ドバイミレニアム(Dubai Millennium)とは、1996年生まれのイギリス・UAEの元競走馬・種牡馬である。
数多の名馬と関わってきたH.H.シェイク・モハメド殿下やランフランコ・デットーリ騎手が、生涯一番の馬に選ぶであろう名馬である。
主な勝ち鞍
1999年: ジャックルマロワ賞(G1)、クイーンエリザベスII世ステークス(G1)、ユジェーヌアダム賞(G2)
2001年: ドバイワールドカップ(G1)、プリンスオブウェールズステークス(G1)、
概要
競走馬時代
父はミスタープロスペクター直仔で種牡馬としても競走馬としても活躍したSeeking the Gold(日本でもシーキングザパール、ゴールドティアラを出した)、母は名牝フォールアスペンの娘Colorado Dancer、母の父は4000万ドルのシンジケートが組まれたShareef Dancerという良血。
ヤゼールという名前を付けられてデビューする予定だったのだが、2歳の時に調教を見に来たモハメド殿下が動きを見て一発で惚れ込み、「2000年のドバイワールドカップを勝つのはこの子だ、ビジョンが見えた。現実にして欲しい」という思いを抱き、ヤゼールからドバイミレニアムに改名したという経緯を持つ。
2歳時はデビュー戦1戦のみで終える。無論圧勝である。その後はダービーステークス制覇に絞って予定を組み、ついでにモハメド殿下専属の腕利き調教師、サイード・ビン・スルールの厩舎に転厩。2歳の時のデビッド・ローダー師とは一体。
3歳になると条件戦とリステッドを圧勝。ダービーステークスへ向かう。ここでももちろん一番人気だったが、血統面からタフなエプソム12Fは無理とか勝ちっぷりからしてもスピードがありすぎだし10Fに伸びた準重賞で着差が縮まったためダメだろうという声も多かった。
その懸念は的中し、*オースの前に9着惨敗を喫した。
この敗戦で陣営はマイル路線転向を決め、まずはジャック・ル・マロワ賞を当面の目標に据えG2のユジェーヌアダム賞に出走し楽勝。不良馬場となった本番ジャックルマロワ賞も軽々勝利。G1初勝利である。まあ何の感慨もない感じだが仕方ない。
彼の器はこんなもんじゃ済まないのである。続くイギリスマイルG1秋の総決算クイーンエリザベスII世ステークス(芝8F≒約1600m、不良)を6馬身差圧勝。わぁお。
そして大目標の2000年ドバイワールドカップ制覇を目標に休養に入る。
3月初旬のマクトゥームチャレンジラウンド3で復帰。初のダート戦だったがあっさり克服し、それまでの記録を1秒縮める1:59.6というコースレコードを叩き出し圧勝。そして迎えたドバイワールドカップ本番。
アメリカからはベーレンズら、超一流ではないにしても決して弱くはないメンツが揃った。日本代表のワールドクリークと加藤和宏が地味すぎるとか言わない。
しかしそんなメンツが揃った中をハナを切って飛び出し、最終コーナーを回った後は必死に追わずとも離す一方。
鞍上のデットーリが残り200過ぎで振り返り、大差を確認するとゴールしてないのにガッツポーズし始める有様で6馬身ぶっちぎって圧勝。
叩き出したタイム1:59.5は前走のレコードを更に縮めるレコードであった。とりあえず動画を見て欲しい。ひたすらに暴力的である。とにかくヤバい。ヤバい。
モハメド殿下は涙ぐみながら「馬主になって20年、我々が所有してきた中で、これほどの馬は二頭といません」と大絶賛、デットーリも「これまでに乗った馬で間違いなく一番です」と賛辞を惜しまなかった。
モハメド殿下といえばドバイワールドカップの主催者なため壮大な自作自演もいいところなのだが、そんな野暮なことを言うんじゃないよと言いたくなるほどの圧勝であった。
そしてイギリスに舞い戻りプリンスオブウェールズステークス(芝10F≒約2000m)へ出走した。ここへは現役最強マイラーと呼ばれG1を4連勝中の同世代馬センダワールも参戦を表明しており、レーシングポスト誌が "The perfect match" と報じる注目の一戦となった。
一番人気に推されたのは僅差でセンダワール。今考えると「マイル戦ならまだしも中距離戦で???」となるかもしれないが、芝で破ってきた相手は当時まだセンダワールのが上(ドバイミレニアムの前2走はダート)だったし、もともと「堅い馬場ならセンダワール有利、柔らかい馬場ならドバイミレニアム有利」と言われていたところをセンダワールが前走イスパーン賞(芝1850m)で距離と稍重(Good To Soft)を克服してインディアンデインヒル相手に快勝してみせたことで、もはやセンダワールに隙は無いと思われていたのである。それにドバイミレニアムには主戦のデットーリ騎手が飛行機事故を起こして骨折中のため乗り代わりという不安もあったし。だがしかし……
「なんだ? 俺の強さを知らないのか? なら見せてやる」と言わんばかりに8馬身ぶっちぎってドバイミレニアムの圧勝。デットーリの代打で呼ばれた米国の名手ジェリー・ベイリー騎手も「(ベイリー騎手が主戦をつとめたダートの名馬シガーと比べる質問を受けて)どっちもすごく印象的ですが、この馬は芝ダート両方でこう(他馬をなんとも思わない圧勝)ですからね……この点において匹敵する馬はいないでしょうね」とコメントした。モハメド殿下はもはやメロメロで褒め言葉しか発さなかった。
この強さにクールモアのエースであるモンジューの陣営が「アイリッシュチャンピオンステークスに出て来てくれ、勝負しよう」と挑戦状を叩きつけて来た。
しかしドバイミレニアム陣営はこれを拒絶。そして「どうせなら、サシでやろうじゃないか……賞金は、600万ドルだ。こっちが出そう」とマッチレースを逆提案。
クールモア側も「やってやろうじゃねぇか、王様!」とノリ気であったが……ドバイミレニアムが調教中に右後脚大腿骨を骨折し引退となってしまったため、実現はしなかった。
これで、秋の大目標であったブリーダーズカップ・クラシック出走も露と消えた。見たかったなあ、ジャイアンツコーズウェイやティズナウと戦うドバイミレニアム。
……ドバイミレニアムがぶっちぎるだけという展開が想像出来てしまうのがこの馬の恐ろしいところである。
競走馬引退後
これだけの卓越した成績を残し、さらに良血。故に大いなる期待を抱かれ2001年から種牡馬入りしたのだが……。
供用一年目の4月に急性グラスシックネスという奇病にかかり自律神経をやられて複数回疝痛を起こすなどして死亡。わずか一世代を残し逝ってしまったのである。
普通1世代のみでラインを繋ぐのは重賞馬を出す以上に至難の業であるが、初年度にして最終年度の産駒からドバウィが愛2000ギニー、ジャック・ル・マロワ賞を勝つなどG1勝ちの実績を残し種牡馬入り。もはやこの時点でお釣りなしの奇跡そのものであったが、そのドバウィも初年度からやはりジャック・ル・マロワ賞と英2000ギニーを勝った*マクフィを輩出。たった一世代の細い糸ながらジャック・ル・マロワ賞親子三代制覇を成し遂げてみせた。
余談だが*マクフィも初年度からプール・デッセ・デ・プーラン勝ち馬にしてロンシャン1400mで1分17秒台のむちゃくちゃな時計を記録したメイクビリーヴを輩出し、さらにさらにメイクビリーヴも例によって初年度からジョッケクルブ賞・ドバイシーマクラシック勝ちのミシュリフを輩出。なんと種牡馬入り後玄孫のG1勝ちまでわずか19年で到達である。
長らく生き続け数多の後継種牡馬を輩出した究極の男ノーザンダンサーすらリファール→*ベリファ→*メンデス→リナミクスの25年が一番早いレベルという超速のスーパーレコードを樹立。RTAなら革命的と言われるレベルの短縮になった。
*ベリファはG1を勝てていないので、G1馬リレーの上種牡馬入り後19年で玄孫のG1馬まで繋いだのは本当に前代未聞である。少なくとも筆者は聞いたことがない。
その後のドバウィについて詳しくは記事に譲るが初年度だけの一発屋にとどまらず種牡馬として好調であり、ドバイワールドカップ馬2頭、ゴールデンホーンを初めて負かしたアラビアンクイーン、キングジョージを勝ったポストポンド、サドンストーム・ティーハーフの(元)兄ラッキーナインなど活躍馬を多数輩出。マキャヴェリアンなどが失速しノーザンダンサー系の天下になりつつある欧州を代表するミスタープロスペクター系種牡馬へと成り上がり現在も健在。ガリレオと双璧を成す欧州最強種牡馬として君臨している。
マクフィも種牡馬入りしてからは初年度産駒19頭が26勝を挙げ、ファーストシーズンサイアーランキング3位にランクイン。2015年仏2000ギニーを勝ったMake BelieveやニュージーランドG1のマナワツサイアーズプロデュースS勝ち馬のMarky Markなどを輩出。2017年からは日本で種牡馬生活を送っており、2021年のアイビスサマーダッシュを勝ったオールアットワンス、北海道静内農業高校の生産馬で話題のテイエムケントオーなどを輩出している。
彼らが特別優秀というのは明らかだが、ドバイミレニアム自身も天寿を全うし順調に種牡馬生活が出来ていれば世界中に猛烈なスピードで彼の血が広まった可能性は非常に高い。なんと惜しいことか。
とはいうものの、56頭の産駒からステークスウイナー5頭、重賞馬3頭、G1馬1頭というのはそこまでアベレージが高いとは言えず、むしろロベルト系のような一発タイプでそこまで発展しなかった可能性もある。世界を塗り替えるには一発タイプはあまり有利ではないし。
にしたってその一発からG1馬が出て、そのG1馬が種牡馬としても天才、というのはなんというか……とてつもないなあ……
またこれだけ産駒数が少なければ母父としてもまず期待できないものだが、そこでも彼は重賞4勝のディサイファ(父ディープインパクト)を輩出。さらに2019-20年にはShe's A Julie(父Elusive Quality)がラトロワンヌS・オグデンフィップスSとG1を2勝してみせた。
思えば、出来過ぎた馬であった。ダービーで惨敗こそしたが1600~2000mなら馬場不問であり、あらゆる展開に対応できる万能型(後半いつも逃げたのはスピードが違いすぎるからとはデットーリ談)で、馬主のモハメド殿下が創ったレースで、千年紀最初の年に記録的圧勝を遂げ、25年ぶりに禁断のマッチレースすら解禁されかけたほどの不世出の馬。
何もかもができすぎていたが故に「これ以上はダメ」と神様に可能性を遮られたとさえ思えてしまう。ゲームのチート馬が否定されるかのごとく。
そりゃあ、良血や走る馬しこたま持ってきたモハメド殿下ももう二度と会えないほどの馬と入れ込んだ訳である。
こんな凄い馬、出会おうとしたって出会えるものではない。
血統表
Seeking the Gold 1985 鹿毛 |
Mr. Prospector 1970 鹿毛 |
Raise a Native | Native Dancer |
Raise You | |||
Gold Digger | Nashua | ||
Sequence | |||
Con Game 1974 黒鹿毛 |
Buckpasser | Tom Fool | |
Busanda | |||
Broadway | Hasty Road | ||
Filtabout | |||
Colorado Dancer 1986 黒鹿毛 FNo.4-m |
Shareef Dancer 1980 鹿毛 |
Northern Dancer | Nearctic |
Natalma | |||
Sweet Alliance | Sir Ivor | ||
Mrs. Peterkin | |||
Fall Aspen 1976 栗毛 |
Pretense | Endeavour | |
Imitation | |||
Change Water | Swaps | ||
Portage | |||
競走馬の4代血統表 |
クロス:Native Dancer 4×5(9.38%)、Tom Fool 4×5(9.38%)、War Admiral 5×5(6.25%)
- 父は*ブライアンズタイムや*フォーティナイナーらが同期にいる。競走馬としては超一流とは行かなかったものの、種牡馬としては大活躍した。牝馬に大物が寄るフィリーサイアーの気がある馬であったが、ドバイミレニアムという超弩級の一頭を輩出。その息子であるドバウィの大活躍のおかげで後世に多数の子孫を残すことが確約された。
- 母は名牝フォールアスペンの血を引く名牝系の生まれ。兄弟だけでもBCジュベナイルとプリークネスステークスを勝った*ティンバーカントリー(父ウッドマン)、南アフリカで種牡馬として大ブレイクしたフォートウッド(父サドラーズウェルズ)など枚挙に暇がない多数の活躍馬がいる。
日本絡みだと前述の*ティンバーカントリーの他、半姉のノーザンアスペンの子孫にレジネッタ、フォールアスペンの半妹の末裔にツルマルツヨシ・アジアエクスプレスがいる。 - 母父はE.P.テイラー氏の生産馬で、父は言わずもがな、母はサーアイヴァーが送り出したケンタッキーオークス馬という超良血で、キーンランド1歳セールで330万ドルという高額で競り落とされた。
5戦3勝と現役時代の戦績は凡庸に見えるが、これはアイリッシュダービーでダービー馬ティーノソとジョッケクルブ賞馬カーリアンをまとめて破ってすぐ4000万ドルという当時の最高額で種牡馬シンジケートを組まれたために種牡馬価値を下げるのを恐れ早々に引退したから。シンジケート代で10倍以上にして取り返している。
なお種牡馬としてはボチボチな活躍しか出来ずシンジケート代に見合うとはお世辞にも言い難く、BMSとしてもゴドルフィン絡みの馬、もっというとドバイミレニアムくらいしか目立って活躍はしていない。1980年代のノーザンダンサーバブル末期らしい大暴騰であったといえようか。
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関連項目
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