元祖三強単語

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ガンソサンキョウ
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元祖三強とは1968年クラシック戦線において幾度も対戦した3頭の競走馬マーチス、タケシバオーアサカオーの現代での呼び名である

概要

3頭とも1965年に生まれたで、1968年クラシック三冠競争で三強を形成し、日本競馬史上初めて「クラシック三強」と呼ばれた。後に出てきた72世代(花の47年組)の「関西三強」、76世代の「TTG」、オグリキャップを筆頭とする「平成三強」などの3強が競馬界を賑わせるようになると、最初に三強と言われたマーチス、タケシバオーアサカオーの3頭は三強の元祖として「元祖三強」と呼ばれるようになっていった。そのため3頭が活躍していた時期にはただ単に三強と呼ばれていて、当然元祖扱いもされていなかった。なんかラーメン屋みたいだな…

3頭の概要

詳細は各記事を参照(詳しい人か他の2頭の個別記事も作ってください…)。勝八大競走以外時系列順で重賞のみ。

マーチス

:ネヴァービート :クツツ クモハタ
皐月賞(1968)阪神3歳ステークス(1967)、きさらぎ賞(1968)、スプリングステークス(1968)NHK杯(1968)札幌記念(1968)、ハリウッドターフクラブ賞(1968)、札幌記念(1969)、目黒記念(秋)(1969)

騎手保田隆芳

啓衆社賞最優秀4歳1968年

栗毛。後にダービーを4勝するカントリー牧場の一期生。明るめの色の栗毛人気が高く、ビッグタイトル皐月賞だけにもかかわらず全31戦中21戦で1番人気に推され、1度も4番人気以下になることはなかった。

タケシバオー

チャイナロック タカツナミ :ヤシママンナ
天皇賞(春)(1969)朝日杯3歳ステークス(1967)、東京4歳ステークス(1968)、東京新聞杯(1969)、京都記念()(1969)、毎日王冠(1969)、英国フェア開催記念(1969)

騎手中野渡清一、明、古山吉永正人

啓衆社賞年度代表馬1969年
啓衆社賞最優秀3歳1967年
啓衆社賞最優秀5歳以上1969年
JRA顕彰馬

鹿毛馬場距離を問わない圧倒的な強さを見せたスプリンターズステークスレコード勝ちした天皇賞(春)優勝。当時は名の血統ながら多くの良血を打ち倒し「武士」と称された。

アサカオー

ヒンドスタン ナミオト Borealis
菊花賞(1968)弥生賞(1968)、日本短波賞(1968)、セントライト記念(1968)、アメリカジョッキークラブカップ(1969)

騎手加賀武見

啓衆社賞年度代表馬1968年

鹿毛は既にシンザンを出して有名になっていた大種牡馬ヒンドスタンで、近英ダービー優勝がいる血統から、「良血」または「」と呼ばれた。

対決の歴史

馬齢の旧年齢は数え年で1歳多い(例:旧4歳→現3歳)

クラシック前まで(~1968/4)

タケシバオーは67年の6月新潟デビューして2着。三戦で後にマルゼンスキー上として有名になる中野渡清一を背に初勝利を挙げた。その後膝を痛めて一時休養。札幌の特別戦で3着に敗れた[1]。この後復帰すると福島で2勝、中山で1勝の3連勝で関東の3歳王者決定戦である朝日杯3歳ステークスに出走。2着に7身差をつけて重賞初制覇を飾る。この7身差の着差はレース史上最大で、タケシバオーは一躍クラシックの最有力補になった。

三強一の関西であるマーチスは7月函館デビューして新馬戦を勝ち、札幌でもう2勝した後はしばらくパッとしなかった。暮れの阪神3歳ステークスでは同じカントリー牧場出身のタニノハローモアに1番人気を譲ったが見事勝利関西の3歳王者に立った。

三強最後のアサカオーは他の2頭にべてデビューが遅れ、10月中山になった。初戦こそ2着だったもののそこから2連勝。遅れてきた実力者として朝日杯3歳ステークスに進んだが、後にライバルとなるタケシバオーに大きく離された3着に終わった。

年明けからはこの時代の競走馬らしく3頭ともオープン戦を2、3戦いて弥生賞に出走。ここで関東タケシバオーアサカオーに関西王者のマーチスが合流し、初めての3強対決が実現する。ここでタケシバオー逃げと競り合った末に最後にアサカオーに刺されて2着に敗れる。マーチスはそこから2身差の3着であった。この後勝ったアサカオーと3着のマーチスは日本短波賞で再戦し、1、2着となり、オープン戦を勝って来たタケシバオースプリングステークスで再び対戦。今度は関東馬場にようやく慣れたマーチスが勝ち、タケシバオーはまた2着、アサカオーは3着になった。

去年の暮れの時点では抜けた1強だと思われていたタケシバオークラシックの前戦で相次いで敗れ、またこの時の上位3頭の顔触れが変わらず、しかもタケシバオー以外の2頭が2戦でそれぞれ1勝ずつしていたことから、タケシバオーアサカオー、マーチスを加えて「三強」呼ばれるようになっていった。これまで三冠路線では二強対決はよくあったものの[2]、2強に割って入る3頭はなかなか現れなかった。しかしこの前戦でのある意味きれいな決着は日本競馬に初めての「クラシック三強」を作り出すことになったのである。

クラシック戦線、史上初の「三強対決」(~1968/12)

1戦皐月賞の中の重馬場で行われることになり、当時から悪に強いことが知られていたタケシバオーが1番人気[3]、2番人気マーチス、3番人気アサカオーとなった。結果は最終直線で競り合っていたタケシバオーアサカオーを後方から追い込んで来たマーチスが交わして勝利タケシバオーが2着、アサカオーが頭差で3着になったが、そこから4着までは5身も離れていた。

そのあとタケシバオーマーチスはこの時代ではよくあるローテとしてNHK杯に出走し。東西3歳王者の対決が実現した。結果は逃げタケシバオーマーチスが捉え勝利タケシバオーは2着に敗れた。

2戦日本ダービー東京競馬場の工事のために1か遅れの7月7日に行われ、「七夕ダービー」と呼ばれた。今回は皐月賞マーチスが1番人気タケシバオー2番人気、体調不良が伝えられていたマーチスが3番人気となった。本番では所謂人気薄の逃げタニノハローモア逃げタケシバオーアサカオーは中団、マーチスはいつも通り後方であったが、タケシバオーアサカオーは後方のマーチスを警して動けず、そのままタニノハローモアが5身差で逃げ切って勝利カントリー牧場初のダービーになった。タケシバオーは2着[4]アサカオーは3着、マーチスは他と接触する不利もあって4着に敗れた。

この後タケシバオーアメリカからの招待を受け、ワシントンD.C.際に遠征。菊花賞は不在になることになった。本番の菊花賞は古混合重賞を連勝してきたマーチスとセントライト記念を勝ってきたアサカオーとの一騎打ちとなり、今度はダービーとは打って変わって後方待機策をとったアサカオーがマーチス、タニノハローモアく間に抜き去って優勝した。

そのあと菊花賞を勝ったアサカオーは休養に入ったマーチス、帰後大事をとって回避しオープン戦に回ったタケシバオーに代わって4歳代表として有馬記念にも参戦。菊花賞の勢いもあって1番人気に推されたが、6着に終わった。

最終決戦、天皇賞(春)

年が明けて5歳となったタケシバオーは初戦で2着に敗れ、内戦7戦連続2着という前代未聞の記録を作った後ついに本格化し、ダート2100mをレコード勝ちしてついに復活。続くダート1700m戦を斤量60キロ(!?)でレコード勝ち、続く京都記念を62キロで勝ち、芝1600メートル日本レコード更新してクラシック冠に終わった辱をらすべく、それぞれ重賞を3戦して好成績を残していたアサカオー、マーチスが待ち受ける天皇賞(春)に向かった。

本番のレースではこれまでのレースが評価されタケシバオーが一番人気となる。スローペースの展開で進んだ最終直線で先頭に立ち、菊花賞と同じように追い込んで来たアサカオーに2身差をつけて悲願の八大競走初制覇を果たした。三番人気マーチスは距離限界もあったか5着であった。

その後

天皇賞(春)で2着だったアサカオーはその後に長期休養に入り、11かの後に復帰。4戦して1勝も挙げることができず、そのまま引退。三強の対決はこれきりになってしまった。

5着だったマーチスはこのあと札幌記念目黒記念を勝ったものの、八大競走天皇賞(秋)を同じく5着。年末の有馬記念では10着で結果を残すことはできず、年明けのオープン戦を勝った後引退した。

そしてタケシバオーはこの後も斤量60キロ以上を背負い芝、ダート重賞を2連勝し、去年不首尾に終わった海外へのリベンジの前戦に英国フェア開催記念(芝1200m)に出場。斤量62キロを背負ってレコード勝ちし(!???)、3強の中で1頭抜けた実績を残した。どんな馬場距離、そして斤量でもレースを勝ち、日本競馬史上初めて「怪物」と呼ばれるようになり、元祖三強と同じく現代では「元祖怪物」として知られるようになった。11月にはアメリカに再び遠征したが、この当時では世界の壁は厚かったか、7着に敗れ、これを最後に引退した。

その後は3頭とも種牡馬入りし、タケシバオー南関東三冠のハツシバオーや6年連続重賞勝利ドウカンヤシマなどの個性重賞を輩出してそこそこ健闘したが、他の2頭は産地から離れた場所であったこともあり活躍は輩出できなかった。

対戦成績(3頭のうち2頭以上が走ったレース)

競走名をクリックすると各動画へ行けます(皐月ダービー春天以外はニコニコになかったのでYouTubeリンク。その他のレースは見つからず)

マーチ タケシバオー アサカオー 参考:優勝
朝日杯3歳S 1着 3着
弥生賞exit 3着 2着 1着
日本短波賞 2着 1着
スプリングS 1着 2着 3着
皐月賞exit_nicovideo 1着 2着 3着
NHK杯 1着 2着
日本ダービーexit_nicovideo 4着 2着 3着 タニノハローモア
菊花賞exit 3着 1着
天皇賞(春)exit_nicovideo 5着 1着 2着

関連動画


関連項目

脚注

  1. *なおタケシバオー日本国内で連対を逃したレースはこれだけである。
  2. *特に東西の3歳王者がそのまま2強を形成することが多かった
  3. *この時すでにダート1700m戦を勝っていた
  4. *ちなみにこれでスプリングステークスから5連続で2着である

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