「強いウマ娘は大歓迎です」「闘いましょう 正々堂々と」
ヤエノムテキ(ウマ娘)とは、ゲーム『ウマ娘 プリティーダービー』、漫画『ウマ娘 シンデレラグレイ』に登場する登場人物、ウマ娘である。
アプリ配信直前の2021年2月10日に、シンデレラグレイ実名組と共に実装が発表された。
栗毛の短髪に、四白流星。髪飾りは右耳に風車と4回折られた二つの帯。巫女服のようなデザインのスカートの勝負服。礼節溢れる古風な態度や振る舞いが特徴的。
| CV | 日原あゆみ |
|---|---|
| 誕生日 | 4月11日 |
| 身長 | 159cm |
| 体重 | 増減なし |
| スリーサイズ | B78・W54・H81 |
拳で風を叩き、大地を蹴り、決して人を傷つけない武術――もとい、レースで日々己を磨くウマ娘。
礼節を重んじる頑固者、と見せかけて、たまに子供っぽい血気盛んな本質がチラリと見える。
祖父母を思う気持ちは人一倍、そんな彼女の夢は、実家の流派をさらに磨き上げることである。
金剛八重垣流の繁栄が、じいちゃ――、祖父母にできる唯一の恩返しです
「SR ゼンノロブロイ」と共に、「SSR ヤエノムテキ」の実装決定が4月24日発表。4月26日に実装された。
| タイプ | パワー |
|---|---|
| 固有ボーナス | 押して忍べど燃ゆるもの |
| トレーニング効果アップと得意率アップ |
| 所持スキル | ペースアップ |
|---|---|
| 末脚 | |
| 抜け出し準備 | |
| テンポアップ | |
| 尻尾上がり | |
| イベントスキル | 中距離コーナー◯ |
| 遊びはおしまいっ! | |
| アガッてきた! |
誕生日:4月11日
身 長:159cm
剛毅朴訥武闘少女、ヤエノムテキ。
オグリキャップが中央に入学してきた際には未出走であったが、その後、沈丁花賞で12馬身差をつけて勝利。オグリキャップが毎日杯にでると知ると、それに合わせて毎日杯に出走。この時、古風にもオグリキャップに挑戦状を渡そうとするも食事に夢中なオグリキャップは気づかなかった。
毎日杯では、オグリキャップを徹底してマークし、内に入らせず大外を回らせて体力を削らせた。自身は直線に入って勝負を懸けていったが、それでもなお、オグリキャップはスパートして抜かれてしまった。
皐月賞は断念かと思われたが、抽選枠3つに見事当選。ディクタアース、サクラチヨノオーの前を見事行って優勝。然し、彼女が勝ったことでオグリキャップがクラシックに出走できないことに対する疑念がファンの中で広がっていく。
日本ダービーでは、メジロアルダンと共に先頭のサクラチヨノオーに迫るが、サクラチヨノオーの気迫の走りに追い付けず。メジロアルダン、ダブルインターに続く4着。
その後は、劇中で古馬路線の競争を同期達(スーパークリーク、メジロアルダン、サクラチヨノオー、ディクタストライカ)と共に見て意見を交わしている。
1988年第48回皐月賞の優勝馬ヤエノムテキ。
父ヤマニンスキー、母ツルミスター、母父イエローゴッド。母母フジコウはトサミドリを祖父に持つ古い系統なのだが、それゆえに育ての牧場がそんな古い血統をまもってんのかと言われたこともある。ウマ娘の古風な性格はこれが所以だろうか。
デビューは4歳の2月と遅かったが、新馬戦を圧勝。次走沈丁花賞で12馬身差で勝利。だが、これだけでは皐月賞に出るには賞金が足りなかったため、毎日杯に出る。
沈丁花賞からわずか1週間余りでの連闘では無理があったか4着。だがこのレースで勝ったのが地方の笠松競馬場からやって来た「芦毛の怪物」オグリキャップであったことがヤエノムテキ、そしてこの年のクラシックの意味づけを変えてしまう。
ヤエノムテキは賞金額で届かなかったものの、運よく抽選枠三つの内一つに入選。更に運よく、出走枠は1枠1番という好位置を取れた。レースは好位を取って、2位ディクターランドに3馬身差をつける快勝。見事な走りであったといえる。だが、その裏ではオグリキャップが重賞連勝をひた走っていた。彼とディクターランドともども毎日杯でオグリキャップに敗北していたことから、「オグリキャップこそ日本ダービーにでるべきでは?」といったことが言われてしまう。
日本ダービー4着、 続く中日スポーツ賞4歳Sはサッカーボーイに次ぐ2着。9月に入ってUHB杯、京都新聞杯と連勝。菊花賞は10着だったものの、次走鳴尾記念を制し、10戦6勝、2着1回の好成績で4歳を終えた。
5歳初戦で日経新春杯を2着、次走大阪杯はこれを制し、5歳シーズンも順調な滑り出しをみせた。だが、ここからヤエノムテキは低迷する。というより、ライバルが多すぎた。サッカーボーイは引退をしサクラチヨノオーは怪我により低迷したものの、オグリキャップを筆頭に、スーパークリーク、イナリワンの平成三強やメジロアルダン、下からオサイチジョージなど同時期には競馬ブームを彩る名馬が数多く居た。6歳になってからも、2着3着を繰り返すが勝ちきれず。
然し、秋の天皇賞、ヤエノムテキはメジロアルダンの追撃を逃れ、1分58秒2のコースレコードで優勝。その後はジャパンカップ、有馬記念に出走し、オグリキャップが有終の美を飾る後ろで引退。なお、気性難ゆえに引退式は陣営が断ったそうな。シンデレラグレイにおける「昔は粗暴だった」というのはこれだろうか。
引退後は、種牡馬となったものの、産駒は走らずシンジゲートは解散。ややもすれば肉屋送りとなるところだったがファンの支援によって、無事、余生を送ることができた。なんだかんだ幸運を掴みつつ、2014年死亡。
彼はややもすると第二のプレストウコウとなったかもしれなかったが、そうならなかったのはいくつか理由がある。マルゼンスキーと異なり、オグリキャップは古馬でも走り、ついにはヤエノムテキの後塵を喫したレースもあった。また、オグリキャップは全戦全勝というわけでもなく、同じくクラシックを取ったスーパークリークを始めとしたライバルとの勝ち負けを繰り返した。そして、その中でクラシックに出られなかったという事実は平成初頭のオグリキャップの物語へと取り込まれていった。
名前に反し、十重二十重に好敵手だらけだったが、その中でもG1 2勝、重賞も他3つ勝っている。運も実力もあったことは確かである。世代の筆頭馬オグリキャップとは引退までの腐れ縁だった。そのオグリに敗北したヤエノムテキが皐月賞で勝ったことは、競馬界にクラシック登録の疑問を投げかけ制度改定へと至る。この制度がやがて皇帝に並ぶ世紀末覇王を誕生させたことは彼も知らぬことだろう。
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最終更新:2025/12/14(日) 23:00
最終更新:2025/12/14(日) 23:00
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