土8戦争とは、土曜日夜8時のテレビ番組で繰り広げられた視聴率争いのことである。
土曜日の夜8時という時間帯は、かつては翌日が日曜日の週末夜ということもあって各テレビ局が最も力を入れた番組を放送してきた1時間である。その中でも特に熾烈な視聴率争いをした番組を讃える場合にこの表現を使うことが多い。
視聴率争いだけを見ればテレビ局間の戦争であるが、家族間で見たい番組が異なり、大きないさかいとなることもしばしばであった。特に土8枠ではその番組の内容もさることながら、親子・兄弟間の全面戦争 (ただの喧嘩) が若かりしころの記憶として脳裏に焼きついている者も少なくない。
基本的にTBSテレビ vs フジテレビの構図を崩すことなく推移していった。
アドリブの面白さで1960年代末に一世を風靡したコント55号(萩本欽一・坂上二郎)が、フジテレビ平日正午のバラエティ番組「お昼のゴールデンショー」での人気を足がかりに土曜20時に「コント55号の世界は笑う」というバラエティ番組を1968年にスタート。この枠で放送されていた「マイティジャック」の視聴率低迷に伴う早期終了と仕切り直しのための枠移動で空いてしまったのを補う穴埋め番組の側面もあったが、番組開始から1年と経たずに視聴率30%を超える大人気番組となる。
1960年代当時、ゴールデンタイムのど真ん中である夜20時台にコント番組を放送すること自体が異例であったが、この番組の成功によりお笑い番組の地位がランクアップしたという評価もされている。
一方、当時海外ドラマや自局製作ドラマを放送していたものの人気を食われて低迷していたTBSは、この人気番組に対抗する形で、ザ・ドリフターズによる練りこまれた公開コント番組をぶつけ真っ向勝負に出た。これがあの伝説的番組となる「8時だョ!全員集合」の始まりである。1969年10月に始まった同番組は一気に「世界は笑う」の人気を奪い、翌1970年には終了に追い込んだ。
以降、「全員集合」は土8の王者として長らく君臨することとなる。
1974年、ザ・ドリフターズの荒井注が突如脱退を発表。志村けんへのメンバーチェンジが行われたが当初はなかなか人気が出ず、低迷期に入ってしまう。
この混乱に乗じるように、1975年、フジテレビが萩本欽一メインのバラエティ番組である「欽ちゃんのドンとやってみよう!」(欽ドン)をスタートさせる。元々はニッポン放送のラジオ番組としてスタートしたものをテレビ番組に移植させたこの「欽ドン」は視聴者からの投稿ネタを中心にアドリブ主体の番組構成を取り、一時は「全員集合」を抜いた。
しかし、1976年に入り志村けんが「東村山音頭」を大ヒットさせ、ザ・ドリフターズの第二次黄金期に突入。再び形勢が逆転し「全員集合」が覇権を奪い返し、1980年の「欽ドン」の一時終了で退けた。
「欽ドン」自体は1981年に再び新シリーズを開始し復活するものの、放送枠が月曜21時に移動し土8戦争から撤退している。
TBSとフジテレビ以外での土8の動向として特筆すべきは、NETテレビ(現:テレビ朝日)の独自編成である。
1972年、当時視聴率50%超えまで記録した「全員集合」の圧倒的人気を切り崩すため、敢えてこの土曜20時という時間に特撮・アニメ番組を編成するという奇策に出る。
1971年に放送が始まり大ブームとなった「仮面ライダー」を見ている子供の視聴者をそのまま誘導し、ドリフの圧倒的子供人気を奪おうと画策したのだ。
この中から「人造人間キカイダー」「キカイダー01」「デビルマン」「キューティーハニー」といったヒット作が生まれ、「全員集合」1強状態だった1972年~1974年当時にある程度の風穴を開けることに成功した。
「欽ドン」終了後、フジテレビは若者向けのテレビドラマを編成したものの軒並み低視聴率を連発。再び「全員集合」の天下が続くものと思われていた。
ここで、1980年に爆発した漫才ブームで頭角を現した若手お笑い芸人を集結させて新たにバラエティ番組を製作することでフジテレビは起死回生に出た。これが1981年にスタートした「オレたちひょうきん族」である。
ビートたけしを中心に、明石家さんま、島田紳助、片岡鶴太郎、山田邦子といった新世代のお笑い芸人による時代に寄り添った過激なアドリブ性の高い数々のコントが受け、「全員集合」と熾烈な消耗戦を戦った。
次第に「ひょうきん族」自体がフジテレビ大躍進の象徴的人気番組となり、「全員集合」の徹底した計算高いコントを古臭いものと一蹴させるような時代の空気すら作り出していくことに成功する。そして、1985年。「全員集合」は王座の座を譲り渡すように番組終了を迎え、ついにお笑い界の世代交代が起こった。
通常、土8戦争というとこの争いのことを指すことが多い。
土曜20時の覇権を得た「ひょうきん族」であったが、その王座の時代はそれほど長くは続かなかった。
次第にビートたけしが情熱を失い番組収録をサボるようになり、徐々に番組の勢いが低下していく。さらに1986年の年末にフライデー襲撃事件を起こして逮捕されるという事態を引き起こし、半年間の謹慎期間中に明石家さんまが「ひょうきん族」の屋台骨として支えたものの、完全にかつての追い上げ期のような精彩を失ってしまった。
一方、「全員集合」のリベンジを図ったTBSはドリフターズの中から特に人気者であった志村けんと加藤茶を選抜し、「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」を1986年にスタートさせた。生放送の舞台コントという制約があった「全員集合」から転換し、メインコーナーの「THE DETECTIVE STORY」では時に大規模ロケまで敢行する収録コメディで対抗した。このコーナーから「だいじょぶだぁ太鼓」が人気を博す。また、志村けん考案の「おもしろビデオコーナー」も「世界初の視聴者投稿のホームビデオ紹介コーナー」という目新しさで好評を博す。
1989年、潮時と判断したビートたけしの最終決断が決め手となって「ひょうきん族」は終了した。
フジテレビの「ひょうきん族」の後番組は、当時木曜21時台で絶大な人気を誇っていた「とんねるずのみなさんのおかげです」がクール単位で休止、その期間中のつなぎ番組をやったウッチャンナンチャンの実績が認められ、「ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!」であった。
内村光良の運動神経の良さを活かしたアクションコントや映画ドラマの徹底したパロディコントなどが人気となり、南原清隆も「ナンチャンをさがせ!」の体当たりロケで町並みに紛れた。内村演じるマモー(元ネタは「ルパン三世 ルパンVS複製人間」の同名キャラ)がリリースした「マモーミモー・情熱の嵐」が大ヒット。ウンナンはダウンタウンらと並び、新世代のスターへ駆け上っていた。
一方、同じ1990年に日本テレビも「打倒加トケン」を掲げて新番組を投入する。それが「マジカル頭脳パワー!!」である。板東英二を司会に据え、解答者に所ジョージ・俵孝太郎・千堂あきほ・間寛平などを置いたこの番組は、知識ではなく発想力や頭の柔らかさを求める新感覚のクイズ番組として徐々に人気を上げていった。
TBSとフジテレビの戦いに日本テレビまで参入して大混戦となったが、1992年~1994年にこの戦いは止んでしまう。
1992年、マンネリ化を迎えた「加トケン」は「KATO&KENテレビバスターズ」へリニューアルされる。しかし、当時のTBS社長が鶴の一声で行ったという番組大改編に巻き込まれて終了。これにより「全員集合」以来22年半も続いたドリフ枠自体も終了に追い込まれた。
1993年、「やるやら」も番組収録中に起こった出演者の死亡事故をきっかけに打ち切りに追い込まれる。
1994年、人気番組になっていたものの、局としてのキラーコンテンツとして度々編成される読売ジャイアンツ戦中継によって休止が多かった「マジカル」も木曜日に移動し、土8戦争はひとまず終焉する。
一方、テレビ朝日はアニメから撤退し時代劇を投入。他局とは異なる独自編成を続行するも、その中で「暴れん坊将軍」が人気を得ることに成功した。
松平健の人気を確立させた「暴れん坊将軍」は途中で放送時間を変えた(後述)ものの、足掛け30年、全832回という大長寿時代劇となり、テレビ朝日を代表する時代劇となった。
テレビ東京は、国際プロレス中継を編成するも撤退、その後「全員集合」終了後に「土曜スペシャル」を編成した。低予算の旅番組を中心とした単発特番であり、相も変わらず最下位を独走するも、20年以上の地道な努力の結果、2010年代にはこの時間帯の視聴率戦争に大波乱を巻き起こすこととなる。
日本テレビは、従前よりレギュラー番組の傍らシーズン中は読売ジャイアンツ戦中継を中心に編成。しかし、これによりレギュラー番組の休止が相次ぎ「マジカル」までなかなかこの争いに参入できない状況が続いた。
ちなみに、「オレたちひょうきん族」がレギュラー放送化し「8時だョ!全員集合」との激突が始まった同じ月に、日本テレビで「ダントツ笑撃隊!!」というお笑い番組が放送開始していた…のだが、僅か3ヵ月で打ち切りとなり、土8戦争の一角に食い込めなかったという歴史がある。ちなみにザ・ぼんちとコント赤信号はこっちに出演していた(番組終了後コント赤信号とおさむは「ひょうきん族」に出演)。
また、その1年前から同じ枠で「爆笑ヒット大進撃!!」という前身番組があり、後に「ひょうきん族」で人気となる若手お笑いタレントが多数週替りで出演していた。しかし、半年後に雨傘番組として始まった「ひょうきん族」のパイロット版が始まり、「爆笑ヒット~」に出演していたメンバーの多くが「ひょうきん族」へと移ったため同番組に出演出来なくなり、大打撃を受けたという歴史がある。「ひょうきん族」が潰したのはドリフではなく、「ひょうきん族」と似たようなメンバーで土8戦争に挑もうとしていた日本テレビの方だったのかもしれない…
1990年代半ばに土8戦争という言葉が形骸化してしまった後、この土曜20時の覇権を握ったのはフジテレビであった。
土曜23時半に放送されていた「めちゃ2モテたいッ!」(1995年~1996年)をゴールデン昇格させる形で1996年に始まった「めちゃ2イケてるッ!」は、メインキャストのナインティナインの人気という追い風もあり、開始後すぐに人気番組となった。
開始当初から「平成のひょうきん族」を自称していたが、スタジオコントメインだった「ひょうきん族」とは異なり、徹底したロケ収録企画やゲームコーナーを主体とし独自性を生み出した。
同時期には裏番組で「暴れん坊将軍」や「どうぶつ奇想天外!」(TBSテレビ)も人気を得ていたものの、1999年に「暴れん坊将軍」、2000年に「奇想天外」が枠移動してからはほぼ「めちゃイケ」1強状態で2000年代を駆け抜けていった。
「めちゃイケ」の天下に陰りが見え始めたのは、2006年の山本圭壱の不祥事による強制降板と2010年の岡村隆史の病気療養による休業である。2006年の山本降板により「めちゃイケ」はそれまでの番組の構成を転換せざるを得なくなる中、日本テレビは「世界一受けたい授業」を投入。同番組は高い視聴率を獲得、「めちゃイケ」としては初の本格的な競合番組となった。
これに乗じたか2008年にはTBSテレビがこの時間帯にドラマ枠を投入。「ROOKIES」や「MR.BRAIN」などが人気作となったが、それ以外の作品はあまり人気を得られず2010年に撤退している。
そして、番組の大黒柱として動いていた岡村の休業は山本降板以上の大打撃を蒙り、「めちゃイケ」は新メンバー追加という対策でこれを乗り越えようとした。しかし、岡村はわずか半年で復帰。増えた新メンバーを生かす術を練る前に元の体勢に戻ることとなり、せっかくの新メンバーを上手く生かせなかった。
ほぼ期を同じくして、「世界一受けたい授業」に加え、「池上彰のニュースそうだったのか!!」(テレビ朝日)、「土曜スペシャル」(テレビ東京)といった裏番組が力をつける。「そうだったのか!!」は長らくテレビ朝日が取り組んできた池上彰シリーズの地盤を受け継ぐような形で安定、「土曜スペシャル」は「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」や「出川哲朗の充電させてもらえませんか?」が不定期放送ながらも出演者のキャラクター性なども相まり人気を獲得した。さらには2017年、NHKで木曜22時で放送されていた「ブラタモリ」が8時を跨ぐような枠に移動、更には「充電」もレギュラー昇格。こうして知的エンタメ番組が時代のトレンドとなっていった中、旧来のバカバカしさに軸を置いたバラエティ番組が周回遅れとなり、「めちゃイケ」は急速に視聴率を落としていくこととなった。
2018年3月、「めちゃイケ」は21年半という土曜20時台のテレビ各局同時間帯番組で最長寿となった番組の歴史に幕を閉じた。
こうしてめちゃイケは終了して以降は、「そうだったのか!!」が強いものの、「充電」や「ブラタモリ」に加え、「ジョブチューン」が前時間帯の「炎の体育会TV(2023年3月まで)」→「熱狂マニアさん!(2023年4月から)」(TBSテレビ)とほぼ交互に2時間スペシャルを編成するという形で対抗。これらの挟み撃ちに遭う形で「世界一受けたい授業」の視聴率は低下していき、2024年3月に19年半のレギュラー放送が終了、特番放送に移行することとなった。また同じタイミングで「ブラタモリ」もレギュラー放送を終了している。
一方のフジテレビは、繋ぎで1度は紀行番組を編成するも、半年後には「芸能人が本気で考えた!ドッキリGP」を開始。視聴率こそ下位だが、コアな人気を得ることに成功。その後2021年10月からは、「ひょうきん族」「めちゃイケ」の流れを汲む「新しいカギ」を金曜20時から移転した。フジテレビもこの時間帯は「ドッキリGP」と「新しいカギ」の交互2時間スペシャルを主体としている。
「全員集合」と「ひょうきん族」のスタッフは打ち上げの席で、度々同じ居酒屋で遭遇していたらしい。周りは「戦争」と言っていたものの、当事者同士はライバルであると同時にお笑いに携わる「同士」でもあるといった関係であり「2番組合わせて視聴率50%。笑いを見る人が世の中の半分もいるなんて俺たちは幸せだなあ」と語っていた、という逸話がある。
掲示板
21 ななしのよっしん
2019/07/17(水) 13:23:45 ID: 2YFzAnxDb+
>>19
昼の番組と言うと、平日正午台?それとも平日14~15時台のワイドショー?
22 ななしのよっしん
2020/11/01(日) 23:05:16 ID: 923VtaIZ5i
モヤさまで上がったのか
23 シオドア
2023/10/09(月) 16:21:05 ID: 2V9gC9nSx4
世界一受けたい授業始まる前はこれと言ってめちゃイケのライバル番組は無かったが、世界一受けたい授業が始まった結果そっちに視聴者流れて、他局もジョブチューンを入れたり、池上彰を移動させたりして更に追い討ち掛けてきて、終いには出川哲朗にも勝てなかったのが止めの一発になったんでしょ。しかも出川哲朗の番組めちゃイケより制作費少ないのに視聴率はめちゃイケ以上だったんだもんな。
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最終更新:2025/03/26(水) 00:00
最終更新:2025/03/26(水) 00:00
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