日産・スカイライン(SKYLINE)は日産自動車が製造・販売している乗用車である。前身はプリンス自動車が製造をしていたプリンス・スカイライン。
概要
1957年に富士精密工業(プリンス自動車工業)の主力車種として生産を開始。1966年にプリンスが日産自動車と合併した後も車名が引き継がれ、長期に渡って生産されてきた。
車名は「山並みと青空を区切る稜線」に由来する。2007年3月21日、名付け親の桜井眞一朗がこの名を思いついた場所である群馬県草津町の山小屋「芳ヶ平ヒュッテ」に、生産50周年を記念して「スカイライン命名の地」のプレートが設置される。
スカイラインは2013年9月に13代目(V37)が登場し、日本では2014年2月に発売された。
2代目であるS5から10代目であるR34までは、日産のモータースポーツにおけるフラグシップモデルとしても使われ、特に3代目C10(ハコスカ)で初めてラインナップされたGT-Rは、レースに勝つことを宿命づけられたトップモデルであった。4代目で途絶え、6代目では鉄仮面のRSターボが代わりに登場したが、8代目R32から復活した。
しかし、11代目になるV35からは一転、スポーティさを兼ね備えた高級セダンとなった。それまで速さに憧れていたユーザーからは「スカイラインではない」と批判を受けた。主な理由としてV35型は本来、インフィニティブランド用に開発されていたまったく別の新型セダンを、急遽スカイラインとして発売することになったものであるため[1]というのが挙げられる。後継のV36では再び「スカイラインらしさ」を念頭に置いて開発が行われたが、その意味ではV35は歴代のスカイラインの中でも異質なモデルである。
インフィニティブランドとしては、V35とV36はインフィニティ・Gとして、V37からは2013年に発表されたインフィニティの新ネーミング戦略により、Q+グレードを表す二桁の数字[2]の命名規則に基づき、インフィニティ・Q50として発売された。
一方で従来のスポーツモデルとしての意匠は、「日産・GT-R」 として独立した。
ラインナップは4ドアセダンと2ドアクーペがあるが、過去には5ドアハッチバックやステーションワゴンもラインアップされていた[3]。5ドアハッチバックヒッチバックやライトバン(エステート)もラインアップに存在した時期もある[4]。なお12代目クーペは2007年10月に発売された。
かつての最大の競合車種はトヨタ・マークII(現マークX)、チェイサー、クレスタであった。過去に姉妹車として、同じ村山工場で生産されていたローレルとセフィーロもあった。
2021年7月には、「日産がスカイラインを含むセダンの新型車開発を中止する」という情報が流れ、ファンやユーザーが色めき立つ事態となった。しかし、星野朝子副社長が自ら「スカイラインは諦めない」という発言をし、噂を完全否定。事態は収束することになった。
長野県岡谷市には、単一車種の博物館としては異例ともいえる「プリンス&スカイラインミュウジアム」がある。
歴代モデル
初代 ALSI(1957~1963年)
初代モデル。当時の小型乗用車規格1500cc(2021年現在は2000cc)に合わせて設計された。足回りは前輪がダブルウィッシュボーン式独立サスペンション。後輪は半独立式のド・ディオンアクスルだった。1958年には、排気量を拡大した試作車「スカイライン1900」を全日本自動車ショウ(現・東京モーターショー)に出品。これは、「グロリア」という別車種に派生するが、試作車は上皇明仁様(当時皇太子)のご愛車となり、実際にハンドルを握られた事がある。
1961年には「スカイライン」も1900ccモデルが登場した。
1962年にはイタリアのカロッツェリア(ボディ職人)ミケロッティにデザインさせたオープンモデル「スカイライン・スポーツ」が派生車種として追加。これは日本初のスペシャルティカーと言われる。しかし、ハンドメイドに近いボディは高価になってしまい、60台ほどの生産に終わる。無論、現代では残ったタマは超お宝車と化している。
二代目 S50(1963~1968年)
1900ccの上級車クラスの市場は「グロリア」が担うことになったため、二代目S50は再び1500ccの小型ファミリーセダンとして開発された。足回りは前輪がダブルウィッシュボーン式サスペンションなのは変わらないが、後輪はより簡略なリーフスプリングによるリジッドサスペンションとなっていた。
当時盛んになりつつあったモータースポーツ参戦の機運の中で、プリンス自動車はなんとしてもレースに勝つために、この「スカイライン」に「グロリア・スーパー6」用の直列6気筒エンジンを積むことを考えた。かくして、手作業で板金してボンネット部分をストレッチしたS54「スカイラインGT」が誕生。このクルマは第2回日本グランプリGTクラスにおいて、エントリー中最強マシンであるポルシェ・904を相手に生沢徹のドライブで一旦はトップに立つなど丁々発止と戦ってみせた。
このことが大評判となり、本来モータースポーツ参戦用の100台限定だった「スカイラインGT」はわざわざストレッチボンネット用のプレス機を用意してまで量産されることになった。レース仕様と同じ3連ウェーバーキャブレターを装備し、S54Bとして販売されることになった。
ウェーバーキャブの量産が追いつかないのと、もうちょっとマイルドなクルマがほしいという需要に応える形でシングルキャブ仕様も設定され、S54A「スカイラインGT-A」となった。S54Bは「スカイラインGT-B」と呼ばれることになる。
1966年にプリンス自動車が日産自動車に吸収されたため、車名を「ニッサン・プリンス・スカイライン」に変更した。
三代目 C10(1968~1972年)
三代目のC10は「ハコスカ」とあだ名されるスクエアなボディデザインが特長。後輪のフェンダーに「サーフィンライン」と呼ばれる独特のプレスラインが走るのが目立つ。足回りは前輪がストラット式サスペンション、後輪が変わらずリーフリジッドである。
当初はやはり1500cc4気筒モデルが主力として発売され、追加で6気筒エンジンを積んだGTが販売。これは、これまでのプリンス自動車の設計したエンジンから、日産製のL型6気筒エンジンとなった。後輪の足回りもセミトレーリングアーム式となり、初めて4輪独立となった。
販売プロモーションとしては「愛のスカイライン」というキャッチコピーが作られ、好評を博した。
そして、GTをベースに旧プリンス自動車の設計陣が開発したS20型4バルブDOHCエンジンを積み込み、国内のGTレースを制覇するために「スカイラインGT-R」が誕生。詳細は当該記事に譲るが、「スカイライン」は国内きってのスポーツGTセダンというブランドイメージが確立した。
1970年にはマイナーチェンジ。2ドアハードトップが追加された。4気筒モデルも、1800ccタイプがこの前年から発売されていた。
四代目 C110(1972~1977年)
四代目のC110は、ややふっくらとしたボディラインがより余裕を感じさせるデザインとなった。ラインナップは先代から変わらず2ドアハードトップと4ドアセダン。「サーフィンライン」もやや主張が弱くなったが継続。GT系はテールランプが丸形4灯となり、これがR34まで代々受け継がれ、さらに「日産・GT-R」に継承されている。
エンジンは先代から1500ccエンジンを拡大してキャリーオーバーした1600cc4気筒エンジン。先代からそのままの1800cc4気筒エンジン。GT系のL型6気筒エンジンと基本的には変わらず。足回りも4気筒モデルは後輪がリーフリジッド、GT系がセミトレーリングアームという分け方は一緒であった。エンジンについては、モデルチェンジ当初はキャブレターだったが後にEGI(電子制御インジェクション)モデルも加わった。また、排ガス規制が進められた関係でエンジンの鋭さはやや失われていき、スポーツセダンというよりはゆったり走る本来の意味のGT(グランツーリスモ)に近い味わいのクルマへと変化していった。
S20エンジンを積むGT-Rも一応ラインナップされたが、前述の排ガス規制をクリアできなかった関係もあって僅かな生産台数に終わっている。
キャッチコピーは「ケンとメリーのスカイライン」という、「愛のスカイライン」を発展させたものとなっている。テレビCMにおいてケンとメリーという若者のカップルがスカイラインに乗って旅をするという、ややデートカー的なナンパなシチュエーションは、ハコスカの質実剛健なGTのイメージから脱却するものだった。しかしこのプロモーションは結果的に大成功となり、このC110スカイライン自体が「ケンメリ」という愛称で呼ばれるもととなった。
5代目 C210(1977~1981年)
5代目のC210はややスクエアでシャープなデザインとなり、「サーフィンライン」は一直線にシンプルなものが入るのみとなった。ボディタイプはやはり2ドアハードトップと4ドアセダンのラインナップ。先代から始まった丸形4灯テールランプが受け継がれていた。自らキャッチコピーで「日本の風土が生んだ名車」だと名乗り、「SKYLINE JAPAN」であると洒落込んだ。このことから、このC210スカイラインは「ジャパン」の愛称で呼ばれることになる。
エンジンはGT系はL型6気筒のキャブレタータイプとEGI(電子制御インジェクション)を基本とし、4気筒系は「Ti」とグレード名が変わったが、L型4気筒1600ccと1800ccなのも先代からのキャリーオーバーであった。しかし、78年8月のマイナーチェンジで、さらに排ガス規制に対応するためにツインプラグの急速燃焼方式を導入したZ型エンジンに4気筒モデルは変わっている。
79年7月にはフェイスリフトを含む大幅マイナーチェンジが有り、GT系のヘッドランプがこれまでの丸形4灯から角形2灯に変更された。しかし、これといったメカやパワー面での売りがないままの状態が続いており、ツインカムエンジンを充実させていたライバルのトヨタからはセリカのキャッチコピーで「名ばかりのGT達は、道を開ける」と煽られる破目となった。
そんな状況を変えたのは80年5月、L型6気筒にターボモデルが加わったことである。日産においては430セドリック・グロリア、910ブルーバードに続いての3車種目のターボ追加であった。これでパワーにして20psものアップを果たし、「今、スカイラインを追うものは誰か」というキャッチコピーでターボモデルを持たないトヨタにカウンターパンチを食らわした。
さらに、このターボモデルをベースにしたTVドラマ「西部警察」の特殊車両「マシンX」が登場。GTターボのイメージを大幅に上げて、「マシンX」と同じカラーのGTターボを買い求める客が殺到した。
80年6月、モデル末期ながらさらにエンジンバリエーションが充実され、ディーゼルエンジンのLD28型6気筒を搭載した「280D GT」とZ型4気筒2000ccの「Ti ES」が追加された。280D GTは当時のディーゼル乗用車としては最速を誇り、ESはGT系並の4輪独立サスペンションや4輪ディスクブレーキをおごられ、4気筒ゆえの軽快さでC210スカイラインの中でも隠れたベストハンドリングカーと評された。
6代目 R30(1981~1985年)
6代目のR30は形式名の系譜が変わり、スタイルもより直線的になって角形ヘッドランプを斜めに下げたデザインは後のR34に至るまで影響を与え続けることになる。サーフィンラインはこのモデルからは廃止された。ボディタイプはやはり2ドアハードトップと4ドアセダンを基本としながらも、あらたに5ドアハッチバックが加わった。CMのイメージキャラクターとして俳優のポール・ニューマンが起用され、「New愛のスカイライン」と呼ばれた。後期型は「ニューマン・スカイライン」と呼び名が変わり、R30全体をこの名で呼ぶファンも多い。
エンジンはGT系は先代からキャリーオーバーされたターボモデルとノンターボのEGI、ディーゼルのLD28である。4気筒のTi系はボディが完全にGT系と統一され、テールランプ形状(とショボい内装)以外に見分けるポイントは無くなった。排気量も2000ccと1800ccに絞られている。
そして、フルモデルチェンジから遅れること2ヶ月、待望のツインカム(DOHC)エンジンが追加された。しかも1気筒当たり4バルブの4気筒16バルブエンジンである。このFJ20Eエンジンを積んだモデル(DR30)は「RS」と名付けられた。つまり正式には「GT」ですらなく、GT-Rの復活を夢見るファンからはやや残念がられたが、やはりGT-Rは6気筒でなければならなかった。それでも、RSはモータースポーツユースも視野に入れた十分にスパルタンなモデルだった。「4バルブなくしてDOHCは語れない」というキャッチコピーを採用、トヨタの2バルブツインカムたちにさらなる煽りの追撃を掛けたのだった。
この当時、グループ5のシルエットフォーミュラレースで日産は市販車をイメージしたシルエットマシンを多数エントリーし、その中に赤と黒のツートンに塗られた「スカイライン・スーパーシルエット」があった。このマシンはRSシリーズとイメージが直結する結果となる。だが、当時のRSには赤と黒のツートンカラーは設定されておらず、カタログではガンメタと黒のツートンがイメージカラーとして紹介されていた。
そして、またもTVドラマ「西部警察」において特殊車両「マシンRS」が登場。これは、スーパーシルエットと同じ赤と黒のツートンを施され、「マシンX」につづいて大いに販促プロモーションとなった。ちなみに「マシンRS」の種車は本来ガンメタと黒のツートンであり、内装やトランク内側にガンメタ色が残っていた。
83年2月、ついにRSにもターボ車が登場する。パワー190psを発生し、「史上最強のスカイライン」というキャッチコピーと共に強烈なインパクトを日本の自動車界にもたらした。またこのターボRSのイメージカラーはスーパーシルエットやマシンRSと同じ赤と黒のツートンとなり、2021年の現在に至るも最人気のカラーとなっている。
さらに、「西部警察」にはこのターボRSをベースにした「マシンRS-1」「マシンRS-2」が登場。「マシンRS」も仕様を合わせてモディファイされ「マシンRS-3」となった。「スカイライン・フォーメーション」を組む大門軍団のRS3台は、まさに当時の子供達をも巻き込んで憧れの対象となった。
83年8月にはマイナーチェンジを実施。前後のフェイスリフトによって、GT系・Ti系はグリルやテールランプの小変更。RS系はグリル開口部を大幅に下げてイメージがすっかり変わり、ファンからは「鉄仮面」と呼ばれるようになった。RSには豪華グレードの「RS-X」も追加され、4速ATが選べるようになった。なお、Ti系はこれより前にエンジンをZ系から新開発のCA系に変更している。
84年2月にはターボRS系にインタークーラーが追加され、「2000ターボインタークーラーRS/RS-X」というグレードとなり「ターボC」という通称もついた。パワーは205psに達し、トヨタなどの他メーカーも巻き込んだパワー競争が本格化していくことになる。
同じ頃GT系ノンターボの上級グレード「GT-EX」の特別仕様「パサージュ」が登場した。このシートを起毛モケット調の豪華仕様にしたものは、当時台頭しつつあったトヨタのマークIIシリーズといったハイソカー系に対抗するねらいがあった。これは、次期モデルのR31のコンセプトに大きな影響をもたらすことになる。
7代目 R31(1985~1989年)
1985年8月にフルモデルチェンジした7代目は大きくコンセプトを転換した。スタイル的には先代R30のキープコンセプトだったが、商品展開が大きく変わったのである。愛称としては「7thスカイライン」の名で知られる。
まず、2ドアハードトップと5ドアハッチバックがラインナップから外れ、代わりに4ドアハードトップが加わった。グレードの体系も大きく変わり、4気筒系のグレード名「Ti」は廃止。エンジンの種類ごとに基本グレードの「GTエクセル」、ラグジュアリーグレードの「GTパサージュ」が用意された。ただし、ハイパワーエンジン系には「GTエクセル」がなく、「GTパサージュ」のみ設定の場合もあった。(CA系4気筒エンジンのモデルは「エクセル」「パサージュ」の他に廉価グレードの「G」も設定されていた)
エンジンはこれまでのL型エンジンに代わり、新開発のRB型直列6気筒エンジンとなった。最強版はDOHC24バルブにターボの組み合わせとなる210psのRB20DETである。これによって、目下の最上級グレードは「4ドアハードトップ GTパサージュ ツインカム24Vターボ」というなんだか長ったらしい呼び名となる。最大の売りは6気筒4バルブDOHCエンジンというまさにS20エンジンの再来というべき構成だったが、「GT-R」の名は冠されなかった。ノンターボ版のRB20DE、SOHC版のRB20E、SOHCターボのRB20ET、ディーゼルのRD28、4気筒のCA18Sも用意された。
「パサージュ」は「ニュークラシックセレクション」と「アドバンスセレクション」で内装が選べ、「ニュークラシック」はR30での特別仕様時代からあったようなゴージャスなモケット表皮のルースクッションシートとなっており、「5連装カセットチェンジャー」や「カードエントリーシステム」といったような豪華装備の充実が図られていた。一方で「アドバンスセレクション」はバケットシートを中心としたスポーツセダン路線の内装である。ツインカムとターボ系以外の「パサージュ」は普通のサルーン的である「モダンセレクション」を標準としながらも一応「ニュークラシックセレクション」を選ぶことも可能だった。「エクセル」は「モダンセレクション」を標準とし、「アドバンスセレクション」も選べた。ただ、SOHCおよびディーゼルの「GTエクセル」と4気筒の「エクセル」はこれらのセレクションの対象外で、専用のやや廉価な内装である。また「パサージュ」のSOHCターボモデルは「ニュークラシックセレクション」と4ATの組み合わせしか選べなかった。
つまるところ、スカイラインはこれまでの「スポーツセダン」ではなく、トヨタのマークIIシリーズなどを意識した「ハイソカー」になろうとしたのである。DOHCモデルを「ツインカム24V」などと呼んだのもマークIIシリーズに対抗してのものだろう。キャッチコピーは「都市工学」「やわらかい高性能」と打たれていた。もちろん軟弱なクルマになるのではなく、一種の4WSであるHICASの導入、4ドアセダンをベースにしたグループAレース仕様の参考出品など、スポーツセダンとしての精神は忘れていなかった。
しかし、結果としてはこれは失敗に終わる。今度こそGT-R復活を夢見ていた旧来のファンとしてみれば、やはり軟派な方向に日和ったという印象が拭えず、R30からの買い替えを控える動きが出た。RB20DETエンジンも、実用域でのフィーリングに振りすぎたチューニングで高回転域の気持ちよさに欠け、当時の自動車マスコミもこぞって叩くことになってしまった。とは言え、見込みほどではなかったがやはりハイソカーブームのおこぼれはあり、「ニュークラシックセレクション」の「GTパサージュ」はそこそこの数は売れた。ライバルとなるはずだったマークII兄弟には全く敵わなかったのだが。
86年の1月にはワゴンが追加された。ワゴンGTパサージュターボは、これまでの商用車系と共用の貧弱なエンジンしか無いのが当たり前だったワゴンに初めて高性能エンジンを搭載したものとなり、のちのレガシィツーリングワゴンなどのスポーティワゴンのはしりとも言うべき存在になる[5]。
86年5月に2ドアスポーツクーペが追加。ハードトップと呼ばれないのは、ドアとリアサイドガラスとの間にピラーが入っているためである。これに積まれたRB20DETエンジンは、Z31フェアレディZの200ZRで実績を上げたセラミックターボ搭載モデルで、チューニングが大幅に変わってスポーツエンジンらしい気持ちよさを取り戻していた。パワーはこれまでのグロス表示からNET表示に変わり、180psとなっている。グレード名は「GTS」と上級の「GTS-X」となり、かつての「鉄仮面」を思わせるフロントマスクに量産車で世界初搭載となったプロジェクターヘッドランプが目立つ。スピードによって自動で出し入れされるフロントスポイラー「GTオートスポイラー」といったスポーティさをわかりやすく訴求するギミックも搭載された。岩城滉一をCMキャラクターに起用してのキャッチコピーは「その時、精悍」である。
これを機に、スポーツセダン路線へと軌道修正が図られた。86年9月には4ドアハードトップにもGTSグレードが設定される。
87年8月にマイナーチェンジを受け、4ドア系のフロントマスクは2ドアと同じ系統の「鉄仮面」の面影を持つものに変更された。RB20DETも190psに少しパワーアップしている。また、基本グレードの「GTエクセル」の名は撤廃され、単に「GT」と改められたうえで内装も「アドバンスセレクション」のみとなった。キャッチコピーは「性能はスポーツチューンド」「We,Motor Sports」とえらい変わり様である。
そして、最大のトピックはグループAレースへの参戦用にターボ容量をアップして210psとした「GTS-R」が800台限定で販売されたことである。これは直接のGT-Rの復活ではないものの、日産がスカイラインを本格的にレースの主役に戻そうとしているのを示すことであり、そして真のGT-R復活への足がかりとなるものであった。
その後のモデル(順次加筆中)
- 8代目 R32(1989~1993年)
- 超感覚スカイライン。GT-R復活。
- 9代目 R33(1993~1998年)
- 本流グランドツーリングカー。マイナス21秒のロマン(GT-R)。
- 10代目 R34(1998~2001年)
- ドライビングボディ。
- 11代目 V35(2001~2006年)
- スポーツイメージを薄め、GT-Rは独立車種(R35)となる。海外ではインフィニティ・Gとして発売。
- 12代目 V36(2006~2015年)
- トキメキが帰ってくる。
- 13代目 V37(2013年[6]~)
- 新生SKYLINE上陸。日本においては、このモデルから日産エンブレムではなく、海外モデルと同じインフィニティエンブレムが装着され、カタログ・広告等も極力日産色を表に出さなくなっている。
- 日本ではハイブリッド車のみのラインアップだったが、2014年5月にダイムラー社製直噴ターボエンジンを搭載したガソリン車も追加された。海外ではインフィニティ・Q50として発売。しかし、2019年7月にマイナーチェンジを受け、インフィニティから日産にエンブレムが戻り、テールランプもスカイラインの伝統的意匠である丸形4灯が戻った。エンジン的にもダイムラー製エンジンを廃止、日産製V6ツインターボとなった。
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関連項目
外部リンク
脚注
- *この急な方針転換により、R34型は全体でおよそ3年1ヶ月・マイナーチェンジモデルに限ってはわずか10ヶ月という歴代で最も短命なモデルとなってしまった。
- *例としてセダンが50、クーペおよびコンバーチブルが60、クロスオーバーおよびSUVがQX50となる。
- *後継は日産・アベニールに一旦統合、後にLクラスステーションワゴンとして発売された日産・ステージア(現在生産終了)。
- *後継はアベニールカーゴ→エキスパート→ADエキスパート。
- *実際には、もっと前にマツダがロータリーエンジンのワゴン「サバンナRX-3 スポーツワゴン」を出しているのだが、ほとんど売れず、1年の短命に終わっている。
- *日本では2014年〜
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