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シンブラウン
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シンブラウンとは、1980年生まれの日本競走馬である。鹿毛

史上初の阪神大賞典連覇を日本レコードで達成し、内埒を嫌って大外を逃げたことが有名になった、世代屈ステイヤー。

な勝ち
1983年:阪神大賞典
1984年:阪神大賞典(GII)
1985年:セントウルステークス(OP)

※当記事では活躍した当時に合わせて旧馬齢表記(現在の表記+1歳)を使用しています。

概要

ボールドラッド、ブラウンデージ、ボンモーという血統。

ボールドラッドはアメリカ現在GIホープフルステークスメトロリタハンデキャップなど19戦14勝。種牡馬入りした後アメリカからフランス、そして日本へと輸出された。ボールドルーラー産駒としては種牡馬としての距離の融通が利き、当時長距離競走が多かった日本で活躍することが出来た。

ブラウンデージは中央で3戦未勝利だが重賞5勝の名ラフオンテースで、馬主も同じ。繁殖牝馬としてはリーディングでトップを争うような種牡馬が相手ではないにもかかわらずシンブラウンを始めそのシンチェスト、テイエムジャンボなどの重賞を送り出し成功した。

ボンモーは1966年凱旋門賞だが、日本では阪神障害ステークスを勝ったニッソウブロスがせいぜいで活躍を輩出することは出来ず、後に再輸出されている。

1980年4月28日河の宮内喜代子氏(現宮内牧場)により生産された。3歳になったシンブラウンは「シン」を冠名としスプリンターズステークスを勝ったシンウルフや後にシンチェストシンホリスキーを所有する林幸雄氏に購入され、ブラウンデージを管理した東の布施正厩舎に入厩した。

現役時代

3歳で入厩してきたシンブラウンであったがなかなか調整がうまくいかず、デビュー戦は4歳となった1983年1月新馬戦となった。布施厩舎所属の前年のダービージョッキー岩元市三騎手コンビを組んで3番人気で3着。4戦ダート1800mの未勝利戦で勝ち上がった。400万下に上がってからも掲示板に入るのだがなかなか勝ち切れず、営は新勝ちしたダートにも出走させたり距離を延ばしたりと試行錯誤400万下6戦8月の芝2000m戦でようやく勝ち上がった。9月からは800万下に上がって芝2200mを狙って出走し2戦宇治特別で突破。営はシンブラウンを芝の長距離で活躍するステイヤーだと確信し、当時11月に開催されていたクラシック三冠菊花賞へ格上挑戦することにした。

今の今までシンブラウンが縁遠かった1983年クラシックは、シンザン以来19年ぶりの三冠ミスターシービー役となり大きな盛り上がりを見せていた。三冠がかかる菊花賞でも2.8倍の圧倒的1番人気。2番人気は前戦でシービーを破ったカツラギエース。3番人気ダービー3着、オールカマー2着のビンゴカンタで、シンブラウンは条件とは言え前走での勝利が効いたのか、21頭中14番人気とそこそこ評価はされていたようである。

菊花賞本番ではダートアスコットエイト大逃げを打ち、しかも大本ミスターシービーが最後方となったためか前の方の流れが速くなり、さらに2週の坂の登りでミスターシービーが仕掛けたためペースが滅になりカツラギエースドウカンヤシマなど先行していた有力が失速。そんな中5番手につけていたシンブラウンは最後まで持ちこたえてビンゴカンタ、リードホーユーと横一線の2着争いの末3着に入った。レースな内容に反して掲示板に入ったはシンブラウンを除いて1,3,5,6番人気と上位人気が入り、14番人気で3着に割り込んで来たシンブラウンは大殊勲と言って良い内容だった。

その後シンブラウンは当時年末に行われていた地元関西阪神大賞典に出走した。前走菊花賞の活躍を評価され、スズカコバンに次ぐ5.7倍の2番人気レースでは菊花賞と同じく先行集団につけ、2週から逃げていたホースメンワイルドのすぐ後ろへ上がり、向こう正面で失速するホースメンワイルドに代わって先頭に立つとそのまま直線へ、後ろからはヤマノテスコやスズカコバンなど有力が追い上げてきたもののシンブラウンの足色は全く衰えず、そのまま4分の3身振り切って重賞勝利。勝ちタイム3:04.9は阪神大賞典3000mになった1974年クリオワードが出した3:06.0を11も更新。前年の菊花賞ホリスキーが出していた3.05.4も更新する3000mの日本レコードだった。更に当時は欧くらいしか外の競馬についての情報が分からなかったこともあり、シンブラウンのタイム3000mの世界レコードだと言われていた[1]1月には新馬戦を3着に敗れていたが1年で15戦とタフに走って年末には日本レコード重賞勝ちというまさに世代の上りといった戦績であった。また同じ日に関東で行われた有馬記念では菊花賞でシンブラウンに次ぐ4着に入っていたリードホーユー優勝し、あの菊花賞レベルの高さを共に明する形となった。

5歳時の1984年2月GII京都記念から始動。年末の勝利から2.4倍の圧倒的1番人気に支持されたものの、キョウエイアセントの8着に敗れてしまった。その後も大阪杯カツラギエースの6着、OP戦で10着、金鯱賞で8着となかなか勝ち切れない戦いが続いた。8月北九州記念では3着と盛り返したかに見えたが、1番人気小倉記念では6着、3番人気京都大賞典7着、レースの格を下げた1400万下のノーベンバーSで2番人気で4着と、気が付けば年末まで8戦して1勝も出来ず、年内最終戦となったGII阪神大賞典でも昨年の優勝にもかかわらず5番人気人気を落としていた。本番ではいつも通りの先行策から有力が後ろの方で牽制しあっているうちに先頭を奪うと、前年と同じくそのまま最終直線へ、うちの方から並びかけてきたマサヒコボーイゴール前で差し返し、2年連続での阪神大賞典勝利。史上初の連覇を達成した。この勝利5歳時は9戦1勝とした。

6歳時の1985年GIII金杯(西)から始動したもののトップタイハンデによるものか阪神大賞典の疲れが残っていたのか9着に敗れる。2戦GII日経新春杯からは2着と持ち直し、京都記念7着を挟んで鳴尾記念2着、OP戦をいてメジロモンスニーの5着として菊花賞以来のGI挑戦となる天皇賞(春)に出走。天皇賞はその菊花賞以来となるミスタシービーとの再戦でもあったのだが、8着と良いところなく敗れた。

その後シンブラウンはデビュー以来初めて夏休みを挟んだ9月から復帰し、3戦して全て4着と勝ち切れないステイヤーの見本のような戦績を繰り返し、今年は12月1日に行われる阪神大賞典に3年連続で出走した。去年と同じくここまで未勝利だった為人気を落としたが、それでも連覇した実績からか3番人気に踏みとどまった。ただ85年はシンブラウンが最高齢の参戦であり、流石に年下の優駿たちには追い付けず、ニシノライデンの5着に敗れ、3連覇は出来なかった。

シンブラウンは去年は阪神大賞典が最終戦だったものの、85年は12月初頭に開催日が移動していた為まだ余裕があるということで年内最終戦として12月21日に芝2200mで行われるOP戦セントウルステークスに出走した。出走9頭の内上位人気5頭が1ケタ台の混戦模様であったのだが、シンブラウンは3身差で勝。4歳時から3年連続で12月末の年内最終戦だけを勝つというしい記録を達成している。

1986年以降も現役を続行したものの、7歳は初戦のの日経新種杯で2着に入った後はマイラーズカップ7着以降屈腱炎の兆が出て出走出来ず、8歳時の87年は大阪杯天皇賞(春)宝塚記念の今で言う春古馬三冠を走ったものの、9,6,4着と振るわず、宝塚記念を最後に引退した。通算成績40戦6勝。うち重賞2勝。獲得賞金2億9400万は林幸雄が所有した「シン」のの中では最高額であった。

引退後

引退後は種牡馬入りしたものの産駒の数は年10頭もいかず、活躍は送り出すことは出来なかった。シーズン5年1993年種牡馬のまま亡くなった。13歳

先行して最後まで崩れず、最終直線で並ばれてもなお差し返すことが出来る生ステイヤーとして長距離レースでは多くの人気を集め、阪神大賞典日本レコードを含め2連覇したことは印的な戦績として記憶された。また「ハイペースでも残れるから」として本命の他にシンブラウンの馬券を買う人も多かったようである。晩年になっても脚質を先行から逃げに変えた際は内埒を嫌うせいで逃げなのに大外を回って逃げることが話題を集めたりしていた。現役時代は中々勝ちあがれず出走数にして多くの勝利を挙げることは出来なかったが、長距離で前につけてなお末脚を発揮する。ステイヤーの理想形として記憶しているファンが感慨深げに思い出す。そんな名である。

血統表

*ボールドラッド
Bold Lad
1962 栗毛
Bold Ruler
1954 黒鹿毛
Nasrullah Nearco
Mumtaz Begum
Miss Disco Discovery
Outdone
Misty Morn
1952 鹿毛
Princequillo Prince Rose
Cosquilla
Grey Flight Mahmoud
Planetoid
ブラウンデージ
1975 鹿毛
FNo.13-a
*ボンモー
1963 栗毛
Worden Wild Risk
Sans Tares
Djebel Idra Phil Drake
Djebellica
コマンチ
1968 鹿毛
*ムーティ Sicambre
Ballynash
ケンエイ *ヒンドスタン
*ミスハンター
競走馬の4代血統表

クロスNasrullah 3×5(15.63%)、Blenheim 5×5(6.25%)

関連コミュニティ

関連リンク

関連項目

脚注

  1. *当時の芝3000mのレコードを持っていたのは欧ではなくブラジルのナルヴィクが1959年に出した3:2.5とされている。現在世界レコードトーホウジャッカルの3:1.0

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