伊370とは、大東亜戦争中に大日本帝國海軍が建造・運用した潜丁型/伊361型潜水艦10番艦である。1944年9月4日竣工。本来の任務である輸送には一度も就く事無く回天母艦に改装され、硫黄島に襲来したアメリカ軍の迎撃に向かうも、1945年2月26日に米駆逐艦フィネガンの対潜攻撃を受けて撃沈された。
概要
開戦前の1941年初頭、艦政本部は第一次世界大戦のドイツで計画されていた潜水商船ドイッチュラントを参考にし、潜水艦で兵員及び物資の輸送を行う構想を提案していたが、作戦部が興味を示さなかったためこの時は自然消滅した。
本格的に計画が始動し始めたのはミッドウェー海戦後の1942年8月24日で、きっかけは軍令部が離島への奇襲上陸を想定した潜水艦の開発を艦政本部に打診した事だった。既にドイッチュラントを研究していた艦政本部は「すぐに作れる」と快諾し、海軍大臣の承認を得て、10月21日に改マル五計画に加えられて同予算で建造される事が決定。
上陸用舟艇2隻と兵器82トンの輸送能力を保有し、兵員110名を搭載できる事をコンセプトに建造を開始したが、ガダルカナル島争奪戦における潜水艦輸送の戦訓と戦況の悪化により、物資輸送のみに限定した設計に変更。艦前部に物資用の倉庫を設けた事で物資145トン(艦内120トン/艦外25トン)を積載可能、また上甲板に繋がる電動ベルトコンベアを装備して搬出を容易なものにしている他、主機や電動機は既製品を用いて工期を短縮。連合軍のレーダー装置発達と警戒厳重な沿岸部への揚陸を考慮して艦橋側面にはV字の傾斜が付けられた。これは敵のレーダー波を海面に跳ね返す意図があった。水中航続力増加の要望を受けて電池を増設し、最長40時間という日本潜水艦最優の潜航時間を獲得。
また竣工時からシュノーケル、22号水上電探、E-27電波探知機を有しており極めて先進的な艦と言えた。
伊370は一度も輸送任務には参加せず回天母艦に改装。そして回天特別攻撃隊「千早隊」の一員として硫黄島近海に出撃し、米護衛駆逐艦フィネガンとの交戦の末に撃沈された。「千早隊」最初の、そして回天母艦に改装された潜丁型最初の喪失艦となる。
要目は排水量1440トン、全長73.5m、全幅7.05m、速力13ノット(水上)/6.5ノット(水中)、安全潜航深度75m、乗員55名。兵装は艦首魚雷発射管2門、魚雷2本、14cm単装砲1門、九六式25mm単装機銃2丁。
艦歴
1942年9月に策定された改マル五計画において丁型一等潜水艦第5470号艦の仮称で建造が決定。1943年12月4日に三菱重工神戸造船所で起工、1944年5月26日に進水し、同年9月4日に竣工を果たした。佐世保鎮守府に編入されるとともに訓練部隊の第6艦隊第11潜水戦隊へ編入。艦長には藤川進大尉が着任する。
9月4日に竣工した伊370は当日中に神戸を出港して伊予灘に回航、第11潜水戦隊の指導を受けながら慣熟訓練に従事、9月19日から29日にかけて呉で整備を受ける。10月2日、第6艦隊より「揚塔訓練終了後の10月25日から諸工事に着手する」との通達があり、10月17日、第11潜水戦隊に伊370と伊368に対する物糧揚陸訓練実施要領が伝達され、潜丁型には欠かせない物資揚陸訓練を行う。それが終わると10月20日に呉へ入港して工事を開始する。
10月28日21時5分、伊368ともども第1潜水部隊へ編入されるも、11月4日に横須賀を拠点とする第7潜水戦隊に転属。第7潜水戦隊には姉妹艦が属しており、いよいよ輸送任務に投じられるかに見えた。
先の「あ」号作戦では参加した潜水艦36隻中20隻を喪失、レイテ沖海戦では13隻中6隻を失った上、数々の被害防止対策も実を結ばず、潜水艦戦は行き詰まりとなりつつあった。そこで打開策として回天を用いた特攻作戦が推進されるようになり、9月上旬より母艦に適した大型潜水艦の改装工事を逐次開始。未だ輸送任務に就いていなかった伊370と伊368は十分な搭載能力を見込まれて回天母艦に指定。潜丁型で最初に改装される運びとなった。
伊370に乗艦する回天搭乗員の割り当ては、光基地が開設する前から決まっていたらしく、先任搭乗員は10月30日に大迫から大津島に着任した、海軍機関学校54期生の岡山至少尉に決定。本来であれば先輩が先に出撃するのが通例なのだが、後輩が先に出撃する格好となった橋口寛大大尉はこの人選に激怒。「後輩が俺より先に出撃する!」と顔を真っ赤にして叫んだという。
11月25日、光海軍工廠の東南部にある水雷部、魚雷調整工場、工員養成所を回天基地に転用した光基地が開設。ここには魚雷揚収用のクレーンで回天の積み下ろしが可能だった。そして12月1日より回天の訓練が始まった。冬のある日、海上が猛烈に荒れている中、岡山少尉の回天が発進後針路を誤り、追躡艇が放った発音弾信号も間に合わず海中より突出している岩に正面衝突。回天は停止して波間を浮き沈みしている。これを見ていた追躡艇指揮官の河合不死男大尉は、即座に服を脱ぎ捨てて綱を体に巻きつけ、凍死を覚悟の上で荒れた海に飛び込み、見事岡山少尉を助け出した。
1945年1月初旬、呉工廠にて14cm単装砲と大発動艇を撤去し、前後甲板合わせて回天5基分の搭載設備を設置。工事と並行して22号水上電探も装備された。工事完了後は山口県の光基地へ回航。金剛隊が出撃した後、続いてフィリピン周辺の敵艦船を攻撃する作戦計画に則って整備・訓練に従事する。1月10日から15日間、伊368とともに瀬戸内海西部にて曳航目標に対する模擬回天攻撃を実施。
2月初旬、伊370、伊368、伊44は大津島への回航を命じられ、回天の訓練を行うよう命令を受けた。
2月16日、米機動部隊は四波に渡って延べ約1000機、翌17日には延べ約500機で各地の飛行場や工場を空襲。抵抗を排した米機動部隊は南下して今度は硫黄島を空襲するとともに、米水上艦艇が2月18日まで昼夜を問わない艦砲射撃を加えた。この時、第6艦隊が保有する潜水艦は第1潜水部隊(伊400、伊401、伊13)が訓練中、第15潜水隊が第二次玄作戦を終えて次期回天作戦準備中、伊8が整備中、第34潜水隊は作戦中及び整備中と、直ちに出撃出来るのは伊370、伊368、伊44、呂43の僅か4隻に過ぎなかった。既に水上艦艇はレイテ沖海戦の大敗と燃料不足で戦力となりえず、反撃の主戦力は基地航空部隊と潜水艦に限られていたのである。
そして2月19日、本土空襲の足掛かりにすべく、アメリカ軍は450隻を超える艦艇に支援された第3、第4、第5海兵師団を硫黄島へと上陸。これを受けて連合艦隊は先遣部隊電令作第36号を発令。第6艦隊司令の三輪茂義中将は伊370、伊368、伊44の3隻で回天特別攻撃隊「千早隊」を編成し、硫黄島方面への出撃命令を下す。楠正成の居城たる千早城が由来となっており孤軍大敵に背水の戦いを挑む3隻に相応しい名前であった。同日夜、回天搭乗員の市川尊継少尉は家族に宛てた遺書をしたためた。そして光基地にて回天5基をクレーン船を使って積み込み、搭乗員の岡山至少尉、市川尊継少尉、田中二郎少尉、浦佐登一二等飛行兵曹、熊田孝一二等飛行兵曹が乗艦する。
2月21日早朝、千早隊の面々は光基地で出陣式を行い、彼らには壮途を祝す鯉のぼりの下で鉢巻きが授与された。それが終わると伊370は光基地を出撃。増速する伊370の後甲板で搭乗員が軍刀を振って、総員帽振れの見送りに応えている様子が写真に収められている。豊後水道を通って太平洋へと進出した伊370は目標地点に向けて勇躍南下、硫黄島近海で、2月26日黎明に回天の攻撃を実施する予定だったが、出撃後は一切の連絡が途絶した。
最期
1945年2月26日未明、伊370は硫黄島・サイパン間の敵海上交通路にて、硫黄島への揚陸を終えてサイパンに帰る輸送船9隻を狙って浮上。回天を発射する準備をしていた。しかし午前4時45分、護衛駆逐艦フィネガンのレーダーが、硫黄島南方にて右舷前方16kmの地点にいる伊370を捕捉。移動する光点を注意深く観察したところ速力5ノットで針路50度方向に向かっていると推定された。迎撃命令を受けたフィネガンは船団護衛から離れ、速力を上げながら光点の方向へと突撃。
午前5時20分、彼我の距離が6100mまで縮まった瞬間、その光点がレーダーから消えた。敵艦の接近を察知した伊370が急速潜航したのである。10分後、伊370が潜航した海域に到着したフィネガンはソナー探知を開始。午前5時42分に反応を掴み、速力を10ノットに落としつつ、午前5時59分に対潜迫撃砲ヘッジホッグ24発を前方に一斉投射するが、伊370に回避される。続いてフィネガンは午前6時4分に2回目、14分に3回目、37分に4回目、55分に5回目の投射を行ったが全て外れた。
度重なるヘッジホッグ攻撃が命中しないためフィネガンは「潜水艦がかなり深く潜航している」と判断。午前7時13分、深々度で起爆するよう設定した爆雷13個を投下するも、これまた手応えが無かった。伊370は攻撃が止まっている時は小さく針路を変え、攻撃の間は浮上と潜航を繰り返す激しい運動を行っており、この巧みな回避運動が対潜攻撃の命中率を著しく下げていたのだ。実際潜水艦の水深が変わるたびに爆雷の起爆深度をいちいち変えなければならない。午前8時24分に行われた6回目のヘッジホッグ攻撃も空振りに終わらせた。
しかし午前9時、フィネガンが一斉投下した爆雷が遂に伊370の命脈を断つ。4分51秒後、深々度でくぐもった爆発が起こり、大量の気泡が浮かび上がった後、海中で小さな爆発音を聴音。ソナーには色々な音響が入ってきたがやがて何も聞こえなくなった。午前9時8分、海面に大量の重油と残骸が浮かんでいるのが確認される。同日夕刻、護衛空母ツラギから援護に現れたアヴェンジャー雷撃機がソノブイを投下して海中の様子を探るも、何も探知されずに終わった。最終的に油膜は7.4km×3.7kmの広範囲に渡って広がったという。乗組員79名と回天搭乗員5名全員死亡。千早隊の中で、そして回天母艦に改装された潜丁型の中で最初に失われた艦となる。
翌日の2月27日には伊368も撃沈され、アメリカ軍の対潜警戒がより厳重になってしまったため、伊44は回天発射の機会を失ってそのまま帰投を強いられている。
3月2日、第6艦隊司令部は状況報告を命じるも応答は無く、3月6日に作戦を中止して呉帰投を命じたがこれにも応答が無かった。司令部の戦闘詳報には「昭和20年2月26日、硫黄島攻略部隊敵有力艦船を同島付近に奇襲し、回天の体当たり攻撃を以って多大な戦果を収め、作戦に寄与するところ極めて大なり。その武勲顕著なりと認む」と記載された。
余談
漫画版『出口のない海』では、主人公が乗る回天母艦が伊370になっている(原作や映画版では伊36)。また、青島文化教材社とハセガワから模型が発売されており、潜丁型で模型化を果たしたのは伊361、伊365、伊370の3隻のみ。
ハワイのボウフィン潜水艦博物館では出撃時の伊370の写真が説明文とともに展示されている。
関連項目
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