サッカー韓国代表とは、大韓サッカー協会(KFA)によって構成されるサッカーの韓国代表チームである。愛称はアジアの虎。ユニフォームは、ホームではシャツとパンツが赤、アウェイは黒。
韓国代表 | |||
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国旗 | |||
協会 | KFA | ||
大陸 | AFC(アジア) | ||
FIFAコード | KOR | ||
FIFA加盟 | 1948年 | ||
監督 | ユルゲン・クリンスマン | ||
FIFAワールドカップ | |||
出場 | 11回 | ||
最高成績 | ベスト4(1回) | ||
アジアカップ | |||
出場 | 15回 | ||
最高成績 | 優勝(2回) |
FIFAワールドカップではアジア勢最多の出場11回を誇るアジアの強豪。愛称である「アジアの虎」は協会のシンボルマークである虎にちなんだものである。2002年以降はソウルワールドカップ競技場をホームスタジアムとして使用している。
ワールドカップには1954年スイス大会に初出場。1986年メキシコ大会から11大会連続で本大会に出場している。また、AFCアジアカップは第1回大会から参加し第1回、第2回と2連覇している。
地理的な近さと歴史的背景からかサッカー日本代表とはライバル関係にあり、日韓戦は妙に盛り上がる。1953年に日本と初めてワールドカップ予選で対戦した際、選手たちは当時の李承晩大統領から「負けたら、そのまま玄界灘に身を投げろ」とまで言われたエピソードがある。
国内リーグであるKリーグは観客動員に苦しんでいるものの、代表チームの国民的人気は高く、「プルグン・アンマ」と呼ばれる熱狂的なサポーターがスタジアムを赤く染め、試合中は「テーハミング」の大声援でチームを後押しする。
ワールドカップ本大会ではなかなか勝利を挙げられなかったが、日本と共催した2002 FIFAワールドカップで初勝利。フース・ヒディンクに率いられたチームは決勝トーナメントに進出しイタリア、スペインを破って4位となった。審判の露骨なホームタウンディシジョンなど色々な問題が指摘されているもののこれはアジアのチームのワールドカップにおける最高の成績である。
代表選手にはチャ・ボムグン、パク・チソン、ソン・フンミンら欧州のトップリーグで高く評価されている選手がおり、近年は欧州でプレーする選手が増えている。フィジカルとスピードを重視したスタイルが伝統的だが、近年はパスワークからコレクティブに崩すサッカーに着手している。
初試合は1948年。FIFAワールドカップには、1954 FIFAワールドカップ・スイス大会からの参加となり、アジア予選で日本に勝利し本大会へ初出場している。本大会では初戦で当時世界最強と言われたハンガリー相手に0-9で大敗するなど世界との差は歴然で、2試合16失点を喫し、グループリーグ全敗で敗退。なお、このとき1週間をかけてスイスまで渡航しており、到着したのは試合開始数十時間前だった。
1956年に開催された第1回のAFCアジアカップでは優勝し、初代のアジア王者に輝いている。また、1960年に自国開催となった第2回のアジアカップでも全勝で連覇している。もっともこの2連覇を最後にアジアカップのタイトルからは遠のいている。
初出場した1954年以降のワールドカップでは、長らくアジアの壁を突破できずに本大会への切符を掴めずにいた。転機になったのは、1983年。この年国内にプロリーグが創設され、選手のレベルが飛躍するようになる。さらに、ドイツのブンデスリーガでチャ・ボムグンがブレイクするようになり、代表チームの強化にもこれまで以上に力が入るようになっていった。
1986 FIFAワールドカップ・メキシコ大会のアジア予選では最終予選まで勝ち抜き、日本とのホーム&アウェイの試合で勝利し、32年ぶり2度目の本大会出場を決めている。チャ・ボムグンを擁し挑んだ本大会では初めて勝ち点1を獲得したものの、アルゼンチン、イタリアという強豪に歯が立たず、1分2敗でグループリーグ敗退に終わる。
1990年代に入ると、アジア最強国として定着するようになり、3大会連続でワールドカップ出場権を獲得。しかし、1990 FIFAワールドカップは3戦全敗、1994 FIFAワールドカップと1998 FIFAワールドカップではいずれも1分2敗と1勝も挙げることができずにグループリーグ敗退に終わっている。
日本との共同開催となった2002 FIFAワールドカップ・日韓大会では、大会での躍進を狙ってオランダの名将フース・ヒディンクを監督として招聘する。ホン・ミョンボやユ・サンチョルらベテランにパク・チソン、イ・チョンスといった若手が融合したバランスの取れたチーム作りを実施。本大会では初戦のポーランド戦でW杯初勝利を挙げると、第2戦ではアメリカと引き分けに持ち込み、第3戦のポルトガル戦ではパク・チソンが値千金の決勝ゴールを決め、6度目の出場で初めてグループリーグを突破する。ラウンド16では強豪イタリアを延長戦でのアン・ジョンファンの決勝ゴールで勝利する大金星を挙げる。しかし、このイタリア戦ではパオロ・マルディーニの後頭部を蹴るなど試合中の暴力的なラフプレーが見逃される、フランチェスコ・トッティの不可解な退場など度重なる韓国贔屓の判定が取り沙汰されている。準々決勝のスペイン戦もPK戦の末に勝利したが、この試合でも韓国に有利な誤審が問題となり、一部では主審と大韓サッカー協会の癒着が疑われるほどだった。結局、準決勝でドイツに敗れ、3位決定戦でもトルコに敗れてしまうが、アジア勢では史上初となるベスト4という成績を残し、韓国にとっては大成功の大会となった。
2006 FIFAワールドカップ・ドイツ大会は初戦のトーゴ戦に勝利し、第2戦ではフランス相手に引き分けたものの、第3戦でスイスに敗れ、グループリーグ敗退となる。
2010 FIFAワールドカップ・南アフリカ大会では、パク・チソンやイ・チョンヨンといった海外で活躍する選手を中心としたメンバーで臨み、初戦でギリシャを相手に2-0で勝利し好スタートを切る。第2戦のアルゼンチン戦では、ゴンサロ・イグアインのハットトリックを許し大敗するが、第3戦のナイジェリア戦はリードを守り切れずに引き分けながらもグループ2位を確定させ、自国以外のワールドカップで初となるベスト16入りを果たした。ラウンド16ではウルグアイを相手に善戦したものの、ルイス・スアレスの2ゴールの前に敗れている。
翌年のAFCアジアカップ2011を最後にパク・チソンが代表を引退。一方、この大会の準決勝の日本戦では、ゴールを決めたキ・ソンヨンが日本人への侮辱を意味する猿真似をおこなう。さらには猿真似の理由を旭日旗に腹が立ったと言い訳をしたことで、以降韓国側から旭日旗に対するクレームが頻発されるようになり、日韓関係をさらに悪化させることになる。2012年のロンドンオリンピックでは、U-23代表が3位決定戦で日本とのアジア対決を制し、初となる銅メダルを獲得。しかし、試合後の表彰式でパク・チョンウが「独島(竹島)はわれわれの領土」と韓国語で書かれたメッセージを掲げた政治的主張が物議を醸す。
韓国サッカーのレジェンドであり、U-23代表を銅メダルに導いたホン・ミョンボが監督としてチームを率いた2014 FIFAワールドカップ・ブラジル大会だったが、ギリシャ、アルジェリア、ベルギーを相手に1分2敗という成績でグループリーグ敗退に終わる。大会後、一度は続投となったホン・ミョンボだったが、選手との不適切な関係性が批判を集め、辞任に追い込まれる。後任にはドイツ人のウリ・シュティーリケが就任。
AFCアジアカップ2015では、グループリーグでは開催国のオーストラリアに勝利するなど3戦全勝で突破し、決勝トーナメントに入ってもウズベキスタン、イラクを破り1988年大会以来となる決勝進出を果たす。55年ぶりの優勝に大きな期待がかかる中、決勝では再びオーストラリアと対戦。敗色濃厚となりながら試合終了間際のソン・フンミンのゴールで一度は同点に追いつくが、延長戦の末に敗れ、準優勝に終わる。その後チーム状態は思わしくなく、2017年にシュティーリケは解任となり、後任となったシン・テヨンがロシアワールドカップ本大会出場に導く。
2018 FIFAワールドカップ・ロシア大会は、最初の2試合であるスウェーデン戦、メキシコ戦に連敗し早々にグループリーグ敗退が決まってしまう。しかし、第3戦のドイツ戦では0-0のまま試合終了間際にキム・ヨングォンとソン・フンミンが連続ゴールを決めて大金星を挙げる。この敗戦でドイツは史上初のグループリーグ敗退という結果になり、前回王者を道連れに大会を去る形になった。ちなみに第2戦のメキシコ戦では大会最多ファウル数を記録している。
ロシアワールドカップ後、元ポルトガル代表監督のパウロ・ベントを招聘し、ポゼッションから相手を崩すスタイルを模索するようになる。AFCアジアカップ2019ではベスト8敗退、2021年と2022年の日韓戦では日本にいずれも0-3で完敗するなど試行錯誤が続いていたが、2022 FIFAワールドカップアジア最終予選ではグループAをイランに次ぐ2位で突破し、本大会出場権を獲得している。
2022 FIFAワールドカップ・カタール大会では、エースのソン・フンミンが大会直前に左眼窩系骨折を負うアクシデントに見舞われ不安を抱えていた。初戦はウルグアイを相手に0-0で引き分け、まずまずのスタートを切るが、続くガーナ戦は後半追い上げたものの2-3で敗戦。しかし、第3戦ではすでに突破を決めて主力を温存していたポルトガルを相手に試合終了間際のファン・ヒチャンの劇的なゴールで勝利を飾る。この結果、総得点の差でウルグアイを上回り、絶望的な状況から大逆転で2010年大会以来の決勝トーナメントを果たす。しかし、ラウンド16では優勝候補最右翼と見られたブラジルにまるで歯が立たず、前半だけで4失点を喫する大敗でベスト16敗退となる。
ワールドカップ後、ベント監督は退任。後任には元ドイツ代表監督のユルゲン・クリンスマンが就任。ソン・フンミン、キム・ミンジェ、イ・ガンインを擁して挑んだAFCアジアカップ2023だったが、グループリーグでよもやの苦戦。第3戦では格下のマレーシアを相手に引き分け、2位での突破となる。それでもラウンド16のサウジアラビア戦、準々決勝のオーストラリア戦と2試合続けて120分を超える激闘となるが、エースのソン・フンミンの活躍で勝ち上がる。しかし精根尽きた準決勝ではヨルダンを相手に完敗。またもやアジア王者の座に就くことはできなかった。
大会後、ヨルダン戦の前日にソン・フンミンとイ・ガンインら若手選手が揉めたことが発覚。この出来事は韓国国内で大きな騒動となり、イ・ガンインに対して激しいバッシングが起きてしまう。さらに、就任直後から批判の集まっていたクリンスマン監督が解任となる。
ワールドカップを戦った監督は太字。代行は除く。国旗が付いているのは外国人監督。
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最終更新:2024/03/29(金) 14:00
最終更新:2024/03/29(金) 14:00
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