「それでは、シンボリルドルフの栄光を始めるとしよう」
シンボリルドルフ(ウマ娘)とは、Cygamesのメディアミックスプロジェクト『ウマ娘 プリティーダービー』の登場キャラクター。
実在の競走馬「シンボリルドルフ」をモチーフとするウマ娘である。CV:田所あずさ
誕生日:3月13日 身長:165cm 体重:かなり理想的 スリーサイズ:B86/W59/H85
トレセン学園の生徒会長を務めるウマ娘。周囲から“皇帝”と呼ばれ、後輩ウマ娘達から畏敬の念を抱かれている。
性格は冷静沈着、公明正大。とてもストイックな性格だが、実はかなりの心配性で保護欲が強い。
トレセン学園の生徒会長。三日月のような白い前髪(流星)がトレードマーク。
堂々とした風格があり、時折四字熟語を交えて話す。厳格に見えるが、実は面白みのない性格と言われるのを気にしており、しょうもないダジャレや反応に困るような冗談を言う癖がある。
勝負服は緑色のブレザーで、胸元に3つ、腰に4つの勲章をつけている。肩章や飾緒のついた荘厳な姿はまさに「皇帝」の威容。ミニスカートの絶対領域は外していないのがポイント。
1期では、ストーリーが史実の90年代後半に則っているため、物語の開始時点で三冠ウマ娘であり、東京レース場には彼女らしき銅像が立っているなど別格の存在となっている。
フランス語が得意で来日したブロワイエの通訳も務めており、海外挑戦の経験(または志向)があるらしい。
2期では縁深いトウカイテイオーが主役であるため、テイオーの幼い頃の回想であったり、苦難に見舞われるテイオーを見守ったりとしばしば登場する。
| スピード | スタミナ | パワー | 根性 | 賢さ |
| 86 | 91 | 83 | 96 | 94 |
| バ場適性 | 芝 | A | ダート | G |
| 距離適性 | 短距離 | マイル | 中距離 | 長距離 |
| E | C | A | A | |
| 脚質適性 | 逃げ | 先行 | 差し | 追込 |
| B | A | A | C |
サービス開始時から育成ウマ娘として初期☆3[ロード・オブ・エンペラー]が実装。
脚質は逃げ先行差しどれでも行けるが、距離適性は完全に中長距離向きである。
このウマ娘の真髄は固有スキル「汝、皇帝の神威を見よ」にある。
文面が少し複雑に聞こえるかもしれないが、要するに「最終コーナーと直線で3つ順位を上げれば発動」ということで、特に差しや追込ならスタミナ切れで垂れないかぎりほぼ確実に発動できる、全固有スキルの中でもかなりゆるゆるな条件である。にもかかわらず爆発力も凄まじく、総合的に最強クラスの性能と言える。継承して他の差しウマに持たせても恩恵は大きい。
このスキルの存在とスタミナの成長補正による長距離戦への適応力、目標レースで自然に長距離戦の回数をある程度重ねられることから長距離系・差し追込系育成の入門としてはうってつけのウマ娘といえる。また、ファンを多く獲得できる王道路線が目標レースに指定されているので累計ファン数稼ぎにも適している。
なお、ルドルフ専用ではないが、モチーフにしたと思われる「皇帝」の二つ名をシナリオ目標で勝利していくだけで取得可能だが、一番難しいのが実はサウジアラビアロイヤルカップとの声もある。と言うのも、無敗でのクラシック三冠を達成する必要があるのだが、当の本人のマイル適正がやや低いためステータスが足りていても掲示板入りがやっと、下手すると下位惨敗なんてことも普通に発生するのである(惨敗の場合は時計を使えば良いが)。本気で狙う場合にはマイル適正を継承で上げることも考えよう。
短所を挙げるとすればダジャレ絡みというしょうもない理由でやる気を下げることくらいであろう。エアグルーヴのやる気ダウンイベントにまで絡んでくる有様。
また、固有スキルの強さ故なのか、対戦時も強敵となることが多い。史実再現で他と関わる部分がない立場である都合上、シナリオ中のライバルとして出走する機会には恵まれないが、その他の枠では普通に出走するので、「菊花賞は私のものだが?」と言わんばかりにライスシャワーとミホノブルボン(片方がプレイヤー、片方がライバル)を両方ぶち抜いて勝利みたいな自重しない皇帝がしばしば現れる。



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日本の中央競馬・公営競馬のナンバーワン同士が1着2着を分け合いました!
※1985年 ジャパンカップ フジテレビ盛山毅の実況より
日本競馬史上4頭目の中央クラシック三冠馬。初めてデビュー戦から無敗で三冠を達成し、さらに4つのG1勝利を積み重ねた「七冠馬」。馬名は神聖ローマ皇帝ルドルフ1世に由来し、名前に違わぬ「皇帝」として日本競馬に君臨した。
1981年生まれの牡馬。父パーソロン、母スイートルナ、母父スピードシンボリという血統。
当初主戦騎手は柴田政人の予定だったが、仕上がりが早くデビューの予定が早まったため急遽岡部幸雄に依頼され、引退まで一貫して騎乗することになる。1983年7月にデビューすると3連勝で2歳シーズンを終える。3戦目は現:朝日杯FSを避けて一般戦を勝っているが、このレースはジャパンカップの同日であり、海外のホースマンに強さを見せつける意図があった。
3歳初戦はG3(当時)弥生賞を制し、皐月賞では直線でビゼンニシキと衝突して岡部幸雄騎手が騎乗停止となったもののレースには勝利。東京優駿(日本ダービー)では勝負所で岡部の合図を無視し、自分のタイミングでスパートをかけて差し切り勝ち。ベテラン騎手が逆に競馬を教えられる結果となった。レース後は海外遠征を予定していたが、怪我により断念。
秋の復帰後はセントライト記念と菊花賞を連勝して三冠を達成。しかし2週間後のジャパンカップではカツラギエースの3着に敗れ、同レースの日本馬初勝利をさらわれた上に初めて敗戦を経験する。暮れの有馬記念はカツラギエースを徹底マークしてリベンジを果たし、史上初の3歳四冠馬となった。
当時は前年に三冠を達成したミスターシービーとよく比較され、シービーの鮮やかな追い込みに対してレースの内容が面白くないと言われ、人気では及ばなかったという。
明けて1985年の4歳時は天皇賞(春)を勝って五冠とした後、宝塚記念を勝って海外遠征をする予定だったが、左前脚を傷めて出走できず遠征も断念。復帰後は天皇賞(秋)にぶっつけで挑むも、ギャロップダイナに敗戦を喫する。引退も囁かれたが野平祐二師は復活を信じて疑わず、ルドルフを象徴する上記の言葉を残す。その言葉通りルドルフは続くジャパンカップ(2着は船橋競馬場から参戦した南関東公営競馬重賞6勝のロツキータイガー〈鞍上・桑島孝春〉)と有馬記念(2着は同年クラシック二冠馬ミホシンザン〈鞍上・柴田政人〉)を快勝する。
5歳時は三度目の正直で海外遠征を敢行。欧州挑戦を視野にアメリカのG1サンルイレイステークスに出走するも、芝コースの途中でダートを横切る特殊なコースに足を取られて負傷し5着に敗戦、不本意な形で引退を余儀なくされた。
最終的にG1を7勝し、 テイエムオペラオー・ディープインパクト・ウオッカ・ジェンティルドンナ・キタサンブラックに追い着かれはするものの、2020年アーモンドアイに抜かれるまで、長くその記録を超える馬は現れなかった。
引退後は種牡馬として活躍し、初年度産駒のトウカイテイオーが父に続くクラシック二冠を達成する。2010年にジャパンカップ30周年を記念して東京競馬場でお披露目がされ、人間で言えば90歳を超える高齢でありながら出走できそうなくらい若々しい容姿でファンを驚かせた。翌2011年10月4日、30歳で没。老いても威厳を失わない皇帝の晩年であった。
詳細は当該記事へ→シンボリルドルフ
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最終更新:2025/12/22(月) 18:00
最終更新:2025/12/22(月) 18:00
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