町山智浩(まちやま ともひろ)とは、アメリカに在住する日本人の映画評論家・コラムニストである。
概要
1962年東京都生まれ練馬区育ち。在日韓国人ヤクザの父と日本人の母との間に生まれる。既婚者、1女の父。
妹はタモリ俱楽部の空耳アワーを担当した放送作家の町山広美。
歯に衣着せぬ辛口+おバカな映画評論から映画ファンの間では結構有名。一方で一般紙や地上波局テレビでの活動があまりないため、知らない人は全然知らない、そんなビッグマイナーな文化人の1人。
96年の渡米以降に、映画などのサブカル分野を中心にアメリカ文化全般を評論するようなスタイルを確立する。
評論の傾向は基本的にリベラルな論調。後述するセックス&バイオレンスな嗜好の他、大槻ケンヂに『町山さんは社会的マイノリティーの描写に敏感過ぎかも』と評されるなど、“弱者”を題材として扱った作品を好む傾向がある。みうらじゅん曰く『社会不安を煽って稼ぐ、不安タジスタ』なる芸風。
自身もこういった嗜好は『やっぱり僕の明るくない生い立ちによるもの』と説明する。
略歴
家に居たり居なかったりなヤクザの父と母、妹の家庭に育つ。特に韓国・北朝鮮のことを知っていたわけではなく、在日の父も何を言うわけでもなかったため、ほとんどと言っていいほど関わりを持たずに育った。そのため、小学校などで朝鮮人の子として理不尽に苛められたことが今でも納得いかないという。
幼い頃からロック文化や映画、銃やバイクに興味を持ち、(練馬区の実家近辺に林立する)『あのガスタンクどもをいつか根こそぎ爆破してやりたい!』という怨念を飼いつつ時折『モテたいなあ』と呟くような、おバカな文系男子へと順調に成長。早稲田大学法学部に入学し、在学中の20歳頃からマイナーなアニメ雑誌などでアルバイトのライターとして文筆活動を始める。
卒業後は宝島社に編集者として就職、はじめての担当作家はみうらじゅんであった。みうらから『バカの町山』の称号を与えられ、現在も『みうらさんの弟子ですから!』と自称するほど強い影響を受ける。同社の雑誌『宝島』の名物投稿コーナー『VOW』の初期には『町山(バカ)』なる表記で誌面に登場しているのが確認できる。
かの有名な宮崎勤による猟奇殺人事件直後に企画・出版した「おたくの本」がベストセラーになり、社会へ『おたく』なる呼称を広めることに一役買う。ほかにも拉致問題発覚以前の北朝鮮を特集し批判、これに目を付けられ左派の言論人と紙上でケンカをするなど、名物編集者として知られるようになった。
しかし後年に本人も語るに『会社勤めに向いてなかった』ようで、社長と反りが合わなくなり子会社である洋泉社へ左遷(33歳ごろ)。当時の洋泉社は『出版社じゃなくて町工場みたいだった。どうすりゃいいんだと思った』というレベルだったと振り返る。
洋泉社ではオカルト界隈やインチキ科学、行き過ぎた陰謀論などをテーマにした意味不明の本をトンデモ本とカテゴライズし、晒して生暖かく見守るという主旨の『と学会』を企画したり、町山自身のコダワリである『映画とは、映画館でしか観られないようなものであるべき。つまり、車が何台も爆発しておっぱいが丸出しになって血がビュービュー出まくるようなものこそが映画なんだ!』 『テレビでそのまま流せるようなオサレ+低能デートムービーは死んじまえ!』に沿った映画を特集するカルト雑誌、映画秘宝を創刊し編集長を務める。
紙上では、宝島社時代に知り合った翻訳家・柳下毅一郎と「ファビュラス・バーカー・ボーイズ」を名乗り映画をコキおろす映画漫才企画がカルトな人気を博した。柳下とは、町×柳のやおい同人を鑑賞したこともある仲だとか(一応2人とも妻子ちである)。
しかし1年後の96年、老舗映画雑誌『キネマ旬報』と映画評のありかたを巡ってまたもケンカ、ごくごく一部で有名な
『キネ旬パイ投げ事件』を起し(当時34歳)、洋泉社を退職し一家でアメリカへと移住を決めた。
後に語るには『もうちょっと冗談が通じると思ったんだけどねえ』とのこと。
渡米後しばらくは映画学校や脚本教室に通いつつ、英会話の修行や育児などに専念。『いきなりアメリカに行ったって
仕事があるわけないし、妻はアメリカの某一流企業に中途採用されたのでヒモ状態でした』とか。
その後、妻の仕事の都合などでアメリカ国内を何度か転居し、カリフォルニア州サンフランシスコの町・バークレーに落ち着く。
以降、日本では取り上げられないアメリカ映画界の動向やアメリカの人気テレビ番組、B級文化、政治状況などの
リポートや評論、TBSラジオや本人の公式サイトでのラジオ活動、Twitterを使った発言の数々が徐々に実を結び、
評論家としての知名度を上げつつある。
また、ニコニコ動画についても、自身が出演する過去のラジオ音声がニコニコ動画にアップロードされると、それをTwitterを使って自分で告知するなど、仕事用ツールとして利用するつもりの様子。
『人気コラムニストとか止めてくださいよ!知らない親戚とかやってくるかも知れないじゃないですか!』
映画評論の評価
日米の映画作品や国内外の映画業界、アニメ、特撮、小説などサブカル分野の広範な知識に裏打ちされた細やかな評論や、業界に迎合せず、『崖の上のポニョ』などの大作・傑作の短所も遠慮なく指摘する硬派な姿勢が高く評価される。一方で、本格的な解説を始める前にしょうもない小ネタで茶化しまくって本題から逸れたり、批判対象にバカだの死ねだの連発する下品な口調のため、嫌う人からはヒジョーに嫌われる。
また、在日二世という出自ゆえの左派的な発言は、ときに右翼の非難の的になる。特に『パッチギ!』『GO』など在日コリアンを扱う日本映画や、韓国映画を高く評価するとネットで叩かれる。本人は特に気にしていないが。
2011年3月末には、Twitterにてうろ覚えの映画の粗筋を書いて質問すると、すぐにその映画の正確な題名等を答えてくれるという人間映画データベースと化した。(その当時の履歴)
これは同月21日に出版された自著「トラウマ映画館」の宣伝告知のため、Twitterでファンと頻繁にツイートを交換しているうちに自然と始まってしまったもの。途中で盟友・柳下毅一郎や映画好きな他のフォロワー達からのアシストを受けたり、最終的には「まずはググッてくれ!」という悲鳴をあげることになるのだが、27日から28日の延2日間にわたり、ピーク時には2.3分程度の間隔で、A級B級のタイトルを問わず片っ端からツイートに答えてゆく様はフォロワー達から大いに賛辞を浴びた。
関連動画
関連項目
- 勝谷誠彦……同じ番組に出演していたが、編集者時代の町山と対立したことがあったようである。
- 戸田奈津子……業界内から彼女の翻訳方法や字幕を先頭に立って批判し始める
- 宮崎哲弥……宝島社在籍時に編集者として彼を担当。
- 大槻ケンヂ……同じく宝島社在籍時に編集者として、彼のアイドル対談企画・映画評論企画などを支える。
- みうらじゅん……師匠。
関連リンク
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