優生学(英:eugenics)とは学問の1つである。優生学のような思想のことを優生思想という。
概要
定義
分類
優生学は、優良な遺伝形質を持つ人の生殖を奨励する積極的優生学と、悪性の遺伝形質を持つ人の生殖を制限する消極的優生学とに分けられる。
悪名高くて特に注目されるのは消極的優生学の方である。その消極的優生学にも様々な考え方があり、列挙すると次の4通りになる。
1.は最も穏健な考え方である[1]。
2.は悪性の遺伝形質を持つ劣った者の自己決定権を大きく侵害しており、人権侵害の程度が甚だしい。2.の典型例は日本の国民優生法・優生保護法であり、1907年に成立した米国インディアナ州の断種法であり、1933年7月14日に成立したドイツの遺伝病子孫予防法である。
3.は悪性の遺伝形質を持つ劣った者に対して生涯にわたって独身であることを強要するものであり、幸福追求権を大きく侵害しており、人権侵害の程度が甚だしい。3.の典型例は1896年に成立した米国コネティカット州の結婚制限法である。
4.は最も過激で最も甚だしく人権を侵害する考え方である。1933年~1945年のナチス・ドイツが4.の考え方に従って政策を研究し、「生きるに値しない命」という表現をして精神病患者などを公然と殺害するT4作戦という政策を実行した。日本においても2016年7月26日に植松聖という人物が4.の考え方に従って相模原障害者施設殺傷事件を起こした。
歴史
1859年にチャールズ・ダーウィンが『種の起源』を発表し、進化論を提唱した。それに影響された人々の一部が、20世紀初頭に優生学というものを作り上げ、悪性の遺伝形質を淘汰して優良な遺伝形質を増加させることについて研究するようになった。
優生学を英語にするとeugenicsになるが、この言葉を1883年に作ったのはフランシス・ゴルトンという人類学者で、チャールズ・ダーウィンの従兄弟である。また、フランシス・ゴルトンは優生学の父と位置づけられている。
20世紀になってアメリカ合衆国、ドイツ、北欧諸国、日本といった先進国諸国で優生学に基づいた断種法が成立していき、政府の手によって断種が行われた。
優生学というとナチス・ドイツを誰もが連想するが、そのナチス・ドイツよりもアメリカの方が優生学的な政策を開始した時期が早く、また実施していた期間も長い。アメリカの優生政策がむしろドイツに影響を与えた[2]。
1970年代以降に優生学は大きく批判されるようになり、「民族衛生」や「絶滅政策」といったナチスの政策と結びつけて認識されるようになり、廃れた[3]。
親和性の高い思想・社会形態
株主資本主義(株主至上主義)という思想がある。この思想は新自由主義(市場原理主義)の中核とも言うべき思想である。この思想は成果主義・能力主義によって労働者の賃下げを実行しようとする傾向が非常に強く、「無能な者は結婚できない水準にまで賃下げしてもよい」と考える傾向が非常に強い。そうした考え方は消極的優生学の3.の「悪性の遺伝形質を持つ劣った者に対して結婚を許さない」とよく似たものである。
階級社会という社会形態がある。階級社会においては下位階級の人権を侵害することが日常的に行われる。階級社会を形成した国家なら、消極的優生学の2.(断種政策)や3.(結婚制限政策)や4.(殺害政策)が支持される。階級社会を形成していない国は消極的優生学の2.(断種政策)や3.(結婚制限政策)や4.(殺害政策)をなかなか実行できない。
消極的優生学の問題点
優秀な人を萎縮させ、社会の生産性に打撃を与える
消極的優生学とは悪性の遺伝形質を持つ人の生殖を制限するものであり、簡単に言うと、劣った者を迫害するものである。
一方で、人は認知バイアスに悩まされている生物であり、ダニング=クルーガー効果に縛られている生物である。優秀な人ほど「自分は劣ったところがある」と認識する傾向がある。
このため、消極的優生学に基づいた政策を実行して劣った者を迫害すると、優秀な人が「自分は劣ったところがあるので迫害されるかもしれない」と萎縮するようになり、おびえるようになる。優秀な人は社会の要職に就いているものであり、優秀な人が心の片隅で萎縮やおびえに悩まされるようになると、社会全体の生産性にも悪影響が出てくる。
消極的優生学に基づいた政策を実行して劣った者を迫害すると、悪性の遺伝形質を持つ人を世話する医療費や介護費といった費用を削減できるが、優秀な人をおびえさせて社会の生産性を低下させるので、社会全体を見通すとさしたる利益にならず、むしろ損失を発生させる可能性がある。
全ての人を萎縮させ、社会の生産性に打撃を与える
繰り返しになるが、消極的優生学のことを簡単に言うと、劣った者を迫害するものである。
一方で、人は1日24時間のなかの3分の1にあたる8時間程度を睡眠にあてる生物であり、「極めて劣った状態」を大量に必要とする生物であり、本質的に「劣った者」である。「自分が本質的に『劣った者』である」という現実は、人なら誰でも薄々ながら自覚している。
このため、消極的優生学に基づいた政策を実行して劣った者を迫害すると、理論上はすべての人が迫害対象になってしまい、すべての人を萎縮させておびえさせることになる。全ての人が心の片隅で萎縮やおびえに悩まされるようになると、社会全体の生産性にも悪影響が出てくる。
消極的優生学に基づいた政策を実行して劣った者を迫害すると、悪性の遺伝形質を持つ人を世話する医療費や介護費といった費用を削減できるが、全ての人をおびえさせて社会の生産性を低下させるので、社会全体を見通すとさしたる利益にならず、むしろ損失を発生させる可能性がある。
消極的優生学の否定
消極的優生学の正反対の考えというと、「障害者であっても世話をして延命させるべき」という思想である。そうした思想から、障害者支援施設を運営する社会福祉政策が生まれる。
障害者を世話する社会福祉政策には社会保障費という費用がかかるし、人的資源も消費する。しかし「劣った人であっても世話してもらえる」という風景を人々に見せつけることで、「自分には劣ったところがある」と思い込んでいる優秀な人の萎縮やおびえを除去する作用があるし、「自分は1日24時間のなかで8時間も睡眠をしていて劣ったところがある」と認識している全ての人の萎縮やおびえを除去する作用がある。
「障害者を世話する社会福祉政策の社会保障費は、萎縮除去費である」と割り切って考えることが、内閣における予算編成のときの議論や国会における予算議決のときの議論において必要であると言える。
「強い者が生き残るのではない。変化できる者が生き残るのだ」
「強い者が生き残るのではない。変化できる者が生き残るのだ」とはチャールズ・ダーウィンの言ってないセリフである。著作のどこにもそのような言葉は載っておらず。もちろんダーウィンの理論の要約ということでもない。進化論と何ら関係のない言葉ではあるのだが、その分かりやすさ故かダーウィンの金言として広まっている。
ダーウィンの進化論は適者生存であるが、ここでいう適者とは強い者でも変化する者でもなく、偶発的に環境に適応した者を指す。生物は世代を経るごとに突然変異で同一種族の中でも微妙な違いが出てくる。例えばA,B,C,D,Eと個性の異なる者の中からたまたまCが自然環境に合致し、他のA,B,D,Eは滅んだ時、その種はCの特徴を持つようになる。自然界ではある環境では「劣等」と見なされた特徴が別の環境では生き残りに適した特徴となることも多い。すなわち進化とは偶然の産物であり、優生思想と進化論は理論的に相容れないものである。
関連リンク
Wikipedia記事
関連項目
脚注
- *養子は江戸時代の日本で非常に盛んに行われた。「江戸時代の家系図をみてみたが養子が多くて驚いた」といったことを語る人がTwitterにも多く存在する(検索例)。
- *『優生学と人間社会 講談社現代新書(講談社)米本昌平、ぬで島次郎、松原洋子、市野川 容孝』36ページ
- *『優生学と人間社会 講談社現代新書(講談社)米本昌平、ぬで島次郎、松原洋子、市野川 容孝』208ページ
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