ラインハルト・フォン・ローエングラム (Reinhard von Lohengramm) は、田中芳樹原作の「銀河英雄伝説」の登場人物。本伝開始当初から物語が終了するまで、基本的にこの名称を使用していた[1]。ただし物語の中ではファースト・ネームのみの「ラインハルト」という呼称が多い。また、序章及び外伝ではフォン・ミューゼルという姓が使用される場合がある。改名の時期と理由は概歴を参照の事。
概要
主人公[2]。このラインハルトの生き方及び言動が、本作の中心的な要素となっている。ラインハルトが序々に成長し権力が拡大するに連れ、その影響で社会体制にも変革が生じ、同時に、その変革がラインハルト自身の生き方にも影響を与える、という図式で物語が進んでいく。
人類社会の一方の中心を成している恒星間国家に於いて、ラインハルトは、恵まれた才能/知性/容姿という個性、恵まれざる身分と財政状態という状況のもとに誕生した。そしてその状況が原因となって、幼少時、権力階級に対して怒りと復讐心をもたらす出来事が発生。盟友となった幼馴染と共に、権力階級の打倒に向けて歩み始める。成長するに連れ、その個人的な復讐心は、社会体制に対する疑問に変わり、ラインハルトは社会の矛盾そのものを変革する必要を感じるようになる。だが、その成長と権力拡大の過程で、計算違いの問題、清濁併呑を受け入れざるを得ない出来事、そしてある分野に於いてどうしても勝利を手にする事が出来ない事態に遭遇し、ラインハルト自身も失うものが出始める。しかしそれでも、ラインハルトは自分の目標に向かって進み続け、やがて生まれた国家のみならず人類社会全体に影響を及ぼす存在になっていく。
概歴
帝国暦467年(宇宙暦776年)3月14日、ゴールデンバウム朝銀河帝国の首都星オーディンにて誕生。父は下級貴族セバスティアン・フォン・ミューゼル、母はクラリベル。5歳年上の姉アンネローゼ(後のアンネローゼ・フォン・グリューネワルト)がいる。
幼少時に母クラリベルを交通事故で失い、その後、父セバスティアンが財産を食いつぶして下町に転居。隣家に住んでいた同級のジークフリード・キルヒアイスと出会う。ラインハルトが10歳の時、当時15歳だったアンネローゼが、時の皇帝フリードリヒ4世の後宮に納められ、それに伴いラインハルトも帝国軍幼年学校に進む(一ヶ月後、キルヒアイスもラインハルトに誘われて幼年学校に進んでいる)。
幼年学校では首席を通して15歳で卒業し、少尉として任官。帝国暦482年7月、赴任先の惑星カプチェランカでの地上戦で中尉に昇進。武勲を重ね、帝国暦486年2月の第3次ティアマト会戦での功績で大将に昇進する。同年3月に発生したクロプシュトック事件に関連して、ウォルフガング・ミッターマイヤーとオスカー・フォン・ロイエンタールを実質的に配下に加え、それと引き換えに有力な門閥貴族であるオットー・フォン・ブラウンシュヴァイクと対立する形になる。また、元々アンネローゼの後宮入りを快く思っていなかったシュザンナ・フォン・ベーネミュンデや、ブラウンシュヴァイクの甥であるフレーゲルからは、度々命を狙われる事態が生じる。
帝国暦486年9月に発生した第4次ティアマト会戦で功績を上げた後、20歳にして上級大将となり、同時に直系が絶えていたローエングラム伯爵の家督を相続。ラインハルト・フォン・ローエングラムと名乗る様になる。その名と地位での初陣となった帝国暦487年初頭のアスターテ会戦では2艦隊を撃滅するという功績を上げる。途中から自由惑星同盟第2艦隊の指揮を引き継いだヤン・ウェンリーに完全勝利を阻まれたものの、帰国後の3月19日、帝国元帥[3]及び宇宙艦隊副司令長官に任じられ、宇宙艦隊の半数の指揮を任されて元帥府を開き、前述のミッターマイヤーとロイエンタールを初めとする若手の指揮官を登用。さらに、5月に発生した第7次イゼルローン攻防戦から脱出したため懲罰を受ける立場にあったパウル・フォン・オーベルシュタインを救済して自陣営に招き入れた。
帝国暦487年8月から開始された同盟軍による帝国領侵攻に対して防御/迎撃の任に当たったラインハルトは、焦土作戦によって同盟軍を疲弊/消耗させ、決戦の場となったアムリッツァでは、ヤン率いる同盟第13艦隊によって完全勝利を逃してしまうものの、大局では勝利する。その直後にフリードリヒ4世が崩御。ラインハルトは国務尚書クラウス・フォン・リヒテンラーデと組んで5歳のエルウィン・ヨーゼフ2世に皇位を継承させ、枢軸体制を確立した。488年4月、これに反発した門閥貴族との間でリップシュタット戦役が勃発。この時点でヒルデガルド・フォン・マリーンドルフ(ヒルダ)が、家督と財産を保障する条件でラインハルトに味方する事を約束している。9月、決戦の場となったガイエスブルグ要塞で貴族連合軍に勝利するが、それに先んじて貴族連合軍によるヴェスターラントへの熱核攻撃を阻止せず、それによって門閥貴族の非人道性を帝国全土に知らしめるという策謀を選択し[4]、それが遠因となってキルヒアイスが殺害される。ラインハルトは一時的に自失状態となるが、アンネローゼとの会見によって自分を取り戻し、政敵となったリヒテンラーデを排除して帝国の事実上の支配権を獲得する。
帝国暦489年8月、エルウィン・ヨーゼフ2世の誘拐事件に端を発した同盟領侵攻作戦「ラグナロック(神々の黄昏)」を発動。翌490年5月、バーミリオン星域会戦でヤン艦隊に追い詰められながらも、ヒルダの機転と策謀で同盟政府が無条件降伏。オーディンに戻ったラインハルトは、名目上の皇帝であるカザリン・ケートヘンの父親であるペクニッツ公がサインした退位と禅譲の宣言書に基づき、6月22日、皇帝に即位した。同時に帝国暦は廃止され、新帝国暦1年とした。
7月6日、ヒルダの親類にあたるハインリッヒ・フォン・キュンメル邸で暗殺未遂事件が発生。10日の御前会議で、背後で暗躍していた地球教の討伐をワーレンに命じた。8月、同盟で発生したヤンの逮捕に始まる一連の動乱によって、遷都を考えていたフェザーンに大本営を移すと宣言し、ラインハルト本人も9月に移動した。11月には、バーラトの和約が破棄されたと宣言し、第2次ラグナロックを発令。翌新帝国暦2年2月20日、ハイネセンに於いて冬バラ園の勅令を発し、政体としての同盟の消滅を宣言。イゼルローン要塞のヤン一党及びエル・ファシル独立政府を除き、事実上の人類社会の支配者となった。
4月にイゼルローン要塞のヤン一党を討伐すべく進発し、回廊の戦いと称される会戦を始めるが、6月7日、果たすことなく撤退。ロイエンタールを新領土総督に任じ、帝国へ戻る。8月29日、戦没者墓地でヴェスターラントの生き残りと称する者による暗殺未遂が発生。その夜ヒルダと男女の関係を結ぶ。10月に新領土へ行幸を行うが、途中で立ち寄ったウルヴァシーで暗殺未遂が発生。脱出には成功する。この事件がきっかけとなって発生した新領土での動乱が治まった後の12月30日、ヒルダから懐妊の報告を受け求婚。受諾したヒルダとともに、新帝国暦3年の新年パーティーで結婚と妊娠を報告した。結婚式の催行は同月29日。2月、イゼルローン回廊でイゼルローン軍と帝国軍との間で戦闘が発生。5月にハイネセンでの動乱を治めた後、イゼルローン軍を討伐する為に進発し、29日からシヴァ星域会戦が開始される。しかし31日、後に皇帝病とも呼ばれる変異性劇症膠原病によってラインハルトが昏倒。それに乗じてブリュンヒルトに乗り込んできたユリアン・ミンツと対面。戦闘を停止させる。なお、この戦闘停止の後、ラインハルトが不治の病に侵されている事が公表された。
イゼルローン共和政府との会談の場となったハイネセンを経由して、7月18日にフェザーンに戻ったラインハルトは、そのまま仮皇宮で病床に伏し、26日23時29分に逝去した。25歳。ローエングラム朝の皇帝としての治世は2年余。
人物
実在/架空を問わず、知名度の高い人物、或いは何らかの業績を成し得た人物の多くは、その評価に毀誉褒貶がある[5]。ラインハルトも例外ではなく、その業績により数多くの人々が旧権力体制からの搾取と不公平から逃れられた一方、戦闘員/非戦闘員の別なく多くの人命を失わせ、複数の政体/共同体を滅亡させており、それらの側の人間からは批判/非難が寄せられる[6]。本節ではそれらを踏まえ、可能な限り俯瞰での観察になるように努めている。
外見
身長は本伝開始の時点で183cm[7]。黄金色の髪と蒼氷色(アイス・ブルー)の瞳を持つ。容貌は良いという記述が多く、ラインハルトを快く思っていない者或いは対立勢力からも「金髪の陶器人形[8]」、「かぼそい象牙細工[9]」と、キルヒアイスの言う「均整と精巧の美が存在する[10]」ことを示唆した表現が多く用いられる。
ただし、ラインハルト自身はそれらを「自分の努力によって得た結果では無い」として、積極的に誇った事も利用した事も無い。また、他者に対する論評も外見を重視する事は無く、旧体制下で知り合った、中身よりも外見に魅力が多い女性達に対して、頭の中にケーキのクリームが詰まっていると批判し、交際する可能性を否定している。
性格
「戦いを嗜む」と評される様に、積極的かつ好戦的な性格を有している。
幼少時の学園生活の頃から、売られたケンカは買うという姿勢であり、相手が多数でも、1人或いはキルヒアイスと2人で戦いにのぞんでいる。権力を掌握した後に発生した外交上の選択肢に於いても、ラグナロック、第2次ラグナロック、回廊の戦いなど、和平交渉よりも開戦を選ぶ事が多い。実際、上記の戦いのさなかに、秘書官のヒルダや副官のシュトライトから度々和平交渉/戦闘回避の提案が為されているが、それらは概ね却下されている。だがその一方で、第6次イゼルローン攻防戦後に於ける軍上層部の「戦死者が少なかった」という見解に対する怒気や、アスターテ会戦でヤンに消耗戦に持ち込まれた時の「無意味な犠牲は避けて撤退する」という判断などから、単なるヒャッハー主戦論者では無い事が伺える。
理知的で客観的、強い意志に基づく言動が見られる反面、時として感情を優先させる傾向があり、精神的に脆い面も見せている。エミール・フォン・ゼッレに対して「自分は、逃げる必要がある時は逃げる」と言いながら、バーミリオン星域会戦でヤンに追い詰められ、シュトライトに脱出を促された時は、あまり客観的とは言えない反論で拒絶している。また、ジークフリード・キルヒアイスがアンスバッハに殺害された時は、部下の眼前で取り乱し、その後何日も自失状態に陥っている。さらに、ヤンの死を耳にした時は、その訃報を持ってきたヒルダに八つ当たりするという醜態も演じている。ただし、当のヒルダはそれに対して何らかの負の感情を表す事は無かった。また、年末に求婚を受諾した際、ヒルダはその欠点さえも貴重なものだと思ったと記されている。
他者への評価は、法律や立場を越えた自分なりの判断基準がある。ジョアン・レベロを殺害して降伏してきたロックウェル一党に対しては、その行為に美点を感じる事が出来ず、それを知らされたロックウェルが、弁明の過程でアーダルベルト・フォン・ファーレンハイトの宗旨替えを自分達の行為になぞらえると、法の加護を要求する声を無視して、激高するファーレンハイト本人に処刑を命じている。逆に、ヤン・ウェンリーやアレクサンドル・ビュコックなど、敵対する相手であっても尊敬に値する人物と判断すればその気持ちを表し、政敵となったヘルマン・フォン・リューネブルクの家庭の事情を知った時には同情を寄せ、キルヒアイスを殺害したアンスバッハに対しては主君への忠誠という点から明確な憎しみを感じる事が出来ず、ハイネセン占領時に共和主義者の意地を示した中堅以下の同盟軍人や官僚達には寛大な処置を命じている。特に、末尾の出来事は、作品内でも個人的感動或いは感傷の実体化であるとされている[11]。
私生活は質素である。
幼少時は経済的事情から質素にならざるを得なかったが、皇帝に即位した後も、元帥府はフェザーンのホテルを改装したものを使っており、私室はシングルルームで済まそうとした。あまりにも質素すぎるので下の者まで生活が萎縮する、という提言を受けて考えてみると返答したものの、本人は豪華な邸宅には嫌悪感すら示したとされ[12]、その住居は本伝終了まで豪華なものにはならなかった。新婚時に仮の皇宮とされた柊館は、元々ミッターマイヤーの住居として用意された30室ほどの邸宅であり、その後のヴェルゼーデ仮皇宮は、それを見たユリアン・ミンツがあまりにも質素で驚き、一度だけ外観を見たオーディンの新無憂宮の1/1000の規模も無いだろうと思ったと記述されている。なお、ラインハルトの皇宮として計画された獅子の泉は、結局ラインハルトが使用する事は無かった。
演じた人物
関連動画
関連コミュニティ
関連項目
獅子の泉の七元帥 |
|
銀河帝国 |
自由惑星同盟 |
関連リンク
脚注
- *黎明篇第一章の冒頭部など、一部で「ローエングラム伯ラインハルト」と姓が先に記述されている場合もある。
- *作者の田中芳樹の言。徳間書店刊「銀河英雄伝説」読本(1997年発行)p.150を参照の事。
- *この時点で元帥は4人しか居なかった。ラインハルトを含めて5人となる。
- *旧アニメ版ではオーベルシュタインの策謀により選択肢を失う形になっているが、原作小説ではラインハルト自身が決断している。
- *例えば、ラインハルトが軍人になる以前、アルフレッド・ローザスがブルース・アッシュビーに纏わる噂について「神話が生まれれば反神話が生まれる」と見解を述べている。
- *端的な例では、ヴェスターラントの住民200万人を殺したのはラインハルトだという見方があり、新帝国暦2年8月29日に発生した戦没者墓地でのテロ未遂事件の犯人は、その見方に基づいて行動している。
- *黎明篇第1章(p.22)のキルヒアイスとの会話より。
- *黎明篇第2章(p.55)より。
- *外伝第3巻第6章(p.152)より。
- *外伝第3巻第6章(p.157)より。
- *怒濤篇第7章(p.171)より。
- *怒濤篇第7章(p.172)より。
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