ダークミラージュ(Dark Mirage)とは、1965年生まれのアメリカの競走馬である。
超がつくほど小柄な馬体ながら3歳時には圧倒的なパフォーマンスで1968年に史上初のニューヨーク牝馬三冠(トリプルティアラ)を達成したものの、その後レース中の事故が原因で亡くなった上、死没後まで色々と不遇な扱いが続いた悲劇の名牝。
通算成績27戦12勝[12-3-2-10]
主な勝ち鞍
1968年:プライオレスS、ラトロワンヌS、ケンタッキーオークス、エイコーンS、マザーグースS、CCAオークス、モンマスオークス、デラウェアオークス
1969年:サンタマリアH
父:Persian Road(パーシャンロード)
母:Home by Dark(ホームバイダーク)
母父:Hill Prince(ヒルプリンス)
父パーシャンロードはダークミラージュが誕生した当時特筆する点がほとんどないレベルの無名の種牡馬であった。母も不出走馬であり、特筆すべき点と言えば耳が不自由だったというウィークポイントくらいしかない。
こんなパッとしない血統の上ダークミラージュ自身の馬体も「ポニーのように小さい」と失笑を買うほど小さく、見栄えのする馬ではなかった。
もちろんこんな馬がセリで高値で売れるはずもなく、1歳時のキーンランドサマーセールにおいてセリの最低価格である6000ドルで落札された。
しかし、こんな馬がアメリカ競馬の歴史に新たな一ページを刻むほどの活躍を挙げてしまうのだから競馬というものは分からないものである。
2歳時のダークミラージュは15戦して2勝、2着3回、3着2回と落札価格を考えれば十分すぎる(獲得賞金は約2万ドル)ほどの結果を残した。中には「15戦して2勝とか弱すぎwwwww」という人もいるかもしれないが、この馬のある要素に目を向ければこの成績がいかに凄いかがわかるだろう。
それは馬体重である、2歳時のダークミラージュの馬体重はなんと驚愕の323キロ。牝馬の平均体重は450キロほどであるためダークミラージュは超がつくほど小柄な馬であったのだ。現代の日本で一番分かりやすい類例と思われるメロディーレーンにしたって330kgを割ったことはない。そりゃ「ポニーのように小さい」とか言われるわけだわ。
当然、馬体重が軽いということは騎手や鞍を背負う際の負荷が増えるわけで、現在の日本の2歳牝馬の定量54キロで照らし合わせるとダークミラージュは自分の体重の6分の1ほどの重量を背負って走ることになるわけだから、これはもうガラスの足とも形容されるサラブレッドの足にとってはとてつもない負担だろう。ダークミラージュの負担重量に関する資料は見つからなかったため単純な比較はできないが、当時の競馬では今よりも負担重量が重いレースの方が圧倒的に多いので、これと同等もしくはそれ以上の重量を背負っていた可能性が極めて高い。そんな中で15戦もした上で7回も複勝圏に入り、2勝もしたわけだからこれはもう十分凄いことである。
そんな小柄の馬体で懸命に走る姿を見ていた調教師のエヴェレット・W・キング調教師は「もしかしたらこの馬は何か特別な馬になるかもしれない」と小柄な馬体に秘められた大器の片鱗を感じたらしい。
ダークミラージュは3月上旬の3歳初戦で4着に敗れるが、同月下旬のレースでは見事快勝。その後4月初旬にサラトガ競馬場でプライオレスステークス(ダート6F)に出走して勝利しステークス競走初勝利を挙げる。その後4月末にはケンタッキーオークスを見据えチャーチルダウンズ競馬場に移動しラトロワンヌステークス(現エイトベルズステークス、ダート7F)に出走、ここでも勝利を挙げる。
この様に勝利を重ねていくうちにダークミラージュの実力を認める人も日に日に増えていった。その為翌月開催されたケンタッキーオークス(ダート9F)では14頭立ての1番人気に支持され、その人気に応えるように2着に4馬身半も差を付け圧勝し、百合の優勝レイと共に3歳最強牝馬の座を手にしたのだった。
しかし、ダークミラージュの本領はこの後のトリプルティアラ競走において発揮されるのであった。
ケンタッキーオークスを制したダークミラージュはベルモントパーク競馬場に移動しトリプルティアラ一冠目エイコーンステークス(ダート1マイル)に出走、もはやこの頃になるとダークミラージュに敵う牝馬はおらず終わってみれば6馬身差の圧勝劇で、その上かつて米国三冠馬カウントフリートが樹立したコースレコードに並ぶ1分34秒8というタイムを叩き出すという凄まじいパフォーマンスを見せた。
そして6月初旬のトリプルティアラ二冠目マザーグースステークス(ダート9F)でも勿論最有力候補だったのだがここで思わぬ事態が発生する。なんとマザーグースステークスが中止になる可能性が出てきたのだ。
その理由は同年の6月6日にジョン・F・ケネディ元大統領の弟にしてアメリカ上院議員であったロバート・ケネディ氏が暗殺されるという大事件が勃発したことだった。ニューヨーク全体が告別式の為に興行やスポーツを自粛する気運が高まり、実際に6月8日までの間スポーツの開催を自粛する命令が出されていた。そしてこの年のマザーグースステークスの開催日は6月8日……つまり自粛期間と重なって開催できないということになってしまったのである。
しかし、ニューヨーク競馬協会はその要請を無視し、マザーグースステークスを強行開催。やはりダークミラージュというトリプルティアラ達成の可能性を秘めた馬をあまつさえ自粛ムードなんかに偉業を潰されてはニューヨークの競馬ファン達も激怒するだろうと競馬協会は考えたのだろうか。実際、マザーグースステークスの開催されたアケダクト競馬場はニューヨーク全体が自粛ムードだったにもかかわらずかなり客が入っていたらしい。
そしてそんな騒ぎの中でもダークミラージュは圧倒的な強さを見せた、なんと10馬身差の大差勝ちである。これには2着のゲストルームという馬に乗っていた騎手もお手上げだったようでレース後に「誰もあの馬にはかなわない」と降伏宣言のようなコメントを残している。
そしてトリプルティアラ達成がかかった三冠目のレースはベルモントパークで行われるコーチングクラブアメリカンオークス(通称CCAオークス、ダート10F)。ダークミラージュをマークして進路を塞ごうとした馬もいたが、そんなもの意に介さずあっという間に先頭に立つと鞍上のマヌエル・イカザ騎手が追いもせず鞭も使わず馬なりで走らせているのに他の馬は誰もついてこないという意味不明な状態になり、最終的には2着に12馬身もの差をつけた大圧勝であった。またトリプルティアラでの総合着差は28馬身と未だに史上最高記録である(2位のラフィアンでさえも24馬身差)。
ちなみにこれは余談だが、マザーグースステークスとCCAオークスのブックメーカーでの馬券投票はダークミラージュに予想を大幅に超えるレベルで人気が集中した為に、オッズの調整をミスったブックメーカーと開催競馬場が凄まじい額の損失を出したらしい。その額はなんと約4000万ドル。この馬の落札価格6000ドルと比較するとおよそ6666倍もの額になる。落札価格の6666倍もの損失をブックメーカーと競馬場に与えたのは後にも先にもこの馬だけだろう。
圧倒的なパフォーマンスを見せながらトリプルティアラを獲得したダークミラージュ陣営は、CCAオークスから僅か中12日という過密ローテでニュージャージー州のモンマスパーク競馬場で行われるモンマスオークス(ダート9F)に出走することを決定した。しかしここである問題が起きる。
それは主戦騎手のイカザ騎手がなんとモンマスオークスの1時間前にニューヨーク州のアケダクト競馬場で行われるサバーバンハンデキャップで騎乗する予定が入っていたことだった。しかも騎乗するのはあの名競走馬にして後の名種牡馬であるダマスカスである。
アケダクト競馬場からモンマスパーク競馬場に行くとなると車でも最速で1時間20分程度かかるのでどうやっても間に合わない……ということでイカザ騎手がとった手段はなんとヘリコプターで競馬場に直行という大胆な策を実行、ちなみにこの大胆な策は武豊もフランスでやったことがあるらしい(福永祐一談)。
そんな強行軍で鞍上にも疲れもあったか道中鞭を落とすというアクシデントが発生、その上内の進路をふさがれて大外に回らざるを得なくなるという不利もあった。しかし馬なりで12馬身もの差をつけられる馬がその程度で負けるはずもなく4馬身差で完勝、改めて怪物っぷりを周囲に知らしめた。
その次はデラウェアパーク競馬場で行われるデラウェアオークスにこれまた中23日という厳しいローテーションで出走。アケダクトとベルモントパークがダークミラージュの出走レースでのブックメーカーのせいで多額の損失を出したことを知っていたため集客力の低下も覚悟の上でデラウェアパーク競馬場は馬券発売を行わなかった。しかし競馬場には馬券目当てでなくともこの馬を一目見たいと多くの競馬ファンが集まったためかデラウェアパーク競馬場には入場者数レコードとなる3万335人もの観衆が集まった。そしてレースはスタート後すぐにダークミラージュがハナに立つとそのまま楽な流れで逃げ切り2馬身差の快勝、連勝を9に伸ばした。
その後、アラバマステークスを経てガゼルハンデキャップ、そして牡馬との対決に向かうとされたが、デラウェアオークスのレース中に右前脚を故障していたことが判明したため年内全休を決定。今後のローテーションは白紙となった。
その後の年内表彰では文句なしの最優秀3歳牝馬に選ばれたが、残念ながら惜しくも年度代表馬には選ばれなかった。
というのもこの年はドクターフェイガーが持ち前のスピードでアメリカ競馬界で暴れまわった年であり、年度代表馬の座はこいつに持ってかれてしまったからである。しかし同じくこの年のアメリカ競馬で大活躍したダマスカスに得票数で勝っていることからも、この馬がアメリカ競馬に与えた衝撃は相当なものだったと伺える。
というよりこの時期のアメリカ競馬はあまりに速すぎた為に引退時にスピード違反で違反切符を切られたドクターフェイガー、競走馬としても種牡馬としても偉大な足跡を残したダマスカス、史上初のトリプルティアラを圧倒的な強さで達成したダークミラージュ、競走馬としてはレースに対するやる気以外は完璧とまで評され、種牡馬としても夭折の憂き目に遭いながら後にブルードメアサイアーとして大活躍するバックパサーとアメリカ競馬の歴史に燦然と輝く化物が多く出ていた。そう考えると本当に恐ろしい時期であるし、この頃の競馬を見ていた人はさぞかし楽しかっただろうなと夢想してしまう。
休養を終え4歳となったダークミラージュは西海岸のサンタアニタパーク競馬場に送られ2月中旬にサンタマリアハンデ(ダート8.5F)に出走、これまでの実績や着差から当然トップハンデの130ポンド(およそ59キロ)が課された。
一つ思い出してほしい。この馬は2歳時に323キロという超がつくほどの小柄な馬体だったのである。幾分か成長はして馬体重は増えているだろうが、こんな小柄で尚且つ牝馬にこのような負担重量を背負わせるというのは平均的な馬とは比較にならない程の負担になる。つまり故障のリスクが大幅に増加するのだ。
そんな過酷なハンデキャップを背負いながらもダークミラージュはサンタマリアハンデを何とかクビ差で勝利したが、本馬にとって過酷なレースであったことは着差から見ても明らかだった。
そして、次のレース3月1日のサンタマルガリータハンデ(ダート8.5F)、ここでもダークミラージュは130ポンドを課され、そしてレース中に突如失速。レースを見ていた観客たちが目にしたのは競走中止となったダークミラージュの姿だった。
その後の医師の診断は右前脚球節脱臼による競走能力喪失。最悪の事態である予後不良だけは避けられたが、引退は避けられない形となった。
引退決定後は治療後にドクターフェイガーとの種付けが計画されていたらしく、ドクターフェイガーの繫養牧場であるフロリダ州のタータンファームに送られ手術が施された、一時は一命をとりとめたものの、輸送中や手術中に右前脚を庇ったことが原因で左前脚で蹄葉炎を発症。7月9日、体は小さくても大きな足跡を残した当馬は天に旅立った。4歳没。
同じ時期に活躍したダマスカス、ドクターフェイガー、バックパサーといった怪物たちは後に多くの優秀な仔を遺しただけに、牝馬と言えど優秀な仔を残せる可能性のあったこの馬の夭折は本当に惜しすぎる出来事である。
ダークミラージュを語る上で外せないのはこの死没後の不遇極まりない扱いだろう。1974年にアメリカ競馬殿堂入りを果たしたものの、死後この馬にとって明るいニュースと言ったらこれくらいである。というのも選考の翌年にあの「黒い稲妻」ラフィアンが現れたからである。
アメリカは勿論、日本でもマイネル軍団の総帥のお力もあってかラフィアンの知名度は高い。それに対してダークミラージュは300キロ台前半の小柄な馬体というハンディキャップを背負いながらこれほどまでに秀でた成績を上げ、そして最期は悲劇的な幕切れを迎えた。というのにラフィアンの出現以降話題に上がることはほとんどなくなった。そして「ラフィアンの再来」と言われたゴーフォーワンドの出現以降はさらにそれが加速していった。無論、日本での知名度はほぼ皆無に等しい状況である。
その証拠にアメリカの競馬情報誌「ブラッド・ホース」誌上で行われた「20世紀のアメリカ名馬100選」は競馬の各方面から専門家を連れてきて選考したというのにラフィアン(35位・牝馬最上位)、ゴーフォーワンド(72位)は選考されながら、ダークミラージュが選考されることはなかった。少なくともトリプルティアラ競走で見せたパフォーマンスはラフィアン、ゴーフォーワンドよりもダークミラージュの方が上だったにも関わらずダークミラージュが選考に漏れたというのは専門家による選考というのを考慮するといささか不可解であり、この馬の不遇な扱いの象徴とも言える。
私がこの記事を作成したのもダークミラージュという名馬がこのような不遇な扱いを受けていることに異を唱えるためにという部分が大きい。一人でも多くの人がこの記事を読むことでダークミラージュという名馬の存在を認知してもらえるのであれば記事を作成した人間としてこの上ない幸せである。
| Persian Road 1955 栗毛 |
Persian Gulf 1940 鹿毛 |
Bahram | Blandford | |
| Friar's Daughter | ||||
| Double Life | Bachelor's Double | |||
| Saint Joan | ||||
| One for the Road 1947 栗毛 |
Watling Street | Fairway | ||
| Dark Mirage 1965 黒鹿毛 |
Ranai | |||
| Sundae | Hyperion | |||
| Bachelor's Fare | ||||
| Hill Prince 1947 鹿毛 |
Princequillo | Prince Rose | ||
| Cosquilla | ||||
| Hildene | Bubbling Over | |||
| Home by Dark 1959 芦毛 FNo.9-b |
Fancy Racket | |||
| Sunday Evening 1947 芦毛 |
Eight Thirty | Pilate | ||
| Dinner Time | ||||
| Drowsy | Royal Minstrel | |||
| Lazy Susan | ||||
| 競走馬の4代血統表 | ||||
クロス:Bachelor's Double=Bachelor's Fair 4×4(12.5%)
ニコ動では見つかりませんでした……
掲示板
9 ななしのよっしん
2022/02/17(木) 05:59:30 ID: yU2AZAPzA3
この記事で本馬のことを初めて知りましたがポニーのような体格で勝ちまくるなんてとんでもない馬ですね
10 ななしのよっしん
2022/03/31(木) 21:06:24 ID: 1qPHBsG6f6
ウイニングポスト9 2022にスペシャル繁殖牝馬としてこの馬が登場しました。
開始年度に対して目を疑うほどに破格の能力設定がされており、知名度の向上につながるかと思われます。
11 ななしのよっしん
2022/05/06(金) 09:45:33 ID: 2WtS4YnhnR
ウイポで絶対確保してドクターフェイガーを付けます。
ラフィアンとフーリッシュプレジャーと同じくロマン配合ですね。
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最終更新:2026/01/22(木) 08:00
最終更新:2026/01/22(木) 08:00
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