自演動画の歴史(0〜1000万コメ)単語

ジエンドウガノレキシゼロカライッセンマンコメ
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本記事では、sm125732投稿から1000万コメントに至るまで(2007/4/8~2008/10/14)の歴史紹介する。

概要

2007年の記録

投稿と停滞・・・

2007年4月

2007年4月8日16時53分43、本動画投稿全てはここから始まった動画説明文は「ランキング1位します」のみ。(当時のコメラン1位陰陽師

最初のコメントは「■」。その後も「1, 2, 3, 4, ・・・」など意味のないコメントうp主自らコメントしまくっていく。

4/8 17:00うp10分後)

新なタイトルに惹かれ、新着動画から訪れるニコ厨が続出

また、絶え間ないコメント投稿により、ニコニコTOPにある新着コメント動画(※現在止)にほぼ常駐することとなり、そこからも多くのニコ厨が訪れた。そのまま彼らは、面半分でコメント支援を行うようになる。当時の支援コメントは「まっがーれ」や「鈍痛」などの弾幕コメが中心だった。

4/8 17:30うp30分後)

1000コメントを突破。初のキリ番ニコ厨は盛り上がり、コメ欄を見て会話コメを打つ者も増えてくる。当時プレーヤー下にあった名前を利用し、2chコテハン付きコメント投稿を行う者も増えた。これにより、コメントする者の名前コメ欄で確認でき、彼らは支援者と呼ばれるようになる。

支援者達は名前欄でお互いのハンドルネームを理解できたことで、交流を深めていった。これを機に、自演動画チャットルームと化していき、支援者達はチャットをしながらコメント支援と言うスタイルを身に着けた。

4/8 19時23時

チャット支援弾幕支援の盛り上がりで、19時には総コメント3000コメを突破。増え続ける支援者達はコメントを打ちながら交流を深め合い、さらにコメントを打っていった。しかし支援者が盛り上がる中、うp主はバイトで既に離れていた。

4/8 23時~29時

23時09分にはコメント数が1万を突破キリ番が近づくたびに争奪戦が行われ、支援者達は大いに盛り上がった。うp初日は、15,015コメ叩き出した。日間コメントランキング3位獲得。日間再生も43位。思いのほかスタートを切った

コメラン1位陰陽師まであと50万コメント。ここから、うp主支援者の長いが始まった...

4/9~11(投稿2~4日

効率的なコメント支援の手法が確立コメント連投すると規制される「コメント拒否」を回避するため、「はるぴったん支援者アドバイスを参考に、「5~6ごとにコメントする」支援手法を確立させた。2~4日流石ニコ厨は減ったが、支援手法の確立タグ釣りのおかげで、デイリー約4000コメと好調をキープした。また、うp主は退屈をぐために「一人しりとりコーナー」を行って盛り上がった。

1位陰陽師との差は54万コメント。当時、陰陽師は「らきすたOP」とのランキング抗争があったことでコメ数増加(陰陽師らきすた抗争)。差を広げられる。

4/12~30

しかし、5日4月12日から支援者の大半が飽き始め、離脱者が続出。日間コメント数は100コメ台まで落ち込んだ。

初めはロケットスタートだったものの、5日から急速に衰えた。標のコメント1位謀すぎたことが急速に衰えた原因だと考えられる。当時の支援者支援を行う的はコメント1位すため」であった。チャットでもコメントに関する話題がほとんどであり、コメ1位しか眼中になかったことが分かる。この場合、1位を狙える可性があれば勢いが加速するが、当時1位との差は歴然であったために、数日後には諦めて離脱する支援者が続出した。標の位置づけが謀だったため、長続きしないことは必然であった。

2007年5月~6月

 4月からの不調から全く脱出できず、デイリーコメ数は1桁台まで落ち込んだ

5/11

初めてデイリー0コメとなる。この後も0コメの状態が続く。

5月中旬

タイピング動画の『一発変換出来たら死亡』が急速に勢いを伸ばし、陰陽師コメラン1位が危ぶまれる。タイピング動画のほかに、アンケート動画し、それまでコメラン上位を占めていたニコニコ人気動画が追いやられるようになる。

ハイレベルな争いとなり、自演はますますコメラン1位が難しい状況に支援者は集まらず、うp主も全く来なくなった。

6/18

ニコニコ動画(γ)から(RC)にバージョンアップ。それまで支援者チャット用に使っていた名前欄がされた。支援者コテハン付きコメント投稿ができなくなり、以前よりチャットが難しくなった。これにより、離脱者が続出し、別れの言葉を告げる者も。

投稿~2007年06月23日のコメント記録

過去ログよりデータ抽出。これ以降はニコチャート参照。

日付(午前5時集計) 日間コメント 合計コメント
2007年04月09日 15,015 15,015
2007年04月10日 4,174 19,189
2007年04月11日 4,494 23,683
2007年04月12日 4,822 28,505
2007年04月13日 200 28,705
2007年04月14日 43 28,748
2007年04月15日 725 29,473
2007年04月16日 73 29,546
2007年04月17日 60 29,606
2007年04月18日 55 29,661
2007年04月19日 69 29,730
2007年04月20日 588 30,318
2007年04月21日 84 30,402
2007年04月22日 22 30,424
2007年04月23日 11 30,435
2007年04月24日 27 30,462
2007年04月25日 14 30,476
2007年04月26日 83 30,559
2007年04月27日 294 30,853
2007年04月28日 85 30,938
2007年04月29日 25 30,963
2007年04月30日 30 30,993
2007年05月01日 392 31,385
2007年05月02日 172 31,557
2007年05月03日 192 31,749
2007年05月04日 30 31,779
2007年05月05日 70 31,849
2007年05月06日 25 31,874
2007年05月07日 351 32,225
2007年05月08日 1 32,226
2007年05月09日 66 32,292
2007年05月10日 18 32,310
2007年05月11日 0 32,310
2007年05月12日 109 32,419
2007年05月13日 176 32,595
2007年05月14日 0 32,595
2007年05月15日 1 32,595
2007年05月16日 1 32,596
2007年05月17日 1 32,597
2007年05月18日 3 32,600
2007年05月19日 1 32,601
2007年05月20日 0 32,601
2007年05月21日 7 32,608
2007年05月22日 28 32,636
2007年05月23日 0 32,636
2007年05月24日 5 32,641
2007年05月25日 0 32,641
2007年05月26日 2 32,643
2007年05月27日 3 32,646
2007年05月28日 0 32,646
2007年05月29日 0 32,646
2007年05月30日 0 32,646
2007年05月31日 0 32,646
2007年06月01日 0 32,646
2007年06月02日 0 32,646
2007年06月03日 0 32,646
2007年06月04日 10 32,656
2007年06月05日 0 32,656
2007年06月06日 0 32,656
2007年06月07日 27 32,683
2007年06月08日 5 32,688
2007年06月09日 11 32,699
2007年06月10日 460 33,159
2007年06月11日 53 33,212
2007年06月12日 491 33,703
2007年06月13日 67 33,770
2007年06月14日 0 33,770
2007年06月15日 0 33,770
2007年06月16日 1 33,771
2007年06月17日 85 33,856
2007年06月18日 183 34,039
2007年06月19日 135 34,174
2007年06月20日 10 34,184
2007年06月21日 33 34,217
2007年06月22日 36 34,253
2007年06月23日 2 34,255

コメラン1位へ、黄金期到来

2007年7月

小規模ながら彼らの間でチャットが行われた。中旬に彼らの交流が活発化し始め、チャットしながらコメント支援スタイル確立

初旬

日間1, 2桁コメが続いていた自演だったが、7月初旬から2人ほどの支援者が居つく。

7/10

一発変換出来たら死亡」が陰陽師を抜き、総合コメラン1位となった。

7/12

19時頃、居ついた2人の間で初めてチャットが行われる。彼らはコメント1位すこととで協調し合い、その後もコメントを打ち続けた。これによりコメ数が上昇。2788コメント/日を記録し、久しぶりの4桁コメを達成。

7/12~

12日以降新しい支援者が定着し、コメ数は安定的に伸びていった自演動画チャットルームとなった(チャット化)ことにより、コメ数が継続的に増えた。これにより訪問した者は、チャットを通じて続々自演動画に定着していった

居ついた支援者2人がコメ数上げのため協調し「弾幕コメ」を動画上に打ち続け、お祭り状態となったことがチャット化のきっかけだった。このお祭り状態により、新参支援者コメントしているという一体感を感じることができ、楽しむことができた。⊂二(^ิ౪^ิ)二二二⊃ブーン など、オリジナル弾幕コメだったことも動画を賑わせた。支援者オリジナルコメ動画上に溢れたことで、何でもありの自由間を創り上げることができた。訪れた人は「どんな内容でも自由コメントしても良い」という空気の中で、田中弾幕顔文字などのオリジナルコメ支援するようになった。オリジナルコメントは自身の個性を発揮できるため、支援者新参は双方の個性を理解することができ、お互いの交流が進んだ

このようにして、自演動画チャットルームとしての魅を発揮した4月でも支援者の間でチャットが行われていたものの、当時は「名前欄」に名前を入れればなのか把握できたため、支援者オリジナルコメで個性を発揮させる必要がなくお互いの交流は薄かった。チャット話題コメントに関するものがほとんどとなり、コメ数の停滞に乗じて多くの支援者が離脱していった。しかし、7月名前欄が止されたことで、コメント内容でかを判別する必要が生じたためオリジナルコメが普及し、支援者それぞれが十分に個性を発揮することができた

新規支援者の流入を更に加速させたのは、「新着コメ動画TOPに掲載されるという仕様」であった。「コメント投稿」→「ニコニコTOPの新着コメに本動画サムネ掲載」→「ニコ厨訪問」>→「チャット」→「支援者加入」→「コメント投稿」→・・・という流れがうまれ、コメントするたびにニコ厨自演動画に訪れ支援者獲得につながる好循環ができあがった。チャットでこの好循環を活発化させ、自演動画持続的なコメ数拡大を実現することができた。

7/15

11,209コメ記録投稿日以来の1万コメえ。(総コメランキング248位)全く来ていなかったうpも、チャット化して以降初めてのコメント

7/18

カテゴリータグに「チャット」が新設される。以前はゲームタグだったが、うp主も即刻チャットタグロックした。カテゴリ変更により、ランキングや注タグからチャット的で動画を探すニコ厨を容易に取り込むことができ、支援者確保につなげていった。増え続ける支援者との交流を深めるため、mixiコミュニティexitも創設される。ここでは、雑談の他に支援勧誘動画作成の情報交換も行われ、8月にかけて支援者交流の場として利用された。

7/19

コメント数が10万をえる

7/20

総合コメントランキング95位にランクインし、ついに100位以内に。

7/21

初の日間コメントランキング1位

7/24

週刊ニコニコランキング#11exit_nicovideoで週刊31位(初登場)。ランキング初登場により、多くのニコ厨動画の存在が知れ渡った。

7/25

うp主ニコニコ市場で購入した浜口庫ノ助『自作自演集』が届き、動画を投稿exit_nicovideo。この駄な行為は後年り継がれる伝説となり、「2650円の無駄遣いタグロックされる。

7/27

【ゴム】ロックマン2 おっくせんまん!(Version ゴム)exit_nicovideo』のコメ数を抜くニコニコの有名動画コメ数を抜き支援者内でも大きく盛り上がる。(総合コメラン17位)

7/30

週刊ニコニコランキング#12 24位で映像初放映。週刊2位

ニコランでは罵倒コメが多かったが、動画の存在も大きく知れ渡ったチャット化によりコメ数が増し偉業達成も増えたことで支援者はさらにモチベーションを上げていった。

2007年8月

支援者1位標とし、「ひぐらしのなく頃に打」と間首位争いを繰り広げる。

8/1

コメ欄固定機が追加。以前は動画を視聴すると、コメントに合わせてコメ欄が自動スクロールしていたが、「自動スクロールしない」ボタンが追加され、コメ欄が固定することができるようになった。支援者にとってはチャットを見直すことができ、最適な機であった。

8/2

あいつこそがテニスの王子様(sm27)exit_nicovideo』のコメ数を抜く(総コメランキング9位)。標であるコメラン1位の期待も高まり、 日間コメ数は約2万コメに達した

8/20

組曲『ニコニコ動画』exit_nicovideo」を抜き総合コメントランキング3位に。

8/25

新・豪血寺一族 -煩悩解放 - レッツゴー!陰陽師exit_nicovideo』を抜き総合コメントランキング2位。日間コメントランキング1位

8/26

17時29分、コメント100万突破

8/28

週刊ニコニコランキング#16exit_nicovideo 11位(自己最高位)、コメント週間1位

8/31

セミの日。支援者が内輪でセミ祭りを開催し大きな盛り上がりを見せた。

依然ニコランでは罵倒コメ。週刊コメランでは、集計期間ラスト1時間でねこ鍋抜くというドラマチックな展開をみせる。

支援の様子(当時のスクショ)↓

止まらぬコメント、愛されキャラとの競合

2007年9月

9/2

日間コメントランキング1位

9/4

週刊ニコニコランキング#17exit_nicovideo コメント週間1位

9/8

19時30分ごろ『一発変換できたら死亡』を抜き総合コメントランキング1位達成動画投稿以来謀と思われた標を見事に達成。コメ欄は歓喜に湧いた。

標達成もつかの間、うp主標を「1000万コメント」に変更。しかし、支援者同士の交流も依然として活発であり、その後も多くの新規支援者が流入してきたため、1位達成後も均2万コメ/日の準を維持しながらコメ数を伸ばしていった。

週刊ニコニコランキング#18exit_nicovideo コメント週間1位、週間3連覇。4週連続映像放映。

9/12

ニコニコ愛されキャラ選手権開始。この大会では、キャラを巡る熱いコメントバトルを楽しむことができた。しかし、当時は期限がマクロ・宣伝行為も多発し、参加者や外部者からの不満が増大、17日に終了した。この選手権には自演支援者も一部参加していたため、彼らは勇士を集い、選手権を再しようと努める。彼らは前回の反省から、「期限の規定、マクロ禁止、宣伝禁止」、といったルールを定め選手権を変革させた。

9/30

第6回されキャラ選手権が開催。健全なルールの元で進行したため前回にべ不満が減少。特に1位を巡る争いが熱し、印に残る選手権となり企画は成功。自演支援者の協もあって選手権は再し、その後ブームを築く程に成長した

2007年10月

総合コメラン1位は安泰だったため、支援者達はコメラン1位標として伸ばしていった

10/6

ニコニコランキングSP開。総合7位、コメント2位

10/10

18時 ニコニコ動画がRC2にバージョンアップ。しかし、コメントの自動更新ができない不具合が発生。自動更新チャットを見ていた支援者もいた(に拒否時)ため動揺したが、22時には復旧する。

10/14

20時51分、コメント数200万突破

14日から/hidden動画の『無修正エロアニメ北米版『BibleBlack』高画質 再うp(北米)exit』が急速に迫ってくる。北動画/hiddenブームの火付け役となった動画でもあり、この頃を/hidden動画が増加。自演1位を巡って、/hidden動画に対抗することに。北R-18画像を巡ってコメ数を稼ぐ「zip動画ブームも引き起こし、新たなライバル動画も生まれてきた。

10/18

コメントフィルター実装される。この動画でも『支援』『w』などにフィルターがつけられ、20日には『コメント』『フィルター』『&』『自作自演集』『セミ』『q』『全裸』『もずく』『sage』など10個以上にフィルターうp主によってつけられる。それぞれ長門弾幕に変換されていた。それに対し、手探りでフィルターコメを探す遊びが支援者内で流行った。

10/20

に抜かれ2位に転落。その後追うも届かず刊4連覇は達成できず。

2007年11月

11/1

北米版『BibleBlack』をはじめとした/hiddenzip動画大量削除。今度は1位の可性が見えてくる。

11/17

第9回ニコニコ愛されキャラ選手権開催。当時の選手権人気に便乗し、自演支援者達が「自演チーム」として参戦exit_nicovideoキャラ名は(╬☉д⊙)。何人かの自演支援者は協してくれたが結果は19位exit_nicovideo。その後、12回・13回大会にも出場する。

11/19

11月上旬の時点で、自演は堂々のコメ1位だったが、『/hiddenコマンド使い方講座 コピペで簡単!exit_nicovideo』が投稿。急速に1位に迫った。

11/24

アニメ&ゲーム525曲サビメドレー(400曲以上知ってたら人生やり直し)exit_nicovideo』(アニソンメドレー)が投稿/hidden動画アンケート動画コメ数を急増させ、急速に1位に迫る。

11/26

ニコスクリプトプレミアム会員(と投稿)のみに開放される投稿者コメントを通じてニコスクリプトが使えるようになった。しかし、投稿者コメント付きの動画はなぜかプレミアム会員投稿コメント拒否機コメント連打しても全く規制がかからなかった。この仕様後々自演を大いに苦しめることになる

11/27

週刊ニコニコランキング#29exit_nicovideo 30位。#18以来の映像放映。

11/28

19時59分、コメント300万突破

300万達成のめでたい日だったものの、18時組曲「ニコニコ動画」削除支援者にとっても衝撃的なニュースとなり、うp主が「組曲削除」をタグロックするほどであった。20時には復活

アニソンメドレーが筆頭となり1位に迫るが、下旬に投稿されたこともありそのまま逃げ切り1位を獲得

2007年12月

12/1

第10回されキャラ選手権(~23日)選手権初のトーナメント戦となり、強動画が何日もわたりコメされることとなった。そのため強動画自演コメ数に匹敵する可性が出て、12月バトルされ強動画との闘いとなる。

12/3

週刊ニコニコランキング#30exit_nicovideo 27位。2週連続映像放映。

12/12

ニコニコTOPリニューアルTOP画面で新着コメ動画サムネくなり、代わりにニコニコニュースが設置される。 これにより、TOP自演サムネが映らなくなりニコ厨は「チャット」タブを開かないと自演を見つけることができなくなった。こので、自演の注度が減少。2~3千再生/日だった再生数も、1~1.5千再生となった。直近のコメ数へのはなかったが、支援者数の長期的な減少を引き起こしたと思われる。

12/18

投コメ付き動画の『コマンドテストexit_nicovideo』において、拒否し機を活かして投稿マクロコメ。拒否し機を利用した投コメ動画が、自演に迫る恐れも出てきた

12/25

ニコスクリプト一般会員に開放。一般会員には拒否機があり、同時にマクロコメを打っていた「コマンドテスト投稿一般会員)は拒否される。これにより『コマンドテスト』は停滞、自演投コメ動画に抜かされる懸念がひとまずくなった。詳しくは、動画記事コマンドテスト(sm1651506)』を参照。

12/27

ここから連続日間コメント2万越え記録スタートする。

12/30

ニコニコランキングSP2~2007年の思い出は億千万スペシャルexit_nicovideo 初めてのコメント1位。総合では4位(過去最高)

され強動画の勢いはすさまじく、特に決勝戦があった22日10時~23日10時には赤木水銀燈exit均分速500コメで追い上げたこともあり、バトル。しかし依然として間70万と勢いを維持

2008年1月

年が明けても12月27日からのデイリー2万コメ記録が続き、驚異的なコメ数を叩き出した

1月支援者の奮闘でデイリー2万台を連続して叩き出し、高準のコメ数を維持した。しかし『「卑怯戦隊うろたんだー」をKAITO,MEIKO,初音ミクにry【オリジナル】修正版exit_nicovideo』も同様にコメ数を伸ばし、バトルではうろたんだー自演一騎打ちとなった。

投稿当初から、うろたんだー動画卑怯性がヒットし、視聴者(卑怯隊員)が勝手にコメ支援してボカランに乗せようとする潮があった。そのコメ数の多さにより、ボカランコメ数補正値が導入された。それに憤慨した卑怯隊員が逆に補正値を下げようと積極的にコメ支援を行うようになった結果、さらにコメ数が増した

16時22分、コメント数400万突破

1/10

からマイリス工作を受ける。当時、みくみくを中心に行われていたマイリス工作自演にも及び、前日491あったマイリスト1000へと倍増する。支援者実況しながら状況を見守った。しかしには収まり、マイリス数も元に戻る。このニコニコランキングに入り、3500再生記録

1/18

支援タイマーのNicotimerされキャラ選手権にて配布。コメントするタイミングを教えてくれるタイマーを利用することで、効率的に大量コメが可となった。元々はされ民が選手権用に開発したものだったが、徐々に自演支援者にも浸透し6月にはほとんどの常連支援者が利用するようになる。

1/19

第11回されキャラ選手権開幕うろたんだーは出場しなかったものの、勝手に卑怯隊員動画祭りを開催。大いに盛り上がったほか、隊員同士の交流が深まってコテハンの導入、そしてチャット化へとつながりうろたんだーはさらに勢いを増すことに。

1/27

1か間連続デイリー2万コメ記録

コメ禁・@ボタンとの闘い

2008年2月

2/4

投コメ動画の『wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwexit』が拒否し機を活かし急速にコメ数を伸ばす。投コメ動画の拒否し機一般会員にはかったものの、依然としてプレミアム会員にはあったため、彼らによる連投が急速にコメ数を拡大させた

2/5

コメント率1000%達成

2/9

日間コメントランキング9月2日以来約5かぶり1位

2/11

12時18分、コメント500万突破

日間コメントランキング1位投稿週刊ニコニコランキング#40で26位。映像放映されるはずが作成者のミスにより放映されず。

2/15

第一次コメ禁騒動(2月中旬~3月中旬)

運営によるコメ禁が開始され、動画に大量コメントしていると、一定期コメント禁止されるようになる。コメ禁によるコメント削除率は4割に上り、支援者アカウントは壊滅状態となった。以降もコメ禁になる支援者続出。支援者複垢を作って対抗し、不憫環境の中で支援を続ける。

うろたんだーも同様にコメ地獄(削除率2割)。また、チャットを行う卑怯隊員に対し、一部の隊員は彼らによる動画私物化に反発し離脱していった。コメ禁&内部対立により、うろたんだーは不振に見舞われた

2/23

コメ禁により連続日間2万コメ記録が58日で途切れる。

2/24

50万再生突破

コメ禁圧しかったものの、支援者による複垢支援の奮闘により間779,698コメと勢いを何とか堅持。動画は終盤にバテて、うろたんも不振が酷かったこともあり、なんとかコメントランキング1位を獲得

2008年3月

3/10

週刊ニコニコランキング#44で34週連続100位以内達成。

3/13

ニコニコ動画SP1バージョンアップ@ボタン実装され、さらに投稿者コメント」の拒否し機一般会員にも開放される。投稿者投稿者コメント@ボタンを付けることで、視聴者ボタン連打でコメント連投ができるようになった。つまり、クリック連打すればコメント増した。これによりコメ数のインフレ動画が出現

3/14~

ボタン連打で全裸の女の子を助けよう!exit_nicovideo』『【エロ注意】ウッーウッーアウアウ⊂ミ⊃^ω^)⊃【ハルヒ】exit(エロウマ)』『wwwwwwwwwwwwwwexit_nicovideo』などを筆頭に、@ボタン動画く間にコメント増させ、14日,15日には1日100万コメント近くを記録する動画も出てくる。@ボタン動画盛し、ニコニコ全体のコメ数がインフレする事態に。16日のニコニコ全体コメ数は1200万コメ/日と実装前の4倍に増。また、動画検索ページでは@ボタン動画が占領。ニコ厨の不満が増大し、サーバーは過負荷となり運営は手を焼くことに。

一方の自演コメ数首位陥落の可性が出始め支援者通報を行うなどして運営@ボタン規制を祈ることに。またこの頃から自演コメ禁騒動が収束運営@ボタンへの対応により、自演へのマークが薄れたと考えられる。

3/18

うp主が「@ボタンが倒せないexit_nicovideo」を投稿。また週刊ニコニコランキングではコメ数補正値が導入されるなど、自演ランクインが厳しくなる@ボタンのせいで自演は思わぬとばっちりを受けることに。運営が動き、@ボタン動画の「新着コメ順での検索ページ一時非表示」と、「1つのボタンは1再生中につき1回しかけない」など@ボタンへの規制をかける。これにより、@ボタン動画の多くは急速に衰え、ニコニコ全体コメ数のインフレも収まり元の準近くまで戻った。

しかし投稿者コメントの拒否仕様は残る。そのため一部の投コメ付き動画は、マクロの使用とニコ厨からのボタンコメコメ数上昇を継続し、依然として自演を脅かす存在となる

3/23

15時08分、コメント600万突破

2008年4月

生活で忙しいのか07年度を支えた支援者の多くが離脱。しかし同時に新規支援者の定着も進んだ。

投コメ付き@ボタン動画は依然として勢いを伸ばし特にエロウマきらきー盗撮が筆頭となった。エロウマは当時のウマウマブームが味方し総コメ2位につけ、徐々に自演に迫ることに。きらきーはローゼン連載再開に伴い注も集まったことで勢いを伸ばす。盗撮マクロ釣りタグにより勢いを伸ばした。この危機に対し、自演支援者内でも投コメをつけるか否かで揉めることに

4/1

エイプリルフールの冗談かうp主により投稿者コメントが付く。これにより拒否制限連投が可に。結果は85,860コメと当時最高日間コメ数を記録。しかし支援者には大不評となったため、拒否制限連投はこの1日だけとなった。やはり、支援者総意としては投コメ不要であり、陥落危機に際してもこの意志を貫くことに。

4/8

自演動画投稿1周年。記念動画投稿されるなどメモリアルな1日に。

4/11

盗撮が200万コメ達成

4/13

エロウマが総コメント500コメ達成自演との差は残り150コメとなった。

4/17

ローゼン連載が週刊誌で再開され、きらきーも200万コメ達成するなど勢い拡大。@ボタン動画は依然として勢いを伸ばす。自演投コメを付けずに立ち向かうが、首位陥落は時間の問題となった。しかし・・・

4/18

盗撮が管理者削除釣り動画通報マクロ使用などが削除理由として考えられる。

4/20

支援者記念動画exit_nicovideoが15日に週刊ニコランピックアップで取り上げられたことによりニコ厨が訪問。応援コメで溢れかえるが、それを見た工作犯によるマイリス工作を20日自演動画・記念動画共に受ける(コメント工作されなかった)。

自演は9,521再生348マイリストマイリスト1,000越え。これによりランキングに上がり、再びニコ厨が急増。>51,483コメ記録5月にも小規模なマイリス工作が相次ぐ。

4/21

11時エロウマが管理者削除自演コメ数まで残り128コメというところだった。性的表現、著作権などが削除理由として考えられる。エロウマについての詳しい歴史は、動画記事sm2591174』を参照。きらきーコメ化が起こったことで21日をに下火に

一連の@ボタン動画の自滅により自演は陥落危機寸前で回避し、支援者の間に安堵のが広がった。

2008年5月

 4月25日から投コメ付き@ボタン動画頭がパーン ┗(^o^ )┓三』のコメント数が急増。原因は「パーン祭り」と称する再生コメントマイリス工作などが考えられる。祭りは30日まで続き、この間にコメ数は110万→240万に倍増5月1日以降は、運営によるマクロへのコメ禁が効いたのかパーンの勢いは落ち着いた。

5/1,2

マイリス工作を受ける。

5/9

13時29分、コメント数700万突破

5/10

支援コメコマンドに「invisible」をつけることが推奨されるようになる。このコマンドをつけることで、動画が多少軽くなることが信じられたため、以後支援者は「invisible」をつけることが定着した。

5/14

12日にニコニコ大百科が開設、自演動画動画記事を作成する。

5/16

マイリス工作によりマイリスト1000達成。3191再生記録パーンマクロコメが再発。7万/日を叩き出す。再生数も上昇しニコ厨からのボタンコメも増加。

5/17

パーン総合コメラン3位に上昇運営によるコメ禁が発生しなかったため、下旬からマクロが横行することとなった。

5/24

パーンうろたんだーを抜いて総合コメラン2位自演デイリー1万台に対し、パーン連日デイリー15万台叩き出し急速にその差を縮めた。勢いに乗るパーンにより自演4月の陥落危機も束の間、再び陥落危機が訪れることになる。

2008年6月

6/4

頭がパーン、総コメント500万突破自演との差は236万。

6/11

頭がパーン、総コメント600万突破自演との差は145万。

6/15

頭がパーン、総コメント数700万突破自演との差は51万。パーンは頻繁にタグを変えて再生数を増加させることでニコ厨によるボタンコメも増やした。これにより自演支援者内でも2位転落が確実視され支援者の様子は、諦める者、抗う者、1000コメだけをす者など様々だった。

6/18

15時03分283日守り続けてきたコメント1位の座を「頭がパーン」に明け渡す

17時45分頃、うp主が対抗して5分間だけ投コメをつける。自演では2位祭りも開かれたが、ランキングからの同情コメも多く見られた。パーンはこの日だけでも33万コメ増え、19日5時には既に17万コメも差が広がっていた。もはや1位復帰は絶望的ともが思ったが・・・

6/19

7時頃、運営により@ボタン投稿者コメント動画仕様が変更される。「ボタンコメコメ数に反映されない」「投稿者コメ付き動画では一般もプレ制限連投ができない」という仕様となり、パーン@ボタンによるコメ稼ぎと制限連投ができなくなり急減速

この仕様変更を受け、自演一転して反撃ムードに。離脱支援者が復帰するなど1位奪還に向け一致団結。また、水銀党からの応援支援も来るなど、コメ乞食動画応援も一身に受けた。

19~22日まで連続日間コメント3万越え達成。

6/26

日間コメント1位。26~29日まで連続日間コメント3万越え達成。

6/27

12時45分、コメント800万突破

自演の反撃がすさまじい一方、パーン20~21日までコメントサーバーの不具合が発生し2日間コメントできず。しかし、25日から再びパーンが勢いを伸ばし接戦となる。

6/29

0時53分、頭がパーンを抜き十日ぶりに総合コメントランキング1位復帰

投コメをつけずに@ボタンと立ち向かった自演に対し祝福も多数。今度は、運営からの仕様変更というが吹いたことで、投コメをつけずに闘った支援者の努が報われる形となった。この日だけで68,646コメ、日間コメントランキング1位。自身初の二日連続1位

目標の1000万コメへ

2008年7月

1位を奪還した後は、復帰していた支援者も離脱、支援者モードとなりコメ数は落ち着いた。

7月末から、うろたん支援者との交流が増えるうろたんだーは、2月から暗期に入っていたが、4月初旬から再生工作で補正値が上昇した。補正値をコメ数で下げる方針だった卑怯隊員は憤慨し、コメ数を伸ばして補正値下げに奔走7月中旬に再生工作が終わった時には間60万台まで回復チャットも活性化していたため、自演支援者も頻繁にチャットに参加。交流が深まったことで、両者は協調ムードに。

7/5

ニコニコ)開始と同時にニコニコミュニティサービス開始。支援者も直後にコミュニティを開設exit_nicocommunity

7/19

ニコニコランキングSP3 コメント2位、総合152位コメントに対し補正値が追加され、総合順位は前回にべ大きく落とす。

2008年8月~9月

8月初旬

うろたんとの協調ムードの高まりからか、8月初旬に「うろたん×自演連合8/8~8/18祭りとの企画が持ち上がる。自演はあまり気にしなかったが、うろたんでは本当に10日間祭りが開かれコメ数が上昇。その後もうろたん×自演間で相互に宣伝や支援を行うなど交流が続いた。

8/20

2時49分、コメント数900万突破

8/20

うp主が「自分でうpした動画について自分で組曲つくってみたexit_nicovideo」を投稿

1.5次コメ禁騒動(9月上旬~10月下旬)

再びコメ禁圧が強まるが、コメント消去率は5%と、2月べると弱い圧だった。水銀党・うろたんも同様に発生。夏野氏が就任し黒字化が叫ばれコメ負担額を減らすため、コメ禁が増加したと思われる。

2008年10月

10/14未明

1000万コメントの宣伝のため、支援者が手動マイリス工作。他の支援者も追随してマイリス登録を行う。これにより、14日は528マイリス数/日記録(50位)。毎時マイリス1位に載るなど、その後もランキング上位に躍り出て、ニコ厨の注一気に集まった。

10/14

18時34分、コメント1000万達成! 日間10,723再生ランキング上昇を通じて多くのニコ厨が殺到し、18時の毎時コメ18,436コメ。多くのニコ厨から偉業達成を祝福される。達成時付近の分速は約1200コメ。物凄い勢いでコメントされていたことが分かる。

1000万コメントは「さあどうなる!!!!!!!!!!!!」。自演の今後の動の展開を予言するかのような意味深コメントに。


直後、うp主標を「すはコメント数一千万」から「すはコメント数一億」に変更した。

1000万コメント記念絵

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自演動画の歴史(0〜1000万コメ)

1 ななしのよっしん
2016/07/29(金) 20:15:26 ID: a0qr+PDulL
作成おつかれさまです
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2 まじたに
2016/07/30(土) 16:42:08 ID: VryvW+NW41
作成乙です
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3
2021/02/11(木) 10:18:01 ID: Z5y/Q7UQEs
今更になってこの記事を見つけました。
詳細な記録で、あの頃の記憶ってきました。
本当に作成ありがとうございます
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