トウルビヨン(Tourbillon)とは1928年生まれの
フランスの競走馬。
フランスの名馬産家マルセル・ブサックが誇る傑作であり、ジャージー規則を破壊した名馬。
名前の意味はフランス語で「旋風、渦」。機械式時計の機構、トゥールビヨンもこれに由来する。
基本的に本馬が語られる時は「トウルビヨン」と表記される。
通算12戦6勝
生い立ち
父Ksar、母Durban、母父Durbar。誰だって? まあ100年前のお方ですし。
父は凱旋門賞を2連覇し、本馬の活躍もあり1931年にフランスリーディングサイアーになったフランスの歴史的名馬であり、母父は英ダービーで大穴をこじ開けた優駿である。
母親もヴェルメイユ賞などフランスの大競走で活躍を収め、その祖母に世界的名牝系の祖であるフリゼットを持つ。現代から見ると相当な良血馬であり、現代競馬の活躍馬には本馬の遠戚が大変多い。
父系は19世紀前半まで欧州競馬(実質競馬そのもの)を牛耳っていたヘロド系であるが、まあ直系種牡馬が増えすぎたおかけでエクリプスの子孫に反攻を許し直系父系は絶滅の危機に瀕していた。よくセントサイモンの悲劇が語られるが、ヘロドを取り上げた方が良いような(古すぎるか)。
競走馬として
そのトウルビヨンだが、2歳時は4戦2勝。というのも同期に後の牝馬初の凱旋門賞馬Pearl Capがいて2歳時からバリバリ勝っており、トウルビヨンは遥かに格下と見られていたのである。
3歳となったトウルビヨンは仏ダービーに当たるジョッケクルブ賞を目指し、前哨戦グレフュール賞、オカール賞、リュパン賞を連勝。一気に最有力馬となったトウルビヨンはそのままジョッケクルブ賞を2馬身差で優勝し、一気にフランス最強馬としての階段を上るがそれ以降は通行止めに遭う。
続くパリ大賞典(3着)と共和国大統領賞(2着、現サンクルー大賞典)を連敗。フランス秋の名物ロワイヤルオーク賞も2着に敗れ、3連敗で凱旋門賞へ向かうと、そこではフランス三冠牝馬となったPearl Capに負けるどころか、ベルギー最強馬として乗り込んだPrince Roseにも勝負にならず、レース中に故障したことを差っ引いても大敗の6着に敗れた。
翌年も現役を続行したものの調子は上がらず、結局4歳時は出走すること無く引退となった。
通算12戦6勝。例えるならクライムカイザーが近い。
ジャージー規則
トウルビヨンを語る上で、ジャージー規制は欠かせない。
当時のイギリスではジャージー規則というものが第一次大戦以前に制定されていた。
ジャージー規則って何? 簡単に言えば
「先祖にジェネラルスタッドブックに載ってない馬がいたらそいつはサラブレッドとは認めん!」
「仮にどんな優駿でも規則に引っかかったら(事実上)繁殖入りさせねーからな!」
という英国人特有の難癖規則である。規則制定以前はアメリカのサラブレッドがイギリスに導入されて大レースを次々と勝利し、イギリス紳士が激怒していた(だから衰退するんだ)。一応イギリス紳士の面子を立てると、ジェネラルスタッドブックに記載する前にアメリカへ輸出した馬や、南北戦争で血統書が紛失した馬がイギリスで繁殖入りするとサラブレッドの純血性が失われることを危惧したのである。
因みにジャージー規則にかかった馬でも「サラブレッド系種(サラ系)」としてイギリスのレースに出ることは可能で、トウルビヨンの母父Durbarがサラ系として実際に英ダービーを優勝している。
そのジャージー規則を撤廃に追い込んだのが、誰であろうトウルビヨンとその子供達である。
旋風の如く
フランスでは「ジャージー規則? ジョンブルの持病だろ?」と言わんばかりにアメリカのサラブレッドをどんどん輸入し、サラブレッドの遺伝子プールをより拡張、競走馬をイギリスへ遠征させ大レースをどんどんフランス馬が奪っていくという英国紳士発狂ものの事態に発展。
その代表格がトウルビヨンの息子、Djebel(ジェベル)である。彼は英国の伝統あるクラシックレースである2000ギニーを勝利。更にそのDjebelも種牡馬として大成功を収め、ArbarやMy Babuがアスコット金杯や2000ギニーを奪い獲る。日本で例えたら「オーストラリアのよく分からん血統の□外が天皇賞(春)と皐月賞獲ってった」という感じ。英国紳士憤死レベル。相対的に英国競馬のレベルが低下してしまった。
My Babuが2000ギニーを勝った翌1949年に晴れてジャージー規則撤廃。トウルビヨンとその子供達もイギリスでもサラブレッドとして認められる事となった。
話をトウルビヨンに戻すと、馬主であるマルセル・ブサックの全面的なバックアップを受けて活躍馬を多数輩出。3回のフランスリーディングサイアーに輝いた他、母父としても優秀な成績を残している。
特にフランスのクラシック競走では彼の産駒が走らない方が珍しく、フランスのクラシックホースを10頭以上送り出している。凱旋門賞馬も前述のDjebelとCaracallaの2頭がいる。
トウルビヨンは1954年に脳卒中で倒れ、安楽死の措置が執られた。享年26歳。
日本の、そして現在のトウルビヨン系
トウルビヨンの産駒が世界中で種牡馬入りし、これまた成功を収めて再びヘロド系が脚光を浴びた。
惜しむらくはトウルビヨンとDjebelの種牡馬全盛期に第二次世界大戦の影響により、フランス競馬が一時的に衰退し、また馬主であるマルセル・ブサックの没落によりバックアップが無くなったことだ。
日本においてもトウルビヨン系種牡馬は多数導入されており、代表例として
- パーソロン系
前述のMy Babuを祖父に持つ*パーソロンが日本に輸入されるとメジロアサマ、サクラショウリ、シンボリルドルフなどを輩出。90年代前半にメジロマックイーンとトウカイテイオーが登場し全盛期を迎えた。 - リュティエ系
フランスで競走生活を送っていた*ダンディルートや*ノーリュートが導入され、こちらも90年代前半にダイタクヘリオスやモリユウプリンスを出した。
の2系統を主軸に90年代までは勢いを保っていたが、2000年代以降メジロマックイーンやトウカイテイオー、ダイタクヤマトから後継が出なかったこともあり、日本におけるトウルビヨンの直系父系はほぼ断絶している。ギンザグリングラスとクワイトファインが残って……残って?
一方牝系にはトウルビヨンの血を持つ馬は多数おり、特にメジロマックイーンを母父に持つオルフェーヴルやゴールドシップが種牡馬入りしある程度の目途が立っていることから、現代血統におけるスタンダードとして血統表に残っていくだろう。日本に輸入された*ドクターデヴィアスも牝系に入るとかなり優秀だった。
現在の海外では、トウルビヨンの系統はフランスを中心にしぶとく生き残っている。
Clarionの子孫であるAhonoora(アホヌーラ)の子供達が欧州の短距離戦線を中心に一定の勢力を残しており、他には障害種牡馬として数頭が繋養されている。
ハイフライヤー系は既に滅んでいるので、彼らが全滅すればバイアリータークの直系は事実上滅亡する。
そうなればそのうち、血統表の奥底に残る古典として残ることになってしまうだろう。
まあ優勝劣敗と淘汰を繰り返しているサラブレッドから滅亡する系統が出るのは当たり前だが
話が逸れたが、現代のサラブレッドの中にトウルビヨンの血はかなりの量が含まれている。
第二次大戦前後で彼とその子孫が巻き起こした旋風により、近代競馬が現代競馬へと転換を果たした事実は疑いようがない。
血統表
| Ksar 1918 栗毛 |
Bruleur 1910 鹿毛 |
Chouberski | Gardefeu |
| Campanule | |||
| Basse Terre | Omnium | ||
| Bijou | |||
| Kizil Kourgan 1899 栗毛 |
Omnium | Upas | |
| Bluette | |||
| Kasbah | Vigilant | ||
| Katia | |||
| Durban 1918 鹿毛 FNo.13-c |
Durbar 1911 鹿毛 |
Rabelais | St. Simon |
| Satirical | |||
| Armenia | Meddler | ||
| Urania | |||
| Banshee 1910 鹿毛 |
Irish Lad | Candlemas | |
| Arrowgrass | |||
| Frizette | Hamburg | ||
| Ondulee |
クロス:Omnium 3×4(18.75%)、St. Simon 4×5(9.38%)、St. Gatien 5×5(6.25%)、Hanover 5×5(6.25%)
主な産駒
- Cillas (1935年産 牡 ジョッケクルブ賞、ジャック・ル・マロワ賞)
- Gaspillage (1935年産 牡 プール・デッセ・デ・プーラン)
- Djebel (1937年産 牡 2000ギニーステークス、プール・デッセ・デ・プーラン、凱旋門賞、サンクルー大賞)
- 1949・56年フランスリーディングサイアー
- Esmeralda (1939年産 牝 プール・デッセ・デ・プーリッシュ)
- Caracalla (1942年産 牡 凱旋門賞、アスコットゴールドカップ)
- Coaraze (1942年産 牡 ジョッケクルブ賞、ジャック・ル・マロワ賞、イスパーン賞、サンクルー大賞)
- Tourment (1944年産 牡 プール・デッセ・デ・プーラン、ロワイヤルオーク賞)
- Ambiorix (1946年産 牡 仏グランクリテリウム、リュパン賞)
関連動画
ないっす。メジロマックイーンやトウカイテイオーやダイタクヘリオスの動画を見よう。
関連商品
トゥールビヨン搭載の機械式時計をどうぞ。
あるいは繁殖牝馬を買ってトウルビヨン系の種を付けよう。
もっと余裕ある人は欧州に行ってアホヌーラの系統を維持する努力をしてくれ。頼んだ。
関連項目
子孫達
Tourbillon 1928
|Djebel 1937
||Clarion 1944
|||Klairon 1952
||||*ブランブルー 1959
|||||タニノチカラ 1969
||||Luthier 1965
|||||*ダンディルート 1972
||||||トウショウペガサス 1979
|||||||スエヒロジョウオー 1990
|||||||グルメフロンティア 1992
||||||ビゼンニシキ 1981
|||||||ダイタクヘリオス 1987
||||||||ダイタクヤマト 1994
|||||*ヤワ 1980
||||||モリユウプリンス 1989
|||||Sagace 1980
||||||*アルカング 1988
||||Lorenzaccio 1965
|||||Ahonoora 1975
||||||Indian Ridge 1985
|||||||Ridgewood Pearl 1992
|||||||Compton Place 1994
||||||||*パールシークレット 2009
||||||Topanoora 1987
|||||||Even Top 1993
||||||||Cirrus des Aigles 2006
||||||*ドクターデヴィアス 1989
|||||||ロンドンブリッジ 1995
||||||Inchinor 1990
|||||||Notnowcato 2002
||Le Lavandou 1944
|||Le Levanstell 1957
||||Levmoss 1965
||||*マイスワロー 1968
|||||ラッキーキャスト 1979
||||||フジヤマケンザン 1988
||My Babu 1945
|||Milesian 1953
||||*パーソロン 1960 →パーソロンの記事参照
||Coronation V 1946
||*ガルカドール 1947
- 1
- 0pt


