ニコラス・ボルテック(Nicolas Boltec)とは、「銀河英雄伝説」の登場人物である。
CV.仁内建之(石黒監督版OVA)、小原雅人(Die Neue These)。
概要
フェザーン自治領の官僚・政治家。老獪で有能な補佐役としてフェザーンの枢機に携わる人物で、帝国暦486年当時すでに初老の域にあった。
フェザーン自治政府において自治領主補佐官、帝国駐在弁務官を歴任したが、帝国ローエングラム独裁体制に協力してフェザーン回廊に帝国軍を導入。帝国軍によるフェザーン占領後には転身してフェザーン代理総督をつとめる。しかし新帝国成立後、自邸でのパーティで発生した爆弾テロ事件の共犯者として拘禁され、勾留中に死亡した。
石黒監督版OVAでは濃い茶髪に頬のこけた中年の小男として、Die Neue Theseでは灰色の髪に銀行家を思わせる細面の実務官僚としてデザインされている。石黒監督版OVAオリジナルの部下として、帝国駐在弁務官オフィスの書記官グラズノフがいる(原作中にも「一等書記」が登場するが名前はない)。
経歴
帝国暦487年当時、フェザーン自治領主アドリアン・ルビンスキーの腹心としてその補佐官を務める。488年秋に帝国駐在弁務官にうつり、帝都オーディンへと赴任。この両職は、官職への尊敬が薄い独立不羈のフェザーン人からさえも相応の敬意をはらわれるに値する高位であった。
対帝国工作
オーディンでは、ルビンスキーの命により、ランズベルク伯アルフレットとレオポルド・シューマッハをもちいて幼帝エルウィン・ヨーゼフ2世を誘拐し同盟へと亡命させる工作に従事する。この工作は幼帝の亡命によってラインハルトに同盟侵攻の大義名分をあたえ、フェザーンが全銀河の経済的権益を独占することと引き換えにラインハルトの覇業に協力するという姿勢をアピールするためのものだった。
幼帝誘拐への関与
帝国暦489年7月の誘拐計画実行にあたっては、シューマッハの強い要求を容れ、陽動として廃屋の地下室を改造した「急進的共和主義者の秘密武器工場」を用意する。さらに混乱増幅のため要求された工場の爆破は死者が出る可能性を危惧して拒否したが、シューマッハが脅迫に出たため、治安当局や報道機関への偽装連絡、帝国博物学協会(“新無憂宮”への地下ルートの出口)の前に地上車を準備し誘拐後は即座に弁務官オフィスへと保護する処置については受け入れた。
誘拐後、エルウィン・ヨーゼフ2世と一行のオーディン脱出にあたっては、ボルテックみずからフェザーン貨物船“ロシナンテ"を起用している。同船は密航亡命者輸送のための特殊な設備をそなえていただけでなく、船長ボーメルも帝国軍の臨検をしのぐ点で豊富な経験と高い判断力をもつ人物であったことが理由であった。ボルテックは費用も現金で前払いし、無事に一行をフェザーンへと送り出した。
ラインハルトとの交渉
こうした幼帝誘拐工作と並行して、ボルテックは帝国ローエングラム独裁体制への工作をすすめた。しかし、彼はラインハルト・フォン・ローエングラムの才覚をあつかいそこね、誘拐実行前にフェザーンの関与を明かして交渉を始める判断ミスをおかしてしまう。ラインハルトはフェザーンとの盟約の対価としてフェザーン回廊の自由航行権を要求すると、フェザーンに対抗して帝国と同盟が提携する可能性をしめしてボルテックを恫喝し、交渉の主導権を握った。
失敗したことを自覚したボルテックは、ルビンスキーへ交渉は上首尾と報告するとともに、本国に知られれば失脚を免れない現状を糊塗し失点を回復する方策をもとめた。後任の補佐官ルパート・ケッセルリンクの台頭や地球教のフェザーン支配に思いをいたしたすえにボルテックが選んだのは、ラインハルトの要求通り回廊の航行権を差し出し、自らも全面的に協力する道だった。そしてその報酬に、ルビンスキーに代わるフェザーン新自治領主の地位を得ることを望んだのである。
ラインハルトは要衝フェザーンに信頼できる総督を置き、ボルテックには高給と閑職を与えるにとどめる考えでいたため即答をさけたが、フェザーン人からの憎悪と反発を彼の身に集中させられる利点もあったことから、結局は早期の失敗を期待しつつも要求を受け入れることとした。以後、ボルテックは、民間の情報と整合をとりながらフェザーン本国へと偽情報を送りつづけ、“神々の黄昏"作戦の本質を隠して帝国軍の作戦目的がイゼルローン方面にあるよう見せかける非軍事的工作の一翼をになうこととなる。
フェザーン代理総督
同年末、帝国軍が回廊に侵入しフェザーンを占領すると、翌490年1月下旬、ビッテンフェルト、ファーレンハイト両艦隊に同行してボルテックもフェザーンに到着。いれかわりで同盟領へと出発するラインハルトにより“フェザーン代理総督”の称号をうけて“代理総督府”に入り、姿を消したルビンスキーに代わる行政責任者としてフェザーンの治安と帝国軍への協力体制維持に全責任を負うこととなる。帝国軍による直接統治を避けた、擬似的な民政であった。
“代理総督”となったボルテックは、まず帝国軍に忠誠をしめすため、航路の警備・哨戒を担当する帝国艦に部下を同乗させ、民間船舶への臨検に協力する体制を構築する。この施策は、1月24日までのわずか数日のあいだに30隻の船舶から同盟軍フェザーン駐在首席武官ヴィオラ大佐をはじめとする200人以上の密航者を発見・拘束する成果をあげた。同盟弁務官ヘンスロー、駐在武官ユリアン・ミンツらが搭乗する独立商船ベリョースカ号も同様に臨検を受け、帝国艦を逆に乗っ取ることで危うく難を逃れている。
新帝国時代
同年、新帝国ローエングラム朝が成立してからも、ボルテックは引き続き代理総督としてフェザーン統治の任にあたる。この間、新帝国暦1年8月には大本営のフェザーン移動が布告され、フェザーンを新たな帝都とする計画が着々と進められつつあった。
失脚
新帝国暦2年4月12日、ボルテックは自身の官邸において、フェザーン方面軍司令官に着任するコルネリアス・ルッツ上級大将と帝国本土から出征するアウグスト・ザムエル・ワーレン上級大将の歓送迎会を開催する。しかし、このパーティの席上で爆弾テロが発生し、出席していた工部尚書ブルーノ・フォン・シルヴァーベルヒが死亡する惨事となった。
ボルテックもこの事件で負傷し一時入院を余儀なくされたが、復帰後の同年7月、ハイドリッヒ・ラングの率いる内務省内国安全保障局により、突如として工部尚書シルヴァーベルヒ爆殺事件の共犯者として逮捕・拘禁され、失脚する。ラング局長と内務省によれば、犯行動機は帝国首都建設長官を兼ねるシルヴァーベルヒにフェザーン行政の実権を奪われた怨恨、自身の負傷は捜査を撹乱するため仕組んだものであった。
真相と死後
ボルテックが代理総督として統治していたフェザーンは、新帝国2年7月29日の勅令によって公式に新帝都となった。フェザーンの彼の旧宅は、同年9月より国務尚書マリーンドルフ伯爵が新宅として娘ヒルデガルドとともに入居している。
しかし、このボルテックへの容疑は、潜行しているルビンスキーに陥れられた冤罪であった。ラングに協力をもちかけたルビンスキーは、ラングの手で無実のボルテックを抹殺させることで弱味を握ろうとしたのである。投獄されたボルテックは、ついに冤罪が晴れないまま、やがて服毒して死亡した。当初は服毒自殺とされたが、実際にはラングの関与があったことが示唆されている。
ボルテックの冤罪が晴れるのは、同年末、ロイエンタール元帥叛逆事件のさなかのことである。彼の拘禁を不審に思ったルッツの依頼により、憲兵総監ウルリッヒ・ケスラー上級大将が調査を行った結果であった。ケスラーから皇帝ラインハルトに上げられた調査報告の結果、ラングは逮捕され、ボルテック獄死の主謀者として裁判をうける身となったのだった。
能力・人格
外交と調略の専門家を自認しており、油断のならない人物と認められていた。フェザーン自治政府の官僚としてはすくなくとも無能と扱われることはなく、ルビンスキーには「なかなかよく働く男で、これまで失敗とは無縁にきた」と、オーベルシュタインにも補佐役としての能力では無能ではないと評されている。行政能力の面でも、占領軍に協力する現地の文民最高責任者という困難な地位にあり、任命者に失敗を期待されてすらいながら、冤罪で失脚するまでの約一年半にわたって解任されるような失政はなかったようであり、相応に高い能力を有していたといえる。
自治領主補佐官時代までは上司であるルビンスキーを政治的忠誠心の絶対の対象としていたものの、弁務官転任後はラインハルトとの交渉の失敗を糊塗する過程で急速に忠誠心を失い、地球教総大主教の支持しだいでルビンスキーにとってかわりうるのではないかという野心すら抱くようになった。しかし、結果として地位を追われたルビンスキーからは復讐の対象としてすらかえりみられず、単に新たな策略のための道具として利用される終わりを迎えることとなった。
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関連項目
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