エル・ファシル独立政府とは、「銀河英雄伝説」に登場する架空の勢力である。
概要
『銀河英雄伝説』本伝6巻末から8巻にかけて「ヤン艦隊」一党が属した政権で、宇宙暦799年、自由惑星同盟領であったエル・ファシル星系に成立した独立勢力である。
銀河帝国に屈した同盟中央政府からの独立を宣言し、ヤン・ウェンリーの合流をきっかけに戦力を飛躍的に増大させた。イゼルローン要塞を奪取し、ローエングラム朝銀河帝国軍の侵攻(大親征)を退けたが、直後のヤン・ウェンリー暗殺事件で主席フランチェシク・ロムスキーが殺害されたことで急速に求心力を失い、成立より10ヶ月にして解散した。しかし理念はイゼルローン共和政府を経てバーラト自治政府へと受け継がれ、銀河帝国によって統一された宇宙に民主共和政体を遺すこととなった。
作中では呼称が一定しておらず、多くは「エル・ファシル独立政府」と呼ばれるものの、ほかに「エル・ファシル自治政府」、「エル・ファシル革命政府」、「エル・ファシル革命政権」、「エル・ファシル独立革命政府」などとさまざまな呼び名が用いられている。同盟の中央政府は「エル・ファシル自治政府」の呼称を使用した。
政府組織
ローエングラム朝銀河帝国の専制政治に対抗する存在として、民主共和政治を理念とした。公式に示されたかどうかは定かでないが、母体である民主共和制国家・自由惑星同盟を承継する存在としての国家的正統性を主張する意思もあったようである。
政府組織の詳細は作中に触れられていないが、政府首班は「主席」を称する(「議長」と呼ばれることも稀にある)。主席のもとには複数人の「政府運営委員」がおかれていた。政府の存続期間を通して医師出身の革命政治家フランチェシク・ロムスキーが主席を務め、軍事組織である「革命予備軍」の創設後には軍事委員長も兼任した。
なお、当時のエル・ファシル独立政府の文民の特徴として、ヤン・ウェンリーひとりへの過剰な信頼とヤンの一党への強い警戒心の同居が挙げられている。これはおそらく、ヤン一党が政権を簒奪し軍事政権化することへの恐怖にもとづくものだろうとされるが、ヤンの行動を無用に掣肘することにもなった。
軍事力
軍事力の組織的な母体は、独立宣言後に合流した「ヤン・ウェンリー独立艦隊」である。制度上は「エル・ファシル独立政府革命予備軍」を正式名称とし「エル・ファシル革命軍」とも呼ばれたが、ヤン以外の当事者はヤン・ウェンリー独立艦隊の母体といえる同盟軍イゼルローン要塞駐留艦隊以来の「ヤン艦隊」という称を慣例的に用い、帝国では「通称ヤン・ウェンリー軍」を公式記録上の統一呼称とした。
主席であり軍事委員長を兼任したロムスキーのもと、革命予備軍司令官はヤン・ウェンリー元帥、参謀長はウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツ上級大将(ただし実戦では艦隊指揮を執っている)。後方勤務部長にはアレックス・キャゼルヌ中将が就任した。
ほか、革命予備軍の中核はムライ中将、フョードル・パトリチェフ少将、エドウィン・フィッシャー中将、ワルター・フォン・シェーンコップ中将、ダスティ・アッテンボロー中将、マリノ准将、デッシュ准将、カスパー・リンツ大佐、オリビエ・ポプラン中佐、フレデリカ・グリーンヒル・ヤン中佐、スーン・スール少佐などの元同盟軍士官からなり、ほとんどが旧ヤン艦隊の関係者であった。
戦力面では、ヤン・ウェンリー独立艦隊の艦艇600隻・兵員1万6000人、同盟最末期に同盟軍が正式にヤン宛で譲渡した艦艇5560隻、惑星ルジアーナの造兵廠から合流した新造艦艇などを中心に、“回廊の戦い”直前の宇宙暦800年4月20日時点で艦艇2万8840隻、将兵254万7400名が集結した。しかしながら、これら艦艇のうち修理や整備を要するものは三割弱、人員のうち訓練を要する新兵は二割強に達していた。このほか、ヤン艦隊に属した陸戦部隊“薔薇の騎士”連隊の残存兵員も革命予備軍に参加している。
歴史
独立宣言
エル・ファシルは、同盟領のイゼルローン回廊出口近辺に位置する恒星系である。宇宙暦796年の第七次イゼルローン要塞攻防戦までは回廊同盟側の帝国軍勢力圏に近く、過去には帝国軍の全面侵攻を受けて全星300万人の星外避難が行われたこともあった。
宇宙暦799年、バーラトの和約により同盟が帝国に対する属国化を受け入れると、新たに最高評議会議長となったジョアン・レベロ政権下の同盟中央政府は言論・結社の自由を保障する同盟憲章第七条の期限つき停止や反和平活動防止法の制定といった施策をとらざるをえなくなった。建国以来、民主共和主義の国家理念は同盟のレーゾンデートルであり、民主政治の自己否定だとして原理尊重派の強い反発が生じた。
そのような情勢下の宇宙暦799年8月13日、エル・ファシル星系の恒星系自治体は同盟からの分離独立を宣言し、エル・ファシル独立政府を称した。自治政府主席は医師出身のフランチェシク・ロムスキーであり、彼が独立を主導したのである。
独立後の孤立
ロムスキー政権は民主共和政治の理念と革命政権の情報戦略の双方の理由から、ジャーナリズムに対して開放的であった。799年12月初頭の段階ではあらたな国名、国旗、国家などの制定も構想していたようだが、それら施策が具体化されたかは不明である。
しかし、エル・ファシルの独立宣言は機に応じた政治的判断というよりも激発というにちかく、民主共和主義を防衛し続けるための現実的な戦略構想には欠けていた。当事者としてはエル・ファシルの独立に触発された民主共和主義勢力の出現に期待するところが大きかったが、独立宣言より2ヶ月以上経っても後に続く勢力はなく、孤立を感じつつあった。
当時のエル・ファシルはごく非力な存在であって、帝国からもせいぜい無力な存在としてしか見られていなかった。ただ、当時は流浪潜航の身にあった同盟軍随一の名将ヤン・ウェンリーの人望を核として反帝国的な分子が結合する、その中の一ファクターとなる可能性だけが警戒するに足りた。
当時、そのヤン・ウェンリーは帝国高等弁務官の強権的要求に端を発した同盟政府による謀殺未遂事件を逃れ、「ヤン・ウェンリー独立艦隊」(いわゆる“ヤン不正規隊”)とともに行方知れずとなっていた。味方を欲するエル・ファシル独立政府はヤンを「最大の民主政擁護者」と称え、積極的に迎え入れる意思を示したが、ヤン自身は同盟政府との和解の可能性、また皇帝ラインハルトの反応を見極める必要からも、エル・ファシルに接触せず様子見の段にあった。
ヤン・ウェンリーの参加
転機となったのは、11月10日の皇帝ラインハルトによる同盟への再宣戦である。布告のなかで皇帝ラインハルトは、沈黙する同盟政府の不義を明らかにして責を問うとともに、ヤンとその一党を厚遇する意思を示した。この布告は同盟政府とヤンを分断するかっこうとなり、同盟への復帰を断念したヤンはやむなくエル・ファシルへの合流を選んだのである。
ヤン個人は、エル・ファシルの独立宣言を一時の情熱に任せたものとみていた。しかし対帝国の戦略構想上(後述)、また拠り所をもたない“ヤン不正規隊”を長期的に維持するために支援を獲得する宣伝材料としても、イゼルローン回廊を扼するイゼルローン要塞を本拠地として確保することが至上命題となりつつあった。エル・ファシルは回廊に近く、要塞攻略のための足がかりとして必要とされていた。
12月9日、ヤン・ウェンリー独立艦隊がエル・ファシル星系に現れる。民主共和主義の護持のため独立を宣言したエル・ファシルと同盟の英雄的名将ヤン・ウェンリーの合流は、反帝国共和主義勢力を糾合に導く「政治的先駆者と軍事的実力者の握手」であり、エル・ファシル独立政府の政治的正統性を大きく強化するものとなった。
戦力の充実
ヤンが率いていた独立艦隊は「エル・ファシル独立政府革命予備軍」として制度化され、翌800年1月中旬、イゼルローン要塞を帝国軍から奪取する(第十次イゼルローン要塞攻防戦)。革命予備軍最初の勝利はエル・ファシル全星を歓喜させ、エル・ファシルの中央競技場では10万人が出席して勝利記念集会が開催された。旧同盟を糾合する政治的効果からも、勝利の大々的な宣伝が必要とされたのである。
ヤンの参加とイゼルローン要塞の確保によって、エル・ファシルとイゼルローンを結ぶ「解放回廊」が成立し、求心力を失った同盟中央政府に代わる帝国への対抗軸として飛躍的に存在感を増すこととなった。さらに同盟軍からヤン個人への譲渡艦艇5560隻を率いたフィッシャー中将、ムライ中将、パトリチェフ少将ら旧ヤン艦隊最高幹部、惑星ルジアーナ造兵廠への攻撃から逃れたデッシュ准将の率いる新造艦艇なども合流し、革命予備軍は急膨張した。
革命予備軍司令部はイゼルローン要塞に移り、要塞事務監を兼任した後方勤務部長キャゼルヌ中将が軍組織を再編成して、来たるべき帝国軍の侵攻に抗する体勢が整えられることとなる。
帝国軍の侵攻
すでに前年11月、皇帝ラインハルトの直率による“大親征”を発していた帝国軍は、革命予備軍によるイゼルローンの再奪取とほぼ時を同じくして発生したマル・アデッタ星域の会戦において同盟軍最後の組織的抵抗を撃破する。帝国軍は同盟首都ハイネセンに進駐し、「新帝国暦二年二月二〇日の勅令」(“冬バラ園の勅令”)によって同盟の完全な滅亡が宣言された。
さらに皇帝ラインハルトは、イゼルローン攻撃とヤンとの決戦の意図を明らかにし、艦艇15万隻余に達する大軍を直卒してイゼルローン回廊へと侵攻した。独立政府はエル・ファシル星系の無防備を宣言し、首脳部はイゼルローン要塞に避難して、要塞と回廊で帝国軍を迎え撃つ態勢を整えた。
同年4月29日、イゼルローン回廊に侵入した帝国軍とのあいだに“回廊の戦い”が発生する。ヤンの指揮のもと迎え撃った革命予備軍は、圧倒的な数的不利にもかかわらず長期にわたり善戦し、5月17日、ついに帝国軍は皇帝ラインハルトの発熱を機に艦隊を回廊から後退させた。
瓦解
帝国軍後退後の5月18日、皇帝ラインハルトよりヤン宛に停戦と会談の申し入れがあった。ヤンは会談を応諾して出立し、政府代表としてロムスキー主席も同行した。しかし途上の6月1日、地球教によるヤン・ウェンリー暗殺事件が発生し、襲撃されたヤンとロムスキーがともに殺害される大事件が生じる。
ヤンの死は反帝国革命運動の旗頭の死であり、ロムスキーの死は独立革命政府を成立させた情熱と指導力の喪失であった。残された政府委員は政権継続の意欲を持たず、早々に政府の解散を決断した。この時、委員のうちからは、独立それじたいをロムスキーの独走とし、自らはその勢いに巻き込まれたのみと主張して全責任を転嫁しようとする発言すら見られた。
6月6日、ヤンの被保護者で司令部無任所参謀のユリアン・ミンツ中尉が革命軍司令官代行としてヤンの死去を発表すると同時に、エル・ファシル独立政府の解散が宣言された。独立宣言より10ヶ月余りであった。政府委員をはじめイゼルローンに拠っていた構成員の多くは要塞から退去したが、少なからず革命予備軍の兵員が残り、8月にはイゼルローン共和政府を樹てて民主共和主義の孤塁を維持することとなる。
帝国からの評価
帝国からは、エル・ファシル独立政府の存在はほとんど顧慮されなかった。
「通称ヤン・ウェンリー軍」を革命予備軍に対する記録上の統一呼称としたことからもわかるように、同盟末期以来ほとんどヤン・ウェンリーひとりを敵手としてきた帝国軍高級士官にとって焦点をあてるべきはヤンの存在そのものであって、彼を擁する政府ではなかった。
ヤンの合流を知ったときも、帝国軍最高幹部のなかではヤンとエル・ファシルの合一を警戒するよりもエル・ファシルがヤンの才覚を十全に発揮させうる器を持つかどうかを疑問視する楽観論が大勢を占めた。ヤンが反帝国勢力を糾合したとしても、エル・ファシルの生産力で大軍を維持することも、旧同盟の諸星系がエル・ファシルの下風に立つことも容易でないと考えられたからである。
結局、“回廊の戦い”の際にも、無防備を宣言したエル・ファシル星系にはわずかな注目も振り向けられず、帝国軍の行動はイゼルローン回廊に集中した。「エル・ファシル独立政府などは、ヤン・ウェンリーという鶏の頭を飾るだけのとさかにすぎない」とは、帝国軍の宇宙艦隊司令長官ウォルフガング・ミッターマイヤー元帥の評価である。
ヤン・ウェンリーの構想
イゼルローン要塞を奪取によって実現された、イゼルローンからエル・ファシルまでの星域を民主共和主義勢力によって「解放区」としてつなぐ「解放回廊」のアイデアは、もともとヤン・ウェンリー独立艦隊の当時にダスティ・アッテンボローが帝国の攻勢への対応策として発案した戦略構想である。
ヤン自身も機に応じやすいこの案の戦略的価値を認めていたが、さらに政略的にも、イゼルローン要塞の引き渡しを取引材料とてエル・ファシルの内政自主権の維持を帝国に交渉することを考えていた。銀河全体においては帝国の覇権を認めながら「帝国自由都市」のような名目で半独立状態のエル・ファシルに民主共和政体を存続させ、将来の復活に備えるという構想であった。
この構想はロムスキーにも説明されていたものの、理想家肌のロムスキーは、専制主義の帝国と妥協する案にさして積極的な反応は示さなかった。結局、具体的な動きが生じるより先にエル・ファシル独立政府そのものが瓦解することとなるが、後継したイゼルローン共和政府もこれと同様の構想を採り、最終的にはイゼルローン要塞の返還と引き換えにして、帝国の宗主権下にバーラト自治政府として民主共和政体の存続が認められることになる。
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関連項目
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