ホクトボーイとは、1973年生まれの日本の競走馬・種牡馬である。鹿毛の牡馬。
1976年の年末に重賞を勝利して翌年から世代の筆頭TTGのライバルとして活躍した、関西の期待を背負うテンポイントに続いて現れた「西の新星」。
主な勝ち鞍
1976年:阪神大賞典
1977年:天皇賞(秋)(八大競走)、朝日チャレンジカップ、京都記念(秋)
1979年:スワンステークス
※当記事では活躍した当時に合わせて旧馬齢表記(現在の表記+1歳)を使用しています。
概要
父テスコボーイ、母フィリバスター、母父バステッドという血統。
父テスコボーイは既に皐月賞馬ランドプリンスや二冠馬キタノカチドキを送り出し成功していたイギリス産の外国産種牡馬。ホクトボーイにとっては父であると同時に最大のライバルトウショウボーイの父でもあった。
母フィリバスターはイギリスから輸入された1969年生まれの繁殖牝馬。72年に輸入されると未出走のまま繁殖入りし、ホクトボーイが初年度産駒である。ホクトボーイが生まれた年は1973年なので、なんと種付けされたときは4歳(現3歳)ということになる。後に21歳になるまで繁殖牝馬として活躍した。
母父バステッドは4歳時無敗の4戦4勝の実績を残し、種牡馬としても活躍。現代でもディープインパクトやロジユニヴァースの母系にも名を残している。産駒には力がいる馬場での消耗戦を制するパワーをよく伝えていたという。
1973年4月22日に後のミホシンザンの出身牧場である浦河の日新牧場で生まれた。その後朝日杯を勝ったホクトフラッグなど「ホクト」の冠名で活動する森滋[1]氏に購入され、冠名のホクトに父の名前を合わせて「ホクトボーイ」と名付けられた。3歳になったホクトボーイは後にアグネステスコでエリザベス女王杯を勝利する栗東の久保道雄厩舎に入厩した。
現役時代
1975年10月の新馬戦で久保調教師の娘婿久保敏文騎手を背にデビュー。ここは3着に敗れたが、1月後の未勝利戦で2着に5馬身差を付けて勝ち上がった。ここまでは順調だと思われたが、11月末の白菊賞で2.0倍の圧倒的な1番人気に支持されたものの13着に惨敗してしまい、次の出走は4歳3月末の300万下条件戦にずれ込み2着。次走で2勝目を挙げたものの出走出来たのは5月初めで、すでに皐月賞は終わっていた。次走の600万下白藤賞も勝利して連勝したものの、既に日本ダービーは翌日に迫っていて、結局春のクラシックには参加できなかった。
ホクトボーイは6月末までオープン戦を2戦して5着、6着とした後夏の休養を取り、三冠最後の菊花賞を目指して9月から復帰。900万下の条件戦を2戦して2着、1着と賞金を加算。しかも2戦目のムーンライトHはレコード勝ちというおまけつきで、陣営は菊花賞でも通用すると自信を持っていた。しかし重馬場で開催された本番の菊花賞ではホクトボーイより低い出走順にいた12番人気のグリーングラスが勝利。初めてTTGの3頭が上位3着までを独占する中、ホクトボーイはいつも通りの後方待機から直線全く伸びを見せず、21頭立て17着と大敗を喫してしまった。
その後陣営は3着に敗れていた同父のトウショウボーイと同じく、ホクトボーイも長距離が苦手なのかと考え、それを確かめるために当時芝1600mの条件戦セントウルステークスに出走。2.4倍の1番人気に応えて快勝する。この勝利を受け陣営は次に年末に行われていた阪神大賞典に出走。重馬場3000mは菊花賞と同じ条件だったが、カブラヤオーやエリモジョージのライバルとして知られるロングホークを半馬身抑えてここも勝利。距離不安を解消し重賞馬になった。関西のファンはこれを見てテンポイントに続く関西の有力馬が現れたと噂し、ホクトボーイは「西の新星」として関東馬に対抗する力を持つ1頭に数えられるようになった。
5歳時の1977年は1月の日本経済新春杯から始動し2着。続くサンケイ大阪杯も2着と勝ち切れず、3番人気だったマイラーズカップは9着に沈んだ。これを受けて天皇賞(春)では一気に10番人気まで人気が下がってしまい休養中のトウショウボーイがいない今テンポイントとグリーングラスの一騎打ちと目されていたが、ホクトボーイは勝ったテンポイントから2馬身ほどの3着と健闘し、グリーングラスにも先着して見せたのである。ホクトボーイは続けて宝塚記念に参戦。菊花賞以来のTTG揃い踏みとあって出走馬は6頭しか集まらず、しかもホクトボーイは最低人気6番人気で勝ったトウショウボーイから12馬身も離された5着に敗れ、失意のまま夏の休養に入ることになった。
夏の休養を終えたホクトボーイは9月末の朝日チャレンジカップから始動。トップハンデを背負わされたものの実績は頭一つ抜けているとみられ1番人気に支持され勝利。京都大賞典ではテンポイントにの6着に敗れたが、次走の京都記念(秋)では勝利して巻き返し、天皇賞(秋)の為に関東へ初めて遠征することになった。
1977年の天皇賞(秋)、ホクトボーイは前哨戦を勝利して来ていたものの、初めての東京競馬場であり、またなんだかんだ善戦しつつも2500mを超える距離では勝てていないこともあり17.0倍の5番人気に留まった。1番人気は勝ち抜き制度より不在のテンポイントに続いての勝利が期待されるトウショウボーイ、2番人気は春天2着のクラウンピラード、3番人気は菊花賞馬のグリーングラスだった。
レースでは当初1週目はトウカンタケシバが先頭に立っていたものの、並んでいたトウショウロックに道を譲ろうと動いたトウショウボーイが仕掛けと勘違いして持ち前のスピード能力で馬なりのまま先頭に立ってしまい、宝塚記念で楽逃げさせると追いつけないと学んでいたグリーングラスがすかさずそれに競り掛け、さらにスタミナに自信を持つクラウンピラードまでもがそれを追いかけたせいで馬群全体が前掛かりになって一気にペースが上がった。しかしただ1頭最後方のホクトボーイと久保騎手はそれに乗らず自分のペースを守り、一時はポツンとかなり離れた最後方を走っていた。しかし最終直線に入るころになると前方の馬たちの脚が鈍り、ホクトボーイは大外をぶん回して最後方から11頭をごぼう抜き。仲良く逆噴射するトウショウボーイとグリーングラスを横目に馬場の真ん中を突き抜け、内からしぶとく伸びていたクラウンピラードに2馬身半差を付けて八大競走初勝利を挙げた。ホクトボーイは父テスコボーイの産駒の内3200mの天皇賞を勝利した初めての、そして唯一の競走馬である。ホクトボーイは天皇賞(秋)の勝利の後休養に入ったので、年末のTTG最後の決戦となった有馬記念には出走していない。
6歳時の1978年は当時の天皇賞勝ち抜き制度により、昨年敗れた宝塚記念と残った八大競走の有馬記念を目標とすることになった。しかし天皇賞を勝利したことにより一気に増えた斤量に苦しめられ、京都記念(春)3着、サンケイ大阪杯6着、鳴尾記念では2着だったが同じ62kgを背負ったはずの「気まぐれジョージ」ことエリモジョージに大差を付けられてしまった。次走の宝塚記念直前のオープン戦では新人騎手の猿橋重利騎手を乗せて斤量差を抑えて勝利し、宝塚記念に3番人気で出走したが、またもやエリモジョージにぶっちぎられ、グリーングラスに次ぐ人気通りの3着に敗れた。
敗戦後ホクトボーイと陣営は有馬記念を目指して頭を切り替え、夏の高松宮杯6着の後休養に入った。休養明けは10月の京都大賞典となり、ここは7着と振るわなかったが、続くオープン戦2戦でそれぞれ有力馬のテンメイとカシュウチカラを破り連勝を決めた。この連勝により本番の有馬記念では前回TTGに次ぐ4着だった3.7倍のプレストウコウに次ぐ8.2倍の2番人気に支持された。しかしレースではカネミノブのレコード勝利の前に14着と惨敗。6歳時の勝利はオープン戦だけで、重賞を勝利することは出来なかった。
ホクトボーイは6歳時中々振るわなかったものの、まだ復活の見込みはあるとして7歳も現役を続行。過去2年のローテーションを合わせた日経新春杯、京都記念(春)、サンケイ大阪杯、マイラーズカップに続けて出走し3、8、4、6着と勝ち切れなかったものの善戦。5月に始めて出走したスワンステークスでは相変わらずの斤量だったもののそれを克服して1年半ぶりの重賞勝利を達成した。この勝利で宝塚記念では3番人気に支持されたものの、1番人気のサクラショウリの8着、休養後オープン戦を叩いて出走した有馬記念でもグリーングラスに敗れ、これを最後に引退した。通算成績41戦13勝。うち重賞5勝。
天皇賞を勝った後は上がった斤量に苦しめられ、追い込みのステイヤーという脚質からレースの展開が向かないとなかなか勝てないことも多かったものの、展開さえ向けば最後方から全馬ごぼう抜きの派手なレースを見せファンを増やした。引退レースの有馬記念でも16頭立て15番人気と記念出走だと思われていたが、後方から追い込んで5着に入り掲示板にのっている。同じ父を持つ先行型のトウショウボーイとは何かと好対照な、テスコボーイの産駒としては珍しい馬であった。
引退後
引退後は当時シンザンがいた浦河の谷川牧場で種牡馬入り。トウショウボーイと同じテスコボーイの産駒ということで内国産種牡馬としてそこそこの牝馬を集めた。成績もそれこそトウショウボーイには及ばなかったものの、産駒の中からは栃木三冠馬となったサラノオーが現れ、トウショウボーイと同じく地方とは言え三冠馬の父となるなど当時の内国産種牡馬の中では上位の成績だった。その後種牡馬としてまだまだ活躍していた1987年の夏に体調を崩し、そのまま回復しないまま10月5日に亡くなった。15歳没。奇しくも競走馬としてデビューした日と同じ日であった。
血統表
*テスコボーイ Tesco Boy 1963 黒鹿毛 |
Princely Gift 1951 鹿毛 |
Nasrullah | Nearco |
Mumtaz Begum | |||
Blue Gem | Blue Peter | ||
Sparkle | |||
Suncourt 1952 黒鹿毛 |
Hyperion | Gainsborough | |
Selene | |||
Inquisition | Dastur | ||
Jury | |||
*フィリバスター Filibuster 1969 栗毛 FNo.1-k |
Busted 1963 栗毛 |
Crepello | Donatello |
Crepuscule | |||
Sans le Sou | *ヴィミー | ||
Martial Loan | |||
Tugboat Annie 1963 栗毛 |
Ballymoss | Mossborough | |
Indian Call | |||
Annie Oakley | Big Game | ||
Annetta |
クロス:Nearco 4×5(12.50%)、Pharos=Fairway 5×5×5(9.38%)、Blenheim 5×5(6.25%)
主な産駒
- ダイテンスパルタ (1982年産 騸 母 サクラスワン 母父 *ミンシオ)
- サラノオー (1983年産 牡 母 ブラツクバンブー 母父 *ザラズーストラ)
- トミヒサダンサー (1983年産 牡 母 フオレストクイン 母父 *モンタヴァル)
- ミヤカツヒメ (1984年産 牝 母 ヤマフアラ 母父 *ファラモンド)
- ワイドガール (1984年産 牝 母 ハツラツク 母父 *ベイラーン)
- カツユキヒメ (1985年産 牡 母 アカサグレート 母父 *グレートホワイトウェー)
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関連項目
脚注
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