ユーセイトップランとは、1993年生まれの日本の元競走馬である。
同じ厩舎の馬を襲った悲劇の直後に、渾身の激走を見せたことで知られる競走馬。
主な勝ち鞍
1998年:アルゼンチン共和国杯(GⅡ)、ダイヤモンドステークス(GⅢ)
2000年:ダイヤモンドステークス(GⅢ)
※本馬の現役期間は年齢表記が変更された時期にまたがっていますが、すべて旧表記(現表記+1歳)で統一します。
概要
ユーセイトップラン Yusei Top Run |
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生年月日 | 1993年4月25日 |
馬種 | サラブレッド |
性・毛色 | 牡・鹿毛 |
生産国 | 日本 |
生産者 | 三枝牧場(北海道浦河町) |
馬主 | アサヒクラブ |
調教師 | 音無秀孝(栗東) |
初出走 | 1996年2月3日 |
抹消日 | 2001年10月17日 |
戦績 | 43戦8勝[8-1-3-31] |
獲得賞金 | 2億7,667万円 |
競走馬テンプレート |
血統~5歳
父*ミルジョージ、母タニイチパワー、母父*ネヴァービート。父も母父も日本リーディングサイアーに輝いた実績を持つ良血…ではあるのだが、父はダート得意のパワー型、母父は長距離・障害得意のスタミナ自慢と、同時期に*サンデーサイレンスを始めとしたスピード自慢の血統が流行しだしたことを考えるといかにも重そうな血統である。
そんなユーセイトップランは95年に開業したばかりの音無秀孝厩舎に入厩。年が明けた96年2月の新馬戦にてデビュー。しかしここでは9番人気の低評価を覆すどころか、1着から6秒も離されたシンガリ負け。タイムオーバーとなり1か月間の出走停止を食らってしまった。
半年後、今度はダートに活路を求めるがまたしても2ケタ順位に凡走。距離を伸ばして再びダートを使うが勝ちきれない。当時4歳未勝利戦は11月まで行われていたが、そのリミットが見えてきた10月頭。再び芝に戻ってきたここを勝利して5戦目で未勝利を脱出する。
その後は芝のレースを使っていき、96年中に500万下を勝利、97年初頭には900万下を勝利するものの5歳夏の降級制度で900万下に出戻り、年内に再び900万下を勝利して97年は終了。ここまで18戦4勝、よくいる条件馬である。
6歳春
転機を迎えたのは旧6歳(現5歳) を迎えた1998年。血統から見ても実績から見ても距離がある方が良いのはすでに分かっていたので、年初おなじみの長距離オープン戦である万葉ステークスに格上挑戦。30.1倍の9番人気の低評価にとどまっていたが、4角で1番人気のアドマイヤラピスを置き去りにすると先行して後続を4馬身突き放していた2番人気の阿寒湖総大将ステイゴールドを上がり3ハロン最速の脚で猛追、ハナ差差し切って見事にオープン昇格を決めた。
続いて向かうは初重賞挑戦となるダイヤモンドステークス。前走が評価されたことと斤量が1kg軽くなったこともあって2番人気。そしてレースは再び4角後方から上がり最速の末脚を披露し、またしてもステゴを差し切って初重賞制覇。
続いて天皇賞(春)の前哨戦として阪神大賞典に駒を進めたが、ここにいたのが97世代屈指の優駿メジロブライトとシルクジャスティス。この2頭に次ぐ3番人気に推されたがオッズはブライト1.4倍、ジャスティス2.5倍に対し本馬が9.3倍と開いていた。(鞍上が河内洋騎手から松永幹夫騎手に乗り替わったし、4番人気で50倍とかなので頭一つ抜けていると評価されてるんだけど。) レースでは末脚勝負では苦しいと見たか先行策をとったものの、最終直線で前が開かず外にもシルクジャスティスがいて抜け出せない間に抜け出したシルクジャスティスと猛追するメジロブライトが叩きあいを開始。その後ろで3番手に上がったが2頭の背中は遠く、(後続には2馬身半差をつけたが)3馬身半差をつけられて人気通りの3着に終わった。そして本番天皇賞(春)ではドスローなペースの中で後方追走を選択したことが祟り、4番人気を裏切る8着に終わる。
この敗戦でぱったりと勢いが止まってしまったのか、続く目黒記念ではまたしても追い込み切れずに4着、宝塚記念では距離が短すぎて末脚も残らずブービー12着。失意のうちに春は終わった。
6歳秋~7歳
1998年・アルゼンチン共和国杯
捲土重来を期したい秋、明らかに距離が短い天皇賞(秋)はパスしてアルゼンチン共和国杯より始動。しかしここにはとんでもない馬がやってきていた。外国産馬のため天皇賞(秋)に出られず、ジャパンカップを目標にしていた98世代屈指の優駿、グラスワンダーである。前走の毎日王冠ではサイレンススズカ・エルコンドルパサーの両名から大きく離された5着に終わったが、骨折明けかつ自ら動いていった結果ということもあって3.0倍の1倍人気に推されていた。対抗馬は菊花賞を含む重賞2着3回のダイワオーシュウ、格上挑戦で52kgの軽斤量を負っていたマーベラスタイマーといったところ。そんな中本馬は目黒記念の結果から2500mでも短いとみられたか、あるいは佐藤哲三騎手とは初コンビとなった影響か、12番人気。
レース本番。本馬は最内の利を投げ捨てて最後方を追走し、大外へと持ち出して府中の最終直線へ突入。残り2ハロンでグラスワンダーが満を持して先頭に立ったが57kgの斤量の影響からか伸びず、後ろから殺到した馬に飲み込まれる。その中から抜け出したのが本馬と10番人気のエーピーランド。叩きあいの末、本馬がハナ差差し切ったところがゴール板だった。大金星を挙げる重賞2勝目。10番人気と12番人気の決着ということで馬連は41,270円もついた。ちなみにこの後グラスワンダーは結局ジャパンカップを回避する羽目になった。
ジャパンカップ~99年有馬記念
予定通りジャパンカップに出走した本馬。この年のジャパンカップの面子はというと、日本馬はダービー馬スペシャルウィーク、前年の年度代表馬エアグルーヴ、NHKマイルカップ覇者エルコンドルパサー、今年は親友のエリモダンディーが亡くなったせいかピリッとしないけど前年の有馬記念覇者シルクジャスティス、GI2着3回でも主な勝ち鞍は阿寒湖特別(900万下)のステイゴールドと豪華だったが、海外馬はというとBCターフを勝った*チーフベアハート以外はそこそこの面子。でも本馬はその外国馬全員に負ける12番人気。(下の3頭は全部日本馬) 府中でハンデ戦とはいえ重賞2勝してる馬をなめすぎな気もするが、そういう時代だったのである。その評価に本馬が怒ったかは分からないが、4角最後方から上がり3ハロン最速で大外を駆け上がり4着の*チーフベアハートからハナ-クビ差の6着と大健闘。
…しかし、本馬が輝きを見せたのはここまでだった。続く有馬記念は直線が短い中山なので案の定追い込めず、メジロブライトに次ぐ上がり2位の脚は見せたが12着に惨敗。翌99年は連覇を目指してダイヤモンドステークスから始動したが、まさかの最下位。その後も長距離重賞を中心に走ったがこの年はすべて2ケタ着順。かつての切れる末脚はなく、その末脚を出す前に置いて行かれてしまう…。衰えは明らかであった。
8歳~9歳
2000年の始動戦の日経新春杯も13着の惨敗。次走には3年連続の出走となるダイヤモンドステークスを選択した。そしてその2日前の2月11日未明。音無厩舎を悲劇が襲った。
2000年・ダイヤモンドステークス
音無厩舎の1つ下の世代に、エガオヲミセテという牝馬がいた。重賞を2勝し、99年のエリザベス女王杯ではメジロドーベルの3着に入った実力馬である。本馬とも仲が良かったそうな。
エガオヲミセテは2戦連続で大敗を喫し、立て直しのために宮城県の山元トレーニングセンターに放牧に出されていたがこのトレーニングセンターで火災が発生。本馬は火災に巻き込まれて帰らぬ身となってしまったのである。
悲劇直後のレース。惨敗続きの本馬は16.6倍と割れているとはいえ7番人気。斤量は軽くなったし好走を見せてきた府中の舞台。それでこの人気は「もう終わった馬」と判断されたも同然だった。
レース本番。いつも通り後方から進めた本馬は、第3コーナー手前で自ら動いていった。鞍上の後藤浩輝もそれを抑えずに馬の行く気に任せる。そのまま一気にまくって直線入り口で先頭に立つ。こんなことをしたら直線で脚が止まるのが普通だが、この日のトップランの脚は直線でも衰えない。そのまま2馬身半差を着け、1年半ぶりに先頭でゴール板を通過。そのレースぶりに音無調教師は後藤騎手の無茶な騎乗には苦言を呈したものの「エガオが後押ししてくれたのかな」と語ったという。
秋天~引退
その後は3度目の天皇賞(春)を目標に調教が進められたがその途中で骨折し断念。秋には復帰して天皇賞(秋)でステイゴールドに先着する6着と健闘。その後1年間長距離重賞を走り続け、2001年の京都大賞典の5着(ちなみに7頭立てで、斜行したステゴが失格&トプロが斜行のあおりを受けて落馬したのでまともに走った中では実質最下位)を最後に引退した。
スタミナと最終直線で放つ末脚を武器とした馬で、それが最大限にはまる府中の中長距離の舞台では度々激走を見せた。一方でその末脚が不発だったり放つ前においていかれたりすることも多かったので戦績は安定せず、1度も1番人気を背負うことはなかった。
ちなみに全8勝のうち未勝利戦と万葉ステークスを除く6勝は東京と中京で3勝づつと、左回りに強いサウスポーでもあった。
引退後
引退後は晩成ステイヤーということもあって種牡馬にはなれず、馬事公苑にて乗馬となった。
乗馬としてもテレビの企画で安田美沙子を乗せたり、プロ野球の始球式に1度しか乗ってない柴田善臣騎手を乗せて登場したりと元気な姿を見せていた。
2014年に乗馬を引退して功労馬となり、翌年に死亡。享年21。
血統表
*ミルジョージ 1975 青鹿毛 |
Mill Reef 1968 鹿毛 |
Never Bend | Nasrullah |
Lalun | |||
Milan Mill | Princequillo | ||
Virginia Water | |||
Miss Charisma 1967 鹿毛 |
Ragusa | Ribot | |
Fantan | |||
*マタティナ | Gray Sovereign | ||
Zanzara | |||
タニイチパワー 1981 黒鹿毛 FNo.11-f |
*ネヴァービート 1960 栃栗毛 |
Never Say Die | Nasrullah |
Singing Grass | |||
Bride Elect | Big Game | ||
Netherton Maid | |||
ロングパワー 1967 鹿毛 |
*ヒンドスタン | Bois Roussel | |
Sonibai | |||
*マーシュメドウ | Gray Sovereign | ||
May Meadow | |||
競走馬の4代血統表 |
クロス:Nasrullah 4×5×4×5(18.75%)、Gray Sovereign 4×4(12.5%)、Nearco 5×5×5(9.38%)
関連動画
98年の激走
なにしてるんですか相談役
関連コミュニティ
関連項目
- 競馬
- 競走馬の一覧
- 1996年クラシック世代
- 馬なり1ハロン劇場 - 本馬とエガオヲミセテのエピソードが存在(14巻「Smile…」) エガオヲミセテの弟にして音無厩舎の後輩のオレハマッテルゼとのエピソードもある(22巻「オレモマッテルゼ!」、24巻「ミンナマッテタゼ!」)
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