ルイス・スアレス(Luis Alberto Suárez Diaz、1987年1月24日 - )とは、神の一手を持つウルグアイ出身のサッカー選手である。
アメリカ・MLSのインテル・マイアミCF所属。元サッカーウルグアイ代表。
概要
2009-2010シーズンのオランダ・エールディヴィジでは出場試合数を越えるゴール(33試合35得点)をマークし、得点王に輝く・・・とWikipediaが書いていそうなことなことは置いといて・・・
彼をニコニコ動画のみならず世界的に有名にしたのは何と言っても2010 FIFAワールドカップ決勝トーナメント準々決勝ガーナ戦での1シーンであろう。延長後半アディショナルタイム、彼はFWでありながら味方ゴールに向かって放たれたシュートを神の手でブロックしてしまったのだ。勿論ハンドと決定機阻止の反則によりレッドカードで一発退場となったが、ガーナがこれで得たPKを外してしまい、試合はPK戦に突入。結果、ウルグアイは勝利することができた。その手があったか!
そのことがあってからなのかサッカーゲームのFIFAシリーズではフィールドプレイヤーながらゴールキーピング値が平均30前後とフィールドプレイヤーとしては高めに設定されている(通常フィールドプレイヤーの値は平均10程度)
マジレスするならば少年時代にGKをやっていたからだと思われるが。
他では、決勝トーナメント1回戦で韓国相手にウルグアイを勝利に導く2ゴールを決めたこともサッカーファンのニコニコユーザーには強く印象に残っていることだろう。
他にも試合中に相手選手への噛み付き行為、シミュレーション行為など様々な騒動を起こすことでも有名。
どれぐらいかというとエールディヴィジではシミュレーションの代名詞にされたり、その先入観からレフェリーにファールをとってもらえないこともあるぐらいである。
ここまでいろいろ書かれているが、サッカー選手としての実力は誰もが認めており、現役FW世界トップクラスといっても過言ではなく、彼のプレーがチームの勝利に多々結びついている。
経歴
生い立ち~フローニンゲン
ウルグアイ北西にあるアルゼンチンとの国境近くの町サルトで元軍人で元サッカー選手の父と家政婦である母の間に生まれる。6人の兄弟と共に暮らしていたこともあり家は貧困であったが、同じような下層階級の家族が多く暮らす村で平和な日々を過ごしていた。そんな穏やかな生活の中で他の子どもたちと同じようにサッカーボールを蹴り始め、いつの間にかフットボールの虜になっていた
6歳の頃に父親の仕事の関係でウルグアイの首都モンテビデオに引っ越すと、モンテビデオにあるウレッタFCに加入。11歳の頃に名門ナシオナル・モンテビデオのスカウトの目にとまり、14歳の時にナシオナルの下部組織に入団する。しかし、この頃に父親が家族を残して家からいなくなってしまい、バスの清掃の仕事をして家計を助けながらプレーすることになる。
だが、貧しいスアレス少年は、次第にガラの悪い友人と遊ぶようになってしまい、真面目にサッカーをしなくなった時期を過ごす。素行の悪さからクラブも放出を検討するほどだった。しかし、後に妻となる女性と出会ったことで道を踏み外さずにサッカーの道へ戻ると、2005年5月3日に18歳でプロデビュー。2005-06シーズンは、29試合12得点を記録し、ナシオナルのリーグ優勝に貢献する。
恋人である女性がスペインのカタルーニャへ家族で移住したこともあり、早期の欧州への移籍を考えるようになり、2006年にオランダ・エールディヴィジのFCフローニンゲンへ移籍。ここで公式戦37試合に出場し、15ゴールという結果を残す。1年のみの在籍となったが、ファンの記憶に残るセンセーショナルな活躍を見せた。
アヤックス
2007年8月移籍金750万ユーロでエールディヴィジの名門アヤックス・アムステルダムへ移籍し、ステップアップを果たす。移籍初年度から持ち前の得点感覚を遺憾なく発揮し、リーグ戦得点ランク3位となる17得点という結果を残す。
続く2008-09シーズンも得点ランク2位の22得点をマーク。アヤックスのエースストライカーとしての地位を確固たるものにし、アヤックスの年間最優秀選手に選出される。
2009-10シーズンに就任したマルティン・ヨル監督は、当時22歳のスアレスをチームのキャプテンに任命する。指揮官の信頼を得たことで自信を深め、開幕からゴールを量産する。2009年8月8日のRKCヴァールヴァイク戦では、残り20分でハットトリックを決め、エールディヴィジ通算50得点を記録。まさに、点取り屋としての才能が大きく開花したシーズンとなり、リーグ戦で35得点を記録。初の得点王のタイトルを獲得。また、UEFAヨーロッパリーグやKNVBカップでもゴールを量産。公式戦48試合出場49得点という圧巻の数字を残し、またKNVBカップ優勝によってオランダでの初タイトルを獲得。
2010-11シーズンは、UEFAチャンピオンズリーグ本大会に初出場。第3節のオーゼール戦でCL初ゴールを決める。ところが、2010年11月20日のPSVアイントホーフェン戦において、相手のオトマン・バッカルの首筋に噛み付いてしまい、7試合の出場停止処分を受ける。この事件によってアヤックス退団の方向へと加速するのであった。
リヴァプール
2011年1月28日イングランド・プレミアリーグのリヴァプールFCに5年半契約で移籍。移籍金は2280万ポンド(約29億8000万円)。背番号は「7」。移籍直後のストーク・シティ戦に途中出場し、いきなりゴールを決めてしまう。加入1年目はチャンスメイクでの貢献のほうが目立ったが、高い能力を早速見せつけ、キャプテンのスティーブン・ジェラードからも称賛される。
さらなる飛躍が期待された2011-12シーズンだったが、プレミアリーグ第8節のマンチェスター・ユナイテッド戦でパトリック・エブラに対して人種差別発言を試合中にしてしまい、8試合の出場停止処分を受けてしまい、イングランド国内から大バッシングを受けることになる。出場停止処分が解けた後、すっかりヒールのイメージが定着してしまったが、2012年4月28日のノリッジ・シティFC戦で初のハットトリックを決めるなど、エースストライカーとして低迷するチームの中で孤軍奮闘していた。
2012-2013シーズンにはリーグ戦33試合23得点をあげており、後述の理由で10試合の出場停止処分が下される直前の第33節の時点では得点王ランキングのトップに立ち、PFA年間最優秀選手賞の最有力候補にもなっていた。が、第34節のチェルシー戦でブラニスラフ・イヴァノヴィッチに噛み付いてしまったことによりその試合の裏でハットトリックを決めたロビン・ファン・ペルシに総得点を抜かれ、噛み付き行為により評価を落としPFA年間最優秀選手賞をガレス・ベイルに譲る形となってしまった。
そんな残念な形でシーズンを終えることとなったのだがプレミアリーグの年間ベストイレブンに選出されており、先の得点王ランキングと年間最優秀選手賞では2位に位置している。
そして10試合の出場停止があけて挑んだ2013-2014シーズンプレミアリーグ第6節のサンダーランド戦で2ゴールをあげるとその後も得点を量産。最終的に開幕から5試合の出場停止があったにも関わらず31ゴール(リーグ1位)12アシスト(リーグ2位)3ハットトリック(リーグ1位)と驚異的な得点力でリヴァプールの上位争いの後押しした。ちなみにこのシーズン、スアレスはPKを一回も蹴っていない。結局リヴァプールは終盤に失速したことで悲願のリーグ優勝を逃し、2位に終わってしまったが、上記の驚異的な成績が評価され前年取り逃したPFA年間最優秀選手賞を受賞。さらには、欧州ゴールデンシューも受賞する。一時はサポーターの中にも放出を求める声もあがっていたが、快進撃の立役者となったことでサッカー選手として高く評価される。
ところが、詳しくは後述するが、シーズン後のブラジルW杯で三度目の噛み付き事件を引き起こしてしまい、FIFAから4カ月のクラブ活動停止処分を受けてしまう。
バルセロナ
2014年7月12日スペイン、ラ・リーガのFCバルセロナに移籍金8100万ユーロで移籍することが発表される。背番号は「9」。悪童ぶりで有名であり、開幕から数カ月出れない選手の獲得にバルセロニスタからも疑問視する声が多かった。出場停止処分の解けた2014年9月26日ラ・リーガ第9節のレアル・マドリードとのエル・クラシコという大舞台でデビューを飾る。シーズン前半戦は成績が伸び悩んだが、後半戦になるとリオネル・メッシ、ネイマールとの連携が噛み合うようになり、ゴールを量産するようになる。2015年3月22日のエル・クラシコでは、決勝点を決める。メッシ、ネイマールという南米出身の3トップはMSNトリオと呼ばれるようになり、3人で公式戦122ゴールというとてつもない破壊力を見せる。6月5日のCL決勝のユヴェントス戦では、チームの決勝ゴールを奪い、バルセロナのリーガ、コパ・デルレイ、CLを合わせた三冠獲得に貢献。歴史的トリプレーテに必要なピースとなり、自身初のビッグタイトルを獲得したシーズンともなった。
開幕から出場することができた2015-16シーズンは、前年を上回るハイペースでゴールを量産。2015年12月に日本で開催されたFIFAクラブワールドカップでは準決勝の広州恒大戦でハットトリック、決勝のリーベル・プレート戦でも2ゴールを決め、この年5つ目のタイトル獲得に貢献。大会得点王とゴールデンボールを受賞する。このシーズンのMSNトリオは前年を上回る公式戦131ゴールを記録。自身はリーグ戦で6度のハットトリックを経験するなど、キャリアハイとなるリーグ戦40得点、公式戦59得点を記録。メッシとクリスティアーノ・ロナウド以外では7シーズンぶりとなるピチーチ賞と自身2度目となるゴールデンシューを受賞。チームは2シーズン連続で国内二冠を達成する。
2016-17シーズンは、さすがに前のシーズンよりもゴールのペースは落ちるが、それでもリーグ戦29得点、公式戦36得点という働きを見せる。一方でチームはMSNトリオへの依存度が強くなりすぎて中盤のクオリティが低下するという問題を抱えることになり、獲得したタイトルはコパ・デルレイのみとなった。
ネイマールがシーズン開幕直前に移籍したことでMSNトリオが解体となった2017-18シーズンは、開幕からゴール欠乏症にかかってしまい、メッシ1人に依存した状態になる。それでも、徐々に本来のキレを取り戻し、後半戦になるとギアがかかってゴールを量産し始める。このシーズンのエル・クラシコでは、2度の対戦でいずれも先制ゴールを奪うなど、勝負強さを見せ、2シーズンぶりのリーガ優勝に貢献。また、コパ・デルレイ決勝のセビージャ戦で2ゴールを決め、4連覇に貢献。一方、CLでは不思議とゴールが決まらず、10試合でわずか1ゴールに終わる。
2018-19シーズンは、30歳を過ぎ、またオーバーウェイト気味で開幕を迎えたこともあり、運動量が低下してしまう。それでも、決定力は相変わらずで例年通りメッシと2人で得点ランクの上位を占めてしまう。そのメッシが怪我で不在となった2018年10月28日のレアル・マドリードとのエル・クラシコではハットトリックの活躍を見せ、5-1の大勝の立役者となる。この勝利によってシーズン前半戦でチームは首位を独走し、リーガ連覇を達成。自身も4シーズン連続での20ゴール超えを達成。だが、またもCLではなかなかゴールが決まらず、準決勝の古巣リヴァプールとの1st legでようやく初ゴールを決める。
2019-20シーズンは開幕戦のアスレティック・ビルバオ戦で右太ももを負傷し、戦線を離脱。第4節のバレンシア戦で復帰し、2ゴールを決める。しかし、2020年1月9日のスーペル・コパ・デ・エスパーニャ準決勝アトレティコ・マドリード戦で右膝半月板を損傷し、自身のキャリア初となる怪我による長期離脱を経験する。復帰には5カ月がかかり、新型コロナウィルスによる中断期間を経た6月16日のレガネス戦で復帰。一方、CLではチームトップの5ゴールを決めるが、準々決勝のバイエルン戦での8失点による大敗が引き金となり、メッシと共に守備への貢献度の低さが批判対象となる。クラブ歴代3位となる公式戦198ゴールという記録を作り出したが、シーズン終了後に新監督に就任したロナルド・クーマンから構想外であることを告げられ、追われるようにバルセロナから退団することとなる。退団会見ではクラブからぞんざいな扱いを受けたにも関わらず、大粒の涙を流し、バルセロナへの感謝の気持ちを述べている。
アトレティコ・マドリード
当初移籍先としてイタリアの名門ユヴェントスが有力視されたが、2020年9月24日にラ・リーガのアトレティコ・マドリードへの移籍が決定する。チーム加入からわずか2日後に開催されたグラナダ戦に途中出場で移籍後初出場を果たすと、いきなり2ゴール1アシストの大活躍を見せ、鮮烈な新天地でのデビューを飾る。その後も新型コロナウィルス陽性のために離脱した時期があったものの、相変わらずの得点力を発揮し、長年アトレティコの課題になっていた得点力不足を解消し、前半戦リーガ首位に立つ原動力となる。3月21日のラ・リーガ第28節アラベス戦で決勝ゴールを決め、キャリアでの通算ゴール数が500ゴールに到達する。レアル・マドリード、バルセロナとの三つ巴による熾烈な優勝争いの行方は最終節までもつれこむが、優勝がかかった最終節のバリャドリード戦で決勝ゴールを決め、アトレティコに11シーズンぶりのリーガ優勝をもたらす。リーグ戦32試合で21ゴールを記録し、1年前に自分を捨てた古巣のバルセロナを見返したシーズンとなり、優勝が決まった瞬間には人目をはばからず歓喜の涙を流していた。
2021-22シーズンはアントワーヌ・グリーズマンが加入し、前線のポジション争いはさらに激化。2021年10月2日、ラ・リーガ第8節で古巣のバルセロナと対戦。この試合でチームの2点目を決め、バルサ撃破に大きく貢献。自身をぞんざいに放出した古巣に対してリベンジを果たす。だが、運動量の低下から前線からの守備で貢献できず、チームが不安定なことも重なって調子が上がらず、ゴール数が伸びなくなる。2022年2月19日のラ・リーガ第25節オサスナ戦では利き足と逆の左脚で40mほどの距離からのロングシュートを決めてみせる。しかし、ジョアン・フェリックスの台頭もあって2月以降はスタメンの座を失い、シーズン二桁得点には達したがクラブ側は契約を延長せず、5月15日に退団が発表される。
ナシオナル
2022年7月26日、プロデビューした古巣である母国ウルグアイのナシオナル・モンテビデオに復帰することが発表される。再デビュー2試合目となった8月6日の国内リーグ第2節CAレンティタス戦ではCKからヘディングシュートを決め、移籍後初ゴールを記録。9月にナシオナルの会長から今シーズン限りで退団することが明らかにされるが、期待通りの働きを見せ、自身にとっての20個めのタイトル獲得となる後期リーグ優勝を果たすと、10月31日には前期王者リベルプールとの年間王者決定戦で2ゴールを決め、古巣にプリメーラ・ディビシオン年間王者をもたらし、14試合8ゴール3アシストという成績を残す。
グレミオ
2022年12月31日、ブラジルのグレミオFBPAと2年契約を締結したことが発表される。背番号は「9」。
2023年1月17日、サン・ルイスとのレコバ・ガウシャで新天地でのデビューを果たすと、この試合の前半だけでハットトリックを達成するという衝撃的なデビューを果たし、グレミオに早速タイトルをもたらす。36歳のベテランはその後も健在ぶりを見せつけ、5月18日のコバ・ド・ブラジル ラウンド16のクルゼイロ戦では右足アウトサイドでのスーパーゴールを決める。膝の負傷の影響で現役引退の噂も囁かれ、7月31日には年内でのグレミオ退団が発表される。それでも結果は残し続け、なんと二桁得点二桁アシストを達成。11月9日ブラジレイロ・セリエA第33節首位ボタフォゴとの首位攻防戦では圧巻のハットトリックの活躍によってチームに逆転勝利をもたらす。最終節でのバスコ・ダ・ガマ戦でも決勝ゴールを決め、ブラジルでの戦いを有終の美で締めくくる。試合後、満員の観客からスタンディング・オベーションが送られる。グレミオでは公式戦52試合27ゴール、リーグ戦では17ゴール11アシストという成績を残した。
インテル・マイアミ
2023年12月22日、かねてから噂のあったバルセロナ時代のチームメイトであるメッシ、セルヒオ・ブスケツ、ジョルディ・アルバが所属するアメリカ・MLSのインテル・マイアミCFに移籍することが発表される。加入してすぐにチームにフィットすると、2024年3月2日のMLS第3節オーランド・シティ戦で初ゴールを含む2ゴール1アシストの活躍を見せると、メッシとのコンビで格の違いを見せつけ、開幕7試合の時点で6ゴール5アシストを記録。5月4日の第11節ニューヨーク・レッドブルズ戦ではいずれもメッシのアシストから加入後初となるハットトリックを達成。リーグ戦11試合で早くも二桁得点に到達する。その後もかつてのバルセロナ時代の仲間たちと躍動し、20ゴール9アシストを記録している。
ウルグアイ代表
U-20ウルグアイ代表として、2007年7月に開催された2007 FIFA U-20ワールドカップに出場。この頃からすでにエディソン・カバーニとの2トップを形成。初戦のスペイン戦ではカバーニとのアベックゴールを決めている。大会では2ゴールを記録しているが、ベスト16でアメリカに敗れている。
フル代表には、2007年2月8日のコロンビア戦でデビュー。2010年6月に開催された2010 FIFAワールドカップに出場し、ディエゴ・フォルラン、カバーニと共に強力な攻撃陣を形成。第3戦のメキシコ戦で前半43分にW杯初ゴールとなる決勝ゴールを決め、グループリーグ突破をもたらす。ラウンド16の韓国戦でも2ゴールを決め、2試合連続でMOMに選ばれる。準々決勝のガーナ戦についての詳細は概要の項目を参照。準決勝は当然出場停止となったが、チームは70年大会以来40年ぶりのベスト4進出を果たす。
2011年7月にアルゼンチンで開催されたコパ・アメリカ2011に出場。開幕戦のペルー戦でゴールを決めるが、その後3試合はカバーニ、フォルランと揃って沈黙するが、アルバロ・ペレイラの活躍もあってチームは準決勝まで勝ち上がる。準決勝で再び対峙したペルー戦では、2ゴールの活躍を見せ、チームを決勝へと導く。7月24日パラグアイとの対戦となった決勝では、決勝ゴールとなる先制ゴールを前半11分に決める。その後フォルランの2ゴールもあって快勝したウルグアイは、エンツォ・フランチェスコリが活躍した1995年大会以来4回目の優勝を飾り、4得点を決めたスアレスは、大会最優秀選手に選ばれる。
2012年に開催されたロンドン・オリンピックにオーバーエイジ枠として出場。しかし、3試合ともノーゴールに終わり、チームもグループリーグで敗退。期待外れに終わってしまう。
2014 FIFAワールドカップでも活躍が期待されていたが半月板を負傷してしまい初戦のコスタリカ戦を欠場したが2戦目のイングランド戦で復帰し復帰早々2ゴールを奪いウルグアイを勝利に導いた。そして6月24日、勝てば突破、負けるか引き分けで敗退というイタリア戦でまたしても事件が起きた。イングランド戦同様スタメンで出場し、0-0で迎えた後半33分、エリア内でイタリア代表DFジョルジョ・キエッリーニと交錯し、両者が倒れた。その際にキエッリーニの肩に噛み付いたのだ。今回で三回目ということもあり、26日FIFAから代表の公式戦9試合の出場停止及び、10月末までの活動停止処分を命じられてしまった。結果的にウルグアイはDFディエゴ・ゴディンのゴールでグループステージ突破を決めたが決勝トーナメント前にエースを失い、決勝トーナメント一回戦でコロンビアに敗れウルグアイは敗退した。
出場停止処分の解けた2016年3月に1年4カ月ぶりに代表に復帰。ロシアW杯南米予選のブラジル戦では、同点ゴールを決め、引き分けに持ち込んでいる。6月に開催されたコパ・アメリカセンテリオのメンバーに選出されるが、大会直前の負傷によってグループリーグは欠場することになる。しかし、チームはグループリーグで敗退となり、出場することなく大会を去ることになる。11月25日のW杯南米予選チリ戦に敗れた後、チリサポーターに対して中指を立てる行為をし、問題になる。この予選でウルグアイは一時敗退の危機に直面するが、2017年10月10日のボリビア戦で2ゴールを決め、ワールドカップ出場へ導く。
2018年6月ロシアで開催された2018 FIFAワールドカップにカバーニとの2トップで3大会連続の出場。グループリーグ第2戦のサウジアラビア戦で代表通算100試合目の出場となり、前半23分に決勝ゴールを決め、グループリーグ突破を決める。第3戦のロシア戦でもゴールを決め、2試合連続でMOMに選出される。2大会ぶりに準々決勝まで勝ち上がるが、準々決勝のフランス戦ではラファエル・ヴァランら守備陣のマークによってシュート0本、PA内でのボールタッチ0回と完封されて敗北。ちなみに、3度目のワールドカップにして初めて問題を起こさなかった大会となった。
2019年6月ブラジルで開催されたコパ・アメリカ2019に出場。グループリーグのエクアドル戦と日本戦で2試合連続ゴールを決め、順調なスタートを切るが、準々決勝のペルー戦では完封されてPK戦に持ち込まれたうえ、1番手のキッカーとして失敗してしまい、敗れてしまう。
2022年11月には自身4度目の出場となった2022 FIFAワールドカップ・カタール大会に出場。しかし、35歳となって衰えは隠せず、運動量の少なさからブレーキとなってしまうことも多かった。結局3試合ともに出場したがノーゴールに終わり、チームは第3戦のガーナ戦で初勝利を挙げたが総得点の差で韓国に届かず、グループリーグ敗退に終わる。後半21分にベンチに下がっていたスアレスは、敗退が決まった瞬間人目をはばからず涙を見せていた。
マルセロ・ビエルサが代表監督に就任してからも代表に招集されていたが、ダルウィン・ヌニェスが好調を維持していたことでバックアッパーという立場になっていた。2024年6月から開催されたコパ・アメリカ2024でもスーパーサブという役目になっていたが、3位決定戦のカナダ戦では後半から出場すると、試合終了間際にチームを救う値千金の同点ゴールを決める。PK戦でも4人目のキッカーとして成功させ、短い出場時間ながらもウルグアイの3位入賞に貢献。この試合のMOMにも選出される。
2024年9月2日、9月の代表戦を最後に代表から引退することを表明。9月6日のワールドカップ南米予選パラグアイ戦に出場し、17年間での代表キャリアに終止符を打った。
個人成績
シーズン | 国 | クラブ | リーグ | 試合 | 得点 |
---|---|---|---|---|---|
2005-06 | ナシオナル | プリメーラ | 29 | 12 | |
2006-07 | フローニンゲン | エールディヴィジ | 29 | 10 | |
2007-08 | アヤックス | エールディヴィジ | 33 | 17 | |
2008-09 | アヤックス | エールディヴィジ | 31 | 22 | |
2009-10 | アヤックス | エールディヴィジ | 33 | 35 | |
2010-11 | アヤックス | エールディヴィジ | 13 | 7 | |
リヴァプール | プレミアリーグ | 13 | 4 | ||
2011-12 | リヴァプール | プレミアリーグ | 31 | 11 | |
2012-13 | リヴァプール | プレミアリーグ | 33 | 23 | |
2013-14 | リヴァプール | プレミアリーグ | 33 | 31 | |
2014-15 | バルセロナ | リーガ・エスパニョーラ | 27 | 16 | |
2015-16 | バルセロナ | リーガ・エスパニョーラ | 35 | 40 | |
2016-17 | バルセロナ | ラ・リーガ | 35 | 29 | |
2017-18 | バルセロナ | ラ・リーガ | 33 | 25 | |
2018-19 | バルセロナ | ラ・リーガ | 33 | 21 | |
2019-20 | バルセロナ | ラ・リーガ | 28 | 16 | |
2020-21 | アトレティコ・マドリード | ラ・リーガ | 32 | 21 | |
2021-22 | アトレティコ・マドリード | ラ・リーガ | 35 | 11 | |
2022-23 | ナシオナル | プリメーラ | 14 | 8 | |
2023 | グレミオ | ブラジレイロ・セリエA | 33 | 17 | |
2024 | インテル・マイアミ | MLS | 30 | 21 |
個人タイトル
- エールディヴィジ得点王(2009-10)
- プレミアリーグ得点王 (2013-14)
- ヨーロッパ・ゴールデンシュー : 2回 (2013-14, 2015-16)
- プレミアリーグ年間最優秀選手(2013-14)
- PFA年間ベストイレブン(2012-13, 2013-14)
- PFA年間最優秀選手賞 (2013-14)
- FWA年間最優秀選手賞(2013-14)
- トロフェオ・アルフレッド・ディ・ステファノ(2020-21)
- FIFAクラブワールドカップ最優秀選手(2015年)
- ピチーチ賞(2015-16)
プレースタイル
ドリブル突破や裏への抜け出し、中距離からのシュート、ピンポイントで合わせるシュート、フリーキックからの直接ゴールなど多彩なゴールパターンを持つ世界屈指のストライカー。左右両足ともに精度が高く、相手GKやDFの逆を突くようなシュートを得意としている。CFタイプではあるが、ずっと中央に張り付くタイプではなく、相手の守備の仕方や試合の状況に合わせてポジションを修正し、サイドに流れたり、ライン間まで下がってボールを受ける。
点を取る前の準備する動き、つまりはオフ・ザ・ボールの質が高く、相手DFに対して常に駆け引きを仕掛けつつ、裏を取るために動き続ける。DFからすると、常にスアレスの動きに神経を使うため、肉体的にも精神的にも疲弊させられる。相手がわずかでも隙を見せれば、瞬時に裏へと飛び出し、一気にシュートまで持ち込んでしまう。
身体能力そのものも高く、独特なバランス感覚と柔軟性を持ち合わせ、高いボールキープ力とシュート力に生かされている。また、非常に器用な選手であるため、バルセロナとウルグアイ代表のように全く異なる戦術スタイルにも適用ができ、チームスタイルにうまく自分のプレースタイルを嵌めこむことができる。
点取り屋としてのイメージが強いが、味方を活かすプレーにも長けており、実際アシストも多い。サイドに流れて自分でドリブルで仕掛け、ゴールライン際から折り返してのアシストをリヴァプール時代は多く見せていた。
エピソード
ノリッジ・シティとは非常に相性がよく、スアレスはノリッジ相手に3回ハットトリックを決めている。
リヴァプールでチームメイトだったダニエル・スタリッジとは非常に相性がよく、プレミアリーグでも最高クラスのこの2TOPは名前の頭文字を取ってSAS(Suarez And Sturridge)と呼ばれていた。
手首には愛娘のデルフィナちゃんの名前が彫られており、試合時にはそこにユニフォームの色に合わせたテーピングを巻いている。ゴールした時にはそこと左手薬指の指輪、親指、人差し指、中指にキスをする。これには妻(指輪)、長女デルフィナちゃん(手首)、長男ベンジャミンくん(三本の指)への愛が込められている。
ちなみにデルフィナ(Delfina)のスペルを並び替えるとリヴァプールのホームスタジアムアンフィールド(Anfield)になったりする。
彼女が生まれたのはスアレスがリヴァプールに移籍する前なので単なる偶然にすぎないとのことだがリヴァプールに移籍したのもなにか運命的なものがあったのかもしれない。
妻のソフィアとは14歳の頃に出会い、当時グレかけていたスアレスが彼女との交際をきっかけに真っ当にサッカー選手を目指すきっかけとなった。その後、ソフィアは家族とともにバルセロナへ移住することとなり、オランダへ移籍した後もソフィアに会うたびに度々バルセロナを訪れている。バルセロナ移籍を決めた理由の一つは、バルセロナに居る両親と一緒に暮らしたいというソフィアの夢を叶えるためであった。
メッシとはバルセロナ移籍直後にマテ茶仲間として親交を深め、性格や考え方が合うことからプライベートでも仲が良く、世界最高の選手は自分ではなくメッシであると語っている。
彼の出身地サルトはウルグアイ代表でコンビを組み世界トップクラスのストライカーと言われているパリ・サンジェルマン所属エディンソン・カバーニの出身地でもある。この人口10万人の街にはいいストライカーを生み出す何かがあるのかもしれない。
2014年ワールドカップにおけるキエッリーニへの噛みつき行為の後、FIFAが制定する罰則規定に「噛み付き行為を禁止する」という文言が明記されるようになった。
関連動画
著書
関連項目
親記事
子記事
- なし
兄弟記事
- 2
- 0pt