この記事は、東京メトロが保有・運行する「東京メトロ東西線」に関する記事です。それ以外の鉄道路線については、「東西線」をご覧ください。 |
東京メトロ東西線とは、中野駅から西船橋駅までを結ぶ東京メトロが保有・運行する鉄道路線である。
中野駅で、JR中央・総武線各駅停車と、西船橋駅でJR総武線各駅停車および東葉高速鉄道に乗り入れている。
東京の地下鉄の中では、地上区間が多いことで知られている(約30km中14km)。また、東京都以外の都道府県(千葉県)にも多くの区間が入っている。
【凡例】 ●:停車駅 |:通過駅 ↑:中野方面のみ ■:乗り換え路線 ○:駅周辺施設
※各駅停車は全駅に停まる為、省略しております。
東西線の特徴は色々あるが、もっとも特筆すべきは199%(平成28年 木場→門前仲町)という驚異的な朝ラッシュでの混雑率である。私鉄としては東急田園都市線を凌ぎトップ、全体でもJRトップの総武緩行線の198%とほぼ同率で、年度にもよるが常にトップかその付近に居る。
東西とトップ争いをしている総武線各駅停車の最混雑区間は「錦糸町→両国」であり、これは総武快速線が分離して中央快速線が合流するまでの間のわずか3駅という特殊な区間で、統計上のマジックに近い。そのような事情がなく、全線に渡って普通に混んでいる東西線は実質トップと思われる。
理由は多々ある。
・そもそも、総武線が船橋・津田沼からの乗客でパンク状態だった為、急遽そのバイパス線として東西線が作られた。
・ 総武線のバイパス機能を持たせたかったので、地下鉄としては規格外に長い駅間距離と直線的な線形で、総武線と同格以上のスペックを持たせて便利にした。たちまち人気路線となった。
・ せっかく作ったので、途中区間の誰もいない所を宅地開発して売りまくった。人気路線なのでどんどん売れて人口が増えすぎて収拾がつかなくなり、東西線自身がパンクする本末転倒に。
・その後、新たに新宿線や京葉線が開通したが、総武線や東西線ほど便利では無かった為、あまり分散が見られなかった。
・東西線自身も改良を行ったが、これほどまでの成長を想定した拡張余地は持たせていなかった為、頭打ちに。
・ 建設当初に計画されていた勝田台延伸がここにきて東葉高速線として実現。西船橋以遠から京成線・新京成線の乗客が流れ込みさらにカオスになる。
東京の主要地区を直線ルートで駆け抜け、乗換も便利で東京メトロの運賃も安い、と一見良いことずくめに見えるが、並の通勤路線と比べても更に過酷で、有料座席といった逃げ道も無く、東葉高速線からだと北習志野あたりから運賃が倍増になるので、欠点をよく知らずに甘い考えで利用すると痛い目を見る。沿線の不動産会社の中にはあえてこの事を黙って売りつける悪徳業者も居る。
西船橋に総武快速が止まらない原因の一つ。停車すると快速や西船橋駅への集中度が上がりすぎるのであえて緩行線に誘導している説がある。なお西船橋は千葉県で最も利用者の多い駅となっている。
津田沼直通列車もこの西船橋ホームの混雑対策。特に平日夜ラッシュ下りは、途中駅で津田沼行きに接続する、または西船橋で降車後すぐ同一ホームに津田沼行きが到着する、その津田沼行きで東船橋で降車すると、(西船橋で待たされていた)総武線千葉行きが続行するので以降の各駅にも行ける、というパターンになっており、3本に1本だけの直通でありながら、(遅延が無ければ)全てのパターンで西船橋で総武線に乗り換える必要が全く無いという巧妙な工夫が成されている。
朝ラッシュは浦安以降の各駅でホーム上に警備員がずらりと並び、旅客誘導の声が飛び交い特有の雰囲気を見せる。近年は快速の通勤快速格下げ、西船橋始発各停・津田沼直通と交互に運行する事による混雑率操作などで多少改善し、比較的常識的に利用できるようにはなったが、依然高く手詰まりである事に変わりはない。今後は南砂町の増線工事等、幾つか手が控えているのでそちらに期待したい。
しかし混雑が激しいのはラッシュ時の順方向、主に千葉側だけである。通勤路線的性格が強い為、日中や逆方向は対象的に空いており、そちらは終日慢性的に混んでいる総武線より快適に移動できる。
東西線は、朝夕ラッシュの一部列車のみだが、西側の末端はJR中央・総武線各駅停車の中野・三鷹まで直通し、東側の末端は同じくJR中央・総武線各駅停車の津田沼まで直通している。
中野~津田沼間の2ルートはJRとメトロで運賃が異なるが、メトロ経由の方がJRルートよりも運賃が安い。通常は西船橋にある中間改札でルート判別されるが、津田沼直通列車を利用するとこの改札をスルーしてそのままJR線内に行けてしまう。
Suicaは改札を通らずルート判別できない場合、最安運賃を引き落とすルールがあるが、この場合判別できないのでメトロ運賃が引き落とされるのだろうか。
答えは「中間改札を通過した情報が無いため、全区間中央・総武線利用」。
Suicaの大原則を無視したルールであるが、朝夕の一部時間帯のみの列車で始発から終点まで乗り通す乗客は全体のごく一部の為、原則を無視してJR経由で計算する方が合理的なのは間違っていない。しかし仮に本当にメトロ経由だとしてもJR運賃を請求されるという、乗客側が一方的に不利益を被る決定なので、メディア等でsuicaシステムの穴として大いに議論になった。しかし結局無対策のまま放置されている。対策しようとすれば中野・津田沼以遠の全ての駅を改札分離するか、どちらかの直通を廃止する必要があり、ラッシュ対策の観点で不可能なのも事実。
同様の問題は片端を松戸駅など常磐線北千住駅以遠の駅にしても起きるが、こちらは西日暮里駅の中間改札が経路判定の役割になっている代わりに北千住駅は中間改札を放棄したため、総武線以上に運賃計算が複雑になる。
一応、Suicaを使わず磁気乗車券を使い精算、区間によっては遠距離運賃の逆転に即して乗車券分割すれば正しい運賃にはなる。
東京メトロ05系 | 13次車 |
起動加速度 | 3.3km/h/s |
設計最高速度 | 120km/h |
編成定員 | 1,506人 ※次数により違いあり |
現在、4次車のうち第14編成と5次車から13次車が運行中(29本)。
昭和63年に老朽化した5000系を置き換える為に製造された。
すさまじいラッシュの東西線のためにワイドドア車両も作られたほか、アルミリサイクルカーなんていうのもある。
快速運転のイメージのためか、01・02・03系と比べるとスピード感のあるデザインになっている。
8次車以降はヘッドライトがつり上がり、さらにスピード感が増した。
10000系と東葉高速2000系は05系13次車がベースとなっている。
東京メトロ15000系 | 1次車 |
起動加速度 | 3.3km/h/s |
設計最高速度 | 110km/h |
編成定員 | 1520 人 |
2010年に運転が開始された最新の車両。13本在籍。
混雑対策のため、05系5次車以来となるワイドドア車両となっており05系の1~4次車(第14編成を除く)を置き換えた。
05系13字車と10000系がベースとなっている。
東京メトロ07系 | 1次車 |
起動加速度 | 3.3km/h/s |
設計最高速度 | 110km/h |
編成定員 | 1,494 人 |
副都心線が開業するにあたって運用上邪魔になってしまった07系。6本在籍
東武・西武が提唱する「A-train」の規格を座席配置の時点で破ってしまった為、
同じ座席配置の車両がいる東西線ヘ持ってきたのだ。なんともかわいそうな車両である。
JR東日本E231系 | 800番台 |
起動加速度 | 3.3km/h/s |
設計最高速度 | 110km/h |
編成定員 | 1,530 人 |
103系1000番台、1200番台および301系を置き換えるために製造された。
ほっそりしていて貫通扉が付いている、E231シリーズの異色の存在。
東葉高速2000系 | 1次車 |
起動加速度 | 3.3km/h/s |
設計最高速度 | 120km/h |
編成定員 | 1,518 人 |
05系13次車をベースに、というかそのままカラーチェンジをして東葉高速が新造した。
そのため性能は全く同じ。
機器類は05系13次車JR用の保安設備を抜いただけなので、JRの行先も出せるうえ自動放送もちゃっかりJR対応である。意味なし。
最初は東京五号線・六号線として東陽町基点の路線であったが、
東京都「そんな混雑で大丈夫か?」
総武線「一番いいバイパス路線を頼む」
増大する船橋・津田沼からの乗客需要に国鉄が耐え切れなくなり、バイパスとして船橋までの延伸・乗り入れを打診。
昭和37年、都市交通審議会答申第6号にて東京5号線として方向性が決定。「中野方面より高田馬場、飯田橋、大手町、茅場町及び東陽町の各方面を経て船橋 方面へ向かう路線」と定義された。このとき、六号線(五号線から大手町より分岐し下板橋に至る路線、今の三田線)が新規路線として分割された。
昭和39年には浦安・行徳を経由することが決定され、それまで陸の孤島であった浦安・行徳地域を大きく発展させることとなる。
昭和43年の答申において西船橋からは東武野田線へ向かうとされたが、昭和47年に終点を勝田台に変更。
現在西船橋~東葉勝田台間は東葉高速鉄道として開業している。
その後、昭和39年に名称が東西線に決定。同年に東西線最古の車両、5000系が製造される。
昭和39年の12月23日、最初の運転区間である高田馬場~九段下間が開業。九段下行きは現在でも朝ラッシュ時に見ることができるほか、事故などの時には高田馬場行きも見ることができる。
昭和41年3月16日、中野~竹橋間に運転区間を延長。4月28日、国鉄中央線荻窪駅まで直通運転を開始。この時点では国鉄側に乗り入れできる車両がなかったため片乗り入れとなっていた。
10月1日、大手町まで延伸。国鉄301系が投入され相互乗り入れ運転となる。
昭和42年に東陽町まで、昭和44年に西船橋まで延伸し全線開業。この頃から快速運転を開始。このころ西葛西・南行徳・妙典の三駅は存在しなかった。
同年に中央線側の乗り入れを三鷹まで延長し、総武線側にも津田沼まで乗り入れを行うように。
昭和46年に103系1200番台が営業運転を開始、翌年には津田沼乗り入れがラッシュ時のみとなる。
昭和53年2月28日、中野行き5000系10両編成が荒川橋梁上で突風(竜巻とみられる)を受け2両転覆。死者こそ出なかったが、乗客ら21人が重軽傷を負った東西線史上最悪の事故である。
すでにこの頃から混雑路線として頭角を現していた地下鉄東西線での事故は全国紙で取り上げられたが、多くの人は「地下鉄で突風?」と疑問に思ったらしい。
この事故の写真は、ニコニコで有名なあの『スパイダーマッ』にも使われた。
昭和62年、車両が足りなくなり緊急に半蔵門線の8000系を借りてきて走らせた。車両が足りなくなったのは05系の投入が遅れたため。翌年05系が配備され8000系は半蔵門線に帰っていった。
平成3年、05系ワイドドア車(第14編成)が登場。当初は画期的ともてはやされた。同年に全編成の10両化が完了。
平成8年、津田沼への直通が平日のみに。同年東葉高速鉄道が開業、相互乗り入れ運転を開始。
平成12年、下妙典信号所を昇格して妙典駅を開業。同年から05系13次車(新05系)を投入開始。
平成15年、E231系800番台が営業運転を開始。同年に301系、103系1000・1200番台が運転を終了。
平成16年、営団地下鉄(帝都高速度交通営団)が民営化され東京メトロ(東京地下鉄)に。05系13次車がマイナーチェンジをくり返し続ける。最新のものが東葉高速2000系として営業運転開始。
平成18年、有楽町線から07系がやってくる。同年に女性専用車導入。東葉高速1000系が営業運転終了。翌年、5000系も引退。
平成21年、東陽町駅にて留置中の営業車(05系第1編成)に保線車両が突っ込み運転再開までに5時間かかった。この日は葛西行きと高田馬場行きが見られた。 筆者も影響を受けて大変でした
掲示板
55 ななしのよっしん
2018/09/17(月) 00:51:53 ID: cxdbxOnXXf
ラッシュ時の東陽町駅で千代田線北千住駅で使われている
「特殊取扱(ブザーが鳴り終わったらドア閉め)」をすれば多少は遅延が減るかもしれない
と思ったけど千代田線北千住駅や丸ノ内線池袋駅のような
一気に乗り込む駅が東西線に存在しないのが大きいのかな
56 ななしのよっしん
2021/11/06(土) 19:43:58 ID: W4NlqEH8i0
小田急線と京王線は刺傷&放火、東西線は千枚通しを見せただけ、か
まあ見せるだけでも脅迫になるけど
57 ななしのよっしん
2023/12/03(日) 10:34:57 ID: wSyDQyI87j
就活の時これ乗って地獄見たわ
人ごみに飲まれて制御不能になったのはコミケとここだけ
急上昇ワード改
最終更新:2024/11/30(土) 07:00
最終更新:2024/11/30(土) 07:00
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