エイシンヒカリ 単語


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エイシンヒカリ

9.7千文字の記事

エイシンヒカリとは、2011年生まれ日本競走馬である。芦毛

日本国外のG1レースを制した名であり、また大逃げをはじめとした数々の印的なレース展開や気性難にまつわる多くのエピソードから稀代の個性とも呼ばれた。

名前の由来は「光」ではなく、特急ひかり」の方である。

通算成績15戦10勝[10-0-0-5](うち内11戦8勝[8-0-0-3]、海外4戦2勝[2-0-0-2])。

な勝ち
2015年:香港カップ(香G1)、毎日王冠(GII)、エプソムカップ(GIII)
2016年:イスパーン(仏G1)

概要

ディープインパクト*キャタリナ、Stormストーム Catキャット

ディープインパクトは説明不要、現役時も種牡馬時も役となった日本近代競馬の結晶。Storm Catアメリカで一時代を築いた大種牡馬。この2頭はニックスにあると言われており、「ディープ×Storm」配合からは本以前にダービーキズナ桜花賞アユサンが、同期や以後にもサトノアラジンリアルスティールラヴズオンリーユーStudy of Manなどの活躍が出ている。アメリカで3勝にとどまったが1993年GIサンタアニタHを勝ったSir Beaufortがいる輸入。半には地方GRANDAME-JAPANに2年連続で選ばれたエーシンクールディ、その子には2020年フェアリーステークス(GⅢ)とターコイズSGⅢ優勝スマイルカナ(こちらもディープインパクト)がおり良血である。牝系では4代Sea Sagaが*サザンヘイロー祖母でもあり近に当たる。

現役時代

デビュー ~ 破竹の4連勝

調教助手が初の騎乗で物の違いを感じるなどくから素質の片鱗は見せていたが、体が弱かったためにデビュー2014年の3歳4月までずれ込む。到底クラシックなんて間に合わない、ということで坂口正則調教師条件戦を地に使っていく方針を立てた。

岩田康誠を背に乗せ京都1800mの3歳未勝利デビューしたエイシンヒカリ。4番手のインコースを進むと直線で内ラチ沿いから他と段違いの脚で軽く抜け出し、初陣を見事に勝利で飾った。

転機となったのは、和田竜二上とした2戦。外の2番手に一旦収まったエイシンヒカリであったが、首をあげ露に嫌がる素振りを見せる。それを受けて和田が手綱を緩めてそのストレスを逃さんとすると、解放されたエイシンヒカリは先頭を走っていたからハナを奪い後続を置き去りにしそのままレース逃げ切った。

こうして「2番手以降を走るとストレスを感じる」というエイシンヒカリの性質を時に見抜いた和田騎手のおかげでエイシンヒカリがもっとも力を発揮する逃げ戦法が確立された。次走2勝クラス三木特別は先頭から上がり最速32.8で突き放し、距離延長した3勝クラスムーンライトHでも追い込み勢の末脚を封じて勝利と、逃げ切りで着実に勝利を重ねてあれよあれよとデビューから4連勝。半年間でオープンクラスにまで駆け上がり、つけた着差は合計13馬身半にもなった。この時点で一部からは騒がれ始めていた本であったが、次戦でその名は一躍全競馬ファンの知るところになる。

伝説の逃げ切り(?) アイルランドトロフィー

5戦に選んだのはエイシンヒカリにとって初のオープン競争となるアイルランドトロフィー(OP)。手綱をとったのは横山典弘騎手で、4連勝が評価されたエイシンヒカリは断然の1番人気レースを迎えた。

抜群のスタートを切ると番手との差をぐんぐんと広げていき大逃げを打ったエイシンヒカリ。1000m通過58.2ペースから一旦息を入れて直線に入ると後ろとの差はまだ縮まらず、「これは5連勝もらったか!?」――そう思ったのも束の間。

これはひどい

最終直線半ばで突如、エイシンヒカリは外によれ始めた。最初は気にせず追っていた横山騎手だったが、追うごとに馬場斜めに横切るように走っていくため右ムチを入れて修正を図る。ところが、戻るどころかさらに外へよれていきコース斜めに横切るようにしてエイシンヒカリは外ラチへ突っ込んでいく。最終的には横山騎手諦めて、適度に矯正をしつつもとりあえずエイシンヒカリには走る方に集中させるようにした。

結局、軌修正はかなわずそのまま外ラチ間際でゴールに入線。あまりにも破天荒な走りに、観客席からはどよめきのが上がった。

...え、結果? 逸走で競走中止? 内からかわされ惨敗?

何をおっしゃる。3馬身半差の勝です。

この 狂騒 狂走劇は大きく取り上げられ、卓越した力と極めて気性のしい面を併せ持つ「遅れてきた大物」として、エイシンヒカリは競馬ファンにその名を知られるようになった。

次に挑んだ初の重賞挑戦となったチャレンジカップ(GIII)。ここもいつものようにハナに立ったが、岩田は抑え気味で後ろを離さない通常の逃げに出る。それでも1000m58.8スローはなくその後も緩みなく進んだのが災いしたか直線半ばで手応えがなくなり失速、後続群にまれて後にオーストラリアG1ホースとなるトーセンスターダム9着に惨敗。この結果にショックを受ける人と「ほら見ろ所詮このレベルだ」とあざ笑う人とのが混ざる中、元々体質が弱かったこともありエイシンヒカリはこれで3歳のシーズンを終えて翌年のまでゆっくり気を養うことになった。

初重賞の春 充実の秋

2015年になり4歳5月都大路ステークス(OP)で戦列に復帰。上に正確な体内時計で絶妙なラップを刻む逃げの名手:武豊を迎えると、隙のない逃げで番手につけた実績グランデッツァを破って快勝。ここから最終戦まで全て上は武豊が務めることになる。

続いてのレース重賞エプソムカップ(GIII)あのアイルランドトロフィー以来の府中左回りである。デビュー以来すっと1番人気で出走してきた彼であったが、今回同じディープインパクト×Storm Catの血統で条件戦オープンを連勝してきたサトノアラジンに初めて1番人気を奪われる。しかし武豊は差のないながらも後ろが脚を溜めきれずエイシンヒカリも潰れてしまわないペースを作って逃げ、最後はまた若干外にヨレていた内から迫ったサトノアラジンとの一騎打ちを制し初の重賞タイトルを獲得する。

休養しては前走と同じ東京1800mの毎日王冠(GII)から始動。「スーパーGII」の名に違わず強力なメンバーった[1]が、エイシンヒカリは1番人気で出走。スロー気味の逃げから府中の長い直線で後続と遜色のないりの末脚を見せるとディサイファ以下の追撃を封じ見事に勝利して重賞連勝

次戦は初のGI挑戦となる天皇賞(秋)。ちなみに、この年の毎日王冠天皇賞(秋)の開催日が、「1998年と同じ日付」であった。これに気づいた一部のマスコミファンは、「武豊上」で「98年の毎日王冠逃げ切って圧倒」し、「天皇賞(秋)折」したサイレンススズカの勇姿をエイシンヒカリに重ねていた。もちろん武は決してそうは思っていなかったようだし現実ドラマの筋書きのようにはいかないもので、天皇賞(秋)ではスタート直後にコーナーがあるせいでの差がしい東京2000mで内クラレントをつけられて逃げられず、これでリズムを崩したか直線で全く踏んれず9着惨敗。あの日の念をらす勝利、とはならなかった。

世界への初挑戦 香港カップ(G1)

次走には招待された香港カップ(G1)を選択。エイシンヒカリは招待という扱いだったものの、単勝オッズは38倍の9番人気となっており決して評価は高くなかった。そりゃまあ香港の人はこのの強いところは見てないだろうし、当時はオークスヌーヴォレコルトG1であるプリンスオブウェールズS覇者Free Eagle、前年度覇者Designs On Romeクイーンエリザベス世Cを勝ったBlazing Speedといった香港の強など強力なメンツってたし仕方ないだろう。

ちなみに余談であるが、香港カップのこの日はもちろん同日に複数のレースが開催される「香港国際競走デー」であり、この年は当時としては史上最多となる10頭の日本曇天沙田競馬場に乗り込んでいた。そんな中、メインレースである香港カップの直前に行われた香港マイルではモーリス優勝。そのレースにしていた武は、「日本が勝って勢いをもらいました」と後に振り返っている。

そしてレースが始まる。「迷いなく行く」と決めていた武豊が外からうまく先手を奪うと、絶妙なペースで後続に脚を使わせていく。

かしここで、上の武はエイシンヒカリの走りに普段とは異なる様子があることを察知する。左手前でスタートを切ったが右へ曲がる最初のコーナーに差しかかっても右手前に変える素振りを見せず、逆手前のままで第1コーナーへ突っ込んでいった[2]のだ。

戸惑った武であったがそこは戦錬磨の名騎手。エイシンヒカリが行きたがっている様子を察知するとあえて手前を変えることはせず抑えることを優先、逆手前のままでレースを進めた。理に手前を変えることで折り合いを欠いたりリズムを崩したりするリスクを回避したのである。

最終直線に入ってもエイシンヒカリの脚は衰えず先行勢を一気に突き放す。アイルランドトロフィーの直線に代表されるように右にもたれるがあったエイシンヒカリであるが、「カメラを搭載しているが右前を走っていたせいか、そちらへ行こうとせずっ直ぐ走ってくれた」(武)とのことで、もたれることなく一直線に駆け抜けていく。

最後は武が「ターフヴィジョンを見て、ラスト100mを残して勝利を確信した」と語るほどの圧巻の走りを見せて後方勢の追い込みも意に介さず残り50m過ぎで上は既にガッツポーズ、迫ってきたヌーヴォレコルトを流したまま1馬身差で退けて1着で入線、2:00.60という当時のレースレコードでの勝利となった。初のG1制覇海外で果たし、ついにその実力を満下に示したのだ。

なお、武豊にとってはアドマイヤムーン2007年ドバイDF以来8年ぶりの海外G1制覇であり、香港国際レースデーでの勝利2001年ステイゴールド香港ヴァーズを制して以来であった。ちなみに2着はヌーヴォレコルト日本によるワンツーフィニッシュとなった。

武豊レース後、「先代オーナー[3]香港競馬に力を注がれていた。『豊』で『(ヒカリ)』が勝てば、きっと喜んでくれると思った」と、このレースにかけていた思いを明かした。

そして香港カップといえば、覚醒前のサイレンススズカ武豊が志願して初騎乗しその才を確信した、いわば「伝説の始まり」のレースであった。そしてエイシンヒカリがそのレース逃げ切り、新たな「伝説の始まり」を告げる。こじつけとも思われるかもしれないが、縁というのはどこでつながっているかわからないものだなぁ…と思わせるような勝利であった。

世界で結果を残したエイシンヒカリは、またまでの休養をとり次戦に備えることになった。

仏→英の転戦発表

復帰後は4月香港で開催されるクイーンエリザベス2世カップ(G1)をしていたが、調子が上がらず回避。

回避したのはいいが日本日本から遠征の盛んな香港オーストラリアには5月以降はしばらく適距離である1800~2000mの大レースがない。どうするのかと思ったら、なんと仏フランス英イギリスG1を転戦する驚きのプランが発表される。欧州の強相手にどれほどが立つのかは未知数だが、11戦9勝とまだ底を見せていないところもあり期待もまた大きかった。

シャンティイを駆け抜けた閃光 イスパーン賞(G1)

そして、休養明けで挑んだ仏フランス139イスパーン賞(G1)。例年使用されていたロンシャン競馬場が改修工事中だったため、この年はシャンティ競馬場に会場を移して1800mで[4]開催された。

日本代表としてフランスに遠征したエイシンヒカリを迎え撃つのは前年度の仏ダービー凱旋門賞でも3着に入ったNew Bayガネー賞(G1)を勝し中2週で臨むDariyanパリ大賞(G1)の勝ちEruptなどで、錚々たるメンバーが顔をそろえていた。また前日までは1番人気に押されていたエイシンヒカリであったが、降り続いたによってシャンティ競馬場が重馬場になっていたことから現地ファンに「重馬場なら欧州有利だろう」と判断されレース直前には4番人気に後退していた。

そしてレースが始まる。本来であれば先頭に立って逃げるエイシンヒカリだがこの日は外から好スタートを切ったVadamosハナ、これを嫌がったか2戦のように首を上げる仕も見せたところで上の武は理をせず外に切り替えて2番手に甘んじる形で追走。最終コーナーを回って直線に入りエイシンヒカリがVadamosに並びかけるとあっという間に抜群の手応えでかわして先頭に立つ。そこから武豊が気合を入れるとエイシンヒカリは一気に加速、既に一杯になっている後続を突き放し始めるとゴールが近づくにつれてその差は広がるばかりで、最終的に2着に10馬身をつける圧巻の大差勝ちを収めた。

こうしてエイシンヒカリは初のフランス競馬場不良馬場、絡まれて逃げられず、相手は欧G1を含む欧州トップクラス、といった要素をものともせず圧勝するというどこに出しても恥ずかしくない圧倒的勝利海外GI連勝を達成した。それと同時にディープインパクト産駒としてはリアルインパクトに続く2頭G1複数勝利になった。ちなみに日本日本以外の複数のG1を勝ったのはアグネスワールド以来2頭である。

世界が認めた輝き 世界1位にランクイン

ここでIFHA国際競馬統括機関連盟)が、2016年1月1日から6月5日までのレース結果を元に算出した「ワールドベストレースホースランキング」を6月10日に発表。イスパーン賞での大差勝ちが評価され、エイシンヒカリが129ポンドで単独世界1位の評価を受けた。

6月時点での結果ではあるが、日本の単独トップ評価は2014年ドバイデューティフリー(G1)を制し130ポンドで年間首位となったジャスタウェイ以来2頭となる快挙であった。

無念のイギリス遠征 ~ 帰国

次走は予定通り英イギリスに移動。

王室が催し競馬好きで知られる女王陛下も毎年観戦に訪れる6月の名物開催・ロイヤルアスコットの中距離G1プリンスオブウェールズステークスアスコット競馬場芝1マイル1f212y≒2004m)に出走。前回のイスパーン賞の勝ちっぷりから圧倒的一番人気を背負っており、様々な理由はあったがFoundThe Gray Gatsby以外の有力が軒並み回避して6頭立てのレースとなった。レーシングポストでは『Monster from The East! (東洋より怪物来る!)』と一面で大特集を組む程であった。

しかし当日のアスコット競馬場不良馬場で、有力の回避もにこれが理由であった[5]。ここまでならイスパーン賞と変わりなかったのだが、おにぎり三角形になっているアスコット競馬場の10fコーススタートから少し下った最初のコーナーにある最低地点:スウィンリートムを過ぎると、残り1マイル弱がまずは急な上り坂で多少緩やかにはなるが最終コーナーからゴール前直線もほぼ全て上り坂というシャンティ競馬場ではないタフコースである。また圧倒的一番人気ということもあって積極的に逃げることもわず、直線で全にスタミナを失い6頭立ての6着に敗れてしまった。最下位とはいえ、タフべになった展開になったためそこまで離された負けではなかったのはせめてもの救いか。馬場の悪さはかなり酷いものであり、ロイヤルアスコット開催に大雨がぶつかりしかも馬場回復前にPoWが開催された運の悪さも多少はあったと思われる。実際に2024年には良馬場で同じディープインパクト産駒Auguste Rodinがこのレース勝利しているのでもう少しいい馬場で勝負したかったというところ。

後は休養を発表。なお遠征の調子次第では凱旋門賞(G1)への挑戦案も浮上していたが、最終的には見送られることとなった。イスパーン賞が開催された「シャンティ競馬場」は凱旋門賞の会場でもあったためそこで圧勝を収めたエイシンヒカリにも大きな期待が寄せられており、また上の武豊凱旋門賞挑戦を熱望していたということもあったので、正直残念である。

帰国後~引退

休養明けのプランレースである天皇賞(秋)に標準を合わせることが発表された。また間もなくして年内限りでの引退を表明し、ラストランは前年に続く連覇をして香港カップに挑戦することが発表された。

そして内での最終戦となる天皇賞(秋)(GI)。絶好の最内もあり2番人気に推されたエイシンヒカリだがレース前からうるさいところを見せており、これまで通りの逃げを打ったもののマイペースというよりも精を欠くよくわからないペースの走りとなって直線ではあっさりと沈み、12着という生涯最低着順に終わった。

そして迎えたラストラン香港カップ(G1)。前走のこともあり前年の覇者として臨んだが人気モーリスに次ぐ2番人気にとどまった。レースでは好を生かしてハナを奪うと、向正面から徐々にペースを引き上げ第4コーナーでは後続に10馬身の差をつける大逃げを打ち見せ場を作る。しかし最後の150メートル地点でモーリスに並ばれると一気に失速、競走馬としての最終戦10着に終わった。イスパーン賞の衝撃を思えば物足りない最後だったが、クセだったのは元々だし仕方ないといえば仕方ないのか…。

ちなみに、6月時点で世界1位だった「ワールドベストレースホースランキング」だが2016年後半の敗戦のもあり、年間ランキングではエイシンヒカリとモーリス127ポンドで第5位タイという結果となった。

種牡馬時代

引退後は北海道新ひだか町レックススタッドにて、種牡馬として第2の生をスタート。初年度の種付け料は250万円で86頭と交配。以後も横ばいであったが産駒デビュー年の2020年は種付け料、頭数ともに減って9月16日からはイーストスタッドへ移動。そこからは種付け頭数が更に減って10~20頭ほどになってしまっている。

初年度となる2018年産駒2020年からデビューホッカイドウ競馬の第4回門別競馬2日の第8競走「JRA認定アタックチャレンジ競走(外1000m)」において、エイシンシトリン産駒勝利。また、小倉の2歳未勝利戦(芝1200m)でエイシンテンJRA勝利

イスパーン賞の勝ちっぷりを思えば日本として二のものを持っているであったが、日本でのGⅠ勝ちがいことや日高向けにしては高めだった当初の種付け料のせいか交配相手はオーナーエイシン/エーシン系がで王手生産者の繁殖は皆無と厳しい待遇であり、現在は上記の通り達成した快挙からすると更に寂しい状況にある。

2025年時点では地方重賞勝利する産駒は現れるものの、中央では安土城S(L)勝ちでキーンランドC2着などがあるエイシンスポッターを始めとして連対まで行ったは何頭かいるものの重賞勝利した産駒は現れていない。産駒に短距離マイルで走っており今後の活躍に期待したい。

主な産駒

2019年産

2020年産

2022年産

この馬について

通算成績は15戦10勝、勝率66%という高い数字を残している。GⅠこそ取れなかったが世界を股にかけて走り海外G1レースを2勝、何より中間結果とはいえ「世界ランキング単独1位」も経験したこともある名であった。

ただし、戦績の内訳 [10-0-0-5が示す通り安定して勝利を収めたかと思えば負けるときは掲示板にも入らない惨敗を喫するなど、どこか危うい雰囲気もっていた。逆に勝つときは香港でのレコードフランスでの大差勝利を筆頭に手な勝ち方をするのあるであった。

ちなみに、言われないとわからないがエイシンヒカリは芦毛である。もちろんこれは譲り、更に遡れば芦毛の名種牡馬Caroから受け継いだもの。パッと見でもメンコを外した写真を見ると何となくそれっぽく見えるが、通常年を経るごとにくなる芦毛の中において現役中のエイシンヒカリはほとんどのままだったため勘違いをされやすかった。5歳になって芦毛だと知っていればそうかもねと思える程度にはほんのわずかだけくなってきて(尾の付け根に近いところの毛色はわかりやすくくなっている)、引退後は明らかにわかるほど部分が増え現在全に真っ白で言われなければ現役時と同じだとわからない姿になっている。
この世代のディープインパクト産駒芦毛はエイシンヒカリただ1頭だそうで、出走頭数が少ない割に好成績を上げる「芦毛のディープ」のジンクス[6]もまだ続く…かもしれない。

血統表

ディープインパクト
2002 鹿毛
*サンデーサイレンス
1986 青鹿毛
Halo Hail to Reason
Cosmah
Wishing Well Understanding
Mountain Flower
*ウインドインハーヘア
1991 鹿毛
Alzao Lyphard
Lady Rebecca
Burghclere Busted
Highclere
*キャタリナ
1994 芦毛
FNo.16-g
Storm Cat
1983 黒鹿毛
Storm Bird Northern Dancer
South Ocean
Terlingua Secretariat
Crimson Saint
Carolina Saga
1980 芦毛
Caro *フォルティノ
Chambord
Key to the Saga  Key to the Mint
Sea Saga

クロスNorthern Dancer 4×5(9.38)

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暴走?いいえ、圧勝です。

関連項目

脚注

  1. *GⅠイスラボニータダノンシャークスピルバーグリアルインパクトがおり、他も全頭が重賞ウィナー。なお出走13頭中10頭がディープインパクト産駒であった。
  2. *手前:の走り方。右前脚よりも左前脚を前に出す「左手前」とその逆の「右手前」がある。右回りコース右手前、左回りのコース左手前で走らないとコーナー回る際、遠心力で外側にふくれてしまう。最後の直線では、走りやすい手前に替えて走りやすくする。(JRA競馬用語辞典より)
  3. *エイシンヒカリを所有する『栄進堂』の先代会長平井氏。2013年逝去
  4. *本来のロンシャン競馬場パリロンシャン競馬場での開催時は1850m
  5. *欧州ではレース前にが得意な馬場ではないと見たら直前からでも回避するのは常運転である
  6. *海外産駒など漏れはあるがnetkeibaで検索をかけると67頭ヒットする。本以外の活躍には朝日杯FSを勝ったダノンプラチナ重賞4勝のスマートレイアー、先述した本の姪スマイルカナなどがいる。
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