これからしっかりとついてくるんだよ、トレ公!
ヒシアマゾン(ウマ娘)とは、「ウマ娘 プリティーダービー」の登場キャラクター。
実在の競走馬、ヒシアマゾンをモチーフとするウマ娘である。CV:巽悠衣子
“女傑”と呼ばれ、トップクラスの実力を持つウマ娘の一角。弱きを助け強きを挫く、古き良き時代のスケ番タイプの姉御肌。
曲がったことが大嫌いで、己の信念を唯一のルールとして行動する、一本筋の通った性格。
誕生日:3月26日、身長:160cm、体重:微増(ノーコメント)、3サイズ:B92・W59・H89
トレセン学園の美浦寮長を務める褐色肌ウマ娘。姉御肌な言動で後輩ウマ娘たちの面倒ごとに振り回される反面奔放な性格から調子に乗って生徒会などに絞られる事も。一方で料理が得意だったりと家庭的な面もある。
発表時のお披露目会にてウマ娘の名前当てクイズが行われた際に某特撮ヒーローをイメージするポーズであった為に早くからその正体が看破されていた。もっともその言動は別の特撮ヒーローそのものであったが。
また、初期の勝負服からは明らかにはいていないとしか言いようもないほどの際どさであった。(のちに修正)
スペシャルウィークが参加した「リギル」の入部テストにて所属メンバーらと共に登場。物語当初はゴール係として終始し、その役目に不満を持っていた。
その後はサイレンススズカが出走する秋の天皇賞にエルコンドルパサーらと共に出走。レース前にスズカにタイマン勝負を宣言して以降は事あるごとに「タイマン」連呼するキャラが定着した模様。
同期でもあるナリタブライアンとは何かと張り合っており、後のWDTでもタイマン勝負を宣言している。一方でトレセン学園のイベントでは一緒に盛り上げて何だかんだ仲の良さが窺い知れる。
シーズン2での本人の登場はOP、および1話と10話でゴールドシチーによるヘアカットを受ける場面のみと少ない。しかし練習場のゴール板にヒシアマゾンが描かれており、そちらの登場回数は多い。また、天皇賞(春)を前に学園を一時休んだライスシャワーも美浦寮長であるヒシアマゾンには行き先を伝えていたため、ミホノブルボンはヒシアマゾン手製の地図を頼りにライスの元へ向かっている。
育成版は未実装だが、CPUライバルとしては初期実装済。
特にマヤノトップガンの育成シナリオではナリタブライアンにこだわるマヤノに好意的に接し、レースでも固定ライバルとしてぶつかることとなる。
サポートカードはSR[テッペンに立て!]とRで初期実装。
貴重な追い込み用スキルを所持しているが、先行用スキルと半々なのが難点。


90年代に活躍したホクトベガ、エアグルーヴに並ぶ牝馬。
父はアメリカ芝路線の王者Theatrical、母は愛1000ギニーやコロネーションステークスを制したマイラーKaties、母父は日本に輸入されたノノアルコという血統。
ヒシの二代目である阿部雅一郎氏のヒシ再建計画の一環で、海外セールで購入した母をアメリカの牧場に預託し生産するというプランの元生まれたのが彼女なのである。
余談だが、当初はヒシアマゾネスで登録するつもりだったのだがJRAに却下され、苦し紛れにアマゾンで登録しなおしたらOKになった経緯がある。
2戦目は江田照男、引退レースの96年有馬記念は河内洋、それ以外は中舘英二が一貫して騎乗する。
1993年9月19日・中山競馬場(中舘英二騎手がツインターボで勝利したオールカマーの当日)の新馬戦(ダート)は快勝したが、続く二戦連続で2着するなど詰めの甘さを見せた。しかし阪神3歳牝馬ステークス(現・阪神ジュベナイルフィリーズ)では驚くような勢いで突き抜け5馬身差圧勝・レコード更新。評価を高めた(同時に中舘騎手もGⅠ初制覇)。 しかし次走で圧倒的人気を背負いながらビコーペガサスに敗れ2着、クイーンカップでは格下と見られた相手に辛勝するなどして評価を下げてしまった。
○外(外国産馬)だったヒシアマゾンは当時の規定でクラシックに出られず、しかもNHKマイルカップも創設されていなかったため、母の距離適性(スプリント)を見込んで当時中山1200mで開催されていた旧4歳(現3歳)限定重賞クリスタルカップに出走。ペースにイマイチ乗り切れず後方のまま4角を回るが 、タイキウルフが逃げ切る勢いを見せていたところを弾丸のような勢いの末脚でぶっ差して勝利する。
その後は連勝を続けてエリザベス女王杯までに当時のタイ記録である重賞6連勝を達成した。その勢いのまま有馬記念に出走。
レースはその年の三冠馬ナリタブライアンと真っ向勝負挑んだ末に2着に敗れるもこの年の走りが評価されて最優秀4歳(現3歳)牝馬に選ばれた。
明くる年はアメリカ遠征を行うも怪我のためにレースに出ることなく帰国。しばらくの低迷から京都大賞典で復活。ジャパンカップでは不調だったナリタブライアンに変わり奮闘するもドイツ代表馬ランド(マイケル・ロバーツ騎乗、1993年ドイチェスダービー覇者)に屈し惜しくも2着に敗れた。
その後、有馬記念での5着を最後に長らく現役を続けるも屈腱炎の為1997年に引退。
引退後は一度日本で種付けしたのちに故郷のアメリカに帰国し、繁殖牝馬になるも成績が不利わずに引退。アメリカの牧場で余生を送っていた。
そして、平成が終わりを迎える中での2019年4月15日夜、アメリカ・ケンタッキー州の牧場にて老衰でこの世を去った。享年28歳。人間で言うところ90歳に相当する。
中の人である巽悠衣子もTwitterにて追悼文を発表。また騎手時代に主戦を務めた中舘英二調教師も「故郷のアメリカで老衰だったのがせめてもの救い」と、かつてのパートナーの死を悼んだ。
現役時代にドバイの星となった「お姉ちゃん」ことホクトベガに会えたであろうか。
詳細は当該記事へ→ヒシアマゾン
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最終更新:2025/12/08(月) 12:00
最終更新:2025/12/08(月) 11:00
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