いつか振り返れば
やれることはやった
その積み重ねを
振り返るのはよそう
不運を嘆きたくなるからだが今度も同じだ
やれることをやるだけだ
メイショウドトウ(Meisho Doto)とは、1996年生まれのアイルランド生産・日本調教の元競走馬・元種牡馬である。
"世紀末覇王"テイエムオペラオーの古馬時代最大のライバルとして立ちはだかった……というよりむしろ蹂躙された馬。オペラオーさんマジ無慈悲。一方で、テイエムオペラオー以外の多くの馬たちにとってはオペラオーと並ぶ悪夢のような存在だった。ドトウさんもマジ無慈悲。
誰が呼んだか、「史上最強の二番手」。
この記事では実在の競走馬について記述しています。 この馬を元にした『ウマ娘 プリティーダービー』に登場するキャラクターについては 「メイショウドトウ(ウマ娘)」を参照してください。 |
主な勝ち鞍
2000年:金鯱賞(GII)、オールカマー(GII)、中京記念(GIII)
2001年:宝塚記念(GI)、日経賞(GII)
概要
出自
父はBigstone[1]、母はプリンセスリーマ、母父Affirmedという血統。なにげに母父はナリタトップロードと同じである。アイツに勝てない理由はそういうことだったのか……
彼はアイルランド産の外国産馬、いわゆるマル外である。しかしその購入額は4万ギニー、概算の日本円にして破格の700万円。当時のマル外としては格安である。日高の馬でもこれくらいの馬は血統・能力的にアレな馬が多いことを考えれば安い方だが、結果として輸入賃などを考えたら大損な買い物の可能性もあった。だが結果として彼は収益的に言えばプラスである。しかも相当な。
入厩~1999年
「メイショウ」の冠名で有名な松本好雄オーナーに購入された本馬は、栗東の安田伊佐夫厩舎に預けられた。伊佐夫厩舎ではビワハヤヒデ(浜田厩舎)やマサラッキ(増本厩舎)の調教助手として知られた小林常浩が担当についた。
入厩したドトウは雄大な馬体と軽快なスピードで将来を期待されたが、デビューは順調にはいかなかった。というのも、どうにもこうにも化骨の進みが遅く、いつまでたっても体が幼いままで、少し運動をさせるとソエがでる虚弱体質もあって遅々として調教が進まなかったのだ[2]。そのためデビューは遅れに遅れ、ついには翌年に持ち越され、ようやく松本オーナーの誕生日である1999年1月6日がデビューの日と決まった。
迎えた新馬戦(ダート 1800m)の日、伊佐夫調教師は「オーナーへの誕生日プレゼントとして絶対に勝てる馬を用意しました」と松本オーナーを京都競馬場へと招待していた。
1番人気に支持されたドトウは伊佐夫調教師の息子・安田康彦騎手(以下「ヤスヤス」)を背に楽な手ごたえで先行すると、直線でメンバー最速の上りを繰り出して後続を一気に7馬身突き放す。そして陣営の高い期待に見事に応え……ることができず、逃げた馬を捕まえそこねて2着だった。この日、松本オーナーの出走馬はドトウの他には坂口正大厩舎の未勝利馬メイショウアイーダしかいなかった。こんなことなら家で大人しくケーキでも食べていれば良かったかなぁ……
雪辱を期してドトウは連闘で2度目の新馬戦(ダート1800m)[3]へ出走。今度こそは負けられない、という大事な一戦の当日、騎乗予定だったヤスヤスが高熱を出してしまう。メイショウキヨモリは武幸四郎に乗り代わりとなったが、メイショウドトウだけは「自分が乗る」とヤスヤスが強情に主張して譲らなかった。そんなヤスヤスの心意気に応えるべくメイショウドトウは……数馬身ほど豪快に出遅れた。1コーナーと2コーナーをポツンと最後方で回り、向こう正面で暴走気味にまくって何とか先行集団にとりつきはしたものの、道中でこんな足を使ってしまってはさすがに余力は残っておらず、勝ったのは仕舞で鋭い末脚を見せたメイショウドトウの方だった。あれ?
その後は3月の4歳500万下(ダート1800m)での4着を挟み、4月のかいどう賞(500万下・ダート1700m)で2勝目を挙げる。しかしOP初挑戦となった5月の香港JCT(OP)では8着[4]に惨敗してしまった。さあ陣営一丸となって立て直しを、となるタイミングで調教助手の小林常浩が姿を消した。過去にも突然の転厩[5]を繰り返していた人物ではあったが、今回は突然の出奔だった。そんなこんなで人間達がゴタゴタしていた頃、ドトウは持病の管骨骨膜炎と格闘していた。
9月に復帰したドトウは芝路線に転向。ここからは古馬との戦いである。
ドトウは8着→4着→2着と順調に着順を上げ、10月・11月には二連勝で一気にオープンクラス入りを果たす。しかし1999年の最終戦に選んだ六甲ステークス(OP・芝2000m)では1番人気に支持されながら全くらしいところなく最下位に惨敗。一体全体なにが悪かったのか、なんだか締まらない年末となってしまった。ちなみに、年末に発表された同年の優駿エッセイ賞は小林常浩が受賞。出奔した調教助手は物書きになっていた。
2000年春: 躍進と受難の始まり
2000年は1月の日経新春杯(GII)から始動。初めての重賞挑戦となる記念すべき一戦、主戦騎手のヤスヤスは騎乗停止中[6]のため鞍上は武幸四郎である。前走の大敗や距離不安もあってか8番人気と低評価だったが、先行して抜け出し、2着に食い込み実力をアピールした。
なお1着は武豊騎乗のマーベラスタイマーで、JRA重賞で初めての武兄弟ワンツーフィニッシュとなった。鞍上の武兄弟が話題になった一方で、2着馬・ドトウの方はあまり話題にならなかった。
次は3月の中京記念(GIII)に出走。得意な距離に戻り、かつ相手が楽になったこともあってレースレコードでの重賞初勝利を果たす。この頃ようやくドトウの体も大人の体に変わり始め(本格化)、普通の調教が行える程度には虚弱体質が改善されてきたらしい。とはいえ、このレースは前年のオークス馬エリモエクセルの引退レースということもあり、勝ったドトウは話題の中心ではなかった。
ドトウの本格化を感じ取った陣営は、この年度からマル外が出走可能になったばかりの天皇賞(春)へ出走すべく、ステップレースの日経賞(GII)へ駒を進めた[7]。日経賞には同じ外国産馬で同じく春天出走を狙うグラスワンダーも出走していたが、勝ったのは絶妙な逃げで後続を翻弄した単勝万馬券のレオリュウホウだった。ドトウは3着に敗れて出走権を獲得できず、グラスワンダーも6着に敗れ去った。
春天出走を断念した陣営は、6月の宝塚記念を次の目標に据えた。手始めに4月のメトロポリタンステークス(OP)を単勝1.5倍の1番人気に応えて快勝。一応は日本レコードに0.2秒差の好タイムだったが、重賞ではないし2300mという微妙な距離での時計でもあって、特に注目はされなかったものの、ここからドトウのオペラオー以外には全勝ロードが始まる。
続けて5月の金鯱賞(GII)にも勝利して重賞2勝目、2連勝。とはいえ、このレースには菊花賞や天皇賞でテイエムオペラオーやナリタトップロードといった強豪馬と接戦を繰り広げてきたラスカルスズカ(単勝1.3倍)に加え、シルクジャスティスやマチカネフクキタルといったGI馬も出走していたので、世間的にはドトウが勝ったレースというよりは彼らが負けたレースという印象だった。つまり、このときもドトウはあまり注目されなかった。
そして6月、ドトウは上がり馬として宝塚記念(GI)に挑む。初GIである。晴れ舞台である。そして初GIに臨むメイショウドトウの背には、新馬戦で高熱にうなされながらもドトウの背中だけは手放さなかった主戦騎手ヤスヤスの姿が……なかった。ヤスヤスは今回も騎乗停止中[8]だった。代役となった鞍上は河内洋騎手である。
宝塚記念でのメイショウドトウは6番人気。この時点でのドトウは同馬主の先輩馬メイショウオウドウ(7番人気)と名前がややこしい伏兵の一頭という位置づけだった。ちなみに1番人気は3連勝で春の天皇賞を制した現役最強馬テイエムオペラオー、2番人気はグランプリ4連覇を狙うグラスワンダーである。
レースはサイレントハンターが逃げる予想通りの展開と思われたが、3コーナー過ぎでラスカルスズカ騎乗の武豊が奇襲をかける。これを先行していたメイショウドトウとジョービッグバンが追いかけ、直線でメイショウドトウがコース中央を突っ切って先頭に躍り出た。2番人気グラスワンダーは伸びを欠き、グラスワンダーを警戒していた1番人気テイエムオペラオーは仕掛けが遅れている。これは前年の京都大賞典や菊花賞で見られたテイエムオペラオーの負けパターンである。メイショウドトウがGI初挑戦にして初GI勝利か!
……と夢を見たのも束の間、ゴールを目前にして猛烈に突っ込んできたテイエムオペラオーに一気に抜き去られてしまった。貫禄の僅差圧勝である。しかしドトウもクビ差の2着には食い込んでおり、GI初挑戦としては大健闘の2着だった。これがこれから何度も苦汁を舐めさせられることになる果てしなく遠いクビ差だったのだが。
2000年秋: オペラオーが倒せない!
2000年の秋は、同年から外国産馬も出走可能となった天皇賞(秋)の優先出走権獲得を目指してオールカマー(GII)から始動。鞍上は的場均。主戦のヤスヤスはオールカマーの少し前の札幌遠征中に道路交通法違反(+34km/hの制限速度違反および酒気帯び運転)で現行犯逮捕されており、2ヶ月の騎乗停止中だった。駄目だこいつ…早くなんとかしないと…。
陣営は重馬場を懸念していたようだが、ドトウは単勝1.9倍の1番人気に応えて全く危なげなく快勝。サクラナミキオーで2着に入った岡部幸雄騎手は、成長したメイショウドトウの強さを目の当たりにして「テイエムオペラオーが引退したら来年はあの馬の時代が来る」と予言した。そう……テイエムオペラオーが引退したら、なのね。
オールカマーを快勝した陣営は満を持して天皇賞(秋)(GI)へ向かう。鞍上は先月から騎乗停止中のヤスヤスに代わって引き続き的場均である。この天皇賞では「テイエムオペラオーが負けるとしたらここかもしれない」という雰囲気が漂っていた。というのも、当時の秋天には「一番人気は勝てない」というジンクスがあり、さらにオペラオーに騎乗の和田竜二騎手は秋天の舞台となる東京競馬場でデビュー以来勝ったことが無かったからである。中距離のスピード馬であるドトウにとって、2000mという距離もうってつけであった。
レースは逃げたロードブレーブと競りかけたミヤギロドリゴが引っ張るハイペースの展開になった。メイショウドトウは好位で追走して直線で早めに抜け出しを図る。が、テイエムオペラオーの脚色が一頭だけ桁違いだった。あっという間にドトウらを交わすと、そのままリードを広げて1着でゴール。ドトウは2馬身半差の2着だった。
11月、今度こそはとジャパンカップ(GI)へ出走。ようやく鞍上に主戦ヤスヤスが復帰した。1番人気は単勝1.5倍のテイエムオペラオーでJCの史上最高支持率、2番人気は単勝8.9倍の欧州古馬代表ファンタスティックライト、ドトウは距離不安が囁かれての5番人気だった。
レースは意表を突いたステイゴールドの逃げで始まり、残り1000mを切ると一気にペースが上がって1ハロン11秒台が連発。メイショウドトウが馬場の真ん中を通って直線で先頭に躍り出ると、後ろからテイエムオペラオーとファンタスティックライトがドトウに襲いかかり、残り200mでオペラオーが先頭にかわるが、ドトウもファンタスティックライトも必死に食い下がる。3頭の壮絶な競り合いにより、レース全体の上がりは1000m58.6秒というマイル戦並の驚異的ラップを記録した。しかしドトウもファンタスティックライトも最後までオペラオーを差し返すことはできず、今回もオペラオーが僅差圧勝、ドトウは3度目の2着に泣いた。しかしこのドトウの奮闘には3着ファンタスティックライト騎乗の天才ランフランコ・デットーリも「世界レベルの馬だね。世界中どんな大レースでも活躍できるよ」と賞賛の言葉を贈っている。
ついに12月、2000年の最終戦となった有馬記念(GI)。逃げ宣言をしていたホットシークレットが出遅れ、スローペースの密集した展開となった。オペラオーはスタート直後から激しいマークを受け、馬群に埋もれて完全に行き場を失っていた。大混戦となった最後の直線では先に抜け出した古豪ダイワテキサスを交わしてドトウが先頭に立つ。勝ったッ!第3部完! ……と思った瞬間、どこをどうすり抜けてきたのか、後続にブロックされて完全に閉じ込められていたはずのテイエムオペラオーが奇跡的末脚で全てをかっさらっていった。メイショウドトウは2着、4度目の2着。
テイエムオペラオーが満票で年度代表馬に選ばれた一方で、メイショウドトウには特別賞が検討されていたが「GIを勝っていないから」という理由で最終的に不採用となってしまった。まあ、もしドトウがGIを勝っていたらオペラオーが年間無敗ではなくなってしまうので、ドトウの特別賞は検討すらされていなかったのであろうが。
2001年: 六度目の正直
ターフを揺るがす“怒涛”の力。
五度のGI。いつもすぐ前に唯一頭、あの宿敵がいた。
始まりから一年、舞台は初めて脚を交えた地、宝塚。
一段と逞しくなった心と体。滾る気迫。充実を迎えた挑戦者は、
堂々と、力強く、栄光のゴールを駆け抜けた。
メイショウドトウ、GIホースの栄光を携えて。
その雄大なうねりは、さらに力を増してターフを揺るがせる。
2001年は天皇賞(春)を目標に日経賞(GII)から始動。ここをドトウは単勝1.1倍の圧倒的な人気で勝利。いわゆる「勝ちきれない馬」たちとは違い、こういうレースでもキッチリ勝ちきるところが彼の強さである。
一方のテイエムオペラオーは放牧先が豪雪に見舞われロクな調整が行えておらず、前哨戦の産経大阪杯(GII)で4着に敗退していた。世紀末覇王はオワコン!……と勢い込んで天皇賞(春)(GI)へと挑んだが、世紀末覇王はまだ負けない。「馬鹿言うなよ、こっから先は俺の道だ」と言わんばかりの僅差圧勝の前に2着。これにてオペラオーに5連敗。ついには責任を感じたヤスヤスが「宝塚記念で結果が出なければ主戦を降板する」と自ら言い出す事態になった。
迎えた宝塚記念(GI)。ヤスヤスは3コーナー過ぎでオペラオーが不利を受けて失速していることを確認すると、4コーナー手前で早々にスパートを開始してセーフティーリードを確保する作戦に出る。直線半ばでオペラオーもブロックを突き破って強烈な追い込みを見せるが、時既に遅し。その差が縮まり切ることはなく、ドトウが六度目の正直で悲願のGI制覇を成し遂げた。オペラオーのGI連勝記録は6でストップし、代わりにドトウが9連続連対でオペラオーの古馬重賞8連続連対の日本記録を塗り替えた。まあオペラオーの連対記録って全部1着なんですけどね。
何よりこれまで一度も勝てず辛酸も苦汁も舐めさせられていたオペラオーを破ったことに陣営は歓喜。ヤスヤスも主戦の座を守り抜き、馬主の松本好雄氏にとっても初のGI制覇とめでたい勝利であった。
これでついにメイショウドトウの時代が来たか。
……と思われたが、秋は再びオペラオーに勝てなくなってしまう。
宝塚記念の勝利の後は天皇賞(秋)(GI)へと直行したが、ここでは意図せず先頭に立たされる形となり、不本意な競馬で3着に終わった。オペラオーには前年同様にちぎり捨てられ、そのオペラオーをねじ伏せた変態アグネスデジタルにも先着されてしまった。オペラオー以外に先着されたのは2000年の日経賞以来であり、これにより前年の宝塚記念から一年以上に亘って続いていたオペラオー&メイショウドトウによる古馬王道GIでのワンツーフィニッシュも途絶えることになった。
次のジャパンカップ(GI)では好スタートで好位に付けたものの、1コーナー過ぎで英国馬ゴーランからヤスヤスが落馬しかけるほどの不利を受け前脚を負傷しズルズル後退、そのまま全く競馬に参加させてもらえず掲示板確保の5着がやっとだった。もっとも、受けた不利の大きさを考えればむしろよく5着にまで来れたものではあるが。とはいえ古馬になってからの最低着順となり、ナリタトップロードには初めて先着を許し、ステイゴールドにも初対戦となった日経賞以来20ヶ月ぶりに先着を許してしまった。
オペラオーと揃って引退レースとなった有馬記念(GI)では前走で燃え尽きていたオペラオーにこそ先着したものの、マンハッタンカフェ・アメリカンボス・トゥザヴィクトリーらサイン馬券組[9]に先着を許して4着。オペラオーと同じようなローテションで2年近く競い合っていたメイショウドトウも、やはりオペラオーと同じようにピークが過ぎていたのかもしれない。
このレースを最後に引退して種牡馬入り。引退式は非常に珍しい合同形式でオペラオーと共に挙行された。
通算成績27戦10勝。掲示板を外したのは3歳時の3戦のみで、古馬になってからは最後の2レース以外は馬券に絡んでいる。古馬王道GI全連対はタマモクロス、スペシャルウィーク、テイエムオペラオーに続く史上4頭目の快挙。獲得賞金は9億2133万円にも及び、実に購入価格の184倍と馬主孝行の極みと言える。
とにもかくにもメトロポリタンSから2001年の宝塚記念までの10連戦での敢闘が素晴らしい。GI馬19頭を含む72頭の馬たちと戦い、テイエムオペラオー以外の馬には一度も先着を許さなかった。10連戦でオペラオーがいなかったレースは4戦4勝と勝率100%である。もしオペラオーがいなければ、ドトウは10連勝でGIを6勝、古馬王道を完全制覇して世界賞金王になり、顕彰馬にも選ばれていた、そう考えるのも間違いではないだろう。つくづく生まれた時代が悪かった。
もっとも、オペラオーが小牧場産まれ・傍流血統・1000万落札であんな猛烈なマークに遭っていたため、○外・500万・ナニコレ血統のドトウが目立つとオペラオーより酷い妨害に遭ったりオペラオー以上の憎まれ役にされていた可能性もなきにしもあらず、ではあるが。
種牡馬時代
北海道浦河町のイーストスタッドにて9億円のシンジケートが組まれ種牡馬入りしたものの、結果は芳しくない。中央だとシャインがクラシック戦線に少し顔を出している程度である。勝ち上がった後に頭打ちになるという若いころの彼っぽい性質が悪い方向に受け継がれているようで、人気もそんなにない。
……勝ち切れないのは、ドトウの父Bigstoneも同じであった[10]。それでもドトウ産駒はライジングウェーブが大井記念で因縁のテイエムオペラオー産駒バグパイプウィンドを破って重賞を勝つなどの活躍はあった。
2017年を以ってドトウも種牡馬を引退。結果的には種牡馬としてもオペラオーの後塵を拝す結果になってしまった。
フォスターホース時代
オペラオーはじめ同世代のライバルたちは先に逝ってしまったが、長生きとなったドトウは種牡馬引退後に引退名馬繋養展示事業の助成対象となり、NPO法人引退馬協会の顔役「フォスターホース」として第三の馬生を過ごすことになった。実は彼、"怒涛"という猛々しい名前とは裏腹にとても穏やかで人懐っこい性格をしているのだが、この性格によって隠居先でゆるふわな濃いエピソードと新たなファンを生み出すことになる。
去勢を経て2018年に日高町のヴェルサイユリゾートファームへ移動し、彼はフォスターホースとしての任に就いた。彼は持ち前の社交性で先住馬たちともすぐ打ち解け、特に同じフォスターホース仲間であるタイキシャトルと親しい仲になった。同牧場では馬以外の動物も飼育しているのだが、彼は同じエリアで放牧されていたヤギに囲まれるも全く動じず、さりとて邪険にする様子でもない動画が投稿されたことから「ヤギの王」なる異名が付いた。誰が言ったかメェショウドトウ。さらに野生のタヌキに自らの馬房の一部を貸して居候を許す という珍事まで発生。タイキシャトルと羊群"チーム・ウール100%"の組共々、小動物たちとの微笑ましい日々を送った。
2021年にはタイキシャトルと共に新冠町のノーザンレイクへ移動。こちらでも先住馬たちとすぐ打ち解け、牧場猫のメトとも仲良くしようと接近を試みている……が、接近すると巨体を怖がられてしまい想いは一方通行状態。立ち止まっているドトウにメトが接近することは何度かあったものの、自由すぎるメトに振り回されている感が否めなかったが……?
2022年5月3日、ドトウの執念が通じたのかメトが厩舎で突然ドトウの背中に乗ってくつろぎ始めたのである。馬は非常に視野が広いので背中の様子も見られるが、嫌がるそぶりも見せない。さすがはヤギやタヌキとも仲良くなったドトウである。当該ツイートは3万RTを超え、今でも多くの人がドトウの優しさに癒されている。
その後も気に入ったのかドトウの背中でくつろぐメトが何度か確認されているが、背中に乗るのはどうやら爪を引っ掛けやすい(=登りやすい)馬着を着ているとき限定だったようで、夏季になってからは登る様子は確認されていない。だがドトウから逃げていたメトが接近はおろか困惑しながらもドトウの猫吸いを許すほど両者の仲は接近したようで、ノーザンレイクからは両者の交流がSNSで連日投稿されている。これからも業界屈指のおっとりゆるふわ癒し系GI馬と気まぐれツンデレネコの動向に今後も目が離せない。
余談
- 人参、リンゴ、黒砂糖、和梨が好物。一方ブドウやバナナはあまりお気に召さない模様。
- スイカも食いつきが良いらしいが、何故か皮付きでないと食べない。
- ノーザンレイクスタッフとファンからの愛称は「ドットさん」。
- 大流星に浮かぶ薄紅色の鼻がチャームポイントとしてよく挙げられるが、実は敏感肌でもあり、スタッフ曰く毛が薄い鼻のお肌のケアは欠かせないという。
- タイキシャトルに餌桶を譲らなかったり、夜飼い後のおやつの終了宣言に耳を後ろにして聞こえないふりを返したりと、意外と食事についてはがめつい模様。
因縁の同門?
後年同じ馬主のメイショウサムソンが活躍したが、その父親はオペラオーと同じオペラハウスだった。こんなところでも何というか因縁を感じざるを得ない。ちなみにサムソンもドトウと同じくイーストスタッドで種牡馬時代を過ごし、その後引退馬協会のフォスターホースに就任している(繋養先はひだか・ホース・フレンズ)。
サービス精神旺盛すぎる馬
前述の通りドトウはおとなしく非常に人懐っこい馬なのだが、人懐っこいあまりカメラを向けるとずいずい寄ってきてほぼドアップの写真しか撮れないという。その寄りやすさたるや、カレンダー用写真の撮影のためにわざわざ遠くに曳いていっても、手綱を離した途端カメラマンの方へダッシュし始めるほど。
その一方で、「オペラオー」というワードを聞くとそっぽを向いてしまう(実際の様子)。ただ、その言葉が引退式や種牡馬の厩舎で隣にいた栗毛の馬を指す言葉であるとは理解していない模様。「オペラオー」という言葉が聞こえるたび、いつも陣営の人たちが落ち込んでいたからその言葉が苦手になったのではないかとの説もある。2023年にはオペラオーの主戦騎手であった和田竜二騎手がノーザンレイクを訪問した際、ドトウが噛みつこうとするなど普段からは考えられないほどの塩対応を二度も返したため、まさかの和田竜二騎手のことを「オペラオー」と認識しているのではないかとの説も浮上した。
主戦騎手について
同時期に活躍したオペラオー・トップロード・ドトウは若手騎手主戦にこだわり、その主戦騎手が悩み苦しみながら成長していくという側面もあった。
実際、オペラオーの主戦和田竜二は現在でもホースマン屈指のムードメーカーとして知られる一方、本業の騎乗においては関西の競馬場に強い腕利きとして存在感を放ち、2018年オペラオーが逝った直後にはオペラオーがドトウに初めて敗れた宝塚記念でオペラオーの天皇賞春2連覇以来の中央GI勝利を果たし話題を呼んだ。トップロードの主戦渡辺薫彦も乗り馬に恵まれなかったり落馬事故の怪我に悩まされたりしたが、2012年限りで調教師を目指して引退するまでそれなりのポジションの騎手として長く現役を続けた。
…のだが、ドトウの主戦であったヤスヤスは、偶に人気薄の馬を持ってくる(例:2002年菊花賞でのファストタテヤマ)など西の「穴男」として名を馳せていたのだが、一方で旧5歳秋を前にした時期に起こした交通違反事件のくだりにもある通り、素行不良で特に酒癖のヤバさで悪評が高かったのだが、それを改めることもなく、酒酔いで調教に現れたかと思えば、いきなり栗東から姿を消して函館や東京で競馬と無関係な仕事をしようとするなど、ドトウ引退後はますます自堕落な生活を送り数年もしない内には騎乗依頼がめったに来なくなる。
そして2006年春、師匠であり父である伊佐夫に引退届を提出される形で引退させられて親子の縁を切られ、翌年には京都市内のコンビニで恐喝事件を起こし逮捕された。相前後して10年ほど連れ立った妻とも離婚し娘の親権も妻に移ることとなり、結果としてヤスヤスは競馬サークルから追い出されて仕事を失っただけでなく、家族もお金も、何もかもを失ってしまった。
その後は行方が知れなかったが、2013年と2017年の雑誌対談記事により生存が確認されている。
父との関係は死去直前で何とか修復し、株をやって失敗しただの、沖縄や東南アジアを渡り歩いただの、その中でタイ人の女性と新たな家庭を築いただの、現役時代アレほど言われ引退の原因となった酒癖も治ったと語っていた。現在彼はあいりん地区の日雇い労働者に落ちぶれてしまった。しかし、元号が平成から令和に変わる頃からはコラムも持つようになり、2020年にはYouTubeアカウントを公開、重賞の予想を中心とした動画をたまに投稿。解説者としての第2の人生を歩みたいとも語っている。
血統表
Bigstone 1990 鹿毛 |
*ラストタイクーン 1983 黒鹿毛 |
*トライマイベスト | Northern Dancer |
Sex Appeal | |||
Mill Princess | Mill Reef | ||
Irish Lass | |||
Batave 1982 栗毛 |
*ポッセ | Forli | |
In Hot Pursuit | |||
Bon Appetit | Major Portion | ||
Sweet Solera | |||
*プリンセスリーマ 1984 栗毛 FNo.4-p |
Affirmed 1975 栗毛 |
Exclusive Native | Raise a Native |
Exclusive | |||
Won't Tell You | Crafty Admiral | ||
Scarlet Ribbon | |||
First Fling 1977 栗毛 |
Nijinsky II | Northern Dancer | |
Flaming Page | |||
Fast Approach | First Landing | ||
Pinny Gray |
クロス:Northern Dancer 4×4(12.50%)
主な産駒
関連動画
関連項目
脚注
- *ラストタイクーン産駒。現役時代はフランスのマイル路線で同期のKingmamboと覇を競った。
- *伊佐夫調教師は、あまりに体質が弱いドトウを「未完の大器」で終わる馬と予想しており、内心ではドトウよりは頑丈そうなメイショウイサリビの方に期待をよせていたそうな。一方でヤスヤスと小林は栗東駅前の拉麺酒場でドトウの高い素質を肴に大いに盛り上がっていたそうである。
- *2002年までは初出走した開催期間中が「新馬」というルールだったため同月の新馬戦には出走することが可能だった。
- *香港JCTでドトウの一つ前で入線したのがブゼンキャンドルである。ヤスヤスは同年10月の秋華賞(GI)で、このブゼンキャンドルに騎乗してGI童貞を捨てることになった。
- *増本厩舎から伊佐夫厩舎に転厩してきた経緯が、朝の調教後にミーティングルームで一杯ひっかけていたところを増本豊調教師に「他の人は昼も仕事があるんだから朝から厩舎で酒を飲まないように」と注意されたことに気を悪くし、ついつい捨て台詞を吐いてミーティングルームを飛び出してしまい戻るに戻れなくなり、その日の午後から伊佐夫厩舎で世話になった、というもの。
- *8日の京都7Rでキングコンドル号に騎乗してスリーサンナイナー号の進路を妨害したため、6日間の騎乗停止処分を食らっていた。
- *2000年から2004年までの天皇賞(春・秋)には外国産馬の出走制限があり、外国産馬であるドトウが天皇賞に出走するためには先に他のGIを勝っておくかJRAから指定されたステップレースに勝利する必要があった。
- *10日の中京7R(4歳未勝利)でアズマシーザーに騎乗して失格。
- *2001年はアメリカ同時多発テロによりロウアー・マンハッタンのワールドトレードセンターが崩壊した年。アメリカ絡みの馬が来ると言われていた。
- *G1を12連戦して4勝。ただし欧州なのでG1の価値はレースによる
親記事
子記事
- なし
兄弟記事
- テイエムオペラオー
- ハルウララ
- ナリタトップロード
- モンジュー
- ドバイミレニアム
- アドマイヤベガ
- ファンタスティックライト
- ノボトゥルー
- サウスヴィグラス
- シラユキヒメ
- ラスカルスズカ
- ベラミロード
- ゴールドティアラ
- メジロダーリング
- トウカイポイント
- スーパーペガサス
- トロットスター
- リージェントブラフ
- ブゼンキャンドル
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