真珠のきらめき
たとえば海の底に眠る
人魚の涙
あるいは潮に流された
月のしずくその光のかけらは
私の胸でこそ
明るくきらめくはずだ
シーキングザパールとは、1994年生まれのアメリカ生まれ、日本調教の元競走馬・繁殖牝馬である。
名前の由来は父から連想した真珠探索人の意味…だろうか。
主な勝ち鞍
1996年:デイリー杯3歳ステークス(GII)
1997年:NHKマイルカップ(GI)、ニュージーランドトロフィー4歳ステークス(GII)、シンザン記念(GIII)
、フラワーカップ(GIII)
1998年:モーリス・ド・ゲスト賞(G1)、シルクロードステークス(GIII)
この記事では実在の競走馬について記述しています。 この馬を元にした『ウマ娘 プリティーダービー』に登場するキャラクターについては 「シーキングザパール(ウマ娘)」を参照してください。 |
父はDubai Millenniumの父であり、競走馬としてはブライアンズタイムやフォーティナイナーの同期に当たるSeeking the Gold、母は後に輸入されたページプルーフ、母父はアメリカ三冠馬Seattle Slewというコッテコテのアメリカ血統の外国馬である。
近親にダンシングブレーヴの父にして一流の競走馬にして大種牡馬Lyphardがいるため、芝への対応力があると見込まれたのか、アメリカでのセリで主取りになったのち、庭先取引で輸入され日本にやって来ることになった。
当時はまだ評判の高くなかった佐々木晶三厩舎に入厩し、1996年7月に小倉でデビュー。圧倒的スピードで7馬身ぶっちぎりの大楽勝で大いに評判を上げ、新潟3歳ステークス(旧馬齢表記、現在は2歳ステークス)に向かう。
ここには同じく○外の大物シンコウスプレンダ、内国産馬のメジロドーベルらが出走していたが堂々二番人気に推される。
そしてレースが始まると、すぐに外に向かってすっ飛び逸走、鞍上武豊を振り落さんばかりになったシーキングザパールの姿があった。
代替開催していた中山競馬場???の嵐。当然ながら前には付けられなかったのだが、その後も不利を受けながら猛烈な末脚で3着に巻き返し実力をアピールする。
まあ、勝ったパーソナリティワン(父アスワンの内国産馬)からは3馬身は離されていたのでほめられたもんではないのだが…逸走した彼女にも完敗したメジロドーベルの気持ちも考えよう。
その後、デイリー杯3歳ステークスに出走。ここは単勝1.5倍の圧倒的人気に応え後の中山大障害馬ゴッドスピードや後の天皇賞馬メジロブライトを一蹴。5馬身差つけてレコードで圧勝する。牡馬相手にこんな勝ちっぷりをするとは、お前ヒシアマゾンか?ということで阪神3歳牝馬ステークスでは再び圧倒的一番人気を背負うが、中山で一敗地に塗れたのち虎視眈々と牙を研いでいたメジロドーベルの気迫に押された…と言わないと格好がつかない謎の凡走を見せ4着に敗れてしまう。
この頃はまだ、実力は凄まじいが安定感皆無な馬という評価であった。
年明け初戦のシンザン記念では再び牡馬を蹴散らし圧勝。当時の外国馬の大目標となった第二回のNHKマイルを目標に進んでいく…はずだったのだが、馬主と佐々木晶三調教師間でトラブルが発生。森秀行厩舎に転厩するという事件が発生する。
表向きは次のレースを巡っての対立とされたが、真相は不明である。当時実績がなく力のなかった佐々木厩舎から厩務員リストラを巡り厩務員組合と対立傾向だった森厩舎への転厩ということもあり、厩務員組合側は春闘のネタにする構えすら見せるなど、いろいろな方面を巻き込んだ大騒動となった。
ちなみに、佐々木晶三厩舎はこの屈辱をバネに、特定の騎手とがっちりタッグを組み職人的に馬を仕上げるスタイルを作り上げ、名うての癖馬・○外のタップダンスシチーを希代の先行馬に育て上げて見せた。
さて、話をパールに戻すが、当時の彼女は何かと多感な4歳春(旧馬齢表記)の若駒、ましてムラッ気たっぷりな彼女にとっては、人間のせいで舞い込んだトラブルでかしましいことになったのは大きなマイナスになってもおかしくなかったのだが、これを境に成績が安定していくのだから不思議なもの。
この後重賞をさらに二つ勝ち、NHKマイルカップも楽勝。青嶋アナの声も裏返る程の強さでGIを容易く獲得してみせたのである。タフな娘っ子である。
この時すでに重賞5勝を挙げるという暴れっぷりに、牝馬の重賞最多勝記録を狙えるのではないかという期待感を持たれる存在となった。
…のだが、秋は散々な結果となる。○外も出走できる第二回秋華賞を目指しローズステークスに出走したのだが、キョウエイマーチを捉えられず3着に敗れてしまう。
それだけなら良かったのだが、喉頭蓋エントラップメントという病を患い、手術のための休養を余儀なくされてしまう。この手術の後、転厩にも動じなかった泰然さは消え、カリカリした気性の持ち主になってしまう。
この後はスプリント・マイル路線に進むことになったが卓越したスピードはここでも通用し、シルクロードステークスを快勝するが、GIの高松宮記念では稍重馬場で伸びず4着、安田記念では記録的不良馬場にギブアップし10着といいところなく敗れてしまう。
アメリカンなパワーの有りそうな血統なのだが、不良馬場が苦手というあたりも彼女らしいといえばらしいのかもしれない。
ところで、安田記念を勝ったのはあのタイキシャトルで、彼はこの勝利の後欧州遠征することを本格的に表明。欧州に旅立ったのだが、それを受けてなのか、彼女もしれっと欧州にに旅立ったのである。計画自体は前々からぶち上げてはいたが。森調教師曰く、「ちょうどいいから検疫一緒に受けたろ、一頭だといろいろとアレやし」みたいなノリもあったという。
そんなノリで、綿密に計画を練っていた藤澤陣営と共に欧州に渡った彼女と森陣営だったが、使うレース選択でも藤澤陣営とまたいろいろとあった。
藤澤調教師は本当はイギリスのサセックスステークスに行きたかったが、馬主サイドの意向でフランスのジャックルマロワ賞に挑む方向で本決まりという事実を掴んだ森陣営は日本調教馬欧州GI初制覇の偉業をタイキシャトルより先んじてつかむべく、ジャックルマロワ賞の一週前に開催されるドーヴィル競馬場のGIモーリスドギース賞に照準を定め、輸送のリスクを覚悟で日本と同じくウッドチップと坂路で仕上げられるイギリス・ニューマーケットで、最高の調子で迎えるために調教を積んだ。
その狙いは見事に結実し、海外でかつての天才少女の輝きを再び燦然と放つ快勝劇を見せ、日本調教馬として初めて欧州GIを獲得した。
フランスの競馬新聞も「日本の爆弾娘、GIを獲得」 と大々的に報じたのだが、何よりびっくりしたのは出し抜かれた形になったタイキシャトル陣営と、彼女が遠征していたことに気づくものも少なかった日本の競馬ファンであった。
その後、結果として出し抜かれたタイキシャトルのジャックルマロワ賞制圧も相まって、日本競馬界に欧州遠征ブームが起き、アグネスワールドによる英仏スプリントGI制覇、エルコンドルパサーの長期遠征などが敢行され、日本競馬界の止まっていた時計を再び激しく躍動させることになったのだが、嚆矢は紛れもなく彼女であった。なんかセコく出し抜いた感はあるけど。
さて、日本調教馬欧州GI初制覇を達成した彼女は、続戦を検討しながら結局帰国したタイキシャトルとは違い、フランスに居残りムーランドロンシャン賞に前走は伏兵だったが、今回は本命格の一頭で出走。
しかし、他陣営のペースメーカー(鞍上はキャッシュ・アスムッセンというレジェンドジョッキー)による徹底マークと渋った馬場に苦しみ5着に敗れる。
失意のまま日本に帰国し、マイルチャンピオンシップでタイキシャトルとの欧州GI馬対決となったのだが武豊がサイレンススズカを失った失意の中長期の騎乗停止となり手の内に入れていない河内洋に乗り代わった影響か、引っかかって8着に惨敗。圧勝したタイキシャトルの添え物にもなれずに終わってしまう。
続くスプリンターズステークスでは、燃え尽き症候群にでもなったか走りたがらない病気になったタイキシャトルを大外シーキング!大外シーキング!大外シーキング! 外から華麗に差し切るが、その少し前には同父のマイネルラヴがいたため2着に泣いた。
その後、なぜか真冬にアメリカに遠征しダートの牝馬限定GIサンタモニカハンデを使ったがアメリカでは珍しいスローペースに戸惑い4着。
帰国した後も高松宮記念では良馬場でマサラッキに負け、安田記念ではエアジハードとグラスワンダーの死闘に加われない3着と、かつて見せた眩すぎるまでの才能の輝きは失せてしまったかのようであった。
森調教師は秋のプランも考えていたのだが、馬主サイドの意向で突然アメリカの牧場にトレードが決まり、生まれ故郷のアメリカへ。芝のGIIIを二戦使ったが芳しい成績は残せないまま引退。ケンタッキーの名門牧場であるクレイボーンファームで繁殖入りした。
その後は日本に情勢は杳として伝わらなかったが、初子のシーキングザダイヤ(父Storm Cat)が日本に輸入されデビュー。母と同じ森厩舎に入厩し、GIこそ2着ばかりだったが、同父の産駒がろくな結果を残していなかった日本において最高レベルの結果を残した。
初子の活躍に日本の競馬ファンが彼女を懐かしんでいた2005年夏、突然訃報が舞い込んだ。当初は死亡したという話しか伝わって来なかったのだが、後に放牧中に落雷を受けて感電死したという事がわかった。何にせよ、若くして逝った彼女を悼む声が上がったのは言うまでもない。繁殖牝馬としてもやれそうだっただけに残念である。
なお、末っ子となった牝馬Seeknfindの子が日本に入ってきているなどまだまだ日本とのつながりは切れてはいない。いつかまた、大舞台で彼女のように才気溢れる走りを見せる子孫が出ることを期待したいものである。
Seeking the Gold 1985 鹿毛 |
Mr. Prospector 1970 鹿毛 |
Raise a Native | Native Dancer |
Raise You | |||
Gold Digger | Nashua | ||
Sequence | |||
Con Game 1974 黒鹿毛 |
Buckpasser | Tom Fool | |
Busanda | |||
Broadway | Hasty Road | ||
Flitabout | |||
*ページプルーフ Page Proof 1988 黒鹿毛 FNo.17-b |
Seattle Slew 1974 黒鹿毛 |
Bold Reasoning | Boldnesian |
Reason to Earn | |||
My Charmer | Poker | ||
Fair Charmer | |||
*バーブスボールド 1978 黒鹿毛 |
Bold Forbes | Irish Castle | |
Comely Nell | |||
Goofed | Court Martial | ||
Barra | |||
競走馬の4代血統表 |
クロス:Bold Ruler 5×5(6.25%)
掲示板
11 ななしのよっしん
2022/05/20(金) 01:45:41 ID: m7Q2wll/zZ
そいや、当時はモーリスドギース賞って呼ばれていたけど、今はモーリスドゲスト賞って呼ぶのが一般だよね。
今はほとんどの媒体でシーキングザパールの海外勝利はモーリスドゲスト賞って紹介されている。
12 名無し
2022/05/21(土) 10:33:26 ID: aH7zwmY479
嫡孫アポロカンザシの仔たちがいま中央のダートを走り続けている。第一仔アポロノワキザシは去年退厩したらしい。貴重な血なので活躍してほしいな
13 ななしのよっしん
2022/08/17(水) 22:44:32 ID: sutYNuieAA
日本初の欧州G1制覇馬だから好き
やっぱり何でも1番最初じゃないとね
急上昇ワード改
最終更新:2025/01/13(月) 05:00
最終更新:2025/01/13(月) 05:00
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