アサクサデンエン 単語


ニコニコ動画でアサクサデンエンの動画を見に行く

アサクサデンエン

5.0千文字の記事

挑み続ける者

小さな課題を
ひとつずつクリアして
ここまでやって来た

満足はしていない
まだ望んでいるものを
手にしてはいないのだから

だが心配もしていない
こんども大丈夫
自分を信頼して
新たな課題に挑むだけだ

名馬の肖像 アサクサデンエンexit

アサクサデンエン英:Asakusa Den'en、香:田園)とは、1999年生まれの日本競走馬栗毛

ヴィクトワールピサで、5歳までの下積みを経て安田記念香港史上最強スプリンターらを打ち破った外国産馬(重要)。

な勝ち
2005年安田記念GⅠ京王杯スプリングカップGⅡ

概要

Singspiel*ホワイトウォーターアフェア、Machiavellianという血統のイギリス。……こので?

シングスピール世界を股にかけ、1996年ジャパンカップなど4ヶGⅠを勝ち第2回ドバイWCも制した名日本で活躍した産駒には他にローエングリンがいる。
イギリス重賞2勝を挙げ、ヨークシャーオークス2着、セントレジャー3着などの実績がある。繁殖牝馬としては「フサイチ」の関口房朗が所有してイギリスで初のアサクサデンエンを産んだあと、社台ファームに輸入され、日本で産んだ第7ヴィクトワールピサになる。
マキャベリアンはフランスの2歳G1を2勝したで、種牡馬としてはドバイWC勝ちAlmutawakelやStreet Cryを送り出した。日本ではホワイトウォーターアフェアとハルーワスウィートの2頭が複数のGⅠを産む名繁殖牝馬となった。

というわけでヴィクトワールピサの半なのだが、歳がそこそこ離れている上に距離適性も馬主も違うので、ファレノプシスキズナ姉弟と並んで「えっお前ら兄弟だったの!?と言われがち。しかも海外GⅠであるヴィクトワールピサ下の社台産内なのに対して、のアサクサデンエンがこの名で外国産馬というのは二重に意表を突いており、「えっお前マル外だったの!?とも言われがちである。

ともあれ1999年3月22日イギリスで生まれた彼は、「アサクサ」冠名を用いる田原一郎の所有となり、「ベートーベン交響曲第6番『田園』と、昔懐かしい浅草田園風景を掛けて」アサクサデンエンと名付けられた。

浅草田園

2歳~5歳(2001年~2004年)

当歳のときに見て惚れ込んだという美河野通文調教師に預けられたアサクサデンエンは、2001年11月4日東京・芝1600mの新馬戦後藤浩輝上にデビュー。先行策から追いべをクビ差制してデビュー勝ちを飾ると、続く中山マイルひいらぎ賞500万下)では最後方から断然の上がり最速の末脚を繰り出し勝。2戦2勝で2歳を終える。

しかし河野く、当時のデンエンは「1度競馬を走るとを中心にガクッと疲れが出ました」とのことで、体質の弱さからなかなか順調にレースを使えなかった。また、調教でも競馬でも始終ヒンヒン啼くという幼さがあり、このは結局安田記念を勝つ頃まで抜けなかったらしい。
そんなわけで2勝のあと、半年休むことになって3歳をほぼ棒に振り、6月ダートユニコーンステークスGⅢで復帰したが地方ヒミツヘイキの4着。1番人気に支持された8月の芝の自己条件も6着に終わり、3歳はこの2走しかできずに終わってしまった。

明けて4歳、ようやく体質も強くなってきて順調にレースを使えるようになったものの、勝ち上がりも順調にはいかなかった。1000万下を勝ち上がるまでに5戦を要し、勝ち上がってすぐ降級。降級初戦から騎手後藤浩輝から横山典弘に交替、函館記念GⅢに格上挑戦するも終始後方のまま12着。これ以降はマイルを使われるようになった。10月11月東京マイル戦・テレビ山梨1000万下)と1400m戦・特別1000万下)を連勝して準オープンに昇格する。

しかし12月1600万下を3着に敗れたあと、今度は1年近い長期休養。10月末の自己条件で復帰し、初戦こそブービー14着に撃沈したが、2着を挟んで年末のクリスマスカップ1600万下)にて藤田伸二上に差し切り勝ち。18戦でようやくオープン入りを果たしたところで5歳を終えた。

6歳春(2005年)

明けて6歳、初戦は中山マイルニューイヤーステークス(OP)蛯名正義が騎乗したアサクサデンエンは、最後方から上がり最速で追い込むものの、先行してり込んだミッドタウンに3/4馬身届かず2着。
続いて中1週で東京新聞杯GⅢに向かい、上は横山典弘が戻って断然人気ハットトリックに次ぐ2番人気に支持されたが、後方から直線で前を閉められてしまい、進路の確保に手間取ってハットトリックの4着。

3月中山マイル岡部幸雄騎手引退記念(OP)[1]では1番人気に支持されたものの、後方から大外を追い込んだが届かず4着。

4月読売マイラーズカップGⅡでは四位洋文が騎乗。ハットトリックカンパニーローエングリンといった面々がう中、アサクサデンエンは大きく評価を下げて48.3倍の10番人気だった。スタートダッシュがつかず最後方からになったアサクサデンエンは、直線大外に出して上がり最速で猛然と追い込んだものの、ローエングリンの3着まで。

いい脚は見せるもののなかなか届かないレースが続いたアサクサデンエン。続く京王杯スプリングカップGⅡでは久々後藤浩輝が騎乗。ここでも単勝18.2倍の6番人気というポジションだったが、内から久々スタートが決まったアサクサデンエンと後藤浩輝は、これまでの後方待機ではなく内を活かして積極的に前でレースを進める。そのまま直線、内ラチ沿いから抜け出したアサクサデンエンは後続を突き放し、2馬身半差で勝。重賞初制覇を飾り、勝ち時計1:20.3の堂々たるコースレコードだった。

勢いに乗り、安田記念GⅠGⅠ初挑戦となったアサクサデンエン。しかし後藤浩輝ローエングリンに回り、デンエンの上はクリスマスカップ以来の藤田伸二となった。
この年の安田記念は、香港デビューから17連勝を飾った史上最強スプリンターサイレントウィットネスと、前走チャンピオンマイルでそのサイレントウィットネスに初をつけたブリッシュラックの参戦が話題となっていた。
迎え撃つ日本勢のメンバーダイワメジャーダンスインザムードアドマイヤマックスハットトリックローエングリンスイープトウショウカンパニーバランスオブゲームオレハマッテルゼ……と名前だけ並べて後世から見るとかなりいいメンバーに見えるが、ダメジャーノド鳴りの手術から復帰2戦ダンムーは前走京王杯SC9着、スイープは前走オープン5着、ハットトリックマイラーズC9着、高松宮記念を勝ったアドマイヤマックスマイルでも信頼できるかと言われると微妙カンパニーオレハマッテルゼは当時まだGⅠ勝利である。
じゃあ香港勢を買えばいいじゃん、と言えるかというと、どっちも日本初参戦、サイレントウィットネスは前走初マイルで負けたことから距離が長そうだし、ブリッシュラック日本に合うかは未知数……そんなわけで、馬券の決め手が全くない大混戦だった。結果、1番人気は3年前のNHKマイルカップテレグノシス5.8倍である。
ではアサクサデンエンは? なんか前走レコーでダンムー(3番人気)やアドマイヤマックス(4番人気)を蹴散らしたにもかかわらず12.3倍の7番人気。……いや、もうちょっと人気してもよくない?

何はともあれレース本番。好スタートローエングリンが引っサイレントウィットネスがそれを追う流れとなり、入り339の前傾ラップ。今回も課題のスタートが決まったアサクサデンエンは中団に構える。直線入口で群が密集した大混戦となり、群の中にいたアサクサデンエンは横で急に失速したダンスインザムードをかわして抜け出そうとしたが、先に抜け出したバランスオブゲームに前を閉められてしまう。仕方ないので外に出し、外から追い込んできたスイープトウショウ体を併せて残り200m前から脚を伸ばす。バラゲーをかわし、スイープトウショウを競り落とし、前でり込みを図るサイレントウィットネスに一歩ずつ詰め寄って、残り50mでかわしてそのままゴールへと駆け込んだ。

藤田伸二ダンツフレーム2002年宝塚記念以来(交流GⅠを含めてもアドマイヤドン2002年JBCクラシック以来)3年ぶりのGⅠ勝利に力強くガッツポーズ5歳まで条件だったアサクサデンエンは、見事にGⅠウィナーの仲間入りを果たした。

その後

安田記念の後はゆっくり休み、蛯名正義天皇賞(秋)GⅠで復帰。マイラーでしょ?と32.6倍の9番人気だったが、スローペースを前で進めてヘヴンリーロマンスの4着と好走。
年末は藤田伸二に戻して、ハットトリックとともに香港マイルGⅠに遠征したが、ハットトリックの6着に敗れた。

明けて7歳は武豊を迎えてドバイデューティーフリーG1に遠征したが、あえなく最下位15着に撃沈。帰して藤田と臨んだ安田記念GⅠではまた24.5倍の10番人気と侮られたが、ブリッシュラックに2馬身半突き放されたものの、最後方から群を突き抜けて2着に突っ込み、前年覇者の意地を見せた。

その後は1番人気に支持された毎日王冠GⅡで13着に撃沈、天皇賞(秋)GⅠは7着、阪神カップGⅡは4着に終わり、この阪神カップ左前脚の球節を痛めてしまう。

8歳となった翌2007年田原一郎オーナーが亡くなり、馬主名義は田原慶子オーナーが引き継ぐことになった。現役続行して復帰をしていたが、症状が改善せず、協議の結果10月に現役引退となった。通算31戦8勝 [8-4-5-14]。

引退後はSingspielの後継としてブリーダーズ・スタリオンステーション種牡馬入り。30万円という格安の種付け料もあってか初年度は81頭、2~4年も61頭、79頭、79頭とまずまず順調にを集めたが、地方ではともかく中央では初年度産駒が20頭デビューして勝ち上がりは1頭だけという結果ではあっさり見切りを付けられてしまい、5年2012年限りで種牡馬引退
4年産駒ジャジャウマナラシが2014年兵庫JGを勝ったのが一の交流重賞制覇で、地方を含めて重賞も3頭に留まったが、NARグランプリの2歳部門受賞を2年続けて出した。

種牡馬引退後は社台ファームで従業員の乗訓練を担当したのち、2017年に南ライディンパークに譲渡された。2023年、同じパークにいるザッツザプレンティともども、「ナイスネイチャ・35歳バースデードネーション」の支援となり、現在も南ライディンパークで余生を過ごしている。

血統表

Singspiel
1992 鹿毛
In the Wings
1986 鹿毛
Sadler's Wells Northern Dancer
Fairy Bridge
High Hawk Shirley Heights
Sunbittern
Glorious Song
1976 鹿毛
Halo Hail to Reason
Cosmah
Ballade Herbager
Miss Swapsco
*ホワイトウォーターアフェア
1993 栗毛
FNo.8-d
Machiavellian
1987 黒鹿毛
Mr. Prospector Raise a Native
Gold Digger
Coup de Folie Halo
Raise the Standard
Much Too Risky
1986 栗毛
Bustino Busted
Ship Yard
Short Rations Lorenzaccio
Short Commons

クロスHalo 3×4(18.75%)、Natalma 5×5(6.25%)

主な産駒

関連動画

関連リンク

関連項目

脚注

  1. *この日の10Rに組まれていた東風ステークスを名称変更して最終12Rとして施行した。
この記事を編集する
関連記事

親記事

子記事

  • なし

兄弟記事

掲示板

掲示板に書き込みがありません。

おすすめトレンド

ニコニ広告で宣伝された記事

記事と一緒に動画もおすすめ!
もっと見る

急上昇ワード改

最終更新:2025/12/08(月) 13:00

ほめられた記事

最終更新:2025/12/08(月) 13:00

ウォッチリストに追加しました!

すでにウォッチリストに
入っています。

OK

追加に失敗しました。

OK

追加にはログインが必要です。

           

ほめた!

すでにほめています。

すでにほめています。

ほめるを取消しました。

OK

ほめるに失敗しました。

OK

ほめるの取消しに失敗しました。

OK

ほめるにはログインが必要です。

タグ編集にはログインが必要です。

タグ編集には利用規約の同意が必要です。

TOP