みらいののりものとは、男の子や一部の女の子が大好きな乗り物である。
いわゆる「近未来」と言われる未来の乗り物が中心と言える。現代からは想像がつかない未来の超光速宇宙船やワープ航法または永久機関などは取り上げられることは少ない。また、巨大二足歩行ロボットのように、近未来であっても実用性はなさそうなものも排除される傾向にある。あくまで子供(のような大人)だましであっても、現実味を持たせられるかどうかが肝と言えるだろう。
読者諸兄の中には、学年誌での特集記事や学研などの「図鑑」「ひみつシリーズ」で胸をときめかせた思い出を持つ方も多いのではないだろうか。しかし、それから「二十年後の世界」また「21世紀」の現実は非情であることも多い。
各時代とも意外と現実世界の問題を反映しているパターンが多い。
戦後復興期から高度経済成長期に重視されるたのは当然に利便性・経済性であり、これは現実世界でもまだ憧れの存在だった車や飛行機旅行が反映されている。一般人が恩恵に預かるには巨大化して大勢を運搬するか大量生産されるかしかないので、恐竜的な進化を遂げた航空機や鉄道、または画一的な服装をした「未来人」が、画一的なデザインの車両を所持し、画一的な笑顔で、画一的な直進路においてドライブを楽しむ姿も描かれた。環境にも関心は薄く、平然と核動力炉を載せるとした回答も多い。
しかし、1960年代になり公害が社会問題化し、1970年代のオイルショックで大量消費幻想が打ち砕かれると、今度は二酸化炭素を排出しない車両や騒音を出さない航空機、化石燃料を消費せず持続可能なエネルギーを使用する機関に関心が向くこととなった。「石油は30年で枯渇する」と言う定番の煽り文句が挟まれていた事例も散見される。反面、この頃には車は一家に一台(3C時代)になりつつあり、個々人が科学技術から当然に恩恵を受けることに疑問を挟むことは少なくなる。
1979年にはスリーマイル島原子力発電所事故、1986年にはチェルノブイリ原子力発電所事故が発生。核動力はタブー視され「淘汰」を受けた。1990年代に入るとリサイクルや省エネと言った形で一般人にも環境に対する配慮が求められる時代に入り、むしろ不便さをある程度甘受することが美徳となって行く。
21世紀になると、未来や夢の別名だった「21世紀」は現代や現実にその意味を変え、自覚のないままに夢は醒めることとなる。
掲示板
2 ななしのよっしん
2018/08/19(日) 09:34:17 ID: 6mpNI3lkWB
乗り物自体が不要になる未来社会というのは来るだろうか
居住施設そのものが乗り物化するか乗り物による移動の必要性が無くなるかのどっちか?
輸送手段自体は欠かせないからそれで人を運ぶことが基本的になくなり物資の輸送だけで事足りる社会とかね
3 ななしのよっしん
2021/03/28(日) 22:14:00 ID: b/cHy3ZJ5z
>>2 の書き込みから2年半
ある意味それに近い社会になってしまったね……
テレワークの普及で職場や学校に行かなくても済むようになり、人を運ぶ必要が無くなる(というか人を動かないようにしている)
4 ななしのよっしん
2022/08/18(木) 03:02:14 ID: CKkrBJnrM+
アメリカの航空会社が超音速旅客機買うらしいな。まだ機体そのものは開発中みたいだけど
https://
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最終更新:2025/12/24(水) 01:00
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