セントサイモン(St. Simon)とは、1881年生まれのイギリスの競走馬。後に大種牡馬。超天才とキチガイは紙一重を地でいった名馬である。
父Galopin、母St. Angela、母父King Tomという血統。期待されない血統、変な馬体ながら、走らせてみれば時に20kg以上のハンデを与えながら2歳戦で4戦4勝。その後に行われたマッチレースでは相手の陣営がセントサイモンを「乞食野郎」と罵倒したことに調教師が激怒したことに端を発し、わざと相手に着差を縮めさせるという舐めプをしながら勝利。3歳になっても走るレースが単走になったりしながら連勝を続け、結局故障で引退を余儀なくされるまでに10戦10勝という完璧な成績を残して種牡馬入りした。
最初の馬主が死亡したためクラシック登録は無効となってしまい、クラシック出走は叶わなかったが、引退レースとなったグッドウッドカップではダービーをハーヴェスターとの同着で勝利したセントガティエンを除くその年のクラシックホースを全て20馬身以上後方に葬り去っている。
種牡馬入りしてからは産駒が走る走る。ノーザンダンサーもサンデーサイレンスも真っ青な大活躍を見せ、イギリスのリーディングサイアーに9回も輝き、産駒も種牡馬として大成功。一気にセントサイモン系を築き上げ、20世紀初頭にはイギリス重賞の半分以上をセントサイモン系が占めたとか。
父系こそ繁栄し過ぎて、後述するセントサイモンの悲劇という血の飽和が起こり一度衰退、末裔のプリンスローズやボワルセル、ワイルドリスク、リボーらが種牡馬として大成功を収めた1950~70年代に再興したものの、それらも2021年現在は完全に衰退してしまい、馬術競技用の馬であるセルフランセ種で多少残っている程度だという。しかし牝馬を通じてセントサイモンの血は世界中に広がり、現在、セントサイモンの血を引かないサラブレッドは存在しないまでになっている。
「イギリス競馬の見たおそらく史上最高の競走馬」それがセントサイモンである。
…………とまあ、競走馬としても、種牡馬としても類稀な功績を残したセントサイモンであるが、現代でセントサイモンの名前が出ると、真っ先に思い浮かべられるのは、「セントサイモンの悲劇」という、競馬界におけるネガティブな教訓だろう。
端的に言うと、
という、短期間の極端な血の偏りが、却って衰退を招いてしまったという事例である。
当時(19世紀)は、種牡馬や繁殖牝馬の輸出入(特に海を渡るようなレベル)が、現在ほど頻繁ではなく、余計に狭い地域で馬産界が完結していたため、こういった血の偏りと、それによる交配の袋小路が発生しやすかったと考えられる。かつ、この当時、イギリスの無駄に誇り高い貴族生産者が、顕著に優秀な結果を出していたアメリカ産牝馬に「血統を汚染」されることに逆ギレして作った、悪名高き「ジャージー規則」によってイギリスの生産界からアメリカ産牝馬を締め出し血の偏りを加速させ、自分で自分の首を締めてしまったということもある。
それでもなお、現在においても、交配は数世代先の事も考えて、上手くバランスを取るべきという現代馬産の考えの基幹を為す、歴史上の戒めである事は間違いない。
ただし、この「悲劇」は、当時圧倒的な競馬先進国であったイギリスで生じたがゆえにそのインパクトも大きかったが、無論セントサイモンの血はイギリスの中に閉じ込められたわけではない。フランスに輸出されたセントサイモンの子ラブレーは、フランスという地に渡ったがゆえに「悲劇」の影響の直撃を受けず種牡馬として成功し、その子アヴレサックは、セントサイモン2×3,5という極度の近親交配をされながら、さらに競馬後進国であるイタリアへ渡り、その地で競走馬としても種牡馬としても大活躍した。イタリアは後進国であるがゆえに、フランス以上に「悲劇」の影響からは遠かった。
そのイタリアには、歴史上最も偉大な競走馬生産者とも称される「ドルメロの魔術師」フェデリコ・テシオがいた。テシオが生産したアヴレサック牝馬のノガラは競走馬としてもイタリア1000ギニーと2000ギニーを勝ち、さらに競走馬として14戦全勝、ノーザンダンサーや*サンデーサイレンスの父祖である大種牡馬ネアルコを生んだ。またテシオがアヴレサックから繋いでいった父系の先には、歴史上最も偉大な競走馬の一頭に数えられるリボーがいる。イギリスでは一度完全に途絶えてしまったセントサイモン直系の父系も、引退後アメリカに渡ったリボーによって残っている。そして全世界にセントサイモンの血を広く残したのは、ネアルコとその孫ノーザンダンサーの功績であることは言うに及ばない。
そして日本はというと、セントサイモン活躍当時は開国と明治維新により西洋種の馬が導入されたばかりの馬産後進国。しかも極東という言葉が示すとおりヨーロッパからは非常に遠く飛行機も無い時代故、馬の輸入には膨大な時間と資金がかかる。しかし当時の陸上での機動兵力は騎兵であり、日本在来馬は西洋種と比べると馬格などで劣ることから、軍馬の改良も(特に日露戦争後)急務とされた。そこで、国営や財閥運営の大牧場により海外から血統や品種に関わりなく繁殖馬が多く輸入され、当然の事ながらセントサイモンの血を引くサラブレッドも種牡馬・繁殖牝馬に関わりなく多く日本に持ち込まれた。*ダイヤモンドウェッディング(父父)、*トウルヌソル(4×4)や*ダイオライト(5×4)などが有名である。そして、輸入繁殖馬の産駒は戦前の大競走戦線を総ナメにし、戦後も血を引く馬が活躍。また*ノーザンテースト、マルゼンスキーや*サンデーサイレンスなどといった戦後新たに輸入された馬もまたノーザンダンサーなどを通じてセントサイモンの血を引いていたため、更に遺伝子が広まることとなった。戦前から高度成長期あたりにかけて非セントサイモン系の血統が淘汰された結果、2021年現在日本で生産されるサラブレッドは全てセントサイモンの血を引いており、特に日本ダービーの優勝馬は1934年の第1回の優勝馬で*トウルヌソル産駒のワカタカ以来、全馬がセントサイモンの血を引いている。
世界的に見てもセントサイモンの血を引かない馬がダービーを勝ったのはエプソムダービーが1922年、ケンタッキーダービーが1924年、主要国ではフランスダービー(ジョッケクルブ賞)の1933年が最後。また、サラブレッドの遺伝子プールの10%前後はこのセントサイモン由来のもので、他に1割近い遺伝子を現代まで引き継いでいる馬はサラブレッド確立期以前の馬からエクリプスなど草創期の馬くらいしかいないという。
かように、イギリス一国から目を転じてみれば、むしろこれは悲劇でもなんでもない成功劇にすらなる。「血を広げる」ということの意味を思ってしまう歴史である。
余談ながら、偉大な名馬なはずのセントサイモンには、あんまり語り伝えたくないような伝説が山ほどある。
それは偏に彼の気性に由来する。彼は物凄く気性が悪かったのである。悪いったって、半端な悪さではないのである。それはもう、あのサンデーサイレンスがかわいく見えるレベルであった。
しかし、そんな彼にも弱点があった。何故か傘を見るとビビってしまうのだ。そこでこのことを発見した後はステッキを傘に見立てて言うことを聞かせたという。
1年しか走っていないとはいえ、よくもまあこんな馬がレース生活を全うし、種牡馬になったものだとあきれ果てる。しかも種牡馬として大成功したのだから恐ろしい。現在存在するサラブレッドにはこの馬の血が必ず入っておりさらに遺伝子のうち10%前後がセントサイモン由来とさえ言われている(サラブレッドはごく少数の例外を除き両親ともサラブレッドなので、両親どうしで多少割合が異なるとしても、馬種としてのサラブレッド全体を見るとこの割合が希釈されることは今後もほぼ起こりえない)ので、気性が悪い馬が出た場合、大体こいつのせいだと考えていいのではないだろうか。
なお、彼の息子にダイヤモンドジュビリーという馬がいる。日本に輸入された*ダイヤモンドウェッディングの父で、2頭の全兄も日本馬の祖先として血統表に名を残している他、競走生活でも英国クラシック三冠馬となるなど、セントサイモンの子の中でも最上級に位置する成績を残した馬であるが、この項で取り上げるからには、理由はお察しください。セントサイモンの子の中でも最悪の気性と言われた彼についたアダ名は「悪魔の子」である。
Galopin 1872 鹿毛 |
Vedette 1854 黒鹿毛 |
Voltigeur | Voltaire |
Martha Lynn | |||
Mrs. Ridgway | Birdcatcher | ||
Nan Darrell | |||
Flying Duchess 1853 鹿毛 |
The Flying Dutchman | Bay Middleton | |
Barbelle | |||
Merope | Voltaire | ||
Juniper Mare | |||
St. Angela 1865 鹿毛 FNo.11-c |
King Tom 1851 鹿毛 |
Harkaway | Economist |
Fanny Dawson | |||
Pocahontas | Glencoe | ||
Marpessa | |||
Adeline 1851 鹿毛 |
Ion | Cain | |
Margaret | |||
Little Fairy | Hornsea | ||
Lacerta |
クロス:Voltaire 4×4(12.5%)、Sultan 5×5(6.25%)
エクリプスを祖先に持つとされているが、実はこの血統書にはミスがあるとも指摘されており、近年のサラブレッドの遺伝子解析により実はヘロド系だったのではないかと言われている。1世紀以上も前の事でもはや訂正することも出来ないため真相は神のみぞ知る。
主な子孫たち
St. Simon 1881
|La Fleche 1889
|Florizel II 1891
||Doricles 1898
|||Consols 1908
||||Massine 1920
|||||Etalon Or 1936
||||||Element 1952
|||||||Anilin 1961
||*フロリースカツプ 1904
|Persimmon 1893
||Sceptre 1899
||Prince Palatine 1908
|||Rose Prince 1919
||||Prince Rose 1928 →プリンスローズの記事参照
|St. Frusquin 1893
||Rosedrop 1907
|Diamond Jubilee 1897
||*ダイヤモンドウェッディング 1905
|||バンザイ 1921
|William the Third 1898
||Winkipop 1907
|Rabelais 1900
||Havresac 1915
|||Cavaliere d'Arpino 1926
||||Bellini 1937
|||||Tenerani 1944
||||||Ribot 1952 →リボーの記事参照
|Chaucer 1900
||Prince Chimay 1915
|||Vatout 1926
||||Vatellor 1933
|||||*パールダイヴァー 1944
||||Bois Roussel 1935
|||||Migoli 1944
||||||Gallant Man 1954
|||||*ヒンドスタン 1946
||||||ヤマトキヨウダイ 1960
||||||シンザン 1961
|||||||ミホシンザン 1982
||||||ダイコーター 1962
|||||||ニシノライデン 1981
||||||エイトクラウン 1962
||||||リュウファーロス 1963
|||||||アンドレアモン 1979
|||||ヒカルメイジ 1954
||||||アサホコ 1960
||Selene 1919
掲示板
77 ななしのよっしん
2023/10/22(日) 14:23:59 ID: PlLKGxE8j/
大種馬の歴史見てると
こいつ→ネアルコ→ネイティヴダンサーって感じかな
78 ななしのよっしん
2024/03/09(土) 04:29:23 ID: ybaoyOu9S1
肌馬だとムムタズマハルが近代競馬に欠かせないレベルで血統に組み込まれた異常繁殖牝馬だから「近代競馬のスピードを1段階上げた馬」ザテトラークもかなり偉大だと思うよ
ザテトラーク自身はアタオカ過ぎて種付が嫌いで子孫がまるで残せなかったのが致命的だっただけで少ない産駒で英リーディング取るくらいにはポテンシャルはあったし
79 ななしのよっしん
2024/03/16(土) 05:14:59 ID: j+m8mhIkZ+
流石にここまでじゃないだろうけど……向こうは今はガリレオの血が入った馬だらけと聞いてふと思い出した
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最終更新:2024/05/14(火) 01:00
最終更新:2024/05/14(火) 01:00
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