Sd.Kfz.251とは、第二次世界大戦においてドイツ軍で使用されたハーフトラック式の中型装甲兵員輸送車である。
ドイツ語では「mittlerer Schützenpanzerwagen(ミッテーラーシュッツェンパンツァーワーゲン、略記m.SPW)」と表記される。また、開発を行ったメーカーに由来して「ハノマーク」とも呼ばれる。
概要
第一次世界大戦後、世界各国に先立ち「戦車の集団運用」という新たなドクトリンを打ち立てたドイツは、戦車の援護に欠かすことのできない歩兵部隊をそれらに随伴させられるだけの車両を必要としていた。それまで歩兵を輸送する手段としては自動車やトラックなどが存在していたが、これら装甲を持たない乗り物では銃砲飛び交う前線での運用は危険であり、また不正地における踏破性においても問題があった。
そこでドイツ軍が目をつけたのがハーフトラックであった。これは装輪式の車両の後ろ半分(Half)を装軌式(Truck)としたもので、貨物自動車など既存の装輪式車両からの改造が容易であり、なおかつ戦車に引けを取らないだけの踏破性を併せ持ったものであった。
1938年初頭よりハノマーク社にて開発が開始され、同年末にプロトタイプが完成した。これは10.5cm leFH軽榴弾砲の牽引に用いていた牽引力3tのハーフトラックである「Sd.Kfz.11」をベースにオープントップ式の戦闘室と装甲を施したもので、完成と同時に「Sd.Kfz.251」として制式化され1939年6月より量産が開始された。
実戦
当初の目論見通り、ドイツ軍の電撃戦においては少数の配備数ながらその力を存分に発揮した。銃弾を防ぐための十分な装甲を持ち、なおかつ防楯つきの機銃をはじめとした反撃用の武器も搭載する本車はドイツ軍装甲兵員輸送車の代名詞となり、歩兵部隊にとって欠かせない存在となった。戦車部隊とともに相手を蹂躙する、徹底的に機械化された歩兵部隊はドイツ軍陸上部隊の要となったのである。
一方でいくつかの問題も抱えていた。連合軍側の装甲兵員輸送車であるM3ハーフトラックと比べると、本車の装軌部分は接地面積が大きいものの構造が複雑であり、工数が多かったことから生産性が低かった。そのためコストパフォーマンスや前線配備速度の面では不安があった。また前輪がステアリングのみであることやエンジンの出力がそれほど高くなかったことから踏破性もやや劣っていた。
バリエーション(型番)
いずれの型番でも10名(操縦手と車長を含めると12名)の兵員を輸送可能となっている。
- Sd.Kfz.251 Ausf.A(中型装甲兵員輸送車A型)
- 最初の生産型。運転席や兵員室などに可動式の視察口を備え、車体側面には雑具箱をそれぞれ3つずつ搭載している。また前面装甲の前にバンパーも備えており、見た目としては同じくドイツ軍で用いられていた偵察用の装甲車に近いものとなっている。装甲は最大14.5mm、最高速度は53km/hである。
- 1939年6月から同年末にかけて232両が生産された。
- Sd.Kfz.251 Ausf.B(中型装甲兵員輸送車B型)
- A型の改良型。可動式の視察口が固定式となり強度と生産性が向上したが、それ以外には特に変化はない。
- 1940年初頭から同年中旬にかけて100両前後が生産された。
- Sd.Kfz.251 Ausf.C(中型装甲兵員輸送車C型)
- B型の改良型で、車体の設計が大きく変化している。
- 前面装甲が車体側面に合わせた2枚ものから上面の面積が大きい1枚板に変更され、バンパーが廃止された。また軌道部分の上面にあるフェンダーが若干湾曲を持つようになり、雑具箱の位置も後退した。
- さらに車体組み立てに溶接を用いたことによって、先述の仕様変更と相まって生産性と防御力が向上した。ただし溶接技術が未熟な工場も存在していたため、応急処置として従来のリベット製法を用いた車体もある。
- なお、ここまでの3型式はアルテ(Alte、『旧式』の意)と呼ばれた。
- 1940年中旬から1943年8月にかけて4100両前後が生産された。
- Sd.Kfz.251 Ausf.D(中型装甲兵員輸送車D型)
- 従来の工法を一新し、更なる簡略化による生産性向上を目指したタイプ。C型の構造の うち半分に至る部分が改設計されており、外見も大幅に変化してシンプルなものとなった。
- まず軌道部分上面のフェンダーがその上にあった雑具箱と一体化し、側面装甲板の角度もほぼ垂直となった。後部の乗員用ハッチも折れ曲がっている部分がない1枚ものとなったが、両開き形式は従来通りであった。そのほか車体側面の視察口が単純なスリットとなったり、ライト類の位置や種類が変更されていたりと従来型と比べて相違点が多い。
- 上記3型式に対し、この型式はノイ(Neu、『新式』の意)と呼ばれた。
- 1943年9月から終戦にかけて8801両が生産された。
バリエーション(装備)
本車は歩兵輸送用車両として生産されたものの、汎用性の高さから非常に多くの派生型が作られあらゆる部隊で活躍した。しかし皮肉な事に、そうした汎用性の高さから需要ばかりが高騰して生産力が追い付かなくなってしまい、本来の目的であった全ての歩兵部隊への配備は終戦までついに叶わなかった。
無線機や砲兵装を搭載または牽引しているタイプについては兵員室の一部が設備や弾薬庫に改造されており、それに伴い乗員も減らされている。これについては各バリエーションの説明文冒頭にて記載する。
なお、特に表記のないものはA型からD型までの全てのタイプで製作されている。
- Sd.Kfz.251/1(中型装甲兵員輸送車・兵員輸送型)
- 当初の目的通り兵員輸送のために生産されたタイプで、シリーズの基本形である。乗員は先述した通り12名。
- 武装は7.92mm MG34機銃を車体前方に防盾付きで1挺と車体後方に1挺の合計2挺(携行弾数2010発)である。さらに車内装備として機銃をもう1挺と、三脚式対空銃架も備えている。
- また本車は3.7cm PaK 36、5cm PaK 38、7.5cm PaK 40の各種対戦車砲を牽引することが可能である。
- このタイプには、さらに以下のような派生型がある。
- 重機関銃搭載型
- 重機関銃(sMG)による支援のために生産されたタイプで、乗員は11名。
- フロントシートの後方に三脚銃架が2つ設置され、前方機銃も簡略化された同じ形式の銃架となった。前方機銃の架台には俯仰角を操作できるハンドルとペリスコープを搭載し、従来型より精度の高い射撃が可能となった。さらに給弾も弾倉式からベルト式となっており、連射性能にも優れていた。
- ロケットランチャー搭載型
- ロケットランチャーによる支援のために生産されたタイプで、乗員は7名。
- 戦闘室の左右にロケット発射機である「ヴルフラーメン(Wurfrahmen、『発射フレーム』の意)40型」を3基ずつの合計6基を搭載する。この発射機からは28/32cmロケット砲41型(28/32cm Nebelwerfer 41)を発射可能で、その強大な破壊力と独特な発射音から「歩くスツーカ(Stuka zu Fuss)」と呼ばれた。
- 暗視装置装備型
- 暗視装置による夜間戦闘を行うために生産されたタイプで、乗員は不明。ファルケ(Falke、『鷹』の意)と呼ばれ、後述するSd.Kfz.251/20と共に運用された。
- 直径20cmの赤外線ライトと最大5倍の赤外線スコープを組み合わせた暗視装置を搭載し、約400mの視認距離を持っていた。また、前方機銃は7.92mm MG42機銃に上記の暗視装置を組み合わせた夜間戦闘仕様となっている。
- この暗視装置が実用化されたのは1944年になってからの事なので、ベースとなった車種はD型のみである。
- Sd.Kfz.251/2(中型装甲兵員輸送車・自走迫撃砲型)
- 歩兵部隊への直協支援のために生産されたタイプで、乗員は8名。
- 車載することで運用する迫撃砲兵の搬送における負担をなくすとともに、素早い陣地転換を可能とし損害を抑えることもできるようになった。
- 射撃は専ら車外に降ろして行われたが、車載したまま発射することもできた。ただし後者の場合は前方機銃と干渉してしまうため、これを想定し前方機銃は防盾ごと撤去された。
- 武装は8cm重迫撃砲34型(8cm sGrW34)1門(携行弾数66発)、7.92mm MG34機銃は車内装備用が残され携行弾数も同じである。
- Sd.Kfz.251/3(中型装甲兵員輸送車・大型無線機搭載型)
- 師団本部から各種部隊へ連絡を行うために生産されたタイプで、乗員は7名。
- 車体上面に搭載された大型のフレームアンテナが外見上の大きな特徴である。
- 指揮先の部隊によって装備する無線機の組み合わせが異なり、全部で5つのタイプが作られた。
- 武装は兵員輸送型と同じである。
- Sd.Kfz.251/4(中型装甲兵員輸送車・軽歩兵砲牽引型)
- 歩兵部隊で直接運用する砲装備である7.5cm軽歩兵砲18型(7.5cm leIG 18)の牽引のために生産されたタイプで、乗員は7名。
- 兵員室の一部が弾薬庫に改造されており、6発入りの砲弾ケースを20個(合計で120発分)を搭載した。
- 武装は車内装備の機銃のみで、携行弾数も1100発となっている。前方機銃は撤去されている。
- 生産が1943年初頭で打ち切られたため、D型ベースの車両は存在しない。
- Sd.Kfz.251/5(中型装甲兵員輸送車・工兵輸送型)
- 工兵部隊を輸送するために生産されたタイプで、乗員は9名。
- 兵員室の一部を機材庫に改造しているが、大掛かりではなかったため乗員は他のタイプほど減っていない。
- 武装は兵員輸送型に準ずるが、携行弾数は4800発と倍以上になっている。
- 本車も生産が1943年で打ち切られており、D型ベースの車両が存在しない。また同年には本車の大半が発展型のSd.Kfz.251/7に改造されている。
- Sd.Kfz.251/6(中型装甲兵員輸送車・装甲指揮車型)
- 前線での指揮を行うために生産されたタイプで、乗員は7~8名。かのハインツ ・グデーリアンも西方電撃戦において本車から指揮を執った。
- 外見から中身に至るまでSd.Kfz.251/3によく似ているが、本車の特徴として暗号解読機「エニグマ」も搭載できる 点が挙げられる。
- 武装は前方機銃のみで、携行弾数は1100発である。
- これも1943年で生産が打ち切られており、D型ベースの車両が存在しない。多くがA型ベースとなっている。
- Sd.Kfz.251/7(中型装甲兵員輸送車・工兵輸送型)
- 工兵部隊を輸送するために生産されたタイプで、乗員は7~8名。Sd.Kfz.251/5の発展型である。
- Sd.Kfz.251/5の装備に加えて車外に小型の突撃橋を搭載、さらに一部の車両には7.92mm対戦車銃39型(7.92mm PzB39)1挺(携行弾数40発)も車内装備として追加された。
- 武装はSd.Kfz.251/5と同じである。
- Sd.Kfz.251/8(中型装甲兵員輸送車・野戦救急型)
- 負傷兵を搬送するために生産されたタイプで、乗員は3名。
- 戦闘室の座席が可倒式となり、これを上げることによって担架兼用のベッドを架けることができるようになった。
- 軽傷なら10名まで座らせることができ、重傷なら4人までを寝かせることができた。
- 武装は一切搭載されていない。
- Sd.Kfz.251/9(中型装甲兵員輸送車・自走榴弾砲型)
- 火力支援のために生産されたタイプで、乗員は3名。
- IV号戦車の長砲身化に伴い余剰となった短砲身砲を活用すべく開発された。砲は助手席を撤去し、視察口があった場所を切り欠いて搭載された。これは前期型と呼ばれ、後期型では戦闘室前方の天井に直接マウントする方式をとった。また後期型では搭載砲も改良され成形炸薬弾を撃てるようになった。
- 各戦闘車両の長砲身化における歩兵支援車両の不足をIII号戦車N型と共に補い、前線の歩兵部隊から大いに支持された。
- 武装は7.5cm戦車砲37型(7.5cm KwK 37)1門(携行弾数52発)、7.92mm MG34機銃を車内装備用として装備し携行弾数は2010発となっている。
- 前期型はC型およびD型がベースとなり、後期型は全てD型がベースとなっている。
- なお、本車の愛称である「シュトゥンメル(Stummel)」はドイツ語で「切り株」という意味であり、搭載する7.5cm戦車砲37型の砲身の短さに由来する。この呼び名はIV号戦車に搭載されていた時から使用されており、本車以外にSd.Kfz.233やSd.Kfz234/3といった短砲身砲を搭載する装甲車にもこの愛称が使用された。
- Sd.Kfz.251/10(中型装甲兵員輸送車・火力支援型)
- 歩兵部隊の火力支援のために生産されたタイプで、乗員は3名。小隊長用車両という名目がある。
- 搭載する砲の対戦車能力は元が元なのでごく限られていたものであったが、榴弾を使用した銃座やトーチカに対する攻撃は有効であった。
- 防盾は当初は装備していなかったが、後に対戦車砲と同様のものか簡略化された小型のものを装備した。
- 武装は3.7cm対戦車砲36型(3.7cm PaK 36)1門(携行弾数168発)、車内装備の機銃(弾数1100発)に対戦車銃(弾数40発)である。
- 全てのタイプで作られているが、専らB型かC型が使用された。
- Sd.Kfz.251/11(中型装甲兵員輸送車・電話線敷設型)
- 電話線を敷設するために生産されたタイプで、乗員は5名。
- 車内には電話線を巻いたリールが設置されており、車外についているホルダーを介して繰り出される。
- 武装は兵員輸送型と同じである。
- Sd.Kfz.251/12(中型装甲兵員輸送車・砲兵観測車型)
- 砲兵部隊の観測のために生産されたタイプで、乗員は6名。
- 様々な観測用機材を装備するほか、前方機銃の銃座が撤去され双眼鏡を搭載するための架台となっている。
- 武装は車内装備の機銃(携行弾数1100発)のみ。
- 本車は生産が1943年で打ち切られており、D型ベースの車両が存在しない。
- Sd.Kfz.251/13(中型装甲兵員輸送車・聴音記録型)
- 砲兵部隊の聴音による観測のために生産されたタイプで、乗員は不明。
- 集音機を搭載し、着弾時の音から位置を割り出した。この手段は大戦初期に見られた。
- 武装については不明である。
- これも1943年で生産が打ち切られており、D型ベースの車両が存在しない。また先述したように聴音観測自体が大戦初頭の手法であるため、生産数も他のタイプと比べて少ないと思われる。
- Sd.Kfz.251/14(中型装甲兵員輸送車・音響観測型)
- 砲兵部隊の音響による観測のために生産されたタイプで、乗員は8名。
- Sd.Kfz.251/13と同様に音による観測を目的としたもので、こちらはより精密な機器を使用したものと思われる。
- 武装については不明である。
- 本車も1943年で生産が打ち切られており、D型ベースの車両が存在しない。
- Sd.Kfz.251/15(中型装甲兵員輸送車・発射光観測型)
- 砲兵部隊の発射光による観測のために生産されたタイプ。
- 敵の火砲から放たれる光を観測することで位置を特定することが目的である。
- D型の生産開始と共に開発が行われたが、生産はされなかった。
- Sd.Kfz.251/16(中型装甲兵員輸送車・火炎放射型)
- 工兵部隊が行う火炎放射攻撃のために生産されたタイプで、乗員は4名。
- 戦闘室側面に2基の火炎放射器を搭載しているが、射角を妨げないよう右側が戦闘室中央、左側が戦闘室後方にそれぞれ設置されている。また戦闘室後部に噴射ポンプと補助エンジンが搭載されたため、乗員は上部からしか出入りできなかった。
- 武装は1.4cm火炎放射器42型(1.4cm Flammwerfern 42)2基(携行燃料700l)、機銃は兵員輸送型と同様である。この火炎放射器はIII号戦車ベースの火炎放射戦車にも搭載されており、開発を行ったメーカ名に由来して「ケーベ式火炎放射器」とも呼ばれる。
- Sd.Kfz.251/17(中型装甲兵員輸送車・対空自走砲型)
- 対空攻撃を行うために生産されたタイプ。
- 「2cm FlaK」の記事を参照。
- Sd.Kfz.251/18(中型装甲兵員輸送車・地図展開型)
- 砲兵部隊の観測のために生産されたタイプで、乗員は6名。
- 戦闘室から大きく出っ張った地図展開用の大型テーブルが外見上の大きな特徴となっている。
- 武装は一切搭載されていない。
- なお、Sd.Kfz.251/18の特殊車両番号が与えられたのは1944年8月の事であり、それ以前はなかった。
- Sd.Kfz.251/19(中型装甲兵員輸送車・電話中継型)
- 師団本部から各部隊へ連絡する際の電話交換を行うために生産されたタイプ。
- 乗員や装備など本車の詳細については不明である。
- Sd.Kfz.251/20(中型装甲兵員輸送車・暗視装置型)
- 暗視装置による夜間戦闘を行うために生産されたタイプで、乗員は4名。ウーフー(Uhu、『ワシミミズク』の意)という愛称が付けられ、先述のSd.kfz.251/1暗視装置搭載型「ファルケ」と行動を共にした。
- 直径60cmに及ぶ大型の赤外線ライトに、ファルケよりも大きな赤外線スコープを搭載した暗視装置を装備する。暗視装置は戦闘室後部に備えられているが、移動時は安定させるために前方に折りたたまれる。そのための足場が戦闘室側面の装甲板に取り付けられている。
- 本車に乗った指揮官が、同じく暗視装置を搭載したパンター中戦車の指揮を執った。
- 武装は一切搭載されていない。
- 本車は1944年8月から生産が始まっているため、ベースはD型のみである。
- Sd.Kfz.251/21(中型装甲兵員輸送車・対空自走砲型)
- 対空攻撃を行うために生産されたタイプで、乗員は4~6名。装甲板に囲まれた中にMG151機関砲を3門並列に搭載するが、これは前期型と後期型で口径が異なる。
- 制空権を喪失している中で機甲部隊を活躍させようと開発された対空自走砲で、改修にそれほど手間をかけずに揃えることができた。しかし高速度を以て攻撃を仕掛けるヤーボに対して人力照準でついていくのは困難であり、また構造上俯角が十分につけられず対地攻撃も有効でなかったため、思った以上の活躍はできなかった。
- 武装は前期型が15mm MG151機関砲、後期型が20mm MG151/20機関砲を3門(携行弾数2000発~3000発)である。
- 基本的にD型ベースだが、ごく初期にはC型ベースでも作られた。
- Sd.Kfz.251/22(中型装甲兵員輸送車・対戦車自走砲型)
- 対戦車戦闘を行うために生産されたタイプで、乗員は4名。Sd.Kfz.234/4と同時期に開発された。
- 大戦末期に急ぎ作られたものであったが車体規模に対して搭載砲が大きすぎたため機動力が低下し、また射角や携行弾数も限られていたため想定以上の活躍はできなかった。
- 武装は7.5cm対戦車砲40型(7.5cm PaK 40)1門(携行弾数22発)のみ。
- 本車は1944年12月から生産が始まっているため、ベースはD型のみである。
- Sd.Kfz.251/23(中型装甲兵員輸送車・偵察車型)
- 偵察任務を行うために生産されたタイプで、乗員は4名。
- Sd.Kfz.234/1やSd.Kfz250/9と同様の六角形砲塔を搭載した装甲車タイプとして開発された。
- 武装は2cm戦車砲38型(2cm KwK 38)1門(携行弾数100発)、同軸に備えられた7.92mm MG42機銃1挺(携行弾数2010発)である。
- D型をベースとして開発されたが、最終的に生産はされなかった。なお、現存する本車の唯一の写真はSd.Kfz.251/1とSd.Kfz.250/9の写真を組み合わせた合成である(よく目を凝らすとぼやけ具合が異なる)。
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初版者が大戦後期の兵器にあまり詳しくないため、D型系列のキットの解説がありません。 D型系列のキットをお持ちの方は、ぜひ解説文を加筆して頂ければ幸いです。 |
タミヤから発売されているC型リベット仕様のキットで、シリーズ番号は20。1973年初登場の、II号戦車や8.8cm FlaKと並ぶ古参キットである。Sd.Kfz.251が「ハノマーク」の名前で普及したのもこのキットの影響と思われる。
比較的少ない部品数ながら要点はしっかりと押さえられており、戦闘室内もしっかりと再現されている。キャタピラはベルト式であり、さらに熱による溶着の必要がないタイプとなっているため端部を引っかけるだけでできあがる。ただし古い金型のキットなので、シャフトのパーティングライン消しが少し大変かもしれない。
キットは可動部分が多い。先述した足回りに加えフロントタイヤも回転し、後部ハッチも開閉可能である。また説明書には記載されていないが、フロントアクスルと各機銃架も接着剤の使い方次第では可動式とすることができる。
同社製の3.7cm対戦車砲と同キットに付属する架台パーツを用いることで、Sd.Kfz.251/10を製作することも可能である。また後部のドローバーには切欠きがあり、同社製の3.7cm対戦車砲や7.5cm対戦車砲、2cm対空機関砲のトレーラーなどを取り付けて牽引シーンも再現できる。
マーキングは東部戦線とアフリカ戦線からそれぞれ選択でき、6種類の師団マークも付属する。さらに車体番号のデカールもセットされているので、好きな数字を設定することができる。フィギュアは前方機銃にて射撃姿勢をとる兵士や戦闘室上面から飛び降りようとする兵士などの5体が付属し、このキット1つで躍動感のあるジオラマが作れる。
そして説明書には本車の詳細な開発経緯や戦歴に実車の写真、さらにバリエーション一覧や本車を中心に組まれる装甲擲弾兵中隊の編成表まで網羅されている。
定価は2376円。現在でも定期的に生産されている定番キットなので入手は容易である。同社製のIV号戦車D型や各種歩兵セットと組み合わせて電撃戦を再現して頂きたい。また、オープントップ式車両の制作や千鳥配列で構成される複雑な足回りの組み立ての練習台としてもピッタリである。
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