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マイネルダビテ
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マイネルダビテ(Meiner David)とは、1984年5月3日生まれの日本競走馬である。青鹿毛

JRA重賞勝利としての最高齢記録を有する、岡田スタッドの「救世主」。

な勝ち
1987年共同通信杯4歳ステークス(GⅢ)

概要

*デュール、ニホンピロチャイナ*チャイナロックという血統。

*デュールは当時は普通に見かけたセントサイモン直系の米国で、重賞含めて39戦9勝。ビンゴガルー、ヒカリデユールと2頭の八大競走勝ちを輩出している。26歳で死亡したが、マイネルダビテは22歳の時の種付けで生まれた産駒である。

ニホンピロチャイナは36戦3勝、内地方では1勝。小岩井農場の輸入した基礎繁殖牝馬*ビューチフルドリーマー、*フロリースカツプなど20頭のうちの1頭、*エナモールドを祖先に持つが、*エナモールドは直の持ち込みコイこそ有名なもののあんまり重賞を輩出せず、令和にはほとんど見かけない牝系となっている。

*チャイナロック英国で25戦7勝。ハイセイコーなどを輩出し、日本リーディングサイアーとなったこともある。諸々のエピソードにより性綽名されるほどで当時としてはしいことに100頭以上に種付けする年もあり、20代後半まで種付けを続け29歳で亡くなった。

生産は村田牧場父親から牧場を引き継いで数年の岡田牧雄が、同牧場に別の評判のを見に行った代わりにを付けたのがこのだったとのことで、実績微妙なことから勧め難いと言われながらも300万で購入したという。

当初は「マイネダビデ」と名付ける予定であったが、占い師に濁点が3つ続くのは縁起が良くないと言われて「マイネルダビテ」という名前で申請された。なお、岡田繁幸が運営するクラブラフィアンは「マイネル」を冠名に使っていたが、岡田牧雄は特に冠名を用いていない。

戦績

2歳〈旧3歳〉(1986年)

岡田牧雄とカリフォルニア競馬場で出会って以来しく、後にメーヴェなども預かっている美栗田の厩舎に入厩。

8月中舘英二上で芝1200mの3歳新に出走。5番人気に支持されて番手に付けたが4着。

に再び芝1200mの3歳新に出走すると今度は単勝12.3倍の4番人気に支持され、先頭に立って上がり最速を出し、1馬身半差以上付けてレコード勝利

9月には函館3歳ステークス(GⅢ)に出走して3番人気に支持され、番手に付けてホクトヘリオスには1馬身差以上付けられたものの2着。因みに1番人気に支持された後の二冠牝馬マックスビューティが4着。

3歳〈旧4歳〉(1987年)

3歳初戦は1月京成杯(GⅢ)田原成貴上で臨んだレースでは体重が前走より46kg増加した480kgということもあってか5番人気となったが、末脚を見せてスーパーファントムとアタマ差の2着。賞金1100万円を獲得した。

続く2月共同通信杯4歳ステークス(GⅢ)では単勝1.7倍の1番人気に支持されると、番手に付けて最後までり、スズバンに半馬身差付けて重賞初制覇となった。賞金も3000万円獲得した。

何故賞金がここで重要になるかというと……実は当時、岡田牧雄の経営する岡田スタッドは繁殖牝馬の3分の2以上が肺炎ウイルスで流産となり、収入の見通しが立たなくなっていたのである。この賞金により何とか危機を乗り越えてあるのが今の岡田スタッドだという。

3月弥生賞(GⅡ)では2番人気に支持されて番手に付けたものの、1着は後の二冠馬6番人気サクラスターオー、クビ差の2着は逃げた4番人気ビュウーコウ、そこから更にクビ差の3着。因みに4着は3馬身半後ろのホクトヘリオスであった。なお、賞金も880万円獲得している。

4月には皐月賞(GI)に出走し、単勝8.6倍の3番人気に支持されたが、ここは先行したもののハイペースで先行には厳しくサクラスターオーの17着に終わった。

5月には大崎昭一上で東京優駿(GI)に出走したが、ここは12番人気で先行して24頭立ての22着に終わった。因みにデビュー前に岡田牧雄がマイネルダビテに、岡田繁幸がコスモダビンチに、ヤマニン冠で知られる錦牧場土井がヤマニンアーデンにそれぞれ騎乗して「仮想ダービー」という遊びを行ったことがあったが、この3頭はすべて実際のダービーに出走することができた。コスモダビンチ12着、ヤマニンアーデン16着、マイネルダビテは22着ではあったが。

9月にはUHB杯(OP)に1番人気に支持されて出走したが、 柴田政人上で先行してケープポイントの4着に終わった。因みに5着は同年のオークス2着で後のゴーカイユウフヨウホウユウミロク。

11月には増沢末夫上で福島民友カップ(OP)に出走し、不良馬場の中で単勝2.3倍の1番人気に応えて逃げて2馬身半差の勝利

4歳〈旧5歳〉(1988年)

4歳初戦は6月福島競馬場開設70周年記念(OP)に出走したが、蛯沢上で7番人気7着。

7月七夕賞(GⅢ)は5番人気で番手に付けて10着。

吾妻小富士賞(OP)は2番人気に支持され、先行して3着。

8月新潟記念(GⅢ)は7番人気で先行して7着。

10月毎日王冠(GⅡ)は9番人気逃げオグリキャップの8着。なお、このレースは「ウマ娘 シンデレラグレイ」に登場しており、レース内でもマイネルダビテに相当する「メシアオブマイン」というウマ娘がしっかり登場している。あと、シリウスシンボリが発走前にレジェンドテイオーダイナアクトレスを蹴ってしまったレースとしても知られている。

11月には福島民友カップ(OP)に単勝3.0倍の2番人気で出走。増沢上で逃げて上がり最速タイを出し、スピードヒーローに1馬身以上差を付けて同競走連覇。

12月には安田富男上でダービー卿チャレンジトロフィー(GⅢ)に出走したが、6番人気で10着。

5歳〈旧6歳〉(1989年)

5歳初戦は昭和64年1月5日に蛯沢上で金杯(東)(GIII)に出走したが、9番人気13着。同7日に予定されていた競走は喪のため中止となったためこれが昭和最後の開催日であった。

平成元年1月29日蛯名信広上で関門橋ステークス(OP)に出走したが、4番人気8着。

2月には小倉大賞典(GⅢ)に出走したが、14番人気11着。

3月には中上で中山記念(GII)に出走したが、11番人気11着。

9月にはオータムスプリンステークス(OP)に藤原上で出走し、12番人気で後方から上がり最速を出して4着。

10月毎日王冠(GⅡ)菅原泰夫上で6番人気となり、オグリキャップの最下位8着。

3連覇がかかる11月福島民友カップ(OP)は藤田上で2番人気に支持されたが、結果は8着。

最終的にこのレースを最後に出走せず引退となった。

引退後

オファーもあり、性格的にも向いていると検討したようだが、乗の訓練を新たに受けさせるのもびないと考えた岡田は功労として岡田スタッドで繋養することに決定した。

悩み事がある時には「相談」をするなど岡田に大切に扱われたマイネルダビテは、元号令和に変わった2019年8月15日に35歳3ヶ11日という三冠馬シンザンJRA重賞勝ちの最長寿記録を塗り替え、最終的に36歳8ヶ27日となった2021年1月30日の放牧中に転倒し息を引き取った。これにより当時存命のJRA重賞最高齢はナイスネイチャとなった。

岡田運営するクラブであるノルマンディーが輩出した、前年に誕生した三冠デアリングタクトべても圧倒的に思い入れがあると岡田に言わしめたマイネルダビテ。その墓は岡田スタッドを今日も見守っていることだろう。

血統表

*デュール
1961 黒鹿毛
Round Table
1954 鹿毛
Princequillo Prince Rose
Cosquilla
Knights Daughter Sir Cosmo
Feola
Lea Moon
1955 黒鹿毛
Nasrullah Nearco
Mumtaz Begum
Lea Lark Bull Lea
Colosseum
ニホンピロチャイナ
1969 栗毛
FNo.2-h
*チャイナロック
1953 栃栗毛
Rockefella Hyperion
Rockfel
May Wong Rustom Pasha
Wezzan
ワカクサ
1956 栗毛
トシシロ *ダイオライト
月城
豊俊 *セフト
第三イーグルイン
競走馬の4代血統表

クロスFriar Marcus 5×5(6.25)

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