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ニシケンモノノフ

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ニシケンモノノフNishiken Mononofu)とは、2011年生まれの日本競走馬栗毛

メイショウボーラーの代表産駒で、コパノリッキーダート3階級制覇を阻止したダートスプリンター

な勝ち
2013年兵庫ジュニアグランプリJpnイノセントカップ北海道H3
2016年兵庫ゴールドトロフィーJpn
2017年JBCスプリントJpnⅠ)北海道スプリントカップJpn

概要

メイショウボーラーグリーンヒルコマチ、*アフリートという血統。
はあの最強マイラー・タイキシャトルの代表産駒で、2歳重賞を2勝して朝日杯2着、3歳で皐月賞NHKマイルCを3着、4歳でフェブラリーSを勝ち、5歳スプリンターズSを2着と芝ダートを問わず活躍したなかなかのオールラウンダー。
は未出走。牝系を遡ると日本在来牝系の祖にあたる、明治小岩井農場の基礎輸入20頭のうちの1頭であるフェアペギーにたどり着く。種牡馬としては短命かつ失敗に終わったタニノチカラや、一介の条件だったがアローエクスプレスということで種牡馬入りしたサンシャインボーイの血が入っているのもかなり味わい深いが、近にはこれといって活躍はない。
ダート種牡馬として活躍し、産駒JRA1000勝を達成している名種牡馬

2011年3月11日、新冠町の八木常郎牧場(現・プログレスファームexit)で誕生。オーナーホワイトフーガヒカリオーソを所有した西森高知西森建設の代表で、「ニシケン」は企業名由来の冠名だが、それほど頻繁に使うわけでもないようだ。

名意味は「冠名+武士」。ももいろクローバーZファンのことではないと思うが、現役時代は名で注応援するモノノフもいた。

武士は西へ剣を振る

2歳・北海道から走って参った

ホッカイドウ競馬の原孝明厩舎に入厩したニシケンモノノフ。2013年7月4日JRA認定フレッシュチャレンジ(新)(ダート1200m)でデビューし、ハナを切って逃げたが2着。

中1週で挑んだ同条件のJRA認定アタックチャレンジ(未勝利)で2着に1.9差の大差で逃げ切り初勝利を挙げると、1700mに距離延長したペリドット特別(OP)も2身差で逃げ切り勝ち。
続いて9月の中央・函館競馬場の2歳オープン特別、すずらん賞(芝1200m)に果敢に挑んだが、大外から先行を試みるも沈んで10着に撃沈。

門別に戻り、2歳重賞イノセントカップH3)を逃げ切り勝ち。重賞勝利を手土産に、中央へと転厩することとなった。

ワンダーヒュームビービーガルダンセイウンワンダーなどが所属した東の領政蔵厩舎に移籍したニシケンモノノフ。11月福永祐一上に迎えた移籍初戦の京都ダート1200mの500万下を4身差で快勝すると、引き続き福永兵庫ジュニアグランプリJpnに挑むことになった。武豊の騎乗するキングカメハメハ産駒スザク人気を分け合い、単勝1.9倍の2番人気というなかなか見ないオッズとなる。
福永騎手逃げることも考えたが、1600mに伸びる全日本2歳優駿を見据え、外から外の4番手の好位からのレースを選択。直線でる前2頭を並ぶ間もなく抜き去り、追い込んできた2着マキャヴィティに半身差という着差以上の勝。交流重賞初制覇を飾った。

続いて乗りこんだ全日本2歳優駿JpnⅠ)ではハッピースプリントメイショウイチオシと人気を分け合い4.0倍の3番人気。前走6着に沈んだスザク逃げ、ニシケンモノノフは2番手でそれを追ったが、3番手のハッピースプリントに4であっさりかわされるとあとはついていけず、8着に撃沈。

3歳~4歳・流浪の武士

明けて3歳、2歳ダートで賞を稼いでしまうと中央では使えるレースが少ないということもあり、芝のシンザン記念GⅢに挑んだが8着。ここからニシケンモノノフは苦しい日々が続く。

続くクロッカスS(OP)では福永騎手に去られてしまい、国分恭介騎手を迎えたが特に見せ場なく7着。これで芝は見切りを付けてダートに戻ったものの、狂った調子は戻らず、ヒヤシンスS(OP)も8着に沈む。

師の定年に伴い、同じ東の野靖志厩舎に転厩となったが、その後も端午S(OP)5着、ユニコーンSGⅢ5着、室町S(OP)4着、オータリーフS(OP)6着と、安定していると言えなくもないが掲示板止まりで煮え切らないレースが続く。年末の2014ファイナルS(OP)では2着と1年ぶりに馬券に絡んだが、端午SユニコーンSでも対戦していた同期コーリンベリーに3身半も突き放されていた。

しかし4歳となり、初戦の3月ポラリスS(OP)を2身半差で快勝、久々勝利を挙げる。続くコーラルS(OP)ではまたコーリンベリーとの対決となったが、同じような位置から進めて3身突き放される敗で2着。栗東S(OP)は1番人気に推されたが末脚届かず4着に敗れ1600万下に降級となるが、降級初戦の安芸Sを快勝してオープンに復帰する。

しかしエニフS(OP)5着、グリーンチャンネルカップ(OP)2着、久々重賞挑戦となった武蔵野SGⅢ4着とまた煮え切らない結果が続き、年末の師走S(OP)ではブービー15着に撃沈。

と、この頃は賞金的交流重賞出走が厳しいので中央のオープン特別を放浪する、そこそこのダート距離オープンに過ぎなかった。

5歳・重賞戦線に推参せり

明けて5歳、新たに上に岩田康誠を迎えた初戦のすばるS(OP)グレイスフルリープとの叩き合いを制してオープン2勝を挙げる。
これでようやく交流重賞参戦に処が立ち、戸崎圭太を迎えて黒船賞Jpnに参戦。前年から短距離交流重賞荒らし回っている前年覇者の1番人気ダノンレジェンドに振り切られたものの、2着を確保して収得賞金ゲットする。
岩田に戻った続く天王山S(OP)は1.8倍の支持に応え、るゴーイングパワーを最後にアタマ差だけ差し切って勝利プロキオンSGⅢでは先行したノボバカラを外から追い込んだが差し切れず2着に敗れたものの、4戦続けて収得賞金を確保し、これ以降はオープン特別に出ることはなく、短距離重賞戦線を進むことになった。

オーバルスプリントJpnは直線伸びず4着。JBCスプリントは賞金的にも厳しくパスとなる。
カペラSGⅢでは逃げるノボバカラを捕まえきれず2着に敗れたが、初めてコーリンベリー(3着)に先着を果たした。上はここから引退まで横山典弘となる。

そして年内ラスト兵庫ゴールドトロフィーJpn。ノボバカラ人気を分け合い2.4倍の2番人気に支持されたニシケンモノノフは、2番手でレースを進めると3コーナーでもう逃げが後退し、ノボバカラとの追いべに突入。ノボバカラを振り落とし、追い込んできたドリームバレンチノの追撃をクビ差振り切ってゴールへ駆け抜け、2歳重賞を勝った兵庫の地で3年ぶりの重賞制覇を飾った。

6歳・燃えよ西剣

明けて6歳は根岸SGⅢから始動。19.6倍の8番人気でそれほど見せ場なく5着。フェブラリーSGⅠで中央GⅠに初挑戦、単勝100.9倍の14番人気という評価だったが2番手追走から掲示板確保の5着に健闘。続く黒船賞では単勝1.6倍の断然人気に支持されたが、フェブラリーSの疲れが残っていたか、逃げたものの4コーナーで捕まって5着と、大穴→ド本命で3戦連続5着というなんとも言えない内容。

一息入れて6月北海道スプリントカップJpnへ。初めてブリカーを装着し、1.9倍の1番人気に支持されると、内からハナを切って4コーナーで後続を突き放し、堂々たる走りで4身差、レコードタイムの圧勝。地元北海道に錦を飾る重賞3勝を挙げた。

JBCスプリントし、は同じ大井1200mの東京盃Jpnから始動。2.4倍の1番人気に支持され、4番手から進めたが直線で若干進路の確保に手間取ってしまう。それでも最内に進路を見つけて突っ込んだが、大外からすごい勢いで伸びてきた船橋キタサンミカヅキに薙ぎ払われて3着。

そして迎えた大井開催のJBCスプリントJpnⅠ)。中央勢は同じ東京盃2着のブルドッグボスや2年前の覇者コーリンベリー、ノボバカラなどダート距離のだいたいいつものメンバー地方勢はキタサンミカヅキが筆頭で、ダノンレジェンド去りし後のダート距離界は本命不在の混戦模様……というところに、とんでもない大物突然殴り込みをかけてきた。
あろう、ダートGⅠ10勝のコパノリッキーである。既にこの年限りでの引退が決まっていたコパノリッキー1600mでは類の強さを誇り2000mのGⅠも3勝しているこのダート界のレジェンドが、2年前に同条件の帝王賞を勝っている大井2000mのJBCクラシックを蹴って、なんと初の1200mに参戦してきたのだ。
これで勝てばホッコータルマエ記録更新するGⅠ級11勝の大記録、しかもスプリント・マイル・中距離3階級制覇である。芝ではもちろん[1]ダートでも達成者のない[2]記録である。2つの史上初の大記録達成が同時にかかったこの挑戦は大きな注を集め、リッキーが3.0倍の1番人気に支持される。最内の11番を引いたニシケンモノノフはそれに次ぐ4.5倍の2番人気となった。

コーリンベリーが好ダッシュからハナを切り、外からネロが2番手で追っていくのを内からなりに3番手に構えたニシケンモノノフ。と、そこへなんか外からグイグイ上がってくるが1頭、やや出遅れたはずのコパノリッキー! そのままリッキーが先頭へ迫っていくのを見ながらニシケンモノノフは慌てずインに構えて直線に入る。コーリンベリーネロ、それに並びかけていくコパノリッキーの3頭が前を争い、ニシケンモノノフはその後ろで抜け出すタイミングと進路を探っていた。
残り200mを切ってコーリンベリーが振り落とされ、ネロコパノリッキーしい追いべとなる。その結果、コーリンベリーネロの間に進路が開き、ニシケンモノノフと横山典弘はそこへ突っ込んでいく。

残り100mを切り、コパノリッキーネロをかわした。リッキーの3階級制覇だ、GⅠ11勝だ!
――皆がそう思った間、その内から爆発的な加速で伸びてきたがいた。ニシケンモノノフだ!

最後は外から追い込んできたブルドッグボスキタサンミカヅキを交え、4着まで同タイムゴールへとなだれ込む大戦。だが最後、アタマ差だけ差しきったのはニシケンモノノフだった。
横山典弘騎手左手強くガッツポーズ。王者の大記録阻止し、メイショウボーラー産駒初のGⅠ級制覇となった。どっちかというとリッキーの出遅れ→捲り→2着の方が注されてた気もするけど。

その後

7歳となった2018年も現役を続行したが、残念ながらその後はあまり書くことがない。なぜかシルクロードSGⅢで芝に再挑戦して15着に沈んだり、フェブラリーS逃げて最下位に撃沈したりと、あのJBCスプリント燃え尽きたかのように走を続け、連覇をした京都JBCスプリントを8着に敗れて現役を引退した。通算42戦12勝[12-7-1-22]。

引退後は優駿スタリオンステーション種牡馬入り。2歳重賞を勝ち、6歳でGⅠ級を勝った仕上がりのさと息の長さ、大きな怪のなかった頑丈さも評価されてか、種付け料20万円という立場ながら地方向け種牡馬として初年度は50頭をえるを集め、このクラス種牡馬としてはかなり人気な部類である。初年度産駒2022年からデビューしている。

メイショウボーラー2022年限りで種牡馬引退。今のところ後継種牡馬はニシケンモノノフだけであり、またウインクリューガーレッドスパーダといったタイキシャトル産駒の他の種牡馬も後継を残せていないため、彼がタイキシャトルサイアーラインの最後の希望となっている。史上最強マイラーの血脈を繋ぐことはできるだろうか。

血統表

メイショウボーラー
2001 黒鹿毛
*タイキシャトル
1994 栗毛
Devil's Bag Halo
Ballade
*ウェルシュマフィン Caerleon
Muffitys
*ナイスレイズ
1994 黒鹿毛
Storm Cat Storm Bird
Terlingua
Nice Tradition Search Tradition
Nice Dancing
グリーンヒルコマ
1998 栗毛
FNo.6
*アフリート
1984 栗毛
Mr. Prospector Raise a Native
Gold Digger
Polite Lady Venetian Jester
Friendly Ways
ツネコトブキ
1988 栗毛
サンシャインボーイ *テスコボーイ
*ソーダストリーム
オリエントゴールド タニノチカラ
センゾクチカラ

クロスNashua 5×5(6.25%)

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関連リンク

関連項目

脚注

  1. *ヤマニンゼファーが最も迫ったが一番得意なスプリントでニシノフラワーサクラバクシンオーに阻まれたことで有名。
  2. *ブルーコンコルド1600mの南部杯かしわ記念2000mの東京大賞典を勝ち、JBCスプリントも勝っているが、2005年JBCスプリント名古屋1400mだった。
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