊花賞へ出走する。なんで?
1983年の菊花賞は春の二冠を常識外れのレース運びで勝利していたミスターシービーがシンザン以来の三冠を達成できるか大きな注目を集めていた。そんな中逃げ切りで大差勝ちとは言えダートの1800mのレース。アスコットエイトの前評判と言えば、この大舞台に立ち会うために紛れ込んだダートの逃げ馬というものだった。何せ実況を担当していた杉本清アナウンサーからさえ「生涯一度のチャンスと、菊の舞台へ姿を見せたダートの韋駄天アスコットエイト」と言われる始末で、つまりは関係者からでさえそう思われていたわけである。ただ前走までの勝ちっぷりからか馬券人気は21頭立てで32.0倍の11番人気と無視されているわけではなかったようだ。
アスコットエイトはレース本番、これまでと同じく逃げを打った。ただそのペースまでいつも通りのままであり、1000mは59秒4というとんでもないハイペースのまま走ることになった。そんなハイペースで大逃げを打てば当然というべきか、向こう正面に入ってミスターシービーがまくり始めるのと殆ど同時に急減速。後続にとんでもない速さでごぼう抜きにされ、坂の下りに入るころには先頭の馬と最後方の馬が入れ替わるというおかしなレース展開になった。ある意味衝撃的なバテっぷり見せたアスコットエイトはそのままブービー20着のカツラギエースからさらに大差の最下位21着でゴール。前走大差勝ちの馬が大差で敗れるという中々珍しい事態に陥った。
ただスタートから勢いよく先頭に立ち、勝負服とおそろいのメンコを付けて跳ぶように馬場の真ん中を走る姿は美しいと言ってもよかったし、先頭で走る間は杉本清アナに「あのカネケヤキを思い出す大逃げ」とシンザンの時と比較した実況をされるなど見せ場もたっぷり作っている。しかも後続に抜かれた後も坂を下る先団から離れた位置を走る姿が、ゴール板を過ぎてからもミスターシービーを待つカメラの丁度正面に後方を走る姿が映っていたりとある意味自身より上位だったはずの他の馬たちよりはるかに目立っていた。ただ逃げたのはそれまでのレースでもそうだったし所謂テレビ馬ということではないと思うけど。
菊花賞後アスコットエイトは当時12月の父内国産馬限定レース愛知杯(芝2000m)へ出走した。前走の菊花賞は大差負けではあったものの、途中までは先頭で逃げていたわけで、距離を短くすれば逃げ切れるのではないかと陣営は考えたのだろう。競馬ファンもその思惑に乗ったのか、はたまたド派手な逃げ馬に脳を焼かれただけなのかアスコットエイトは単勝6.1倍の1番人気に支持され、ここでは何とか踏ん張って5着に入り掲示板を確保。4歳時はこれが最終戦になった。
5歳時の1984年は中央競馬にグレード制が導入され、これまで放置状態だったダート路線もほんの少しだけ整備されることになった。これを受けてアスコットエイトの陣営も無理をして芝を走ることなく目標レースを選ぶことが出来るようになり、とりあえず2月に新設されたGIIIフェブラリーハンデキャップを目指すことにした。1月に復帰したアスコットエイトはOP戦の北山特別を1.7倍の圧倒的1番人気を背負って東京王冠賞や大井記念を勝利して大井競馬から移籍して来ていたミサキネバアーを相手に逃げ切りであっさり大差勝ちすると、フェブラリーハンデキャップの叩きとして中京競馬場の芝1800メートルのGIII中日新聞杯へ出走した。
戦前中日新聞杯では愛知杯で敗れたアローボヘミアンや優駿牝馬でダイナカールの2着だったタイアオバが人気を集めていた。しかし当日中京競馬場(というか日本全国)で大雪が降り、中日新聞杯はダート1700mでの開催に変更されることになった。元々芝の重賞だったものがダートになるわけである。馬券を買おうとしていた競馬ファンは頭を抱えながら慌てて競馬新聞で出走馬を確認した。そしてそこにアスコットエイトの文字を見つけるわけである。アスコットエイトは当然のように単勝1.4倍の圧倒的1番人気となり、これまで条件戦で見せていた強さを重賞の舞台で披露。レコードに加えてグレード制が導入されてから初となる重賞での大差勝ちを達成した。残っている映像を見ると最終直線でどんどん差を開くアスコットエイトにカメラが戸惑う様子が見て取れる、それ程の圧勝であった。しかしこの圧勝のせいというのもおかしい話だが、目標としていたフェブラリーハンデキャップではトップハンデを背負うことになってしまい逃げ脚が鈍ったか、2番人気のロバリアアモンにゴール版前で交わされ2着に敗れた。
敗戦後アスコットエイトは1か月後にOP戦仁川ステークスを斤量のせいか3馬身半差で勝利した後、夏の重賞札幌記念(当時ダート2000m)に向けて休養を挟み、6月の前哨戦札幌日経賞に出走。ここでも1.9倍の1番人気となったが、大井競馬から移籍してきた同期の南関東三冠馬サンオーイの前に7着に大敗。本番の札幌記念では4着フジノタイヨーに8馬身差を付けるものの競り合うローラーキングとサンオーイに2馬身半差を付けられ3着に敗れた。
アスコットエイトはどうやらこの後脚部不安などの故障かそれともほかの理由か1年ほどレースに出走せず、86年の札幌のOP戦で9頭立てで8着からさらに9馬身差の最下位に敗れ、これを最後に引退した。通算成績21戦7勝。うち重賞1勝。
他の競馬場ではどこでも強かったものの、結局札幌競馬場では新馬戦しか勝利できなかった。
引退後
引退後は種牡馬入りすることが出来たものの、繁殖牝馬はさっぱり集まらず4頭しかいない産駒からも活躍馬は現れなかった。5年目の1992年に種牡馬を引退。その後の行方はよく分かっていない。
現役中度々芝も走っていたが新馬戦や条件戦も含め勝利したのは全てダートでの競走で、勝つときも先頭で逃げてどんどん差を開き、最後には大差勝ちというとんでもない派手なレース振りで、重賞1勝馬ではあるものの多くの人気を集め、度々1倍台の1番人気に支持された。ダート路線が整備された後の現代ならクロフネを超えるほどのインパクトを残せたかもしれない。生まれた時代が惜しかった名馬である。
血統表
ヨドヒーロー 1970 黒鹿毛 |
*ガーサント 1949 鹿毛 |
Bubbles | La Farina |
Spring Cleaning | |||
Montagnana | Brantome | ||
Mauretania | |||
タイゼット 1962 黒鹿毛 |
*フェリオール | Fastnet | |
Aisse | |||
ミスヤマト | ブラツクウヰング | ||
フオルカー | |||
ヨドスイート 1972 黒鹿毛 FNo.7-c |
*ファラモンド 1957 黒鹿毛 |
Sicambre | Prince Bio |
Sif | |||
Rain | Fair Trial | ||
Monsoon | |||
モリユキ 1967 鹿毛 |
*ネヴァービート | Never Say Die | |
Bride Elect | |||
マルメシルク | *ソロナウェー | ||
ユドラフオース |
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