テイエムオペラオー単語

テイエムオペラオー
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掲示板へ

2000年有馬記念

勝ち続けると、すべてのが敵になる。
そのは、全に包囲された。
は消えたはずだった。
テイエムオペラオー、お前はなぜ走れたのか。

『年間全勝のレジェンド

その戦いに、人はを見る。
さぁ、を見よう。

-2013年有馬記念CMより

テイエムオペラオー英語表記: T.M. Opera O、香港表記: 好歌劇)とは、1996年まれの日本競走馬。GⅠ7勝。長く世界最高獲得賞記録を保持し、「世紀末覇王」と呼ばれた。北斗の拳は関係い。あっちは世紀末覇者だ。

曖昧さ回避 この記事では実在競走馬について記述しています。
このを元にした『ウマ娘 プリティーダービー』に登場するウマ娘については
テイエムオペラオー(ウマ娘)」を参照して下さい。

概要

オペラハウス ワンスウエド。杵臼牧場河)で生まれる。

4歳時(当時表記)では皐月賞を制覇し、1999年JRA賞最優秀4歳(当時表記)に選ばれている。この時点ではG11に過ぎなかったが、世紀末である2000年には要な古王道中央競馬の中~長距離芝GI競走)を全て制覇したことで、歴史的名へと駆け上がる。その業績と名、活躍した時期から後に世紀末覇王と呼ばれた。

2001年には、衰えと次世代の伸長もあって年末の有馬記念引退。GI勝利シンボリルドルフに並ぶも遂に越えられなかったが、獲得賞額では当時の世界最高額18億3518万9000円を記録した。

その後は種牡馬として過ごしていたが、2018年死亡

血統

オペラハウス ワンスウエド ブラッシンググルームという血統。

オペラハウス英国キングジョージなどGⅠ3勝。欧州の大種牡馬サドラーズウェルズなのだが、サドラーズウェルズの血統はぶっちゃけ当時は日本でほとんど成績が残せておらず、産駒デビュー前のオペラハウスもあまり期待されていなかった。

は不出走で重賞2着を出していた程度。いちおうブラッシンググルームフランスで短距離マイルでGI5勝を挙げた快速ではあった。

生涯

※以後、当記事では齢を、2000年までは旧表記、2001年以降は現表記で記述します。※

96~98年:誕生からデビューまで

1996年3月13日生まれ。生産者の杵臼牧場河)は、繁殖20頭足らずの小さな牧場だった。

当時、日本種馬協会の種牡馬であるオペラハウスの産駒のはセリに出す義務があったが、オペラハウスは上述の通りで、その産駒を高く評価しろというのも理な話であった。しかし、ここでその体がテイエム軍団の総帥・園正繼に止まる。く「いて見えた」とか。オーナー1997年10月に静内で行われたセリで、同スタート価格の1000万円で落札した。

テイエムオペラオーの配合は、血統背景からの産駒がことごとく短距離だったので「安くてスタミナのあるをつけたい」という牧場の方針によるものだったという。更に余談だが、オーナーはオペラオーの活躍の後、この時のオペラオーを理想の当歳の体としてそれに近いを値段にかかわらず購入するという方針を定めているそうである。テイエムプリキュアも言ってみればオペラオーのおかげなんである。

冠名「テイエム」・から「オペラ」・サラブレッドの王になるようにと「オー」。テイエムオペラオーと名付けられたは、オーナーの昔染みでもある岩元調教師東)に預けられた。岩元師の第一印は「普通」だったというが、調教で抜群のタイムを出したことでデビュー前からくも評判になった。併せではすでに勝ち上がっていた後の重賞ユーセイシュタインを1.6差とちぎり捨てる走りっぷりを見せる。

1998年8月15日新馬戦は1.5倍の断然一番人気。だが、オペラオーはレース中に左後肢の飛節を折し、6身差の2着に敗れる。症状は軽かったが競走馬にとって重要な飛節を故障したことで治療に専念せざるを得ず、2歳シーズンを棒に振ることが確定。営はのGⅠには間に合わないと判断し、クラシックの第2回登録(3万円)を見送ってしまった。

この新馬戦においてオペラオーの手綱を取ったのは、岩元厩舎所属・デビュー三年の「競馬学校の十二期生」が一人・和田竜二であった。初年度から同期福永祐一に次ぐ勝数を上げ、12期生で重賞勝利一番乗り(しかも長距離ステイヤーズステークス)を達成した若手のホープである。和田騎手は以後3年間に渡る、オペラオーの全レースを担当することになる。

1999年・クラシック三強として

皐月賞・最初の戴冠

年が明け、1月ダート未勝利戦で再始動(4着だった)。2月にここを快勝すると、芝に戻ったゆきやなぎ賞(500万下)も勝利重賞初挑戦となる皐月賞前の「東上最終便」毎日杯も、2着タガノブライアンに4身差で圧勝した。まさかの急成長で皐月賞が視野に入ってきたわけだが、オーナーは「ダービー一本」と考えており、皐月賞出走には消極的だった。岩元師は「追加登録料をが立て替えてもいい」とまで言ってオーナーを説得し、追加登録料(200万円)を支払い皐月賞への参戦を決めた。

皐月賞アドマイヤベガナリタトップロードの2強対決というのが大方の予想で、オペラオーは11.1倍の5番人気。岩元師は前々での競馬を考えており、後方待機策を取った和田騎手とオペラオーをみて敗戦を覚悟した。しかし、和田騎手は当日の中山競馬場馬場から外差しが決まりやすいと読んでいた。その読みは当たり、オペラオーは直線坂を上った辺りからワープするみたいな脚で差し切ってGI初制覇。「あいつ、ほんとにサドラーズウェルズ系か?」という末脚だった。
この勝利は史上初の「追加登録クラシック競走制覇」となり、和田騎手と杵臼牧場にとってのGI初制覇でもあったが、和田騎手レース後に岩元師から「の負担を考えろ」と叱責されたという。

続く日本ダービーでは、皐月賞勝利がフロック視されたのか、2強に続く3番人気であった。本番では和田騎手若さが出たのか、仕掛けをトップロードに交わされ、さらにそのトップロードを交わしたアドマイヤベガの3着に敗れる。テイエムの和田ナリタの渡辺薫彦という若手達が、天才武豊に打ちのめされた。

秋・すっかりブロコレに…

シーズンの初戦にして古戦線への初挑戦となる京都大賞典では、スペシャルウィークマークして進むも、当のスぺの仕上げがいまいちだったため、結果的に仕掛け遅れてツルマルツヨシの3着に敗れる。とはいえ初の古挑戦でこの結果は悪くない。
いざ菊花賞! ……と出走したのだが、今度は(やはり不調だった)アドマイヤベガマークして仕掛け遅れる痛恨のミスを犯し、ナリタトップロードに届かず2着。和田騎手はこの敗戦を後々まで引きずり続けることになる。

同じような負け方を繰り返した和田騎手に、オーナーはとうとう想をつかし、オペラオーの勝利のため「騎手を代えろ」と岩元氏に要請する。しかし岩元師にも、子をどうしても一人前に育てたいという願いがあった。師自身、師匠布施調教師に乗せ続けてもらい、遂にはバンブーアトラスと共にダービージョッキーとなった過去があったのである。岩元師は乗り代わりだけは勘弁してほしいと食い下がり、終いには「どうしても乗り替わりというなら転厩してもらうしかない」とまで宣言した。これにはオーナーも遂に折れ、和田騎手の続投を渋々了承した。

岩元師はなんとか子に勝ちをあげさせてやろうと、菊花賞の次戦にステイヤーズSを選択するが、まさかのペインテドブラックの2着。急遽、出走予定のなかった有馬記念へ強行軍を決行するが、死闘を繰り広げるグラスワンダースペシャルウィークにはまたも僅かに届かぬ3着だった。とはいえ、ステイヤーズS経由で出走した4歳がグラスとスぺにタイム差なしのクビ差まで迫ったことはものすごいことであり、ファンからはこれからの成長が大いに期待された。

だが、当時の和田騎手にそんなことを考える余裕はなかった。

2000年:世紀末覇王の古馬王道制覇

ただ彼だけが

勝ち続ける。絶対に負けない。
それがどれほど困難なことか
ただ彼だけが知る。

重圧に耐え 剣戟を潜り抜け 包囲網を打ち砕いた
その先にある未踏の地を

ただ彼だけが知る。

JRA 名馬の肖像 テイエムオペラオーexit

2000年1月、最優秀4歳(しれっと受賞していた)授賞式後の食事会で、オーナーは「今年は1回も負けてはいかん。全勝しろ!」という大号を下した。和田騎手のみならず、彼を乗せるよう説得した岩元調教師以下厩舎スタッフにも、ほんのわずかな油断も許されない1年が始まろうとしていた。

春、進撃開始

そして2月上の気迫がオペラオーにも伝わったか、京都記念ナリタトップロードステイゴールドらを競り落として久々勝利を挙げる。オーナーは少し嬉しくなったのか、久しぶり(菊花賞以来)に和田騎手と言葉を交わしたという。……が、その内容は「今年はもう負けるなよ。全部勝てよ」という切なる願いの吐露であり、和田騎手“もう負けられへん。負けたら終わりや”と覚悟を決めることに。

一か後。天皇賞(春)の前戦・阪神大賞典では、ラスカルスズカトップロード菊花賞の1着と3着を相手に2身半差で楽勝。あれ……なんだ? こんなに強いだったか……?と競馬ファンがそう思う間に、本番の春天もあっさり勝利
1~3着は前走と全く同じテイエム・スズカ・ナリタの3強で決着。上がりの1000m58.1春天史上最速、4Fの46.1も最速、ラスト2ハロンで観測された11.2ラップも最速と、とにかく最速だらけの天皇賞(春)だった。「関西といえば春天」という岩元調教師は大喜びだったそうだが、和田騎手は「GⅠ一つくらいじゃ乗せ続けてくれた恩返しにならない」と心から喜べなかったという。

宝塚記念グラスワンダーとの再戦が注されたが、グラスはレース中に折。最、他は相手にならず、ここも着差以上の強さで勝つ(2着メイショウドトウ)。なお、この時点でのメイショウドトウ重賞勝ちがG2金鯱賞G3中京記念の2勝だけという兵扱いであったが、以後、GIの突を通してオペラオー最大のライバルされるようになる。

宝塚記念を勝ったあと、2000年JRAヒーロー列伝ポスターがお披露された(2000年8月)。ちなみにこの年選ばれたもう1頭は、当時GⅠ未勝利だったステイゴールドexit。共にGⅠ戦線を走っていたナリタトップロードexit2002年に、これからライバルとなるメイショウドトウexitはちょうど1年後の2001年に選ばれることになる。近年はGⅠ3勝が選ばれる基準と言われており、もしこの時にその基準があったら他の3頭は選ばれなかったかもしれない。

王者の賛歌。

衝撃のGⅠデビュー。その後の好敵手たちとの熱い勝負。
正攻法で、しかも堂々と戦いあうことで、
格と威厳を身に着けてきたテイエムオペラオー。
璧な勝利を重ね、歴史が認める英雄へ――
王者を讃える歌が、強く、高らかに聴こえてくる。

JRAヒーロー列伝 No.48 テイエムオペラオーexit

は全勝。それでも大一番のG1では勝ち方に手さがなく、負かした相手に立った古が少ないこともあり、競馬ファンは半信半疑だった。とはいえ馬券人気は常に(そしてこの後も)圧倒的一番人気であったことからもわかるように、馬券師からすれば手堅く有難い存在であったのだが。

秋、ジンクスすらも粉砕

初戦、京都大賞典ではナリタトップロードを相手にムチすら使わず僅差圧勝重賞5連勝で迎えた次の天皇賞(秋)でもオペラオーは当然のように1番人気に支持されたが、ここでの単勝倍率は2.4倍という年内では最も高い倍率となった。その要因としては、上の和田騎手秋天舞台となる東京コースで一度も勝ったことがいという経験不足への不安もあっただろうが、それ以上に秋天に「あるジンクス」があったからだろう。それは「1番人気必敗」のジンクスである。

秋天においては65年のシンザン以降、1番人気が19連敗していた。84年にはミスターシービー勝利を収めるも、翌85年にはシンボリルドルフでさえ「あっと驚くギャロップダイナ!」にを喫し、更に87年ニッポーテイオーが勝って以降も、オグリキャップメジロマックイーントウカイテイオーライスシャワービワハヤヒデナリタブライアンサクラローレルバブルガムフェローサイレンススズカといった当代最強と言えるたちが故障[1]失格といった様々な理由で敗北していった。出走前、フジテレビ原アナはこうった。

今世紀中に止めておかなければならない、不名誉な記録があります。
来るべき未来に繋いでおかなければならない、の開放があります。
122回天皇賞。それぞれが乗り越えたいに向かって、2000mのスタート待つ16頭。

フジテレビ 塩原恒夫アナウンサー

この1番人気12連敗中のジンクスを、オペラオーは牙にも掛けず快勝する(2着メイショウドトウ)。先行して、切れる上に息の長い末脚を繰り出すレーススタイルは安定感抜群だった。そしてオペラオーはこの勝利で史上初の中央要4競馬場GI制覇を達成。なお、この後の秋天では1番人気馬券に絡むことの方が多くなっていく。

この辺で競馬ファンもようやくこのの強さを認めた。ジャパンカップも1番人気サクラユタカオー以降14連敗していたのだが、ここでは前走とうってかわってジャパンカップの単勝支持率レコードとなる50.5%の支持がテイエムオペラオーに集まった。レースでは次世代の代表達(二冠エアシャカール日本ダービーアグネスフライトNHKマイルカップイーグルカフェオークスシルクプリマドンナ)も相手にせず、直線だけの競馬で後の世界王者ファンタスティックライトを蹴散らし、人気に応えてジンクス全粉砕した(2着メイショウドトウ)。この勝利で獲得賞額はスペシャルウィークを抜いて日本競馬史上最高の12億円に達し、JRA重賞連勝記録も7に更新する。

伝説の有馬記念、歌われる覇王の凱歌

年間記録が掛かった有馬記念では、帽子に7番のゼッケンが与えられた。しかし当日の、近くのが暴れ出したのに驚いたオペラオーはに顔面を強打してしまう。オペラオーは鼻血を出し、顔は腫れあがり、左ど見えない状態になってしまった。

レースでは、逃げホットシークレットが出遅れたもあり、スタート直後からオペラオーはしいマークを受ける。前は全に塞がり、外に出そうにもアドマイヤボス上の武豊天才的な騎乗で左サイドブロックしていた。あえて減速して外に出ようとしても、周囲はぴったりとペースを合わせてそれを許さない。その「包囲網」ぶりたるや、一週ホームストレッチ前に入ってきた時点で一部の観客から怒号が飛び、1コーナー過ぎで各ポジション明らかになるとスタンド全体がどよめくほどであった。中盤から和田騎手必死に手綱をしごいて前に行くよう促すもオペラオーは動くに動けず、群後方に包まれたまま短さに定評のある中山の最終直線へ。アナウンサーは「テイエムはどうする!? 残り310メートルしかありません!」と絶望感たっぷりの実況を飛ばし、スタンドからは悲鳴が上がる。もう駄か……!?

残り200を切った、テイエムは来ないのか?テイエムは来ないのか?

テイエム来たッ!テイエム来たッ!テイエム来たッ!テイエム来たッ!
テイエム来たッ!テイエム来たッ! 抜け出すか!? メイショウドトウと!
テイエム!テイエムッ! テイエムかー!テイエムかー!僅かにテイエムかー!?

……すごい苦しい競馬ですが……ッ!
僅かに、ジャパンカップではありませんが、僅かに抜け出した感じがいたしましたが……

フジテレビ 堺正幸アナウンサー

ラストスパートに入り、群が僅かに開けた。首を必死に振りながら隙間を探していたオペラオーはそれを見逃さず、2度の切り替えでん中を縫うように突入。抜けきったその間がゴール線。ハナ差、僅か20cm差の、奇跡勝利だった(2着メイショウドトウ)。

他のが弱いのならレース前に負傷し、GⅠの舞台であんな絶望的なポジションから抜け出して勝った例はそうそうない。「ミスター有馬記念」ことアナは入線後に感極まって絶句し、の呻きウッ)をあげた。ちなみに本競走は「社台包囲網」と揶揄されることも多いが、社台グループ2頭しか出てない。色々やっかまれることが多い社台だが、根拠のない煽り陰謀論はダメゼッタイ……。

和田騎手レース後、オペラオーの脚が包囲された時に負ったであろう生傷だらけであることに気づき、した。そのは最後まで勝負を諦めなかったオペラオーへの感謝と、反面オペラオーを最後まで信じられなかった自身に対しての情けなさだったという。実は和田騎手自身、レース終盤には「もうオペラオーの背に(何もせずに)しがみつく事しかできない」と勝負を諦めていた。勝利インタビューでも、和田騎手の笑みは最後までぎこちないままであった。オーナーは「騎手が出るほどかわいそうでした」とっている。和田騎手といえばレースの最後までを入れて追いまくる闘志あふれる騎乗スタイルが身上だが、それも最後まで諦めずを信じるというオペラオーからの教えを守り続けているのだ。

この勝利でテイエムオペラオーは2000年競馬を年間敗(重賞8連勝・内GⅠ5勝。秋天皇賞・2大グランプリ・JCの古王道路線制覇)で完走メイヂヒカリテンポイントシンボリルドルフに続く史上4頭となる満票で年度代表馬(および最優秀4歳以上)に選ばれ、季GI3競走による報奨1億円も獲得している。この年は20世紀最後の年、まさに「世紀末覇王」の名に相応しい成績であった。弱冠23歳だった和田騎手は「おかしくなるくらいのプレッシャーだった。あの年はオペラオーのことしか考えていなかった」と当時の心を明かしている。

2001年:猛将の逆襲、次々世代との対決、そして……

春の日の、最後の栄光

2001年の初戦となったのは産経大阪杯。しかし放牧先がに見舞われ、ろくに調整が行えなかったこともあって、抜け出したところを後ろから交わされ、トーホウドリームの4着。久方ぶりの敗戦を喫した。

2001年4月1日、テイエムオペラオー破れています……。
エイプリルフールではありません、本当に、オペラオーが負けました!

関西テレビ 馬場鉄志アナウンサー

本番の天皇賞(春)では直線半ばで先頭に立ち、後続の猛追をしのいで意地の勝利(2着メイショウドトウ)。天皇賞が勝ち抜き制でなくなって以降、3勝を達成したのはオペラオーが初めてのことであった[2]

宝塚記念では前年の有馬記念もかくやのマークに合い、4コーナー上が立ち上がる程の致命的な不利を受ける。そこから猛然と追い込んだものの、先行策をとりロス璧に立ち回ったメイショウドトウに6度の対戦にして初めて先着を許す2着に敗れる(むしろよく2着まで迫れたものである)。宝塚記念を制覇していたら海外遠征も検討される予定だったが、この結果に加えて、営に海外遠征のノウハウや伝手がなかったこともあり、お流れとなった。

落日の秋

初戦・京都大賞典では先に抜け出したステイゴールドを捕まえきれなかったものの、ステイゴールドナリタトップロードの加と判定されて失格になったので繰り上げ優勝する。この時、以前のような切れがくなった事に気が付いた和田騎手め先頭の作戦を取るよう変更する。ステゴ上の後藤浩輝は産大阪杯宝塚記念でオペラオーを執拗にマークし、今回はを制御できず突っ込んできたため、ブチ切れたオーナーに検量室前で締め上げられた。

然し、それでもなお秋の天皇賞では外国産馬アグネスデジタルに差し切られ2着に敗れる。天皇賞4勝はならず。また、これはかつて外国産馬が出場可であった1956年のミツドフアーム以来となる外国産馬勝利となり、そして1年半にもって中央競馬の中~長距離で上位を占めていたテイエムオペラオーとその世代の落日でもあった。

ジャパンカップではしくめ先頭の競馬をするも、ジャングルポケットに最後の最後で交わされて2着。引退レース有馬記念は如何にも疲れており、優勝したマンハッタンカフェの追走にも苦労して5着。4着だった最大のライバルメイショウドトウと共に引退式を行いターフを去った。

さあ、テイエムは今日は来ないのか!テイエムは今日は来ないのか……!

フジテレビ 堺正幸アナウンサー

種牡馬時代

社台グループとの交渉(社台スタリオンステーション入り)が決裂し、オーナーの個人所有として種牡馬生活に入る。「生産者にに血を提供したい」というオーナーの理想もむなしく、やはり集まるの質はそれほど高いものではなかった。まぁ、血統背景を鑑みると相当強気の価格設定だったのでそりゃそうなるとしか……。

結果、なかなか自身のを伝える事が出来ず苦戦続きだったが、それでも障害競走で活躍したテイエムトッパズレ、テイエムエースを出している。オペラハウス障害競走で活躍を出しており、この点だけは似通ったようだ。

繋養中、心い見学者に石を投げられたり、たてがみを抜かれたりするという憂きにあったため、いくつかの牧場を移動した後、関係者以外には所在地を秘匿されることになった。タイキシャトルの件といい、いつの世も悪質な人間は存在するものである。

オペラオー自身は2018年5月心臓麻痺のため22歳で死亡三冠を分け合ったアドマイヤベガナリタトップロードはすでに世しており、彼らの後を追うこととなった。

評価

負かせそうで、負かせない

凄まじいまでの末脚と追い込み、競り合いになったときの先頭を譲らないり強さは群を抜いている。さらにレース展開や作戦馬場距離も問わず、掲示板を外したことは生涯一度もない。00年JC対決したファンタスティックライトランフランコ・デットーリは「Crazy strong」と大絶賛し、翌年には「当時のあの2頭(オペ&ドトウ)に勝つとなると、サキーかガリレオ級のでもないと」とった。その他競馬関係者からもその強さを評価するは多い。

オペラオーの強さが分からない人は、競馬をあきらめて競艇競輪をやった方が良い。一緒に走らせたくはないけど、私はあのファンですよ。非の打ち所のない名です

藤沢和雄調教師・00年前後はマチカネキンノホシ等を担当)

テイエムオペラオーはすでに別格の存在です。パーフェクトの一言。どんな展開、馬場にも対応できる

芳夫(調教師・00年前後はナリタトップロード等を担当)

もし自分のだったら、間違いなく海外遠征させていた。世界でも確実に通用したのに勿体無い

吉田照哉(・社台ファーム代表)

その一方で、一度先頭に立つとソラを使いがち(手を抜きがち)になるため、強さのわりに着差がない勝負も多い。特に01年秋天ではアグネスデジタル営にまさにそこを突かれ、大外に持ち出したデジタルを見落として失速したのが命取りとなった。そこから生まれたのが僅差圧勝ハナ差圧勝とか言う言葉。

負かせそうな気がするんだけど、負かせなかったね。本当に強かったあの

武豊アドマイヤベガラスカルスズカ戦)

テイエムとは二度と競馬をしたくない

安田メイショウドトウ戦)

ファン・業界人気の低さ

競走への評価は別にして、現役当時はファン人気はそれほど高くなかった。アイドルというには何かが足りない存在だったのだろう。口さがない人たちからは「ラキラッキー=運だけで勝ったしいウマ」とかいうどう聞いても負け惜しみな蔑称までつけられていた。

ナリタトップロードのジョッキーといっしょに、あるイベントに出た時、ファンの人に聞いてみたことがあるんですよ。成績は自分のの方がいいのに、応援は、同じか、下手をするとナリタトップロードのほうが上の時もある。どうしては、人気がないんでしょうって

和田竜二2002年Nunber誌)

ナリタトップロード人気較している当時の和田騎手の疑問への回答となるかは分からないが、オペラオーのファン人気が高くなかった理由としては以下のような事情が考えられる。

時代と共に再評価される馬

テイエム今年、8戦全勝! 素晴らしい記録立しました! あのシンザンブライアンルドルフでさえねぇ、「年間の全勝」というのは出来なかったわけなんですからねぇ

堺正幸フジテレビアナウンサー

アナが奮して(ウッ)実況したように、にもにも2000年の戦績が物凄く、この年の戦績だけで他の歴史的名ともり合えると言っても過言ではない。99年と01年こそ勝ち切れないレースも多かったが、それでもGIを2勝しており、馬券に絡むことができなかったレースも4着2回に5着1回と一度として掲示板を外さなかった。戦績を通して2度の先着を許した相手もナリタトップロードメイショウドトウという同世代2頭しかおらず、その点では覇王の面を保ったまま引退したといえよう。

オペラオー引退から20余年が経つが、古王道全制覇の達成はオペラオーの他には現れていない。三冠ですらゼンノロブロイだけである。海外挑戦もあったとはいえディープインパクトですら成し得てはおらず、中~長距離のGIが6戦に増えて以降のキタサンブラックでも年間GI4勝に留まった。たとえ年間敗にこだわらなくとも、古王道GIを年間5勝するという標自体が至難すぎるのである。

また、古王道の全勝ではなく全連対(全競走2着以上)にまで条件を緩めてみても、達成タマモクロススペシャルウィーク、年を跨いでのメイショウドトウのみ。ドトウはもっと評価されるべき着順すら気にせず天皇賞・2大グランプリ・ジャパンカップ全てに皆勤しただけという競走馬ですら稀少であり、2年以上皆勤した競走馬ともなると、このテイエムオペラオーとステイゴールドただ2頭しかいない(ドトウは00春天は出走せず)。出走レースを絞ることが多い昨今、その過酷なローテーションをこなして結果を出し続けたことも評価されている。

奇跡を起こした敗の王者

ゴール前、
の前に立ちふさかるライバルたちの群れ。
そのわずかな隙間を異次元の末脚で抜け出した。
ハナ差で掴み取った年間敗という奇跡
この伝説にたどりつくは、いまだ現れない。

――第63回有馬記念 柱巻広告より 

この広告が出された年には、オジュウチョウサンがオペラオーのJRA最多重賞連勝記録を18年ぶりに更新した。更に2年後には、アーモンドアイがGⅠ「7勝」の壁を遂に破り、新たな伝説を築く。しかし年間全勝・古王道全制覇という、ただオペラオーのみが知る奇跡の地にたどり着いた者は、いまだに現れていない。果たして彼に並ぶヒーローは、今世紀中に登場するのであろうか?

肉体面について

2001年JRA競走馬総合研究所が1年をかけてオペラオーの強さを科学的に検証したことがあった。研究所でもバリバリのGⅠデータを取るのは初めてだったという。その結果、オペラオーは心臓の大きさが均の1.5倍、1回の拍動で送られる血液量は1.8倍という、大きく強い心臓が高い心肺機を生み出していることが分かった。また、心拍数も標準的なサラブレッドの36~40回/分に対してオペラオーは25回/分、上がった心拍数を元に戻す副交感神経の働きも均の2~3倍で、疲労によって体内にたまるの量は通常より20~30%少ない、疲れにくい体を持っていたことも判明した。研究所は「テイエムオペラオーは傑出した持久を持つであることが科学的に明された」とコメントしている。

共同育成センターの槇本一雄センター長によれば、オペラオーはの生え替わりの時期が遅かったという。サラブレッドの多くは2歳から4歳にかけて体の成長にあわせての一部[3]から永久へと生え替わっていくが、オペラオーはダービーが終わった4歳の時点での生え替わりが始まっていなかった。これは一般には「手(晩成)」とされるに見られる傾向だという。

運命の相棒・和田竜二について

先述した通り、競走馬は成績が向上するにつれて、より実績のある騎手を呼んで交替させていくものである。だが、岩元調教師の後押しもあって、テイエムオペラオーには和田竜二が最後まで乗り続けた。まだ若かった和田騎手は、オペラオーの勝利後にアントニオ猪木真似をしてスタンドを煽っていたが、先述したオペラオー人気の低さを気にしてのパフォーマンスでもあったという。

オペラオーにはたくさん勝たせてもらいましたが、満足かと問われれば、まったく満足はしていません。
ただ、自分自身、あの時点(=オペ引退時)でもう限界だったのかもしれないなと。正直、疲れました。今思うと、あの頃の自分は気をり過ぎて、競馬以外の時間は廃人のようでしたから。

和田竜二2014年回想

当時名に近かった和田騎手が乗り続けたことで、色々な批判があったことも事実である。代表的な批判の例として、シンボリルドルフを手がけた「ミスター競馬」野二元調教師は「オペラオーは三冠を取れる器で古の連勝ももっと伸ばせていた」と評している。和田騎手の元にも批判の投書が多数届き、引退レースの翌日に騎乗しに行った名古屋競馬場でも物凄い野次を浴びたという。
しかし、実際には乗り方が悪くて負けたと思えるようなレースは初期を除けばそれほどい。特に2001年以降はに陰りが見え始めたオペラオーをよく導いている。結果的には時代の最強競走馬と(後の)一流騎手という競馬史上に残る名コンビだったと言えるのではないだろうか。

和田騎手はオペラオーの引退時に「オペラオーにたくさんのものをもらったが、あのには何も返せなかった。一流騎手になることでオペラオーに認められるようになりたい」とった。その後に何度かオペラオーには会いに行ったそうだが、そのたびに嚙みつかれ追い返されたらしい。

以後、和田騎手はコツコツと勝利を積み重ね、堅実に入着を拾う仕事人として成長。2012年にはワンダーアキュートJBCクラシックを制覇し、11年振りのG1Jpn1)勝利を収めている。2016年には区切りの1000勝も達成。そして2018年、テイエムオペラオーの死去一月後に行われた宝塚記念ではミッキーロケットJRAG1を17年ぶりに獲得している。なお、この時はメイショウドトウに敗れた2001年宝塚記念と同じ4番出走で、かつドトウのタイムを0.1上回っていた。和田騎手自身、勝利後のインタビューで「オペラオーが後押ししてくれた」とっていたが、果たして…

オペラオーと和田騎手の深い競馬ファンにはとりわけ人気の高い題材であり、新たに競馬史に触れたファンからも「オペラオー調べてたら和田ファンになってた」というがちらほら上がるほど。おかげで「テイエムオペラオー産駒ワダリュージ」だの「リュージと離れたくないから古王道した覇王」だの「ウマ娘のオペラオーは擬人化ではなく和田美少女化」だの、様々なネタでいじられ続けている。和田覇王お気に入りのリュックサック」「武や岡部の代わりに当時の和田をディープやルドルフに載せて7冠達成できんの?=覇王最強」という関係者各位に大変失礼な極論は最強論争の禁じ手である。

獲得賞金について

オペラオーの生涯獲得賞額18億3518万9000円は当時の世界最高記録だった。テイエムオペラオーが保持していた世界最高獲得賞記録は、世界的な賞額の上積み傾向もあり、2017年米国アロゲート[4]に破られ、日本記録としても2017年キタサンブラック2020年アーモンドアイに抜かれて史上3位となった。
なお、この総額計算は三冠達成によるボーナス1億円(内は2億円)を含まないものなので、それを込みにすると今なお僅差ながらオペラオーが日本記録トップである。この三冠ボーナス制度が導入された年がちょうど2000年だったのが、運が良かったというべきか……。

単年の獲得賞額に関しては、三冠ボーナスを含めずとも、2位アドマイヤムーンに2億円近く大差をつけて1位を保持している。

因みに最大のライバルメイショウドトウ500万円の安値で買われたものの9億2千万円稼いでおり、結果的に両とも馬主に購入時の184倍もの賞したことになる。

顕彰馬について

テイエムオペラオーは日本中央競馬会における26頭顕彰馬である。テイエムオペラオーが投票になったのは2003年なのだが、顕彰馬になったのは2004年である。今でこそ抹消から1年以上20年以内の投票とされているものの、2003年まではこの基準がなく、タケシバオーなどの昔のを推す古参記者がいたことがしているとみられている。彼らが選出される理由も相応にあるのだが、流石に古王道全勝を成し遂げたテイエムオペラオーの落選に対しはJRAへの抗議が殺到した。オペラオーに対し否定的な競馬ファンからも「オペラオー程の成績で顕彰馬となり得ないのであれば、今後一体どのような顕彰馬たりうるのか」というような意見があったそうな。

そういったこともあって、2004年から抹消後の年数の基準が設けられ、87.8の圧倒的な得票で顕彰馬となった(なお、2004年は特例で21年以上ので2票、1年以上20年以内で2票だった)。

戦績

日付 レース 格付け 開催競馬場 距離 m 天気 馬場 頭数 騎手 人気 着順
1 1998/08/15 3歳新 京都 1600 12 和田竜二 1 2
2 1999/01/16 4歳未勝利 京都 1400 16 和田竜二 2 4
3 1999/02/06 4歳未勝利 京都 1800 10 和田竜二 1 1
4 1999/02/27 ゆきやなぎ 500万下 阪神 2000 14 和田竜二 2 1
5 1999/03/28 毎日杯 G3 中山 2000 14 和田竜二 3 1
6 1999/04/18 皐月 G1 東京 2000 17 和田竜二 5 1
7 1999/06/06 東京優駿 G1 東京 芝2400 18 和田竜二 3 3
8 1999/10/10 京都大賞典 G2 京都 芝2400 10 和田竜二 3 3
9 1999/11/07 菊花賞 G1 京都 3000 15 和田竜二 2 2
10 1999/12/04 ステイヤーズS G2 中山 3600 14 和田竜二 1 2
11 1999/12/26 有馬記念 G1 中山 2500 14 和田竜二 5 3
12 2000/02/20 京都記念 G2 京都 2200 11 和田竜二 1 1
13 2000/03/19 阪神大賞典 G2 阪神 3000 9 和田竜二 1 1
14 2000/04/30 天皇賞(春) G1 京都 3200 12 和田竜二 1 1
15 2000/06/25 宝塚記念 G1 阪神 2200 11 和田竜二 1 1
16 2000/10/08 京都大賞典 G2 京都 芝2400 12 和田竜二 1 1
17 2000/10/29 天皇賞(秋) G1 東京 2000 16 和田竜二 1 1
18 2000/11/26 ジャパンカップ G1 東京 芝2400 16 和田竜二 1 1
19 2000/12/24 有馬記念 G1 中山 2500 16 和田竜二 1 1
20 2001/04/01 産経大阪杯 G2 阪神 2000 14 和田竜二 1 4
21 2001/04/29 天皇賞(春) G1 京都 3200 12 和田竜二 1 1
22 2001/06/24 宝塚記念 G1 阪神 2200 12 和田竜二 1 2
23 2001/10/07 京都大賞典 G2 京都 芝2400 7 和田竜二 1 1
24 2001/10/28 天皇賞(秋) G1 東京 2000 13 和田竜二 1 2
25 2001/11/25 ジャパンカップ G1 東京 芝2400 15 和田竜二 1 2
26 2001/12/23 有馬記念 G1 東京 2500 13 和田竜二 1 5

その他記録(達成当時)

血統表

*オペラハウス
1988 鹿毛
Sadler's Wells
1981 鹿毛
Northern Dancer Nearctic
Natalma
Fairy Bridge Bold Reason
Special
Colorspin
1983 鹿毛
High Top Derring-Do
Camenae
Reprocolor Jimmy Reppin
Blue Queen
*ワンスウエド
1984 栗毛
FNo.4-m
Blushing Groom
1974 栗毛
Red God Nasrullah
Spring Run
Runaway Bride Wild Risk
Aimee
Noura
1978 黒鹿毛
Key to the Kingdom Bold Ruler
Key Bridge
River Guide Drone
Blue Canoe

クロスNasrullah 4×5(9.38%)、Nearco 5×5(6.25%)

関連動画

関連商品

関連コミュニティ

関連項目

脚注

  1. *ビワハヤヒデは屈腱炎発症→引退サイレンススズカに至っては予後不良
  2. *2017年キタサンブラックも達成。1位入線ならばメジロマックイーンもそうなのだが……91年の秋天は降着処分である。
  3. *人間とは違ってでは全てのが生え替わるわけではない。
  4. *GⅠの2戦だけで14~15億稼いでいる。すげぇ!
  5. *タマモクロススペシャルウィークに続く3頭
  6. *スーパークリークに続く2頭
  7. *メジロマックイーンに続く2頭
  8. *グレード制導入以後では、イナリワンメジロパーマーグラスワンダーに続く4頭グレード制導入以前のリユウフオーレル、シンザンスピードシンボリを含めれば7頭
  9. *2017年アロゲート更新日本記録としては同じく2017年キタサンブラックが18億7684万3000円で更新
  10. *2位アドマイヤムーンの8億3518万3300円。
  11. *後にディープインパクトが1億389万6500円記録更新
  12. *2020年アーモンドアイ記録更新
  13. *2013年ロードカナロアタイ記録達成。
  14. *地方交流重賞を含めると、2012年スマートファルコンタイ記録達成。グレード制以前の八大競走宝塚記念をGI級とみなせばシンザンも該当。
  15. *メイショウドトウとのGI6戦連続1位2位
  16. *地方交流重賞を含めると、2010年スマートファルコン記録更新
  17. *地競走では現在も最多記録障害競走では2018年オジュウチョウサンが9連勝を記録
  18. *阪神京都東京中山
  19. *グレード制以前の八大競走宝塚記念をGI級とみなせばシンザンも該当。
  20. *後にディープインパクトが61.2%記録更新
  21. *どこまでを計算に含めるかによるが、例えば三冠ボーナスを含めると19億3518万円9000円でアーモンドアイの19億1526万3900円(海外は当時のレートで額が上下する場合があり、他に19億1202万9900円、19億1524万8000円などの表記もある)を上回る。これらの他にも距離割増賞、内奨励賞、市場取引奨励賞が存在し、これらだけでも3億円程度を稼いでいる。

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テイエムオペラオー

1609 ななしのよっしん
2022/05/16(月) 23:09:12 ID: aeAIiJWHZi
競走馬兄弟って言ったら基準じゃね?
だからスタミナ補うためにオペラハウス付けたわけで
1610 ななしのよっしん
2022/05/17(火) 07:41:30 ID: hBdQtR2Hvi
京都大賞典ではスペシャルウィークに気をとられて仕掛けが遅れ菊花賞ではアドマイヤベガに気をとられて仕掛けが遅れ
そりゃ2戦続けて同じような負け方したらオーナーもキレるわ
1611 ななしのよっしん
2022/05/24(火) 00:32:35 ID: oc9cL4Qjdd
>>1594
その辺の逸話を聞くと某なりでの扱いがすごくモヤッとする
ブロコレ入りして余計なプレッシャーが抜けたとか現実と正反対じゃねーかよと
1612 ななしのよっしん
2022/05/24(火) 22:04:25 ID: 3b+On/2jlT
たからっち
1613 ななしのよっしん
2022/05/24(火) 22:27:13 ID: 3b+On/2jlT
騎手込みの評価になると、最強と言うには憚られる感もあるかな
1614 ななしのよっしん
2022/05/24(火) 22:56:34 ID: aeAIiJWHZi
騎手で割り引かれてこの偉業だからを見る余地がある
1615 ななしのよっしん
2022/05/25(水) 00:40:56 ID: uGhEzvb27S
日本競馬に絶対があったのはシンボリルドルフ2000年オペラオーと最近よく聞くわ。
騎手込みで最強がどうこういうけど、
他の騎手グランドスラムしてたのを想像出来ないんだよね……
三冠馬にはなれてただろうけどグランドスラムはたぶん理だと思う。
1616 ななしのよっしん
2022/05/25(水) 01:55:28 ID: aeAIiJWHZi
普通に考えれば上が強化されればプラスにしかならんけど、前絶後の偉業だからこの人なら確実とは言えないのがね、とはいえ他でも十分出来るはあると思うよ
1617 ななしのよっしん
2022/05/27(金) 02:21:10 ID: YTgGFoOqhs
何なら和田騎手でも菊勝って園氏にプレッシャーかけられてなかったらどこか落としてたかも
上の気迫がに伝わった…なんて言われるけどにそれが偉業達成の一因だと思う
1618 ななしのよっしん
2022/05/27(金) 14:29:01 ID: G4rJ3VkEo6
当時の騎手は騎乗してみたかったってのはそりゃそうだよね