土8戦争 単語

3件

ドハチセンソウ

6.4千文字の記事
  • twitter
  • facebook
  • はてな
  • LINE

土8戦争とは、土曜日8時のテレビ番組で繰り広げられた視聴率争いのことである。

概要

土曜日8時という時間帯は、かつては翌日が日曜日の週末ということもあって各テレビ局が最も力を入れた番組を放送してきた1時間である。その中でも特に熾な視聴率争いをした番組を讃える場合にこの表現を使うことが多い。

家 (うち) なる戦い

 視聴率争いだけを見ればテレビ局間の戦争であるが、家族間で見たい番組が異なり、大きないさかいとなることもしばしばであった。特に土8枠はその番組の内容もさることながら、親・兄弟間の全面戦(ただの喧嘩) が若かりしころの記憶として裏に焼きついている者も少なくない。

土8戦争の系譜

基本的にTBSテレビ vs フジテレビの構図を崩すことなく推移していった。

1960年代~1970年代

コント55号の世界は笑う(フジテレビ) VS 8時だョ!全員集合(TBSテレビ)

アドリブの面さで1960年代末に一世をしたコント55号萩本欽一坂上二郎)が、フジテレビ平日正午バラエティ番組「おゴールデンショー」での人気を足がかりに土曜20時に「コント55号世界は笑う」というバラエティ番組を1968年スタート。こので放送されていた「マイティジャック」の視聴率低迷に伴う期終了と仕切り直しのための移動でいてしまったのを補う埋め番組の側面もあったが、番組開始から1年と経たずに視聴率30%える大人気番組となる。
1960年代当時、ゴールデンタイムのどん中である20時台にコント番組を放送すること自体が異例であったが、この番組の成功によりお笑い番組の地位がランクアップしたという評価もされている。
一方、当時海外ドラマや自局製作ドラマを放送していたものの人気を食われて低迷していたTBSは、この人気番組に対抗する形で、ザ・ドリフターズによる練りこまれたコント番組をぶつけっ向勝負に出た。これがあの伝説的番組となる「8時だョ!全員集合」の始まりである。1969年10月に始まった同番組は一気に世界は笑う」の人気を奪い、翌1970年には終了に追い込んだ。
以降、「全員集合」は土8の王者として長らく君臨することとなる。

8時だョ!全員集合(TBSテレビ) VS 欽ちゃんのドンとやってみよう!(フジテレビ)

1974年ザ・ドリフターズ荒井注が突如脱退を発表。志村けんへのメンバーチェンジが行われたが当初はなかなか人気が出ず、低迷期に入ってしまう。
この混乱に乗じるように、1975年フジテレビ萩本欽一メインバラエティ番組である「ちゃんのドンとやってみよう!」(ドン)をスタートさせる。元々はニッポン放送ラジオ番組としてスタートしたものをテレビ番組移植させたこの「ドン」は視聴者からの投稿ネタを中心にアドリブ体の番組構成を取り、一時は「全員集合」を抜いた。

しかし、1976年に入り志村けんが「東村山音頭」を大ヒットさせ、ザ・ドリフターズの第二次黄金期に突入。再び形勢が逆転し「全員集合」が覇権を奪い返し、1980年の「ドン」の一時終了で退けた。
ドン」自体は1981年に再び新シリーズを開始し復活するものの、放送月曜21時に移動し土8戦争から撤退している。

競合他局の動向

TBSフジテレビ以外での土8の動向として特筆すべきは、NETテレビ(現:テレビ朝日)の独自編成である。
1972年、当時視聴率50%えまで記録した「全員集合」の圧倒的人気を切り崩すため、敢えてこの土曜20時という時間に特撮アニメ番組を編成するという奇策に出る。
1971年に放送が始まり大ブームとなった「仮面ライダー」を見ている子供視聴者をそのまま誘導し、ドリフの圧倒的子供人気を奪おうと画策したのだ。
この中から「人造人間キカイダー」「キカイダー01」「デビルマン」「キューティーハニー」といったヒット作が生まれ、「全員集合」1強状態だった1972年1974年当時にある程度のを開けることに成功した。

1980年代~1990年代前半

8時だョ!全員集合(TBSテレビ) VS オレたちひょうきん族(フジテレビ)

ドン」終了後、フジテレビ若者向けのテレビドラマを編成したものの軒並み低視聴率を連発。再び「全員集合」の下が続くものと思われていた。
ここで、1980年爆発した漫才ブームで頭を現した若手お笑い芸人を集結させて新たにバラエティ番組を製作することでフジテレビは起死回生に出た。これが1981年スタートした「オレたちひょうきん族」である。

ビートたけしを中心に、明石家さんま島田紳助片岡鶴太郎山田邦子といった新世代のお笑い芸人による時代に寄り添った過アドリブ性の高い数々のコントが受け、「全員集合」と熾な消耗戦を戦った。

次第に「ひょうきん族」自体がフジテレビ大躍進徴的人気番組となり、「全員集合」の底した計算高いコントを古臭いものと一蹴させるような時代の空気すら作り出していくことに成功する。そして、1985年。「全員集合」は王座の座を譲り渡すように番組終了を迎え、ついにお笑い界の世代交代が起こった。

通常、土8戦争というとこの争いのことをすことが多い。

オレたちひょうきん族(フジテレビ) VS 加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ(TBSテレビ)

土曜20時覇権を得た「ひょうきん族」であったが、その王座の時代はそれほど長くは続かなかった。
次第にビートたけしが情熱を失い番組収録をサボるようになり、徐々に番組の勢いが低下していく。さらに1986年の年末にフライデー襲撃事件を起こして逮捕されるという事態を引き起こし、半年間の謹慎期間中に明石家さんまが「ひょうきん族」の屋台として支えたものの、全にかつての追い上げ期のような精を失ってしまった。

一方、「全員集合」のリベンジを図ったTBSドリフターズの中から特に人気者であった志村けん加藤茶を選抜し、「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」を1986年スタートさせた。生放送舞台コントという制約があった「全員集合」から転換し、メインコーナーの「THE DETECTIVE STORY」では時に大規模ロケまで敢行する収録コメディで対抗した。このコーナーから「だいじょぶだぁ太鼓」が人気を博す。また、志村けん考案の「おもしろビデオコーナー」も「世界初の視聴者投稿ホームビデオ紹介コーナー」という新しさで好評を博す。

1989年、潮時と判断したビートたけしの最終決断が決め手となって「ひょうきん族」は終了した。

加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ(TBSテレビ) VS ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!(フジテレビ)VS マジカル頭脳パワー!!(日本テレビ)

フジテレビの「ひょうきん族」の後番組は、当時木曜21時台で絶大な人気を誇っていた「とんねるずのみなさんのおかげです」がクール単位で休止、その期間中のつなぎ番組をやったウッチャンナンチャン実績が認められ、「ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!」であった。
内村光良運動神経の良さを活かしたアクションコント映画ドラマ底したパロディコントなどが人気となり、南原清隆も「ナンチャンをさがせ!」の体当たりロケで町並みに紛れた。内村演じるマモー元ネタは「ルパン三世 ルパンVS複製人間」の同名キャラ)がリリースした「マモーミモー・情熱の」が大ヒットウンナンダウンタウンらと並び、新世代のスターへ駆け上っていた。

一方、同じ1990年日本テレビも「打倒加トケン」を掲げて新番組を投入する。それが「マジカル頭脳パワー!!」である。板東英二会に据え、解答者に所ジョージ・俵孝太郎・千堂あきほ・間寛平などを置いたこの番組は、知識ではなく発想力や頭の柔らかさをめる新感覚のクイズ番組として徐々に人気を上げていった。

TBSフジテレビの戦いに日本テレビまで参入して大混戦となったが、1992年1994年にこの戦いは止んでしまう。

1992年マンネリ化を迎えた「加トケン」は「KATOKENテレビバスターズ」へリニューアルされる。しかし、当時のTBS社長の一で行ったという番組大改編に巻き込まれて終了。これにより「全員集合」以来22年半も続いたドリフ自体も終了に追い込まれた。
1993年、「やるやら」も番組収録中に起こった出演者の死亡事故をきっかけに打ち切りに追い込まれる。
1994年人気番組になっていたものの、局としてのキラーコンテンツとして度々編成される読売ジャイアンツ戦中継によって休止が多かった「マジカル」も木曜日に移動し、土8戦争はひとまず終焉する。

競合他局の動向

一方、テレビ朝日アニメから撤退し時代劇を投入。他局とは異なる独自編成を続行するも、その中で「暴れん坊将軍」が人気を得ることに成功した。
松平健人気確立させた「暴れん坊将軍」は途中で放送時間を変えた(後述)ものの、足掛け30年、全832回という大長寿時代劇となり、テレビ朝日を代表する時代劇となった。

テレビ東京は、プロレス中継を編成するも撤退、その後「全員集合」終了後に「土曜スペシャル」を編成した。低予算の旅番組を中心とした単発特番であり、相も変わらず最下位を独走するも、20年以上の地な努力の結果、2010年代にはこの時間帯の視聴率戦争に大波乱を巻き起こすこととなる。

日本テレビは、従前よりレギュラー番組の傍らシーズン中は読売ジャイアンツ戦中継を中心に編成。しかし、これによりレギュラー番組の休止が相次ぎ「マジカル」までなかなかこの争いに参入できない状況が続いた。

ちなみに、「オレたちひょうきん族」がレギュラー放送化し「8時だョ!全員集合」との突が始まった同じに、日本テレビで「ダントツ笑撃隊!!」というお笑い番組が放送開始していた…のだが、僅か3ヵ打ち切りとなり、土8戦争の一に食い込めなかったという歴史がある。ちなみにザ・ぼんちとコント信号はこっちに出演していた(番組終了後コント信号とおさむは「ひょうきん族」に出演)。
また、その1年前から同じで「爆笑ヒット大進撃!!」という前身番組があり、後に「ひょうきん族」で人気となる若手お笑いタレントが多数週替りで出演していた。しかし、半年後に番組として始まった「ひょうきん族」のパイロット版が始まり、「爆笑ヒット~」に出演していたメンバーの多くが「ひょうきん族」へと移ったため同番組に出演出来なくなり、大打撃を受けたという歴史がある。「ひょうきん族」が潰したのはドリフではなく、「ひょうきん族」と似たようなメンバーで土8戦争に挑もうとしていた日本テレビの方だったのかもしれない…

1990年代後半~平成終焉前後

「めちゃ2イケてるッ!」(フジテレビ)の時代

1990年代半ばに土8戦争という言葉が形骸化してしまった後、この土曜20時覇権を握ったのはフジテレビであった。

土曜23時半に放送されていた「めちゃ2モテたいッ!」(1995年1996年)をゴールデン昇格させる形で1996年に始まった「めちゃ2イケてるッ!」は、メインキャストナインティナイン人気という追いもあり、開始後すぐに人気番組となった。
開始当初から「平成ひょうきん族」を自称していたが、スタジオコントメインだった「ひょうきん族」とは異なり、底したロケ収録企画ゲームコーナー体とし独自性を生み出した。

同時期には裏番組で「暴れん坊将軍」や「どうぶつ奇想天外!」(TBSテレビ)も人気を得ていたものの、1999年に「暴れん坊将軍」、2000年に「奇想天外」が移動してからはほぼ「めちゃイケ」1強状態で2000年代を駆け抜けていった。

「めちゃ2イケてるッ!」の陰りから終了に至るまで

めちゃイケ」の下に陰りが見え始めたのは、2006年山本不祥事による強制降2010年岡村隆史病気療養による休業である。2006年山本により「めちゃイケ」はそれまでの番組の構成を転換せざるを得なくなる中、日本テレビは「世界一受けたい授業」を投入。同番組は高い視聴率を獲得、「めちゃイケ」としては初の本格的な競合番組となった。
これに乗じたか2008年にはTBSテレビがこの時間帯にドラマを投入。「ROOKIES」や「MR.BRAIN」などが人気作となったが、それ以外の作品はあまり人気を得られず2010年に撤退している。
そして、番組の大柱として動いていた岡村の休業は山本以上の大打撃をり、「めちゃイケ」は新メンバー追加という対策でこれを乗り越えようとした。しかし、岡村はわずか半年で復帰。増えた新メンバーを生かす術を練る前に元の体勢に戻ることとなり、せっかくの新メンバーを上手く生かせなかった。

ほぼ期を同じくして、「世界一受けたい授業」に加え、「池上彰ニュースそうだったのか!!」(テレビ朝日)、「土曜スペシャル」(テレビ東京)といった裏番組が力をつける。「そうだったのか!!」は長らくテレビ朝日が取り組んできた池上彰シリーズの地盤を受け継ぐような形で安定、「土曜スペシャル」は「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」や「出川哲朗充電させてもらえませんか?」が不定期放送ながらも出演者のキャラクター性なども相まり人気を獲得した。さらには2017年NHK木曜22時で放送されていた「ブラタモリ」が8時を跨ぐようなに移動、更には「充電」もレギュラー昇格。こうして知的エンタメ番組が時代のトレンドとなっていった中、旧来のバカバカしさに軸を置いたバラエティ番組が周回遅れとなり、「めちゃイケ」は急速に視聴率を落としていくこととなった。

2018年3月、「めちゃイケ」は21年半という土曜20時台のテレビ各局同時間帯番組で最長寿となった番組の歴史に幕を閉じた。

ポスト「めちゃイケ」の土曜8時

こうしてめちゃイケは終了して以降は、「そうだったのか!!」が強いものの、「充電」や「ブラタモリ」に加え、「ジョブチューン」が前時間帯の「炎の体育会TV(2023年3月まで)」→「熱狂マニアさん!(2023年4月から)」(TBSテレビ)とほぼ交互に2時スペシャルを編成するという形で対抗。これらの挟み撃ちに遭う形で「世界一受けたい授業」の視聴率は低下していき、2024年3月に19年半のレギュラー放送が終了、特番放送に移行することとなった。また同じタイミングで「ブラタモリ」もレギュラー放送を終了している。

一方のフジテレビは、繋ぎで1度は紀行番組を編成するも、半年後には「芸能人が本気で考えた!ドッキリGP」を開始。視聴率こそ下位だが、コア人気を得ることに成功。その後2021年10月からは、「ひょうきん族」「めちゃイケ」の流れをむ「新しいカギ」を金曜20時から移転した。フジテレビもこの時間帯は「ドッキリGP」と「新しいカギ」の交互2時スペシャル体としている。

余談

 「全員集合」と「ひょうきん族」のスタッフは打ち上げの席で、度々同じ居酒屋で遭遇していたらしい。周りは「戦争」と言っていたものの、当事者同士はライバルであると同時にお笑いに携わる「同士」でもあるといった関係であり「2番組合わせて視聴率50%。笑いを見る人が世の中の半分もいるなんてたちは幸せだなあ」と語っていた、という逸話がある。

 

関連動画

関連項目

この記事を編集する

掲示板

おすすめトレンド

ニコニ広告で宣伝された記事

急上昇ワード改

最終更新:2025/03/26(水) 00:00

ほめられた記事

最終更新:2025/03/26(水) 00:00

ウォッチリストに追加しました!

すでにウォッチリストに
入っています。

OK

追加に失敗しました。

OK

追加にはログインが必要です。

           

ほめた!

すでにほめています。

すでにほめています。

ほめるを取消しました。

OK

ほめるに失敗しました。

OK

ほめるの取消しに失敗しました。

OK

ほめるにはログインが必要です。

タグ編集にはログインが必要です。

タグ編集には利用規約の同意が必要です。

TOP