はるな型護衛艦とは、海上自衛隊が運用していた護衛艦の艦級である。
概要
1970年代に2隻(はるな、ひえい)が建造され、2011年にひえいが退役するまで30年以上にわたって運用され続け、しらね型護衛艦にそのレイアウトは受け継がれた。
建造に至る経緯
海上自衛隊はその前身となる保安庁警備隊結成時から空母の保有を志向していた。
一応、海上自衛隊の主目的となる対潜用途という扱いだったがかつての旧大日本帝国海軍機動部隊の復活願望も少なからずあったと言われる。
そうした中、技術の進歩により従来の固定翼機ではなくヘリコプターによる対潜哨戒が形になってきた1959年、海上自衛隊内部で基準排水量8700t、全長166m、艦載ヘリ18機の陣容を持つヘリ空母[1]が日米共同で整備費用を出す、というところまで話が進んだこともあった。
しかし、『戦争放棄』を謳った日本国に存在する『軍隊=自衛隊』という矛盾からくる政治力の弱さ、真珠湾の記憶と日本の軍備増強でアジアのパワーバランスを崩したくないアメリカの意向、防衛庁制服組=武官より上格の防衛庁背広組=文官、とりわけ自衛隊ではなく民兵を主体とした一億玉砕日本防衛を主張する某高官の圧力や前述の政治力の弱さゆえの予算不足により空母の保有はなしえなかった。
そして1967年に策定された『第3次防衛力整備計画』において水上艦部隊のヘリ母艦+部隊旗艦として開発されたのがはるな型護衛艦であった。
船体構造
本級の外観は概ね後述の兵装を艦首から艦橋前に集中配備し、艦上構造物は艦橋脇にある内火艇タビットの直後から艦幅一杯に広がり、やがて50m×15mの広さを持つヘリコプター甲板になる。
サイズは159m×17mで基準排水量4700tだった。その後1980年代に近代化改装が行われた際に「はるな」は4950t、「ひえい」は5050tに増量された。
機関は3万5000馬力の蒸気タービンを2基=7万馬力を出すもので建造当時は海上自衛隊の保有艦船で最も出力が高く31ktの最速を出すことが出来た。また、煙突は鉄骨式マストを組み込んだマック方式を採用している。
兵装
個艦兵装
本級ではたかつき型多目的護衛艦から採用されたMk42 5インチ両用砲の日本ライセンス版2門を艦首側へ背負い式に搭載した。たかつき型では2門を前後に分けて配置していたが本級ではヘリコプター甲板の確保と予算の都合から前部集中配備とし、2番砲の背後に一段下げてMk112 8連装発射機=アスロックランチャーを配置、内火艇タビットの真下に3連装短魚雷発射管を左右1基づつ=2基装備した。
その後、近代化改装で格納庫出入口上にMk29 8連装発射機=シースパロー発射機を1基、マック直前の両舷にファランクスを1基づつ=2基搭載して対空火力を増強した。
航空兵装
実のところ、本級以前にソビエト連邦、フランス、イタリアでヘリを本級より多く運用し、対水上兵装も持つ戦闘艦が存在していたがこれらは巡洋艦、概ね1万tクラスであった。
本級では建造前にカナダで開発されたヘリコプター着艦拘束+格納装置『ベアトラップシステム』、荒天時に船の動揺を抑える『フィンスタビライザー』を備える事で5000t弱の本級でもヘリ運用能力を高めた。
艦載機は前述のヘリ空母から想定されていたHSS-2=シーキングを採用し、その後SH-60シーホークに更新している。搭載機数は3機と中途半端に思えるがこれは後述する『八・六艦隊』構想に基づくものであった。ヘリコプター甲板は2機の駐機が出来るが同時発艦は出来ず、1機づつの連続発進となるが基本的に1機は予備機として待機し2機が哨戒を行う。
八・六艦隊
ヘリコプター護衛艦(DDH)2隻を中核とし、(対空)ミサイル護衛艦(DDG)、多目的護衛艦(DDA)各1隻に対潜護衛艦(DDK)4隻=8隻とヘリ6機で護衛隊群(諸兵科連合艦隊)を編成する戦術構想。この枠組みではヘリ6機中4機が哨戒、具体的には3機が搭載機器(ソナー、レーダーetc)で敵潜水艦を捜索探知し、残り1機が航空魚雷で攻撃する、のがヘリ運用プランだった。
しかしその後、最大の仮想敵であるソ連海軍が潜水艦発射型対艦ミサイル+長距離爆撃機からの空対艦ミサイル攻撃を実用化してくると、この構想が通用しないと判断されたことからDDHを1隻に減らす代わりにDDG2隻、汎用護衛艦(DD)5隻=8隻とDDH3機+DD分5機(各1機[2])8機に改編した『八・八艦隊』[3]に替わられた。
更に21世紀に入って護衛隊群の改編(ミサイル防衛を主眼に置いたDDGグループ+従来どおりのDDHグループの2本立て)とひゅうが型護衛艦、いずも型護衛艦の就役により護衛隊群のヘリ運用数は最大20機前後となる。[4]
エピソード
はるな
第十雄洋丸事件
1974年11月9日、東京湾(千葉県木更津市沖)において5万7千トンものガス、ナフサを積載した日本船籍タンカー、「第十雄洋丸」と、リベリア船籍の貨物船「パシフィック・アレス」が双方の航海判断の相違から衝突し、「第十雄洋丸」の積み荷に引火した結果、双方とも火だるまとなり「第十雄洋丸」は38名の乗組員の内死者5名、負傷者6名の犠牲を出したのに対し、「パシフィック・アレス」は乗組員29名の内生存者1名=28名死亡の犠牲を出した。
「パシフィック・アレス」と「第十雄洋丸」は発生当日には引き離され、「パシフィック・アレス」は程なく鎮火したが「第十雄洋丸」は爆発を伴う火災を続けたまま漂流し、一時横須賀市沿岸まで接近しかけたが辛うじて曳航に成功し最終的に東京湾外に出されたがその最中に治まっていた火災が再燃したため曳航を解除されてまた漂流することになった。
この事態に海上保安庁は海上自衛隊に実力行使による撃沈処分を要請、海上自衛隊の5インチ砲搭載護衛艦による艦砲射撃+P-2対潜哨戒機による空爆(ロケット弾+爆雷)で船体タンクを破壊してから潜水艦による雷撃(誤射を防ぐため誘導装置を停止)して沈める作戦が実行され、「はるな」はこの護衛艦部隊の旗艦を担当すると共に自らも砲撃に参加した。
作戦は11月26日から27日にかけて行われ、「実戦」経験の無さからくる不慣れからか本命の魚雷が故障して沈没や外してしまうアクシデントもあったが最終的に「第十雄洋丸」を太平洋に沈めることに成功した。
能登半島沖不審船事件
1999年3月22日、当時第3護衛隊群旗艦であった「はるな」はこんごう型護衛艦「みょうこう」、あぶくま型護衛艦「あぶくま」と共に母港、舞鶴を出港した。表向きは「調査・研究」とされた。
実は出港3日前から北朝鮮の工作員が使う無線通信の内容に変化があったという情報が防衛、警察筋に寄せられ、出港前日には能登半島沖で不審電波が発信されていることが察知されていた。その対応のため3隻は出港したのである。
そして23日の午前、海上自衛隊所属のP-3C哨戒機が該当海域で「第一大西丸」、「第二大和丸」と表記された不審船を発見、共に漁船風だったが2年後に海上保安庁と交戦して沈没した「長漁3705」[5]と同じ特徴をもっており尚且つ共に周辺漁協に該当船がいなかったことから北朝鮮の工作船と判断し、巡視船部隊と共に3隻の護衛艦が追跡を開始した。
しかし不審船は夜になって護衛艦の全速に近い28ktに増速して巡視船を引き離し始めたため海上保安庁は1953年のソ連スパイ船対応以来となる搭載火器による威嚇射撃を実施する。それに対し不審船側は35ktまで増速して逃走を続けた結果、巡視船は燃料不足、水上レーダー探知圏外離脱などで脱落を始めた。
これを見て安心したのか不審船の内「第一大西丸」が停船した。報告を受けた日本政府側は北朝鮮を刺激することを避けて追跡を中止する姿勢を改め、海上自衛隊に発足以来初となる「海上警備行動」を発動した。
日付が変わった24日、「第一大西丸」に「はるな」、「第二大和丸」に「みょうこう」が艦砲で威嚇射撃を実施、更に「はるな」は転落防止ネットを「第一大西丸」の進路上に落としてスクリューを無力化、停船を図ったが2隻とも逃走を続け朝までには日本の防空識別圏から離れたため「海上警備行動」を終了した。
退役
「はるな」は2009年3月に退役したが一時予定を繰り伸ばすことが検討されていた。退役を目前に控えた2007年12月、発展型のしらね型護衛艦「しらね」が火災事故で艦内の最重要区画である戦闘指揮所(CIC)を全損したのである。このため、「しらね」の退役を繰り上げて「はるな」の使用を続行することを検討したが「はるな」は艦体の老朽化が進んでいたため、「はるな」のCICを「しらね」に移植することで決着した。
ひえい
「ひえい」は事前の想定通り護衛隊群の旗艦をつとめリムパリックに参加したり2001年のアメリカ同時多発テロ事件に由来する多国籍軍支援に参加するなどした反面、前述の「はるな」とは対照的に現実では華々しいエピソードに縁がなかった。
しかし、フィクションにおいて華々しいエピソードがある。それは1989年に公開された『ゴジラvsビオランテ』である。
この作品の前半、伊豆大島から復活して東京へ向かうゴジラを東京湾内ではつゆき型護衛艦と共に5インチ砲+アスロックでゴジラから真正面から立ち向かう雄姿を見せている。
だが結局はゴジラの放射熱線を真正面から受け、艦上構造物を根こそぎ爆砕されるという先代の金剛型戦艦「比叡」を上回る最期を遂げてしまった。
ちなみに平成ゴジラシリーズの世界でははるな型護衛艦はかなり量産されているらしくはつゆき型護衛艦と共に頻繁に登場しているが「ひえい」と同様の最期をとげるシーンがよく見られる。というかライブフィルムである。
関連動画
関連項目
脚注
- *しらね型護衛艦の計画時でも全通甲板+スタンダードミサイルを搭載した(対空)ミサイルヘリ空母構想があったが諸事情で没になった
- *あさぎり型護衛艦以降のDDはその気になれば2機搭載できるのでいざというときは更に増える
- *計画段階ではDD4隻にSH-2小型哨戒ヘリを搭載しDDH2隻のシーキングと合わせた『八・十艦隊』構想もあったが諸事情で没になった
- *任務によっては哨戒ヘリ以外の他のヘリ(海自掃海ヘリの他、陸自各種ヘリetc)を載せるため機数は一定しない
- *漁船にしてはアンテナが多い、漁具が甲板にみられない、艦尾にボート発進口と思わしき特徴があるetc
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