ACミラン(Associazione Calcio Milan S.p.A)とは、セリエAに所属するイタリアのサッカークラブチームである。
概要
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1899年設立の世界的な伝統のあるビッグクラブの一つであり、ユヴェントス、インテル・ミラノと並ぶイタリアのビッグ3の一角である。
本拠地はミラノで、設立に英国人が関わっているのでミラン(Milan)と英語表記になっている。チームカラーは赤と黒で愛称はそれに由来するロッソネロ(rosso nero)。ホームスタジアムはサン・シーロ(スタディオ・ジュゼッペ・メアッツァ)。単にミランとも表記される。サポーターはミラニスタと称される。
セリエAでは、ユヴェントス、インテルに次ぐ19回のスクデット獲得歴があり、UEFAチャンピオンズリーグではイタリア勢としては最多であり、レアル・マドリードに次ぐ歴代2位となる7回の優勝経験がある。そのため、5回の優勝あるいは3連覇の達成が条件となるビッグイヤーの永久保持が認められたクラブである。
以前は労働階級を中心とするファン層のチームであったが、1986年にシルヴィオ・ベルルスコーニが会長に就任し、1988年から1995年までの間にオランダトリオを中心とした黄金時代を築いたことでファンが世界中に拡大し、世界でも屈指の人気チームとなった。日本でも1990年代にトヨタカップで来日した際に世界最強チームとして認識されたことがきっかけでファンが多い。
同じミラノを本拠地とし、ホームスタジアムも同じであるインテル・ミラノとは伝統的にライバル関係にあり、両チームの対戦は「ミラノ・ダービー」と呼ばれ、ミラノの街を二分する盛り上がりを見せる。もっとも、ローマの二クラブのような激しい敵対関係にあるわけではない。
「ミラネッロ」と呼ばれる世界でも有数のスポーツセンターおよび、2014年に完成した新オフィス「カーサミラン」を所有しており、ミラネッロについては設備・環境が整っていることから、イタリア代表が合宿先として利用するほどである。
日本人選手では、本田圭佑が背番号10を付けて2014年1月から2017年6月までの間所属していた。公式戦94試合11得点という成績を残している。
歴史
エンブレム |
1899年12月16日にミラノ在住のイギリス人アルフレッド・エドワーズが中心となってクラブを創設。創世記のセリエAにおいて1901年、1906年、1907年の三度スクデットを獲得している。しかし、1908年にクラブ内で方向性の違いから内部分裂が起こり、袂を分かれたものたちは独立して新たなクラブを設立。それがインテル・ミラノである。
クラブの分裂後は力を落としてしまい、1907年のスクデット獲得を最後に目立った活躍をできず、本拠地を同じくするインテル・ミラノが強豪クラブとして発展していくのを尻目におよそ半世紀近くタイトルから遠ざかっていた。
1949年、1年前のロンドンオリンピックで金メダルを獲得したスウェーデン代表の中心選手であるグンナー・グレン、グンナー・ノルダール、ニルス・リードホルムを獲得。この3人はそれぞれの名前から「グレ・ノ・リ」トリオと称されチームの中心選手として活躍すると、1950-51シーズンに44年ぶりのタイトルとなるスクデットをもたらしたのを皮切りに1950年代に4度のスクデット獲得をもたらす。
1961-62シーズンにネレオ・ロッコが監督に就任すると、初シーズンからスクデットを獲得。ジャンニ・リベラやジョゼ・アルタフィーニらを擁したチームを率いて1962-63シーズンにはUEFAチャンピオンズカップ初優勝を果たし、ついに欧州の頂点に立つ。その後、エレニオ・エレーラ率いるインテルにタイトルをもっていかれる時期が訪れるが、1967-68シーズンにセリエAとコッパ・イタリアの国内二冠を達成。1968-69シーズンには二度目となるチャンピオンズカップ優勝。この年、リベラはバロンドールを獲得。名実ともにイタリアを代表する名門クラブとなる。
しかし、1970年代になるとインテルとユヴェントスにカルチョの主役の座を奪われるようになる。それでも1970年代はまだ緩やかな衰退期だったが、リベラが現役を引退した直後の1979-80シーズンにはホームでのラツィオ戦が八百長の疑いで調査が行われ、セリエBへ降格処分となり、当時クラブ会長であったフェリーチェ・コロンボは永久追放となる。創設以来初めてセリエBで戦うこととなったミランは、1年でセリエAに復帰したものの、1981-82シーズンは14位と低迷しわずか1年でセリエBに逆戻りとなってしまう。それでも再びセリエBで優勝し、1年でセリエAに返り咲くが、80年代前半のチームはかつてないほどの低迷期に陥っていた。1985年には多額の負債を抱えていたことが発覚し、チームは破産の危機にも直面していた。
1986年、イタリアメディア界の帝王であり、後にイタリア首相となるシルヴィオ・ベルルスコーニがクラブを買収。豊富な資金力を駆使して大型補強を敢行し、ルート・フリット、マルコ・ファン・バステン、フランク・ライカールトの「オランダトリオ」が加入。そして、1987-88シーズンにベルルスコーニの肝入りで監督に就任したアリーゴ・サッキは、高い位置でプレッシャーをかけてボールを奪うという「プレッシングサッカー」を採用。ディフェンスラインは常に高い位置に陣取り、その前にいるMF陣も中盤で激しいプレスを仕掛け、相手を素早く囲む攻撃的な守備は当時のカルチョの常識を覆す斬新的なものであった。イタリアのみならず世界中のサッカーに大きな革命を起こすこととなったサッキの戦術とフランコ・バレージ、パオロ・マルディーニを擁する鉄壁の守備、そしてオランダトリオの類まれな才能によってスクデット1回、チャンピオンズカップとインターコンチネンタルカップ2連覇という偉業を達成。「別の惑星から来たチーム」と称されたこの頃のミランは世界最強のチームとして君臨するようになる。しかし、1990-91シーズンのチャンピオンズカップ準々決勝での試合ボイコット事件によってチームが1年間欧州の舞台から閉め出されると、選手とサッキの対立が表面化するようになり、サッキはこの年でチームを去ることになる。もっともこの時代のサッキの登場によってフットボールは大きく変貌するようになった。
1991年にサッキの後任となったファビオ・カペッロはサッキの戦術を踏襲しつつも前任者のような先鋭的なスタイルを好まず、より守備的な安定感のあるソリッドなチームを作りあげ、”グランデ・ミラン"の時代はさらに継続されることになる。1991-92シーズンにはイタリア史上初となる無敗でのスクデット獲得を達成。ファン・バステンの大怪我やフリットの離反によってオランダトリオは崩壊したが、デヤン・サヴィチェビッチやマルセル・デサイーら各国のスター選手を加えた分厚い選手層のチームを作りあげると、セリエA3連覇、チャンピオンズカップでは3年連続で決勝に進出する。特に圧巻だったのが1993-94シーズンのチャンピオンズカップの決勝で、当時「ドリームチーム」と称されたヨハン・クライフ率いるFCバルセロナを相手に4-0で大勝し、世界中を震撼させる圧倒的な強さを見つけて通算5回目のビッグイヤーを獲得する。また、このシーズンのセリエAでは929分無失点という当時のリーグ記録を樹立している。1995-96シーズンには、ロベルト・バッジョ、ジョージ・ウェア、サヴィチェビッチの3トップが話題となる。この3トップは機能しなかったものの、ウェアの活躍によってスクデットを獲得。しかしこの年は黄金期の終焉を予見させるものでもあった。
1990年代後半に入ると、スペクタクルなサッカーを熱望するベルルスコーニ会長が大型補強を敢行したことでチームバランスが崩れ、バレージらベテラン勢の衰えが顕著になったこともあり2シーズン連続で二桁順位で終わるほどチームは低迷してしまう。1998-99シーズンはウディネーゼを躍進させたアルベルト・ザッケローニを監督に就任。ウディネーゼから連れてきたオリバー・ビアホフの活躍とマルディーニ、ズヴォニミール・ボバンら黄金期を知る主力の奮闘により就任1年目でスクデットを獲得するが、その後は3シーズン連続で無冠に終わる。
2001-02シーズン途中に低迷するチームの再建を託され、クラブOBのカルロ・アンチェロッティが監督に就任。就任2年目となった2002-03シーズンには、アンドレア・ピルロをレジスタに置いた戦術を採用すると、これが機能。UEFAチャンピオンズリーグでは、決勝でユヴェントスとの同国対決をPK戦の末に制し、9年ぶりに欧州王者となる。2003-04シーズンは、夏に加入した21歳のカカが攻撃の中心となり、アンドリー・シェフチェンコが24ゴールを挙げる活躍を見せたことで5シーズンぶりにスクデットを獲得。低迷期からの脱出に成功する。
2004-05シーズンもCL決勝まで進出するが、イスタンブールで開催されたリヴァプールとの決勝では、前半に主将マルディーニのゴールもあって3点をリードするが、後半にスティーブン・ジェラードを中心とするリヴァプールの逆襲に耐えられず、最後はPK戦で敗れる歴史に残る大逆転負けを喫している(イスタンブールの悲劇)。しかし、2年後の2006-07シーズンのCLではカカが大車輪の活躍を見せたことで決勝まで勝ち上がり、再びリヴァプールと対戦することになる。この試合でフィリッポ・インザーギが2ゴールの活躍を見せ、2年前のリベンジに成功し、通算7度目のビッグイヤーを獲得。2008-09シーズンを最後にアンチェロッティは退任し、長年チームの顔だったレジェンドのマルディーニが現役を引退。さらには、チームを牽引してきたカカがレアル・マドリードに移籍する。
2010-11シーズンにマッシミリアーノ・アッレグリが監督に就任。夏にバルセロナから獲得したズラタン・イブラヒモビッチが大車輪の活躍を見せ、7シーズンぶりのスクデットを獲得する。しかし、この頃からチームは深刻な財政難に見舞われるようになり、急激に悪化した財政事情の立て直しとFFP導入にともなう財政対策のため、イブラヒモビッチとチアゴ・シウバをパリ・サンジェルマンに売却。加えて、アンチェロッティ時代を支えたピルロらベテラン勢を一斉に放出。しかし、急速な世代交代の必要性を迫られたことでチームは失速してしまう。
2013年以降は、クラレンス・セードルフ、フィリッポ・インザーギといったクラブのOBが次々と監督に就任するが、限られた補強予算しかないチームの指揮を執るには監督経験が少なく、いずれも短命に終わってしまう。この頃、日本代表の本田圭佑が所属するが、スクデット争いどころかCL出場権獲得にも届かない中位に終わるシーズンが続くようになる。2017年4月にクラブの株式を全て中国資本へ売却したことで、30年間オーナーを務めてきたベルルスコーニはクラブから撤退することになる。
莫大な資金を得たクラブは2017-18シーズンの移籍市場において大型補強を展開するが、中国系資本のオーナーが債務不履行に陥ったために損益分岐点の必要条件を満たさないとされ、FFP違反で来季UEFAヨーロッパリーグの出場権を剥奪される事態となり、わずか1シーズンでその後、アメリカのヘッジファンドであるエリオット・マネジメントがミランの新オーナーとなることが発表される。パオロ・マルディーニ、ズボニミール・ボバンといったクラブのレジェンドがフロントに入閣し、2019年10月にステファノ・ピオリが監督に就任する。さらに、2020年1月にイブラヒモビッチが9年ぶりにチームに復帰。経営側との対立でボバンがチームを去るが、カリスマ性のあるイブラヒモビッチの復帰によってチームは上昇気流に乗り始める。ラファエル・レオンやサンドロ・トナーリといった新世代も台頭するようになり、2021-22シーズンには実に11シーズンぶりのタイトルとなるスクデットを獲得。長かった低迷期からようやく脱出する。
2022年6月1日、アメリカの投資会社『レッドバード・キャピタル』がクラブ買収に合意したことを発表。2022-23シーズンのセリエAでは怪我人が続出したこともあって早々と優勝戦線から離脱。一方、CLでは準々決勝でナポリとの同国対決を制し、16シーズンぶりのベスト4入りを果たす。準決勝はインテルとのミラノ・ダービーが実現するが、ラファエル・レオンの負傷欠場が響いて敗退。シーズン終了後、イブラヒモビッチが現役を引退。さらにTDのパオロ・マルディーニが電撃退任となる。2023-24シーズンは負傷者の続出に苦しみながらも2位でシーズンを終えるが、宿敵インテルの独走を許したうえに、ミラノ・ダービーでの優勝決定という屈辱を味わう。シーズン終了後、ピオリ監督が退任。
タイトル
国内タイトル
- セリエA 19回
1901, 1906, 1907, 1950-51, 1954-55, 1956-57, 1958-59, 1961-62, 1967-68, 1978-79, 1987-88, 1991-92, 1992-93, 1993-94, 1995-96, 1998-99, 2003-04, 2010-11, 2021-22 - セリエB 2回
1980-81, 1982-83 - コッパ・イタリア 5回
1966-67, 1971-72, 1972-73, 1976-77, 2002-03 - スーペルコッパ・イタリアーナ 7回
1988, 1992, 1993, 1994, 2004, 2011, 2016
国際タイトル
- UEFAチャンピオンズカップ / UEFAチャンピオンズリーグ 7回
1962-63, 1968-69, 1988-89, 1989-90, 1993-94, 2002-03, 2006-07 - UEFAカップウィナーズカップ 2回
1967-68, 1972-73 - UEFAスーパーカップ 5回
1989, 1990, 1994, 2003, 2007 - FIFAクラブワールドカップ 1回
2007 - インターコンチネンタルカップ / トヨタカップ 3回
1969, 1989, 1990
現所属選手
背番号 | Pos. | 国籍 | 選手名 | 生年月日 | 加入年 | 前所属 |
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- | 監督 | パウロ・フォンセカ | 1973.3.5 | 2024 | リール | |
2 | DF | ダヴィデ・カラブリア(C) | 1996.12.6 | 2014 | ミランユース | |
4 | MF | イスマエル・ベナセル | 1997.12.1 | 2019 | エンポリ | |
7 | DF | アルバロ・モラタ | 1992.10.23 | 2024 | アトレティコ・マドリード | |
8 | MF | ルーベン・ロフタス=チーク | 1996.1.23 | 2023 | チェルシーFC | |
9 | FW | ルカ・ヨヴィッチ | 1997.12.23 | 2023 | フィオレンティーナ | |
10 | FW | ラファエル・レオン | 1999.6.10 | 2019 | リール | |
11 | FW | クリスチャン・プリシッチ | 1998.9.18 | 2023 | チェルシー | |
14 | MF | タイアニ・ラインデルス | 1998.7.29 | 2023 | AZ | |
16 | GK | マイク・メニャン | 1995.7.3 | 2021 | リール | |
17 | FW | ノア・オカフォー | 2000.5.24 | 2023 | ザルツブルク | |
18 | FW | ケヴィン・ゼロリ | 2005.1.11 | 2023 | ミランユース | |
19 | DF | テオ・エルナンデス | 1997.10.6 | 2019 | レアル・マドリード | |
20 | DF | アレックス・ヒメネス | 2005.5.8 | 2023 | レアル・マドリードB | |
21 | FW | サムエル・チュクウェゼ | 1999.5.22 | 2023 | ビジャレアル | |
22 | DF | エメルソン・ロイヤル | 1999.1.14 | 2024 | トッテナム | |
23 | DF | フィカヨ・トモリ | 1997.12.19 | 2021 | チェルシー | |
25 | GK | ノア・ラヴェイル ※ | 2005.6.22 | 2024 | ミランユース | |
28 | DF | マリック・チャウ | 2001.8.8 | 2022 | シャルケ | |
29 | MF | ユスフ・フォファナ | 1999.1.10 | 2024 | ASモナコ | |
31 | DF | ストラヒニャ・パヴロヴィッチ | 2001.5.24 | 2024 | ザルツブルク | |
33 | DF | ダヴィデ・バルテサーギ ※ | 2005.12.29 | 2023 | ミランユース | |
38 | DF | フィリッポ・テラッチャーノ | 2003.2.8 | 2024 | エラス・ヴェローナ | |
42 | DF | アレッサンドロ・フロレンツィ | 1991.3.11 | 2021 | パリ・サンジェルマン | |
46 | DF | マッテオ・ガッビア | 1999.10.21 | 2017 | ビジャレアル | |
57 | GK | マルコ・スポルティエッロ | 1992.5.10 | 2023 | アタランタ | |
69 | GK | ラポ・ナヴァ ※ | 2004.1.22 | 2023 | ミランユース | |
73 | FW | フランチェスコ・カマルダ ※ | 2008.3.10 | 2023 | ミランユース | |
80 | MF | ユスヌ・ムサ | 2002.11.29 | 2023 | バレンシア | |
90 | FW | タミー・エイブラハム | 1997.10.2 | 2024 | ASローマ | |
91 | MF | ウーゴ・クエンカ | 2005.1.8 | 2024 | ミランユース | |
96 | GK | ロレンツォ・トリアーニ | 2005.1.31 | 2024 | ミランユース |
※はプリマヴェーラ所属選手。
永久欠番
- 3 パオロ・マルディーニ
- 6 フランコ・バレージ
過去に所属した主な選手
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歴代監督
- ハーバート・キルピン(1899 - 1906)
- ダニエレ・アンジェローニ(1906 - 1907)
- ジャンニーノ・カンペリオ(1908 - 1912)
- チェザーレ・スタビリーニ(1913 - 1915)
- グイド・モダ(1915 - 1921)
- フェルディ・オッペンハイム(1922 - 1924)
- ヴィットリオ・ポッツオ(1924 - 1926)
- グイド・モダ(1926)
- ハーバート・バージェス(1926 - 1928)
- エンゲルバート・ケーニッヒ(1928 - 1931)
- ヨージェフ・バーナーシュ(1931 - 1933)
- ヨージェフ・ヴィオラ(1933 - 1934)
- アドルフォ・バロンチェーリ(1935 - 1937)
- ヨージェフ・バーナーシュ(1937 - 1941)
- マリオ・マグノッティ(1941 - 1943)
- ジュゼッペ・サンタゴスティーノ(1943 - 1945)
- アドルフォ・バロンチェーリ(1945 - 1946)
- ジュゼッペ・ビゴーノ(1946-1949)
- ラヨシュ・ツェイズレル(1949-1952)
- ベーラ・グットマン(1953 - 1955)
- エクトル・プリチェッリ(1955 - 1956)
- ジュゼッペ・ヴィアーニ(1956 - 1958)
- ルイジ・ボニッツォーニ(1958 - 1960)
- パオロ・トデスキーニ(1960 - 1961)
- ネレオ・ロッコ(1961 - 1963)
- ルイス・カルニグリア(1963 - 1964)
- ニルス・リードホルム(1964 - 1966)
- アルトゥーロ・シルベストリ(1966 - 1967)
- ネレオ・ロッコ(1967 - 1972)
- チェーザレ・マルディーニ(1973 - 1974)
- ジョバンニ・トラパットーニ(1974)
- グスタボ・ジアニョーニ(1974 - 1975)
- ジョバンニ・トラパットーニ(1975 - 1976)
- ジュゼッペ・マルキオーロ(1976 - 1977)
- ネレオ・ロッコ(1977)
- ニルス・リードホルム(1977 - 1979)
- マッシモ・ジャコミーニ(1979 - 1981)
- ルイージ・ラディーチェ(1981 - 1982)
- エリオ・ガルビアーティ(1982)
- イラーリオ・カスタニェール(1982-1984)
- エリオ・ガルビアーティ(1984)
- ニルス・リードホルム(1984-1987)
- ファビオ・カペッロ(1987)
- アリーゴ・サッキ(1987 - 1991)
- ファビオ・カペッロ(1991-1996)
- オスカル・タバレス(1996)
- アリーゴ・サッキ(1996 - 1997)
- ファビオ・カペッロ(1997 - 1998)
- アルベルト・ザッケローニ(1998 - 2001)
- チェーザレ・マルディーニ(2001)
- ファティ・テリム(2001)
- カルロ・アンチェロッティ(2001 - 2009)
- レオナルド(2009 - 2010)
- マッシミリアーノ・アッレグリ(2010 - 2014)
- クラレンス・セードルフ(2014)
- フィリッポ・インザーギ(2014 - 2015)
- シニサ・ミハイロビッチ(2015 - 2016)
- クリスティアン・ブロッキ(2016)
- ヴィンチェンツォ・モンテッラ(2016 - 2017)
- ジェンナーロ・ガットゥーゾ(2017 - 2019)
- マルコ・ジャンパオロ(2019)
- ステファノ・ピオリ(2019 - 2024)
- パウロ・フォンセカ(2024 - )
関連動画
関連静画
関連項目
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