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タイキヘラクレス
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タイキヘラクレス(Taiki Herakles)とは、1996年4月27日生まれの日本競走馬である。栗毛騸馬

な勝ち
1999年ダービーグランプリ(GI) 名古屋優駿(GⅢ)

概要

*イブンベイ*サウンドビューティBe My Guest(ビーマイゲスト)という血統。

*イブンベイ1987年イタリア大賞、1990年ドイツ銀行大賞・セントレジャーなど3ヶG1を4勝したイギリスの名だが、日本では1989年ジャパンカップアメリカホークスターと2頭で暴走し、ホーリックス世界レコードを生んだことで有名。引退後は日本種牡馬入りしたが、グレー重賞勝利したのはタイキヘラクレスのみと不振に終わった。

*サウンドビューティアイルランド産のマル外で、中央競馬で9戦1勝。第3のタイキヘラクレスを生んだその年の年末に死亡してしまった。

Be My Guest(ビーマイゲスト)はG1勝利ながら、英愛リーディングサイアーくなど種牡馬として活躍した。としても*ロックオブジブラルタルなどを輩出している。

タイキシャトルなどのタイキ冠で知られる一口クラブ運営する大樹ファームで生産され、同ファームから6万円×400口で募集された。

戦績

2歳〈旧3歳〉(1998年)

蛯名信広厩舎に入厩し、12月中山・芝1600mの3歳新デビュー鹿戸雄一上で5番人気に支持され、後方から6着。

連闘でダート1800mの3歳未勝利岡部幸雄上で出走すると、単勝2.3倍の1番人気に支持され、先行して上がり最速でレコード6馬身差の圧勝で勝ち上がる。

3歳〈旧4歳〉(1999年)

3歳初戦は1月に行われたダート1800mで500万下。単勝1.9倍の1番人気に応え、後方から上がり最速で進出しアタマ差の勝利。因みに4着は後の川崎記念勝ちリージェントブラフ

2月にはヒヤシンスステークス(OP)に出走し、ここも単勝2.3倍の1番人気に支持されると、後のJBCスプリント勝ちにして大種牡馬サウスヴィグラスを上がり最速で差しきって3連勝。

続いて3月にはクラシック出走にワンチャン賭けて芝の弥生賞(GⅡ)に出走したが、ここは5番人気に支持され最後方からの競馬で、1着ナリタトップロード2着アドマイヤベガとなる中8着。
更に田中上で4月皐月賞(GI)に出走したがブービー16番人気となり、最後方からの競馬テイエムオペラオーの11着。ダートあるある

ダートに戻り、5月端午ステークス(OP)では2番人気に支持されたが、1番人気ブルーコマンダーに敗れて2馬身差の2着。因みにこのレース逃げて7着だった3番人気エイシンサンルイスは翌年の根岸ステークスでも逃げブロードアピールに差し切られたである。

6月には藤田伸二上で名古屋優駿(GⅢ)に出走し、ここは1番人気に応えて半馬身差の勝利重賞初制覇。蛯名信広調教師にとって初の重賞制覇であった。

7月には第1回となるジャパンダートダービー(GI)に出走し、2番人気に支持されたものの地元大井競馬場オリオンザサンクスの4着。一応これでも中央最先着である。

11月にはダービーグランプリ(GI)に出走。後方からの競馬で先行していたキングデールを差し切り4分の3馬身差で勝利蛯名信広調教師にとって初のGI制覇、そして最後の重賞制覇であった。

東京大賞典標としていたが歩様の乱れで回避した後、左前膜炎が判明した。

4歳〈旧5歳〉(2000年)

復帰戦となる4歳初戦、5月オアシスステークス(OP)は5番人気に支持され、出遅れたが追い込んで4着。

6月には帝王賞(GI)に出走したが、出遅れ気味で後方からの競馬となりファストフレンドの8着。

ブリカーを付けて臨んだ10月マイルチャンピオンシップ南部杯(GI)は6番人気で迎え、一旦2番手まで進出したものの、1番人気ファストフレンドには1馬身付けたがウイングアローに差されてゴールドティアラの3着。

武蔵野ステークス(GⅢ)にも出走したが、6番人気10着に終わった。

この後はジャパンカップダートの予定であったが、診察の結果飛節内腫が発見されたため回避。

5歳(2001年)

復帰戦となる5歳初戦、11月カシオペアステークス(OP)は武幸四郎上で9番人気8着に終わった。

6歳(2002年)

前走から再び間隔が開き、騸馬となって競馬場に復帰。6歳初戦として12月ベテルギウスS(OP)に出走したが、熊沢重文上で11番人気13着。

7歳(2003年)

7歳初戦となる7月には障害3歳以上未勝利横山義行上で出走したが、3番人気5着。

8月にも障害3歳以上未勝利に出走し、単勝2.6倍の2番人気に支持されると2馬身差付けてダービーグランプリ以来の勝利

しかし以降は再び出走せず、最終的に9歳となった2005年4月中央競馬の登録が抹消された。

引退後

2012年頃から神奈川藤沢クラブにいることが確認されている。ただし公式情報が見つかるのは2013年までで、netkeiba.com掲示板には2016年の時点でまだクラブにいるという書き込みがあるが、それ以降の消息ははっきりしない。

血統表

*イブンベイ
1984 栗毛
Mill Reef
1968 鹿毛
Never Bend Nasrullah
Lalun
Milan Mill Princequillo
Virginia Water
Rosia Bay
1977 鹿毛
High Top Derring-Do
Camenae
Ouija Silly Season
Samanda
*サウンドビューティ
1988 栗毛
FNo.21-a
Be My Guest
1974 栗毛
Northern Dancer Nearctic
Natalma
What a Treat Tudor Minstrel
Rare Treat
Hobe Sound
1982 栗毛
Busted Crepello
Sans le Sou
Tanella Habitat
Nanette

クロスNearco 5×5(6.25%)、*ヴィミー 5×5(6.25%)

姪のシアトルビューティに、スーパーホーネットの代表産駒重賞3着2回の実績があるシゲルノコギリザメがいる。

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1 ななしのよっしん
2025/10/08(水) 23:32:05 ID: Tzytrd02oO
変則三冠馬オリオンザサンクスより先に記事ができたか...

そういや南部杯だとファストフレンドに先着してたのね
出走数が少なかったり同期1999年クラシック世代役者いすぎてたこともあって、GIだけど正直かわいそうなほどが薄かった気がする
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