ハルウララとは、1996年生まれの競走馬。高知競馬で通算113連敗を記録した「負け組の星」である。
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この記事では実在の競走馬について記述しています。 この馬を元にした『ウマ娘 プリティーダービー』に登場するウマ娘については 「ハルウララ(ウマ娘)」を参照して下さい。 |
概要
父ニッポーテイオー、母ヒロイン、母父ラッキーソブリンという血統。
父のニッポーテイオーは種牡馬としては、インターマイウェイ(1995年の産経大阪杯・函館記念の勝ち馬)とハルウララが代表産駒として紹介される程度の種牡馬であるが、昭和末期の名マイラーで、母父のラッキーソブリンは母父としてコスモドリームやショウナンカンプを輩出。牝系は日本の在来血統であるビューチフルドリーマー系にあたり、実は従兄弟にはJRA重賞5勝馬のミヤビランベリがいる。
生まれた1996年当時ですら、サンデーサイレンス旋風や、世界的良血の繁殖牝馬の大量輸入が相次いだ背景を考えれば、やや古くなりだした血統ではあるが、連敗記録というイメージとは裏腹に300年以上弱い馬を淘汰しつづけた歴史を持つサラブレッドなだけに、そこまでいい加減な血統ではない。父はリーディングサイアーだが、母系は7代遡らないと重賞馬もいないサンデーサイレンスの方がある意味で血統的には悪いくらいである。
誕生から連敗街道まで
生まれた時から小さく、見栄えも悪かったハルウララ。要するに売れ残ってしまい、生まれた牧場の場長は仕方なく自分で所有し、高知競馬で走らせることにした。高知競馬を選んだのは、預託料が日本一安かったからである。預かった調教師は、牧場長への義理を立てるためだけに彼女を預かった。
ハルウララは馬体が400kgに達しない小さな馬で、しかも臆病でわがまま。飽きっぽいという、競走馬としてはおよそ失格な馬であった。厩舎では相当な苦労をして彼女をどうにか競走馬としてデビューさせる事には成功した。1998年11月のデビュー戦は最下位。いわゆる連敗街道の幕が上がる。
ハルウララは非常に丈夫な馬であった。出走回数は年間約20回に及び、出走手当ての合計がどうにか預託料と釣り合ったがために、ハルウララはなんとか廃馬の危機を免れた。それにしても年間20走とは、足元に負担が少ないダートコース短距離だということを鑑みても物凄い出走回数である。間に惜しい二着こそあるものの、ハルウララは兎に角負け続けた。
ハルウララ狂想曲
高知競馬はバブルに入るちょっと前の時期に桟橋通(とさでん交通の南側終点の辺り)から現在の長浜町の山中に移転。しかしバブル崩壊後も景気が悪化する中、建設費を要求する銀行、さらに競馬場が雇用と同和の対策の場でもあったことから人件費削減が難しいなど地元政治経済のしがらみに振り回され、2003年に公費で88億円にも上っていた累積赤字を肩代わりしてもらう代わりとして、「これ以上赤字が出るのならば廃止する」と通告される。
この年にはハルウララも7歳を迎え、流石に好走する事さえ無くなってきて、いい加減引退かなぁ関係者が思い始めた頃の事。突然彼女にスポットライトが当り始める。
高知競馬の実況を担当していた橋口浩二アナウンサーが、連敗がもうすぐ100に達しつつあったハルウララに気が付いた。橋口は90年代後半のアメリカ・ニューヨーク州でハルウララ同様、100連敗を喫しながら人気を集めた馬であるジッピーチッピーの話を耳にしており、ハルウララが日本版のジッピーチッピーになれると期待。地元紙・高知新聞の社会部記者にこの話をし、記者は面白そうだと6月中旬に特集を組む。そして廃止の危機に直面していた高知競馬関係者がこれに目をつけ、中央マスコミに売り込みをかけたのである。これに応じた各マスコミが「負け組の星」という扱いで大々的に取り上げた。と言っても当時その裏ではイブキライズアップが逆に高知で快進撃の真っ最中。ハルウララが取り上げられたのはそのおまけ的な扱いでもあった。
先日までは地元のおっちゃんたちしかおらず、新聞記者など来た事も無かった高知競馬場に、なんだか物凄い数の人々とマスコミが押し寄せたのである。目当ては、もはや勝つ見込みも無くなった7歳の牝馬。客観的に見ると奇妙極まりない事に、彼ら彼女らは、ハルウララが負けるところを見に来ていたのである。100連敗達成時には5000人もの観客が詰めかけ、120人ものマスコミが押し寄せ、何故か「100連敗を祝う」セレモニーまで行われ、2004年の黒船賞の日には中央のトップジョッキー・武豊[1]を鞍上に挑戦(11頭立て、単勝1番人気で10着)。これが長らく高知競馬の1レースあたりの売上レコードであった。
グッズが次々と作られ「当らない」交通安全のお守りとして外れ馬券が持ち帰られる始末。高知競馬はかつて無いほど盛り上がる。当然出走するレースもピーク時には全国発売が行われるなどケタ違いの売上を記録。当時「あと一回赤字を出せば即廃止」とされていた危機は一時的にせよ回避された。
一方、ハルウララの関係者にとって「負けることを喜ばれる」というのは不本意極まりない事であり、昨日まで駄馬扱いしていた世間が突然蝶よ花よと持ち上げるようになった毀誉褒貶の激しさには相当呆れたらしい。
そもそも、ハルウララの様に負け続ける馬は珍しく無く、負け続ければその内見放され、廃馬になって肉屋に売られるのが当たり前なのが競馬なのである。それが競馬という人間の娯楽にのみぶら下がっている、「経済動物」サラブレッドという生き物の宿命なのであり、肉屋に売られる運命をどうにか避けさせようと関係者が頑張る事によって競馬は成立しているのだ。
また、ハルウララの「弱さ」が知れ渡ることで、両親の産駒成績やきょうだいの評価までも低く見られる可能性がある。特に、ハルウララの生産者で当初の馬主である信田牧場にとっては、母馬ヒロインやその産駒の評価がかかっているため、決して喜ばしいものではなかった。ハルウララはヒロインの一番仔であり、そのきょうだいたちは「ハルウララの弟・妹」という目で見られる。彼女の評価が彼らの売却価格に影響しかねなかったのである。
故に、負けることを賞賛される、「一生懸命」であるということだけで特別視されることは、競馬関係者にとってはそれまで「見送って」きた数多の馬たちを愚弄する行為に他ならなかった。
ハルウララがマスコミに頻繁に取り上げるようになってからも、牧場や厩舎、騎手のコメントにハルウララが負けることを良しとするようなものは皆無であり、陣営は最後まで彼女を勝たせるための努力をしていた。実際、引退までの最後の5レースは全レース掲示板に残っている。決して「負けてもいいや、負けた方が話題になる」と思ってレースをしていたわけではないのだ。
一度彼女に騎乗した武豊騎手ですら、子供の頃から厩舎育ちであるので、当初はハルウララを冷めた目で見ていたという。競馬の本質とは違うがこんな馬がいてもいいのかもと納得したのは、騎乗した際に彼女に対して純粋な応援を送るファンを見てからのことである。
ハルウララのもたらしたもの
ハルウララブーム時に得た黒字の一部は、経営のための基金にプールされた。
ブームは案の定去り、高知競馬は元の寂れた鉄火場に戻った。しかし高知競馬はダービーレースの賞金を300万円から27万円まで減額するなどの超緊縮財政を敷き、それでもなお赤字が生じた際に基金を取り崩して赤字を穴埋めするギリギリの攻防が行われた。
この延命策は、のちの「夜さ恋ナイター」開始にはじまる高知競馬の一発逆転劇に繋がり、次第に賞金も緊縮財政前以上の水準になっていった。そして2021年の黒船賞では、武豊を乗せて彼女が戦ったレースを超える売上レコードを叩き出した。
ハルウララのブームは話題づくりが欲しかった高知競馬と、変わったネタが欲しかったマスコミ各社が盛り上げたものといっても過言ではない。ハルウララは最終的に113連敗したのだが、実はその時点でさえ既に彼女の連敗記録は日本記録ではなかった(当時2位)し、2023年現在に至るまでそれ以上の黒星を重ねる馬は度々出現している。今となればなんであれほど盛り上がったのか不思議なほどだ。
しかしながら、競馬の人気馬というのはハイセイコーにせよオグリキャップにせよ、最初はマスコミが盛り上げたにせよ、その後はその走る姿に我が身を投影したファンたちが創り上げるのである。ファンたちは負け続けても諦めずに走り続けるハルウララに、実感なき経済成長の中であえぐ自分たちを見ていたのかもしれない。
馬は「経済動物」である。この言葉は馬を殺処分にする理由として悲観的に使われることが多いが、同じぐらい馬を生かす理由になったっていいはずである(もちろん、ひとつの命が人間の都合で決まることの是非自体がもっと議論されるべきことである)。
ハルウララは、競走馬としてはいいとこなしといっても過言ではなかったが、いかなる理由であれ、競馬場一つを救う契機となった「経済動物」としての功労者であった。
引退~その後
ハルウララは8歳時、実質的な馬主になっていたエッセイスト?の安西美穂子の手によって栃木の牧場に送られる。なんだかごたごたがあって、そのまま引退。通算113敗。
その後は安西によってホースセラピーに連れ出されたり、復帰するからと募金を募ったり、はたまたディープインパクトと交配することが発表されたりしたらしいがいずれも実現する事は無かった。彼女の引退後の高知競馬場は再び資金難に陥り苦境に立たされるが、中央から来た強豪・グランシュヴァリエの登場でV字回復に転ずる事になる。
引退後は北海道は新冠の牧場で余生をおくっていたが、安西のブログによると2012年12月に千葉に移動。その後馬主は牧場の預託料を支払わなくなり、事実上所有権を放棄した。2014年7月、そのままその千葉の牧場が引き取り、サポート団体「春うららの会」を発足させて支援する形となった。また、負け続けた彼女を題材とした映画も2本(関連商品にある2005年の日本映画と関連リンクにある2016年のアメリカ映画)作られている。
2019年5月、競走馬を引退した馬たちが出走するソフト競馬にて馬生初勝利をあげた。その後もソフト競馬に出走したり、Twitterに写真や動画がアップされたりしており、2023年1月現在も存命である。人間に振り回され続けた彼女に、せめて安らかな余生が齎される事を願って止まない。
血統表
ニッポーテイオー 1983 鹿毛 |
*リィフォー 1975 黒鹿毛 |
Lyphard | Northern Dancer |
Goofed | |||
Klaizia | Sing Sing | ||
Klainia | |||
チヨダマサコ 1977 鹿毛 |
*ラバージョン | Damascus | |
Evening Primrose | |||
ミスオーハヤブサ | *パーソロン | ||
ワールドハヤブサ | |||
ヒロイン 1991 鹿毛 FNo.12 |
*ラッキーソブリン 1974 鹿毛 |
Nijinsky II | Northern Dancer |
Flaming Page | |||
Sovereigm | Pardao | ||
Urshalim | |||
ピアレスレディ 1979 鹿毛 |
*テスコボーイ | Princely Gift | |
Suncourt | |||
イーストサイド | *パーソロン | ||
ミスハクリュウ | |||
競走馬の4代血統表 |
クロス:Northern Dancer 4×4(12.50%)、パーソロン 4×4(12.50%)、Nasrullah5×5(6.25%)
関連動画
関連商品
関連コミュニティ
関連リンク
関連項目
- 競馬 / 地方競馬 / 高知競馬場
- 競走馬の一覧
- 1999年クラシック世代
- 橋口浩二
- イブキライズアップ/グランシュヴァリエ:同じく高知競馬場のスターホース
- ヒノデマキバオー:漫画『たいようのマキバオー』の主人公。本馬をモデルにしたとされる
- 冠協賛レースシリーズ:ブーム時に冠協賛が多く行われたが、彼女自身の名を冠したものも多かった
脚注
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