コウエイトライとは、2001年生まれの日本の元競走馬である。鹿毛の牝馬。
飛越などの問題から大舞台に挑むことはできなかったものの、障害競走で一時代を築いたことには変わりない名馬の一頭である。
主な勝ち鞍
2006年:小倉サマージャンプ(J・GIII)、阪神ジャンプステークス(J・GIII)、東京オータムジャンプ(J・GIII)
2007年:小倉サマージャンプ(J・GIII)、阪神ジャンプステークス(J・GIII)
2008年:阪神ジャンプステークス(J・GIII)、
2010年:新潟ジャンプステークス(J・GIII)、阪神ジャンプステークス(J・GIII)
概要
血統と平地時代、そして九州産馬であるが故に
父・オペラハウス 母・ダンツビューティ 母父ホリスキーという血統で、生まれは鹿児島県。
そう鹿児島県生まれということが表す通り、実はこの馬九州産馬なのである。
姉にはこれまた九州産馬ながら小倉3歳ステークスを勝ったコウエイロマンや地方重賞を勝ったコウエイソフィア、妹にはひまわり賞を勝ったコウエイピースがいるなど、九州産馬の中でも特に活気にあふれた血統である。
さて、コウエイトライだがデビューが遅れて2歳の12月になってしまった。
なぜ、遅れてしまったと表現したのかというと、夏の小倉開催では九州産限定の新馬戦や未勝利戦、先述のひまわり賞が行われるのだが、そのレースに出走できなかったのである。
特に九州産馬の多くが、この限定新馬戦や未勝利戦で勝ちあがれないと、佐賀競馬や荒尾競馬(現在は廃止)など地方競馬に走る場所を求め移籍したりしているのである。(近年でこそ、移籍しない馬が増え、テイエムキュウベエのように3歳未勝利戦で勝ちあがったり、メモリアルイヤーやテイエムヨカドーのようにオープンでも戦える馬が出てきている)
また、九州産馬のレースはタイムが他に比べ遅いことが多いため、ときどき「ひまわり賞不要論」が飛び出すなど、九州産馬自体が評論家からも散々バカにされている存在なのである。
どっかの「ひまわり賞は2歳500万下にすべきでは?」といった評論家は許さないし、顔も見たくない。
……夏の九州産馬限定戦は面白いし、そもそもひまわり賞に文句を言うなら他のレースにはなぜ飛び火しないんだと筆者は言いたい。
また、数々のネガティブ発言の影響か、ひまわり賞は他の2歳オープンよりも賞金が100万円少ない。
さすがに、これには九州の馬産関係者は文句を言ってもいいと思う。
まあ、どうせ九州の馬産なんて、北海道から見たら小規模かもしれない。
ただ、なぜひまわり賞や九州産にばかり文句が言われるのかが理解できないのである。
そんなコウエイトライであったが平地では1勝を挙げたものの、その後は勝ちきれないレースが続き障害レースに活路を見出すことになった。
障害競走で覚醒
さて、2005年12月(4歳)に障害競走に転身したコウエイトライであったが、障害初戦はのちの中山大障害勝ち馬マルカラスカルを相手に快勝し、オープン入りするもオープン初戦の三木ホースランドジャンプステークスの2着以降、結果を残せなかった。
そして、夏の小倉サマージャンプに出走。
この時は14頭中の12番人気とかなりの低評価だったが、10馬身差の快勝で重賞初制覇。
牝馬の障害重賞制覇も2003年のテンビーエース以来3年ぶり2頭目という快挙であった。
だが、これはコウエイトライのシンデレラストーリーの序章であった。
その後、中京開催だった阪神ジャンプステークスでレコード勝ち、さらに東京オータムジャンプでも勝利しこの年重賞3勝。
これで、暮れの大舞台・中山大障害に行けるぞ!と多くのファンは期待したのだが、コウエイトライ陣営は中山大障害を使うことはなかった。
というのも、コウエイトライに問題があった。
実はこの馬、
スピードが勝ちすぎていて飛越が低かったことが原因……と思われていた。(詳細は後述)
飛越が低いことで何が問題なの?と障害競走を知らないファンは言いがちだが、実はこれ結構な問題である。
というのは、中山大障害や中山グランドジャンプのコースはかなりトリッキーなコースであり、バンケットを下って上った後に障害を飛越したり、障害自体が他のレースに比べて高かったりするのである。
そんなコースにスピードが勝ちすぎている馬を出すと落馬の危険が高い。
もし、障害飛越に失敗して、骨折などでもしたら言わずもがなである。
(そういえば、中山グランドジャンプに出走した際にバンケットでスライディングしてしまったランスルーザターフや中山大障害でもう1回大障害コースに行こうとして落馬してしまったテイエムトッパズレなんてのもいましたが……)
そのため、コウエイトライは関西のレースを中心に中山コース以外のレースを選んで出走することになった。
障害レースのGIがもしも京都か阪神にあれば……とは思ってしまうところだが、競馬にたらればは禁物である。
さて、そんなコウエイトライであったが障害重賞8勝という当時の障害重賞最多勝記録(現在はオジュウチョウサンが更新)を残して引退した。
通算58戦12勝。(内訳・平地24戦1勝、障害34戦11勝)
ただ、勝てなかったレースでも多くは2着に入るなど奮闘しており、障害競走史上最強牝馬として活躍を続けてた。
ちなみに、以前の記録は障害重賞最多勝はグランドマーチスとバローネターフの7勝で、かつグレードレース導入前のもので、この記録がいかにすごいかわかってほしいと思う。
以下がその勝った重賞の内訳である。(右は、勝ったレースの年数)
・阪神ジャンプステークス(2006年・2007年・2008年・2010年)
・小倉サマージャンプ(2006年・2007年)
・東京オータムジャンプ(2006年)
・新潟ジャンプステークス(2010年)
なお、グレードは全部J・GIII。
J・GIIには何度も届きかけたものの、惜しくも勝てなかった(最高着順は2着4回)。
2007年の京都ハイジャンプに至っては3着のテイエムトッパズレに5秒差をつけたにもかかわらず、中山大障害を勝ったテイエムドラゴン相手に2着だったりもする。
こういうところでちょっとついてなかったりするのだろうか。
さて、阪神サマージャンプの勝った年数を見て、ん!?と思った方。
その感覚は正しい。
というのは、コウエイトライは実はもう一つ地味に大記録を作っている。
そう、1年間に1回行われる同一重賞を4勝という大記録だ。
ついでに2009年は休養中で出走していないので、出走機会4連覇ということに。
何かがおかしい。
(ちなみに、同一重賞4連覇ということではグランドマーチスやフジノオーも達成しているがこの2頭はそれぞれ年間2回行われる重賞を4連覇である)
ついでにラストランは5回目の優勝を目指して出走した2011年の阪神ジャンプステークス(5着)であった。
完全に阪神ジャンプステークス荒らしである。
また、小倉サマージャンプに関しては、馬主さんも鹿児島の人だし、地元に1番近い競馬場で愛馬の雄姿を見たいんだなあ……と考えるとほほえましい話ではある。
のだが、小倉サマージャンプも出走機会4連覇という恐ろしいことをやりかけていた。(1着・1着・2着・3着)
頼むから自重して下さい。
ついでに、JRA最高齢牝馬出走記録を持っている。(10歳5カ月12日で2011年阪神ジャンプステークス出走)
うん、そうなんだね。
今の世の中は馬でも女性が強いってことだ。
ちなみにコウエイトライはけがで休んでいた1年間を除いてず~っと走っていた。
まさに、鉄の女である。
昔なら若くして引退していた女性社員が年をとってもバリバリ働いている……コウエイトライの姿はそんな人ともダブるのではないだろうか。
確かに中山コースは走れなかった。
でも、中山コースが走れたらさらに恐ろしいことになっていた気がするので、競馬の神様が中山コースを走れなくしたんだろう、うんきっとそうだ。
と、メタな発言はこれくらいにして……。
どうせ障害だから簡単だろ?とか言う人がいるでしょうから、逆に聞きます。
「落馬の危険がある障害で同一重賞、それも1年に1回だけの重賞を4勝という記録がどれくらいすごいかわかってないな?」と。
実際、同一重賞3勝ならタップダンスシチー(金鯱賞)エリモハリアー(函館記念)、カラジ(中山グランドジャンプ)などの前例もあったが、4勝は当時としては前代未聞だったのではなかろうか。
こちらも現在はオメガパフュームが東京大賞典の4連覇を果たし、オジュウチョウサンに至っては中山グランドジャンプを5連覇含む6勝という凄まじい記録を残している。
さて、コウエイトライの引退後であるが、残念ながら重賞8勝という実績がありながら繁殖牝馬にはなれなかった。
その後、鹿児島の乗馬クラブで繋養されていたが、熊本県内の高校で馬術用の乗用馬として頑張っていた。
なぜ、熊本の高校に移動したのかというと、その学校の馬術部の先生がコウエイトライがおとなしくて扱いやすいという話を聞き、乗馬クラブに頼んで馬術部用の馬として引き取ったとのこと。
登録名として『エイティートライ』と名付けられて、馬術部で活動していたが、再び鹿児島県内の乗馬クラブに戻っている。
一方で、飛越は全く衰えておらず、国体にも出場したそうである。
障害重賞を勝ちまくったことで飛越には問題はなく、さらには気性もおとなしいことから「乗馬の先生兼お母さん」として、新たなる一歩を歩んだコウエイトライ。
もちろん、理想は繁殖牝馬になることではある。
しかし、繁殖牝馬になることだけが牝馬の幸せではない。
その証明のために、未来のホースマンのお母さんとして、鹿児島の地でコウエイトライは静かに頑張った。
霧島高原乗馬クラブで余生を過ごした彼女は、2024年5月24日に、その地で死亡した。
中山大障害を走らなかった真実
さて、ここで先述した中山大障害を走らなかった理由についてである。
実は引退後、2016年にウマフリというサイトでこんな記事が出ていた。
コウエイトライ〜ハードル界の「姐さん」〜
ここで、コウエイトライの主戦を務めた小坂忠士騎手や新潟ジャンプステークスで代打騎乗をした高田潤騎手がこのように語っている。
「コウエイトライは気力で走っていた」(小坂騎手)
「目一杯走り切る馬」(高田騎手)
これは何を意味するのか。
つまりコウエイトライの問題は飛越ではなく、常に全力を出し切ってしまうが故のスタミナへの不安(とそれに伴うバンケットでの事故の可能性を考慮したもの)だったのである。
よく考えてみると近年障害重賞で大活躍をして、コウエイトライの記録を更新したオジュウチョウサンの飛越はかなり低い。
いや、あの馬の飛越は飛越というよりは障害をまたぐといった方が正しい。
オジュウチョウサンのライバルだったアップトゥデイトがきれいに飛び越えていたのとは対照的である。
コウエイトライの飛越もどちらかというと、オジュウチョウサンのそれに近かったため、もしもスタミナがあれば中山大障害に出走していた可能性がある。
だが、この馬、J・GIIIでは8勝を挙げているが、J・GIIでは2着4回が最高成績である。
実は、J・GIIは東京ハイジャンプ(3300m)を除いて、3900m級の距離で行われており、コウエイトライにとっては、走りきるためには厳しい距離だった。
だが、それでも全力を尽くして何とか2着に食い込んできていたのである。
つまり、もしも短い距離のJ・GIがあったなら、栄光をつかんでいたのかもしれない。
それも今となっては夢物語ではあるが……
血統表
*オペラハウス Opera House 1988 鹿毛 |
Sadler's Wells 1981 鹿毛 |
Northern Dancer | Nearctic |
Natalma | |||
Fairy Bridge | Bold Reason | ||
Special | |||
Colorspin 1983 鹿毛 |
High Top | Derring-Do | |
Camenae | |||
Reprocolor | Jimmy Reppin | ||
Blue Queen | |||
ダンツビューティ 1987 黒鹿毛 FNo.9-c |
ホリスキー 1979 黒鹿毛 |
マルゼンスキー | Nijinsky II |
シル | |||
オキノバンダ | オンリーフォアライフ | ||
メジロビーナス | |||
ハーモニーゼア 1982 黒鹿毛 |
*リィフォー | Lyphard | |
Klaizia | |||
マークリゼア | *パーソロン | ||
*マーチングソング | |||
競走馬の4代血統表 |
クロス:Northern Dancer 3×5×5(18.75%)
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