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池田 大作(いけだ だいさく、1928年1月2日 - 2023年11月15日)とは、第3代創価学会会長を経て現在、創価学会名誉会長である人物である。
概要
創価学園・創価大学・アメリカ創価大学のほか、(財)民主音楽協会、(財)東京富士美術館、(財)東洋哲学研究所、牧口記念教育基金会、戸田記念国際平和研究所など教育・音楽・美術・学術の諸団体を創立した。
国家指導者を初め、教育者、文学者、科学者、芸術家、社会活動家などと会見を多数行ってきた。また、中国・アメリカ・ロシアなど海外の大学・学術機関での講演もしてきた。
モスクワ大学、北京大学、グラスゴー大学、デンバー大学など数多くの大学、名誉学術称号を受けており、その数は300を超える。
社会的に批判・中傷されることの多い人物ではあるが、その実大半は虚構・デマである。
また『成 太作(ソン・テチャク)』と呼ばれ在日認定もされているが、明確な証拠はなく、憶測の域を出ない。
2010年5月を境に公の場から姿を消していたが、2023年11月15日に新宿区の居宅で老衰のため死去したことが、同年11月18日に創価学会より発表された。享年95歳。
生い立ち
- 1928年(昭和3年)1月2日生まれ。東京府荏原郡入新井町出身。富士短期大学卒。
- 1947年(同22年)、19歳で創価学会に入会。戸田城聖理事長(後の第二代会長)に師事する。
- 1960年(同35年)、第三代会長に就任。約20年間の在任中に、創価学会の飛躍的・国際的な発展をもたらす。
- 1975年(昭和50年)、SGI(創価学会インターナショナル)の会長に就任。
- 1979年(同54年)、名誉会長に就任。
- 2023年(令和5年)、死去。
著作
主な著書に、小説『人間革命』(全12巻)、『二十一世紀への対話』(A.トインビーとの対談)など。また、『さくらの木』などの童話や、『青春対話』など青少年向けの著作も数多い。
識者との会見
池田氏は、教育者をはじめ、宗教家、政治家など多くの識者と会見してきた。以下、その一部を紹介する。
- アーノルド・J ・トインビー博士(歴史学者)
- 周恩来氏(中国の総理大臣)
- ルネ・ユイグ氏(美術史家)
- ミハイル・ゴルバチョフ氏(旧ソ連初代大統領)
- ライナス・ポーリング博士(化学者、ノーベル化学賞・平和賞を受賞)
- ヘンリー・A・キッシンジャー氏(アメリカ合衆国元国務長官)
- パトリシオ・エイルウィン氏(チリ大統領)
- アウレリオ・ペッチェイ氏(ローマクラブ創設者)
- A・ペレス・エスキベル博士(アルゼンチンの人権活動家)
- ワンガリ・マータイ博士(アフリカ環境の母、ノーベル平和賞を受賞)
エピソード
1974年9月、当時、中ソ間が険悪な状況にあって、それをを初訪問した池田大作氏は、コスイギン首相(当時)と会見。そこで「ソ連は中国を攻めますか」と、率直に尋ねたところ、「攻撃するつもりはありません」との発言を受け、訪ソ後すぐに中国へ赴き、中国の首脳にこれを伝えた。
1990年、桜内義雄衆議院議長(当時)を長とする日本の国会代表団がソ連・ゴルバチョフ大統領を訪問。来日の日程を確定するつもりだったが、「北方領土問題」に触れたことで、先方が怒ってしまい、会談は中止に。その後、池田大作氏がゴルバチョフ大統領と会見することを知った外務省は、来日の日程を確定するように池田氏に要請。結果、来日が実現した。
1996年6月、池田大作氏は、キューバ共和国のカストロ国家評議会議長と首都ハバナで会見。常に軍服だった議長だが、この時は背広姿で会見に臨んだことが話題となった。
2007年4月、訪日した中国の温家宝総理と会見。その際、「政治家ではなく庶民の王者と会ってください」と語った。
会合で漫才を披露した久本雅美に向って、池田氏が「おもしろかったね」と声をかけた。久本雅美は感激のあまり「頭がパーンとなった」(本人談)という話がある。
関連動画
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補足
ニコニコではドラマーとしても高い実力を持ち、一部のファンからは根強い人気がある。
関連項目
第2代 | 第3代 | 第4代 |
戸田城聖 1951~1958 |
池田大作 1960~1979 |
北条浩 1979~1981 |
- | 初代 | 第2代 |
- | 池田大作 1979~ |
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